第52話…側室と愛妾
碧竜伯ジャスパー・ファーウッドの活躍で、北部雪小鬼の中で最大勢力を誇る一本牙の群れは大打撃を受けた。
単純な腕力では族長一本牙に継ぐ雪強小鬼樽腹を始め多くの死者を出し、その再建には少なくない時間が必要だった。
そうして浪費された時間は、人間が住む開拓村には味方しなかったらしい。
開拓村に程近い林の中に隠れ、村の様子を伺う一本牙は、そう思う。
護衛の冒険者の存在が村人を安心させ警戒心を鈍らせる。
さらに襲撃より日が過ぎれば、もう襲撃は無いのでは無いかと楽観的な思考が浮かんでくる。
人間は無限に緊張感を維持出来るわけでは無い。
何の問題も無ければ緊張感はドンドン薄れていく、それが道理だ。
「護衛の冒険者は6人という話だな」
人間の戦士は小鬼より強い。
最低限の訓練しか受けていない農民兵でも1対1なら小鬼に遅れを取る事はないだろう。
それでも、それは1対1で戦うならの話だ。
仮に1対1での戦いを勝ち抜き戦のように続けるなら冒険者たちは疲労するか不運に見舞われるまで小鬼を倒し続けるだろう。
だが人間は2方向から同時に攻撃されたなら対処は難しい。
まして3方向からならば熟練の戦士でもなければ対処は不可能だ。
3匹の小鬼で掛かれば人間の戦士でも討ち取れる。
まして相手は戦士としての技量が高いとは言えないのだから。
「族長、全ての群れが配置につきました」
一本牙の腹心火係が報告してきた。
狩猟採集で日々の糧を得る小鬼たちは、狩りを行う時に獲物に気づかれないよう近づく方法を身につけている。
開拓村の連中は、程近い林に潜む200匹の雪小鬼に気づいていないだろう。
一本牙と内通する間者ロシの話では、村にある見張り櫓に詰める冒険者たちにも緊張感は無く、こっそり酒を持ち込み酔っぱらっているとの事。
一本牙は遠くに見える見張り櫓に目をこらすと三人ほどが見張りに立っているようだが、此方に気づいた様子は無い。
「あの竜騎士は南の村々を回っているという話だったな」
空から火を吐き多くの仲間を焼き付くした忌々しい竜騎士が助けに来る事は無い。
1人や2人ならともかく、小鬼200匹の襲撃に対抗出来る大人数の兵士が、偵察を繰り返した小鬼たちの目を盗んで村に到着し隠れ潜む事など不可能だ。
今度こそ開拓村を落とし多数の略奪品を手に入れるのだ!
「総員!突撃ー!」
一本牙の号令の下、200匹の雪小鬼が走り出した。
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『氷壁都市』より南の街道沿いにある大きな村。
暖かい休憩場所と食事を求めてジャスパー・ファーウッド率いる1隊は、宿屋の一階にある酒場に立ち寄っていた。
一度、暖かい室内に腰を下ろせば、立ち上がるのが億劫になるのは人の心理。
再び身を切る寒さの野外を進むために暖かい酒場から出るのを躊躇ってしまうのが人の心理だろう。
それでも、訓練された騎士たちは命令があれば再び行軍を開始する気概がある。
訓練された騎士ならば…
「ジャスパー様ぁ~今日はぁ~もう二階で休みましょう~」
ジャスパーにしなだれ掛かって甘い声を出す側室アンリエット。
「私、今日は疲れてしまいましたわぁ~」
ジャスパーは困った顔で老賢者ゴーラを見る。
この中でゴーラだけはジャスパーの部下ではなくヴィーグ伯爵から借りた客分。
「ゴーラ殿、今日は此処までにして、残りは明日回るというのはどうでしょうか?」
側室の我が儘を聞く色ボケ貴族ジャスパーが提案する。
「急ぐ必要があるわけではありませんし、それでもよいのではないでしょうか」
ゴーラは、ジャスパーの手がアンリエットの尻を撫でている事に気づかないふりをして答える。
