第54話…巨人の目覚め
赤い疾風が駆けるたびに、血飛沫が舞った。
鮮血は雪が残った地面を真っ赤に染めて白銀の姫を楽しませた。
既に、護衛騎士の残りはヴィーグ伯爵の前に立ち、決死の覚悟で主を守ろうとする2人のみ。
騎士たちが虐殺されている間に逃げようとした小鬼たちは、背を見せた瞬間にグラムの牙と爪で引き裂かれ、動けば死ぬと理解した雪小鬼王一本牙と雪小鬼巫覡火係の2匹を残すのみだ。
「グラム、そこまで!」
リーヴァの命令で赤竜グラムは殺戮を止めた。
そしてノテノテとリーヴァの足元に歩いていくと詰まらなそうに欠伸をする。
「さて、ヴィーグ伯爵と…
お前は小鬼の族長かしら?」
「雪小鬼王一本牙」
「そう、お前の名前なんてどうでもいいわ」
小鬼などに礼を持って振る舞う必要は無いという露骨な態度でリーヴァは言う。
「ヴィーグ伯爵、その小鬼を利用する事で北部には利益があるのかしら?」
ヴィーグ伯爵は、リーヴァ王女の言葉の意味を考えながら、事実を話す事にする。
「過去に小鬼の群れの襲撃で多くの集落に被害が出てきました。
この一本牙は小鬼の中では珍しく交渉が出来る個体です。
一本牙と協力関係を築いてからは、一本牙の群れが他の群れを抑える事で、北部全体の被害が減ったと断言出来ます」
リーヴァは扇子で口元を隠しながらヴィーグ伯爵の目を見る。
寒冷な北部の気温よりも冷たい視線で見る。
「そのために開拓村の民草を生け贄に差し出したと?」
ヴィーグ伯爵は、目の前の姫君の怒りを受ける事を理解しながら事実だけを言った。
「小鬼にも冬を越すための物資が必要です。
やむを得ぬ事でした!」
守りが弱い開拓村を生け贄に出し、他の地域を守る。
それで結果的に北部全体の被害が減った、それは事実だ。
そして亜人と戦争状態にあるズライグ王国では、小鬼を物資を対価に傭兵のように雇うのは不可能だった。
他の地域の手前、形だけでも対立していなければならなかった。
リーヴァは少し考える。
「いいわ、このリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグが許しましょう。
今後は、そこの小鬼の群れを雇い、王国のために役立てなさい」
「殿下!?それは!?」
そんな事が中央に知られたなら王女であるリーヴァとて無事ではすまないだろう。
「毎年、領民を生け贄に出すより、遥かに良い事だと思うのだけど?」
ヴィーグ伯爵は、リーヴァ王女に対して膝を地面につけて恭順の姿勢を取った。
リーヴァ王女が、後ろ楯となり亜人との共存政策を認めるならば、北部の被害はさらに減る事になるのだろうから…
だが、白銀の姫リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグが、己に利益なく、そんな事を許すはずが無かった。
「これからは、このリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグのために働きなさい。
まずは北部総督府に贈り物を貰いましょうか?」
金貨何枚を払えなどとリーヴァは言わない。
ヴィーグ伯爵が自分の意思で好意として北部総督府に贈る物なのだから。
だが、その贈り物の価値が低ければ、それはリーヴァを舐めた事になるのだ。
ヴィーグ伯爵は、伯爵領にとって出せるギリギリの金額を献上するしか無いだろう。
そして、もう1つ。
「それと、今すぐに西部に派兵なさい。
10日以内に先遣隊を編成し出発させる事。
出来ないとは言わせないわ」
「殿下の御心のままに…」
ヴィーグ伯爵に断れるはずも無かった。
それは、これから北部で産まれる余力をリーヴァに差し出すという事だった。
「ヴィーグ伯爵…」
「はっ!」
「私の要望が聞けないと言うならば、それでいいわ。
その時は、我が夫に『この私の姿を夫以外に見られた』と言うだけよ」
「それはっ!?」
ヴィーグ伯爵も噂は聞いていた。
北部総督ジャスパー・ファーウッド碧竜伯は、妻であるリーヴァ王女を溺愛しており、独占欲の塊であると。
リーヴァ王女に舞踏会で色目を使った貴族の屋敷を碧竜で襲撃し皆殺しにしたとも…
