第55話…北端の危機
ズライグ王国の北端より、さらに北の海に浮かぶ島々。
その1つに雪小鬼一本牙の本拠地はあった。
島にある巨大な洞窟に手を加えた小鬼の巣穴。
そこには4つの開拓村から奪った戦利品の数々が運びこまれ、冬を越す準備に余念が無い。
総数100匹を越えた一本牙の群れは2度に渡る碧竜ハルとの戦いで大幅に数を減らしていた。
今の巣穴に籠る小鬼の半数は生後2年に満たない子供たちと、その世話をする役割の雌たち。
外敵と戦うための戦士の大半が戦死し、成長が早い小鬼という種族でも子供と呼ばれる大きさの個体が、数少ない大人と一緒に武器を持ち入り口で見張りをしている事からも群れの被害の大きさが解るだろう。
肉の焼ける良い匂いが洞窟を満たしていた。
それは群れの士気を保つために一本牙がヴィーグ伯爵から得た農耕馬を1頭屠殺して焼かせているからだ。
「食エ!食エ!」
雪で視界が遮られる中、入り口で見張りに立っていた小鬼たちにも肉の割り当てが運ばれてくる。
肉が付いたまま焼かれた肋骨。
外気で冷める前に食いつくそうと小鬼たちは肉に齧りつき、骨も噛み砕いて骨髄を啜る。
見張りの小鬼たちが夢中で食べていると轟音と共に地面が揺れた。
「ホォォーイ!」
非常事態を告げる小鬼の叫び。
鉄製の穂先の短槍を手に入り口へと向かう一本牙。
あと十歩程で外という時、一本牙の眼に巨大な手が見張りをしていた同胞を掴み持ち去るのが見えた。
「何だっ?」
バギッゴキッゴリュメキメキ…
外から聞こえる不気味な音。
危険を察知した一本牙は、身を隠しながら外を伺う。
「長!長!助ケテ!」
まだ生後1年半程の子供。
恐怖で竦み動けなくなった子供も巨大な手に掴まれ上へと消える。
バギッゴキッゴリュメキメキ…
再び響く不気味な音。
それが何の音なのかを一本牙は理解した。
理解してしまった。
その音は咀嚼音。
上から落ちてくる血と肉片。
それは雪に遮られ姿を隠した巨大な者の口から落ちてきた。
それは小鬼だけでなく、獣も樹々も目につく物を手当たり次第に食いつくしながら南進する怪物だった。
「巨人…だと…」
一本牙は、雪の中に消える巨大な影を見送るしか無かった。
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「働かざる者ーっ!喰うべからずーっ!」
北部総督府の中庭に2人だけにしか理解出来ない念話が響く。
「よくぞ集まってくれた精鋭諸君!
今こそ諸君らの力が必要なのだ!」
5匹の翼竜の幼竜の前で演説するのは碧の幼竜。
「竜種の中でも精鋭中の精鋭たる諸君ならば、この過酷な任務も完遂しうると私は信じているーっ!
諸君らの働きに期待するーっ!以上っ!」
そんなハルの演説を多分理解していないだろう幼竜たちは橇を牽いて走り出す。
中庭に積もった大量の雪を雪かきする使用人たち、円匙で雪を幼竜たちの牽く橇に載せると幼竜たちがノテノテと雪捨て場に運んでいく。
人間にとっては重労働だが、幼竜たちには身体を動かす遊びの一種らしく鳴き交わしながら走り回っている。
もっとも楽しそうな理由は遊びだからではなく、労働後に待っているご飯が原因かもしれないが。
「仕事の後は馴鹿のステーキが待っているぞー!」
そんな事を叫びながら自分も雪かきをするハルの声に幼竜たちが歓声のように鳴いた。
コイツら本当は念話を理解してるんじゃないのか?という疑問を浮かべる人間は誰も居なかった。
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ジャスパー・ファーウッドには4人の妻がいる。
ジャスパー本人は4人の妻を平等に愛しているつもりだが、2人きりで居る時の関わり方に差が出るのは仕方ない事だろう。
ジャスパーが2人きりでいて一番安らげる相手は間違いなく幼なじみのアンリエット。
だからジャスパーが疲れていると感じる時にはアンリエットの部屋で過ごしたくなるのは仕方ない事だったろう。