ゴーラの目的はジャスパーの監視であって、ジャスパーが側室と乳栗あって足止めされても問題は無い。
これから回る予定のルートにも緊急の問題を抱えた村など無いし1日の遅れなど誤差の範囲だろう。
ジャスパーは懐から大銀貨を数枚取り出しテーブル上に置くと騎士たちに言う。
「出発は明日の朝だ。
この金で皆も英気を養ってくれ」
そしてジャスパーは宿屋になっている二階の一番大きな部屋を取るとアンリエットを連れて階段を上がっていった。
大根一本を丸かじりしていた翼竜リッターとメーターも食べかけの大根を丸のみするとノテノテ付いて行った。
重装歩兵に匹敵する幼竜2匹が護衛についていれば2人の安全は確保されたも同然。
騎士たちはテーブル上の大銀貨に手を伸ばす。
今夜の宿代を引いても贅沢するのに問題ない金額が残るだろう。
「酒を追加だ!火酒をくれ!」
「俺は葡萄酒のお湯割りとチーズ!」
ジャスパーとアンリエットが早々に立ち去った事で騎士たちは無礼講とばかりに酒宴を始める。
「ゴーラ殿も呑みましょう!碧竜伯の奢りですよ!」
「ああ…そうですね」
老賢者ゴーラも、お品書きに目を落とし追加の酒と料理を選び始めた。
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「こんな感じで良かったですか?」
宿屋の一番大きな寝室。
その大きなベッドの上で鎧の脱いだジャスパーの膝に座りアンリエットは耳元で囁く。
「うん、ありがとうアンリエット」
アンリエットの栗色の髪を撫でながらジャスパーも囁く。
ベッドの下にはリッターとメーターが潜り込み昼寝を始める。
ハルとグラムからジャスパーたちを守るように頼まれてる…らしい2匹は襲撃があれば即座に迎撃するだろう…多分…
「そもそもハルの言葉を理解出来るのか?」
ジャスパーは疑問に思うが、獣並みの知能しかない翼竜の幼竜たちが北部総督府内で放し飼いされていても問題が起きてないのが事実だ。
小さな悪戯で使用人を困らせたりするくらいはあるが、幼竜が人間を怪我させるような事態は起きていない。
ハル曰く、グラムが統率してるのとハルが言い聞かせてるから…との事。
実際問題が起きてないから、そういう事にするしか無いだろう。
そんな事を考えていたジャスパーは膝の上のアンリエットに意識を戻す。
本来はジャスパーの護衛と参謀と副指揮官を兼任するユーリアの不在を誤魔化すために連れて来たアンリエット。
老賢者ゴーラに、普段ユーリアを側に置いている理由が、女と乳栗あうためだと誤解させるためにアンリエットを連れてきて、これ見よがしにイチャついて見せた。
戦闘力も無いアンリエットが寒い中を危険な見回りに参加するのは心身共に負担が大きかっただろう。
ここまでは魔獣などに遭遇する事態はなかったが、明日は解らない。
いや身体が小さく体力が無いアンリエットは、ただ寒い中を見回るだけで負担が大きいだろう。
緊張と疲労で消耗したアンリエットはジャスパーに抱きついたまま寝息を立て始める。
「お疲れ様アンリエット」
ジャスパーはアンリエットに軽くキスするとベッドに寝かせ毛布をかけた。
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竜騎士ジャスパー・ファーウッドが南の村々を回っている頃、『氷壁都市』より北にある開拓村は200匹の雪小鬼の襲撃を受けようとしていた。
見張り櫓の上には冒険者2人と村人1人が立ち、村の外を監視していた。
「本当に来やがった…」
信じられない程の数の雪小鬼の群れが村に迫ってくる。
「小鬼だ!小鬼の群れが来るぞー!」
