第4話…殿軍
「俺たちに此処で死ねって言うのかよ!」
荒野の中にある小高い丘の上。
簡易的に作られた柵と急とは言えない斜面だけが800人の農民兵を守る全てだった。
門より出現した小鬼一万匹に対してウォードエンド辺境伯は即座に辺境砦まで撤退する事を決断し、殿軍として野戦陣地に農民兵800人が残された。
殿軍指揮官は辺境伯の妾腹の娘である天馬騎士ユーリア・ウォードエンド卿。
副指揮官に門からの侵攻を四度経験した熟練の老騎士ロロフ卿。
辺境伯令嬢が自ら残り殿軍の指揮を取る。
そんな状況でも農民兵の士気は低い。
天馬騎士であるユーリアが、その気になれば自分だけ空を飛び逃げる事が出来るからだ。
一万匹の小鬼は辺境伯軍本隊を追わず、野戦陣地を包囲する。
知能が低い小鬼に戦略的思考など無い。
目の前の陣地を襲い、鉄製の武具、身に纏う事が出来る布、食料、小鬼たちが望む物を略奪する事しか頭に無い。
小鬼たちは20匹~30匹の群れに分かれたままバラバラに奇声を上げ陣地に向かって突撃する。
「弩放て!」
農民兵たちは斜面を登ってくる小鬼に矢を放つ。
たちまち小鬼たちはバタバタと倒れるが、倒れた仲間の死体を踏み越えて陣地の柵に殺到した。
「槍だ!槍で突け!」
急拵えの柵は簡単に乗り越えられる事は無いものの隙間が多い。
その隙間から農民兵は弩を撃ち、槍を突きだし、柵を破壊しようと石斧を叩きつけている小鬼たちを狙う。
「奴らの頭の悪さを幸いと呼ぶべきか…」
陣地内に作られた見張り台の上からユーリアは戦況を見ていた。
結い上げた金色の髪に透明度が高い青い瞳の美貌。
空を飛ぶ天馬の負担にならないように、硬革の胸当てと細剣のみの軽武装。
隣のロロフ卿が全身を板金鎧で覆い幅広い長剣と大盾を持つ重装備なのと対照的な姿だった。
そんなユーリアの眼には戦略も戦術も無く、ただ数に任せて全ての方向から柵に取り付いている小鬼の姿が見える。
ユーリアが指揮をして陣地を攻めるならば、出入りするための開閉部を集中して狙うだろう。
そこならば他の場所より簡単に破壊出来る。
「所詮は獣並みの知能しか持たない小鬼か…」
圧倒的な数は脅威だ。
だが、それだけだ。
見た目が人型なだけで知能は獣と変わらない下等な亜人。
ユーリアは、そう考えるが隣のロロフ卿の考えは違っていた。
「奴らは我々とは違う生き物ですぞ。
奴らには奴らなりの知恵があり戦術がありまする」
「私には獣と同じにしか見えないが…むっ?
奴ら何をしている?」
「はて?死体を運んでいるようですが…」
柵の外、数匹の小鬼が倒された仲間の死体を運び柵の側に投げ棄てている。
いや、よく見れば怪我をして動けないだけで、まだ生きている者すら運び投げ棄てていた。
投げ棄てられた死体が積み重なる。
一段…二段…三段…
「お嬢様!奴ら死体を踏み台にして柵を越えるつもりでは?!」
「馬鹿な!味方の死体を冒涜するような事をするのか?!」
「奴らは人間ではありませんぞ!
我々とは倫理観も思考も違いまする!」
ゲヒャヒャヒャ!