自分の執務室はあるが寝室は無いジャスパーは昼寝するにも妻たちの寝室を使うしかない。
寒い北部の防寒の足しにと自室で編み物をするアンリエットはベッドで微睡むジャスパーに何も言わない。
幼い頃からの付き合いである2人は、お互いが不快に思わない距離感を熟知している。
そんな2人だから、アンリエットはジャスパーが開拓村に関するアレコレや慣れない環境での村々の見回りで疲れている事を察していた。
他にも…
何だか分からないが酷く落ち込んでいた本妻リーヴァを寝室で慰めたり…
戦いに参加するはめになってジャスパーに再開した瞬間に安堵して泣き出した狐嬢を寝室で慰めたり…
戦功を上げたユーリアの論功行賞として寝室で一緒に過ごしたり…
と、いった事も疲れてる原因かもしれないが…
もしも、ジャスパー・ファーウッドが碧竜と出会わなければ、きっと2人は夫婦として、こんな日々を過ごしていたのだろう。
そんな穏やかに時間が流れる2人だけの世界。
アンリエットは部屋の外が騒がしい事に気づく。
寝息を立てているジャスパーを起こさないように静かに立ち上がったアンリエットは廊下を忙しく走る侍女に声をかけた。
「何かあったのですか?」
「ヴィーグ伯爵が火急の要件で、リーヴァ殿下と話し合いたいとお越しになりました」
「ジャスパー様ではなく、リーヴァ様と?」
「はい、そのように聞いております」
アンリエットは北部総督であるジャスパーではなく総督婦人のリーヴァに話しがあるという事に多少の疑問は覚えたが、忙しくヴィーグ伯爵を迎える用意をする侍女を引き留め続けるのは悪いと思い話しを止める。
「貴族間の事はリーヴァ様にお任せするべきですね」
ジャスパーに相談が必要ならば、リーヴァから話すだろうと思い、アンリエットはジャスパーを寝かせておく事にした。
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ズライグ王国北部。
人間の領域の北の端を表すのは小さな砦だった。
いや砦というより塔と言った方が実情に近いだろうか?
何しろ砦と呼ぶには小さすぎ、見張りのための塔だけが目立つ構造なのだから。
その砦には常駐するのは10人に満たない兵士。
彼らの役割は、見張り塔から人間の領域の外を監視して危険な魔獣や亜人の襲撃を『氷壁都市』に知らせる事。
ズライグ王国では北に行くほど加速度的に気温が下がる。
当然、北端の砦の平均気温は『氷壁都市』より低い。
それ故に交代で行う見張り塔上での監視以外の時間は全員が暖炉の前に固まっていた。
定期的に補給される燃料の薪を盛大に燃やしても断熱効果が薄い建物では限界がある。
小さいとはいえ砦である以上は居住性より防御能力が重視されるのも仕方ない事なのだから。
暖炉前に固まっている兵士たちは無言。
娯楽の1つも無く、1人になれる空間も無い。
定期的に来る補給の馬車が運んでくる酒や食料が唯一の楽しみと言えなくも無いが、それとて保存の効く食材で簡単な料理しか出来ない環境では旨い飯など望むべくもなく。
酒も任務の都合上、泥酔するまで酔うわけにはいかない。
結局、他人のストレスにならないように最低限の距離を確保してジッと動かずにいるのが一番楽であるという、何ともやりきれない状態なのが北端の砦であった。
「交代の時間だな…」
1人がノロノロと立ち上がる。
極寒の北端の砦の中でも見張り塔の上は一番寒い。
そんな場所に長時間居続けるのは健康面での問題もあるし、注意力を維持するにも時間的限界がある。
だから短時間で交代を繰り返す。
「交代だ」
「ああ…そんな時間か…」
「何か変わった事は?」
「特に無い…」
「そうか…」
塔の上で見張りが交代し、1人が塔を降りようとした時、地面が揺れた。
「何だ?地震か?」
塔を降りようとした兵士が呟くと、新しく来た兵士が北の方を見つめながら叫んだ。
「地震じゃない!あれを見ろ!」
「何だってんだ?」
塔を降りようとしていた兵士も北を見た。
降り続く雪で視界は悪い。