見張り櫓に設置された緊急事態を村中に知らせる鐘を鳴らしながら見張りの村人が叫ぶ。
ネードたち冒険者は予め決めていた通りに避難所になっている集会所に逃げ込む村人たちを手助けするため走り出した。
集会所に近く、村で一番大きな村長宅には小さな子供がいる者や素早い避難が難しい老人が泊められており、村長の指示で集会所に向かう。
集会所には食料や防寒具が用意され立て籠る準備は出来ていた。
それでも無限に立て籠れるわけではない、200匹の小鬼を撃退しなければ、何れ集会所の扉は破壊され村人たちは蹂躙されるだろう。
「集会所へ急げ!誰も残すなよ!」
「動けない奴は声を上げろ!俺たちが背負ってでも逃がしてやる!」
6人の冒険者は叫び村人の避難を手伝う。
だが、たった6人の三流冒険者に200匹の小鬼を倒す力などあるはずもない。
村人たちが組織した自警団を含めたとて200匹もの群れには対抗出来ない。
開拓村の壊滅は時間の問題だった。
だが…
それは、何の変哲も無い農夫の家だった。
室内を暖めるための暖炉の煙が上がるだけの普通の家。
その扉が開き、胡瓜の漬物を齧りながらノテノテと出てくる青と緑の中間の色の生き物。
そして続いて出てきたのは、魔力が込められた騎兵槍を手にした金髪巨乳の女騎士と狐耳と6本の狐尻尾を持つ獣人の少女。
「我こそは、北部総督ジャスパー・ファーウッド碧竜伯が名代ユーリア・ファーウッドである!
この名を恐れぬならば掛かって来るがいい!」
「ほら狐嬢、気をつけて乗りなよ」
名乗りを上げるユーリアの隣に巨大な碧竜が出現する。
碧竜ハルはユーリアと狐嬢が乗りやすいように地面に腹這いになる。
元天馬騎士で飛行魔獣の戦い方の心得があるユーリア。
ハルと意思疎通出来る狐嬢。
ハルと意思疎通出来ないユーリアも戦闘訓練を受けていない狐嬢も1人だけではジャスパーの代わりは勤まらない。
それでも2人で乗るならば小鬼の100や200など敵では無いだろう。
2人乗りする事でハルの負担が増し、継戦能力が落ちるとしてもだ。
ユーリアがジャスパーから借りた魔法槍を手に前に乗り、狐嬢がユーリアの腰に腕を回して身体を固定する。
「竜殿、頼んだぞ!」
「任せろ!」
「『阿穂之狐山白神様』どうか私たちを御守り下さい!」
狐嬢が狐系獣人の神様らしい名前を呟きながら泣きそうな顔で恐怖に耐え必死でユーリアにしがみつく。
戦う者ではない狐嬢には当然の反応だろう。
「狐嬢は、兄貴と違うからな急加速や急旋回はダメだな」
ハルは竜の息の射程距離ギリギリまで飛び上がり、狐嬢の負担にならない速度で飛行し始めた。
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とくに難しい話では無い。
ジャスパーやリーヴァならともかく、側室のユーリアならば簡単な変装で北部総督府から抜け出る事が出来る。
あまり顔が知られていない狐嬢も出入りの獣人の冒険者程度にしか警戒されない。
そうして『氷壁都市』を出た2人は夜闇に紛れてグラムの足に捕まり防壁を越えたハルと合流して開拓村を目指した。
その後、夜を待って開拓村の村長宅を訪れ、碧竜伯ジャスパーの紋章と碧竜ハルを見せる事でジャスパーの名代だと村長に信じさせたユーリアたちが、近日中に小鬼の襲撃があると警告し農夫の家を借りて潜んでいた。
それだけの話。
強力な魔獣は決まった主しか乗せる事は無い。
それが常識となっている故に竜騎士ジャスパーさえ監視すれば、竜も監視出来ると考えるのが普通。
しかし、人間並みの知性を持つハルは例外だった。
碧竜ハルは、ジャスパー以外も背に乗せ戦う事が出来るのだ!