リーヴァ王女に服を売りに来た商人が、リーヴァ王女が試着する際に下着姿となったのを見たとして碧竜の餌にしたとも…
目の前の扇情的なリーヴァ王女の姿を他人が見たと知ったなら、碧竜伯ジャスパー・ファーウッドは怒り狂い、その姿を見た可能性がある『氷壁都市』の全住人を焼き払う事すら有り得るだろう。
ヴィーグ伯爵は恐怖し額を地面に擦りつけた。
「北部は、今後リーヴァ殿下に逆らう事などありませぬ」
「そう、その言葉に偽りが無い事を期待するわ」
そして、リーヴァ王女の姿は魔法具の力で消える。
ヴィーグ伯爵と一本牙が見た物は、ノテノテと歩き去る幼竜の後ろ姿だけだった。
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巨人は夢を見る。
懐かしい夢を…
忌まわしい悪夢を…
古来、2つの世界には調和があった。
定期的に開く『門』が2つの世界に調和と発展を促した。
鉱物資源に恵まれるが魔力に乏しいアニュラス界。
高純度な魔力に満ちるが鉱物資源に乏しいメーガジット界。
『門』により繋がる2つの世界。
メーガジット界の種族は、アニュラス界より金属といった鉱物資源を持ち帰り。
アニュラス界へは、メーガジット界より高純度な魔力が流れこむ。
それが2つの世界を調和させ発展させた。
800年前、異界より『邪悪なる者』が現れるまでは…
アニュラス界で繁栄する『人間』に似た姿をした異界より現れた者の存在が2つの世界の調和を崩した。
黒い髪に黒い瞳を持ち、見た目は人間の少女のような姿をした邪悪なる化け物。
アニュラス界最強の種族・竜たちを誑かし多くの同胞を殺した化け物。
敬愛する『盟主』の右腕を切り落とし、敗走させた憎むべき怨敵。
メーガジット界の『盟主』に支える霜の巨人の戦士ガルザは敗残兵だった。
800年前に『赤き竜の国』の王都近郊にて怨敵率いる竜の軍勢に敗れ、湖へと落とされた。
意識を失い、身体より発する冷気により造られた巨大な氷の塊に閉じ込められた霜の巨人ガルザは、湖より海に運ばれ、永い時を経て北の海の小島に打ち上げられた。
ガルザは敗者だった。
戦いに敗れ生き延びただけの惨めな敗残兵だった。
それでも、その心には戦士の誇りがあった。
ガルザの戦士としての矜持は未だ健在であった。
800年の間、氷塊の中で仮死状態のまま眠り続ける霜の巨人ガルザ。
その巨人の心臓が邪悪な気配に脈打った。
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「ハルさん、もう引き返しましょう」
碧竜が北の空を飛ぶ。
開拓村より北の未開の地を抜け、凍りついた大河を越えて、塔といった姿の小さな砦を見下ろし、遂には…
「あれは海なのか?」
「えっ?あれがですか?」
ハルの背でユーリアと狐嬢が驚きの声を上げる。
目の前に見える景色。
ユーリアや狐嬢には信じられない景色。
まさか巨大な海が凍りつく事があるとは?!
「川ならば冬に氷に覆われる事があるが、まさか海まで凍るとはな」
「そうですね、ジャスパーさんにも見せてあげたいです」
珍しい雄大な景色に感嘆の声を上げる。
元日本人のハルは、テレビなどで見た事がある凍った海に感慨もなく。
「海って事は、ここが北端なんだな」
そう呟いて、ゆっくりと旋回する。
ヴィーグ伯爵家の騎士に対する嫌がらせと、ちょっとした好奇心で北の端まで飛行してみたハルは『氷壁都市』に戻る事にした。
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「あれは?」
北部の村々を見回り北部総督府に戻ってきたジャスパーは、総督府に運びこまれる馬車列を不思議そうに見た。
荷馬車に積まれているのは酒樽だろうか?
中身が一番安い麦酒としても安い買い物では無い量だろう。
「何か大規模な宴でもやるのか?」
ジャスパー直属の侍女狐嬢は開拓村から戻っておらず、リーヴァから借りた侍女がジャスパーが脱いだ防寒着を受け取りつつ答える。
「ヴィーグ伯爵様よりの贈り物です」
「ふーん…」
領民を口減らししようとするヴィーグ伯爵にも開拓村を守った北部総督に感謝する気持ちがあったのか?
それとも別の理由か?