だが、それは確かに見えた。
「デケェ…人間の何倍あるんだ?」
それは巨人。
人間の5倍はある10メートルの身長の青白い肌の巨人だった。
極寒の雪空の中を苦もなく進む巨体は、狂暴ながらも知性を感じる顔に、どれだけ巨大な獣から取ったのかと疑問に思える毛皮の腰巻き姿の筋肉質の身体。
そして、彼が戦士であると示す右手の鎚矛。
「『氷壁都市』に!ヴィーグ伯爵に伝令を送るぞ!」
2人は暖炉前で動かず固まっているだろう同僚たちに危機を知らせ動くために塔を駆け降りた。
2人が塔を降りて間もなく、見張り塔は、霜の巨人の鎚矛で粉砕された。
それでも兵士たちは、犬橇で、馬で、徒歩で、誰かが『氷壁都市』まで辿り着き、人類の領域の危機を知らせられると信じて走り出した。
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「リーヴァ殿下!一大事です!」
少し前までは王族への最低限の敬意はあっても政敵という態度が見え隠れしたヴィーグ伯爵が、リーヴァ王女の臣下のように振る舞う。
ヴィーグ伯爵を自分の執務室に通したリーヴァは、ヴィーグ伯爵に話しの続きを促す。
「殿下もご存知の一本牙からの情報です。
北の地に巨人が姿を表し南下しているとの事です」
「巨人?それは北部に住む雪鬼という亜人の事かしら?」
リーヴァは遥か東の国の衣装、ジャスパーやハルが着物と呼ぶ異国風の服装で首を傾げる。
さらに『一本牙』とは誰だったか、を考えたが思い出せなく、ヴィーグ伯爵の家臣の誰かだろうくらいに思う。
「雪鬼ならば一本牙にも分かるでしょう。
この巨人は人間の5倍もの大きさの怪物との事です」
「そう…」
リーヴァは少し考える。
「私が命じた西部への先遣隊は出陣したかしら?」
「いいえ、まだです」
「では、その兵力を巨人対策に回しなさい。
夫にも手を貸してもらえるように私から言っておくわ」
「はっ!私は屋敷に戻り指揮を取る事にいたします!」
「新しい情報が入り次第、こちらにも知らせなさい」
「はっ!殿下の御心のままに!」
一報を自ら知らせに来たヴィーグ伯爵は急ぎ退室して行った。
これから屋敷に戻り、巨人対策に忙しくなるだろう。
「あら?」
リーヴァは、ヴィーグ伯爵が退室する際に開いた扉から奇妙なモノが見えた気がした。
主の意図を汲んだ死んだような目をした侍女が扉を開く。
すると扉を覗く柱の影に何かが居た。
「ジャスパー…何をしているのかしら?」
柱の後ろから覗いているのはリーヴァの夫ジャスパー…と、馴鹿の骨付き肉を咥えたハルとグラム。
リーヴァは、ジャスパーの真似をして遊んでる幼竜2匹は無視して夫に問う。
「リーヴァ…いつからヴィーグ伯爵と仲良くなったの?」
「えっ?ジャスパー?何を言っているの?」
疑問顔のリーヴァに対して、ジャスパーは大袈裟に床に突っ伏して嘆く。
「リーヴァが…リーヴァが…浮気するだなんてーっ!!」
「ちょっとジャスパー?貴方は何を言っているの?」
驚愕するリーヴァ。
そして、嘆くジャスパーの足元では…
「見ろグラム、あれが自分に自信が無くて、自分は嫁に愛されていると信じれないヘタレの姿だ」
「ギャギャ!」
そんな話しをする幼竜たち。
「ジャスパー…冗談でも言って良い事と悪い事があるわ…」
リーヴァの手には、いつの間にか魔法の杖。
『氷結の長杖』と呼ばれる殺傷能力は低いが相手を凍らせて動きを止める魔法具
「リーヴァ?」
「私が浮気ですって?
そんな事するわけないでしょう!!」
「うぇひっ?!」
リーヴァが氷結の長杖を起動させ、咄嗟に飛び退いたジャスパーが居た床を凍らせる。
「ジャスパァァァーッ!凍らせて監禁して私の愛を教え込んで上げるわーっ!!」
強壮なる霜の巨人の襲来という人類世界の危機の影で、リーヴァとジャスパーの夫婦喧嘩の火蓋は切って落とされたのだった。
その様を見ながら…
「我々の出番は無いようだな」
「ギャギャ」
2匹の幼竜はノテノテと立ち去った。