「バカな!竜騎士は南に居るはずだろう?!」
一本牙は、群れを引き返させようとするが、既に群れは開拓村外周部まで到達していた。
今から身を隠せる林まで戻る時間はなかった。
碧竜の吐く炎が舐めるように地面を焼き、悲鳴を上げて逃げ惑う雪小鬼たちを焼き付くしていった。
「竜殿!群れの長を探して下さい!」
「長ってどんな奴?」
「ユーリア様、長とはどのような姿を…きゃあっ!」
突風がハルを揺らし狐嬢が悲鳴を上げる。
「これだけの群れならば小鬼王が率いているはずです。
異様に身体が大きな小鬼を探して下さい」
「ふーん?おっ?あれかな?」
ハルは大きな小鬼がいる一団を焼き尽くす。
それは一本牙ではなく強小鬼率いる一団だった。
ハルは別の一団に目星をつけ再び焼き尽くす。
雪小鬼が反撃に使う弓矢や投げ槍ではハルに傷も付けられず。
狐嬢が怪我する事を恐れたハルは竜の息の射程距離ギリギリまでしか降下しないためユーリアと狐嬢に矢が届く事もない。
半数近い小鬼を焼き尽くしながらハルは小鬼王を探す。
「竜殿、右手の方を!」
「んー?おっ!あれかな?」
他の小鬼と大差ない姿の火係は上手く紛れて逃げていた。
一方で小鬼にしては巨体の一本牙は目立ちユーリアに見つかる事になった。
ユーリアから指示されたハルは一本牙含む一団を焼き尽くすために大きく息を吸い込む。
そしてハルの喉が光り、牙の間から火が漏れ始める。
それは竜の息を吐く前兆。
「師匠は言っていた!『肉を焼くならレアよりウェルダン』だと!喰らえ必殺!竜の…」
ハルが炎を吐くより一瞬速くユーリアは、それに気づいた。
林の間の獣道より駆け出て槍を振るう騎兵の姿に!
騎兵は小鬼を蹴散らし進む。
「竜殿!待たれよ!射線に騎兵が居る!」
ヴィーグ伯爵の家臣だろう騎士は、偶然だろうが一本牙の一団とスレ違いハルの射線を邪魔する事になった。
ハルは咄嗟に首を上に上げ、空に向かって炎を吐き騎兵を守った。
「くそ!アイツが邪魔しなきゃ倒せたのに!」
たまたま開拓村近くに居た騎兵が異変に気付き助太刀に入った。
たまたま、その騎兵がハルの射線を塞いでしまった。
そういう事なのだろう。
その一瞬で一本牙は林の中に逃げ込みハルは姿を見失った。
狐嬢に負担をかけないため地上に降りて戦えないハルに林の中まで追撃する方法はなかった。
「長を逃がしたのは痛いが、半数以上は討ち取った。
小鬼の群れも再建に時間がかかるだろう」
ユーリアは100匹を軽く越える小鬼の死体を上空から確認しつつ呟く。
地上で騎兵が手を振っており、ユーリアは狐嬢に頼んでハルを降下させた。
「北部総督ジャスパー・ファーウッド碧竜伯の名代にして側室ユーリア・ファーウッド」
そう名乗ったユーリアに騎兵も名乗り返す。
「ヴィーグ伯爵家の騎士エイリク・ダッグスです。
さて、我が主より北部総督が竜を動かすとの話は聞いておりませぬが?」
それは領内で勝手な事をするなとの非難。
「碧竜の騎乗訓練中に風に流され、偶然に村の危機が見えた故に助けただけの事。
抗議があるならば、ヴィーグ伯爵より正式に北部総督へ申し出られるとよいでしょう」
双方、思うところはあるだろうが、家の立場を考え口を噤む。
「ここはヴィーグ伯爵領故に、後の事は任せていただく。
早々に総督府へ戻られるがよろしかろう」
さっさと消えろと、ハッキリ言わないだけ我慢しているのだろうダッグス卿。
その不快気な視線を無視してユーリアは背を向けた。
「狐嬢、竜殿、総督府に戻ろう」
ユーリアの後ろでダッグス卿をバカにするように舌を出していたハルは、2人を乗せて飛び立った。