「まあ、貴族間の付き合いや贈り物への返礼はリーヴァに任せればいいか…」
ジャスパーは、自分より遥かに貴族社会の不文律に詳しい本妻に難しい事は丸投げする事にする。
「碧竜伯、蒸風呂の用意が出来ております」
寒い中を見回りしてきたジャスパーのために熱い蒸風呂を用意してくれていたのだろう。
「一番風呂は主の特権だな」
いつの間にか碧竜伯家に浸透した風習。
一番風呂は、碧竜伯ジャスパーの特権という事で、一緒に帰ってきたアンリエットも遠慮して一緒に入ろうとしない。
まあ、例外が無いわけではないのだが…
ジャスパーは侍女に着替えの用意を命じ蒸風呂に向かった。
日本の近代的な蒸風呂とは比べるべくもない。
熱い蒸気を封じ込める事が難しいため、入り口は酷く狭く四つん這いで潜って入る程。
中は『光』の魔法具を使って照らされているが、本来なら灯りを入れる事も難しい造りである。
「やっぱり『光』があると便利だな」
ジャスパーは老賢者ゴーラに見せてもらってから使用人に買いに行かせた魔法具の灯りを見て呟く。
そして…
「だから、お前らは何故居る?」
蒸気を閉じ込めるために狭い蒸風呂内には、北部総督府で一番偉いはずの北部総督ジャスパー・ファーウッドより態度がデカイ幼竜たちが居座っていた。
「お前らって寒さなんて苦にならないよな?」
頭に手拭いを乗せ、並んで座る5匹の翼竜の幼竜たち。
竜種は暑さも寒さも苦にしない。
極寒の中庭で雪に覆われて昼寝していても平気な連中だ。
「ハルの仕業だな」
あの元日本人の妹が『一番風呂』に入るのは特権であるとでも教えて、自分たちが人間より偉いと思っている幼竜たちが一番風呂に入る事を覚えたのだろう。
「全く…」
ジャスパーは5匹の幼竜で、ぎゅうぎゅう詰めの蒸風呂内に腰を下ろし、冷えた身体を温める。
カチッ…
脱衣場より小さく鍵を開ける音がした。
態度がデカイ幼竜以外で唯一ジャスパーと共に入浴する事が許されている本妻リーヴァが来たのだろう。
入ってきたリーヴァは、ジャスパーには全く見分けがつかない5匹の幼竜のリーダー格である愛竜グラムに視線を向ける。
『遠慮しろ』という主の視線を受けてグラムは仲間を引き連れノテノテと蒸風呂から出ていく。
おそらく風呂上がりに蜂蜜入り牛乳で喉を潤してから飯に行くのだろう。
「ただいまリーヴァ」
帰ってきてから蒸風呂に直行する形になったため帰宅の挨拶をしてなかった本妻にジャスパーは言ったが、本妻リーヴァは無言でジャスパーの隣に腰を下ろす。
(真っ先に会いに行かなかったから怒っちゃったのかな?)
貴族婦人の作法としてジャスパーの帰宅を出迎えるはずのリーヴァの姿がなかった事から、出掛けているか、手が離せない仕事があるのかと思ったのだが…
「リーヴァ?」
無言の妻の様子を疑問に思うジャスパーの隣で、リーヴァの瞳から涙がこぼれた。
「リーヴァ、何があったの?」
ジャスパーの疑問に答えずリーヴァは、夫にすがり付き涙を流し続けた。
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リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグは公爵令嬢として産まれ育てられた。
王族の娘であるリーヴァは、何れは上級貴族や他国の王族に嫁ぐ事になる。
そんな身であるからリーヴァは強固な貞操観念を叩きこまれた。
夫以外に身体を許すどころか、肌を晒す事すら許されない。
リーヴァの身体は、リーヴァ自身の物ではなく、夫のためにあるのだと、そう教育された。
そんなリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグが夫を裏切った。
夫以外の殿方には決して見せてはいけない姿を夫以外の殿方に晒してしまった。
その罪を夫に告白する事など出来ない。
夫がリーヴァの罪を知る事は永遠に無いだろう。
それでも、その罪はリーヴァの心に突き刺さる。
自分を溺愛しているとリーヴァが信じる夫ジャスパーを裏切った事実がリーヴァの心を攻め苛む。
「ジャスパー…許して…許して…」
声にならない程に小さな謝罪を繰り返しながらリーヴァは泣き続け、その涙の意味を知る事なくジャスパーはリーヴァを抱き締めた。
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800年の間、巨人を閉じ込め、そして守ってきた氷塊が砕ける。
誇り高き霜の巨人の戦士ガルザは遠くに、その姿を見た。
何だ、あれは?
何だ、あの悍ましい化け物は?
その身体は竜であった。
だが、その中身は竜などでは無かった。
その中身は、異界より送り込まれた邪悪なる怪物。
アニュラス界とメーガジット界に仇成す邪悪なる存在の眷属。
戦士は敗残兵であった。
800年前に敗北し眠り続けた敗者であった。
それでも彼は戦士だった。
その矜持は未だ折れてなどいなかった。
戦士は再び立ち上がる!
世界に仇成す邪悪の眷属と戦うために!
「おのれ白涼!
世界に仇成す邪悪なる者よ!
あのような怪物を送り込んできたのか!
我こそは!ミズルの孫、ギリグの子、凍てつく大地を砕く鎚鉾ガルザ!
メーガジット界を守る『盟主』に支える戦士である!
貴様の思い通りになると思うな!異界の邪神・白涼よ!」
強壮なる霜の巨人の戦士ガルザは、巨大な鎚鉾を振り上げ咆哮した。