そんな気味の悪い奇声を上げて仲間の死体を踏み台代わりにした小鬼たちが次々に柵を乗り越え陣地内に侵入してくる。
「この化け物がー!!」
「くたばりやがれー!」
農民兵たちも黙って見ているはずもない。
乗り越えて来た小鬼の元には即座に槍を手にした兵たちが駆け寄り次々に串刺しにしていく。
小鬼の中にも石槍で武装した者はいるが、体の大きさは適正な武器の大きさに比例する。
小鬼より体が大きい人間の持つ槍の方が長く、穂先は石槍より遥かに硬い鉄製だった。
小鬼の石槍や石斧の間合いに入られる前に農民兵の槍は防具すら身に付けていない小鬼を倒していく。
しかし、倒しても倒しても小鬼は柵を乗り越え飛び込んでくる。
そして、一人の農民兵に不運が襲った。
「抜っ…抜けねぇ!」
小鬼の腹を貫いた槍が抜けなくなった。
そんな不運が彼には致命的だった。
十分な訓練を受けておらず、実戦経験も無い農民兵は抜けない槍に固執してしまった。
彼は槍を捨てて退くべきだった。
死体に刺さり用を成さない槍。
その隙に小鬼たちは襲いかかる。
一匹目の石槍は農民兵の胴を覆う革鎧に阻まれ穂先の黒曜石が砕けた。
しかし、二匹目の石斧は防具に守られていない脚に叩きつけられ肉を潰す。
「痛ぇ!痛ぇよぉ!」
片足を潰され倒れた農民兵に小鬼たちは下卑た笑い声を上げながら殺到する。
棍棒が左肩の骨を砕き、石槍が右腕を突き刺す。
「ゴーン!ちくしょうゴーンが!!」
同じ村出身の若い農民兵が叫び、助けに行こうとするが新たに柵を越えてきた小鬼たちに阻まれる。
「止めろー!死にたくないー!」
叫びも虚しく、石斧がゴーンと呼ばれた農民兵の頭を叩き割った。
そして、その場に居た兵士たちは小鬼の本当の恐ろしさを知る事になった。
「嘘だろ…」
死んだ農民兵の遺体に即座に小鬼は殺到し、武器を奪い、鎧を奪い、衣服どころか下着までも剥ぎ取る。
小鬼に遺体に対する敬意も禁忌も無い。
奪った戦利品を掲げ小鬼たちは歓声を上げる。
仲間の遺体を冒涜する行為に、実戦経験が少ない若い兵士たちは恐怖する。
「何て酷い事を…」
一瞬で下着まで剥ぎ取られた遺体、そんな凄惨な光景に震え、嘔吐する者もいた。
「嫌だ!あんな死に方は嫌だー!!」
「馬鹿!逃げるな!」
若い兵士の何人かが小鬼に背を向けて逃げ出す。
既に陣地は包囲されている。
逃げ場など既に無い。
そんな道理すら忘れ、泣き叫び逃げる兵士。
「ゲヒャヒャヒャーッ!!」
背を向け逃げる相手ほど簡単に殺せるものはない。
小鬼たちは勝利を確信し、その背中に武器を叩き込もうとした。
その時…閃光が舞った。
「退くな!ここで退けば皆を故郷で待つ家族が同じ目に会う事になるぞ!」
長剣より細く軽い細剣の連続突きによる閃光。
ユーリア・ウォードエンド辺境伯令嬢は、兵を鼓舞するために叫び細剣で子鬼たちを刺し貫いていく。
「全く、もう歳ですから完全武装で全力疾走など勘弁してほしいものです」
ロロフ卿が左手で大盾を構え、盾で小鬼を押し返し、右手の長剣で小鬼を叩き割る。
「既に逃げ場など何処にも無い!生きたいならば戦え!」
ユーリアの鼓舞に、10年前の防衛戦に参加した年配の農民兵たちが若い兵たちに指示する。
「泣いても喚いても何にもならないぞ!五人一組になれ!力を合わせれば小鬼なんざ敵じゃない!」
泣き叫び逃げようとしていた若い兵士たちも武器を持ち直す。
逃げ場など無い。
自分たちが逃げれば小鬼の群れは故郷を蹂躙する。
そんな現実を思い出し、泣きながら叫ぶ。
「死んでたまるか!」
「生き残ってやる!絶対、生き残ってやる!」
叫びと共に槍を構え小鬼たちに突撃する。
「ここは任せるぞ」
ロロフ卿は、その場を顔見知りの古参農民兵に任せ、ユーリアを自分の鎧の陰に庇いながら見張り台に戻る。
全体を見て指揮する人間は絶対に必要だからだ。
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「奴ら学習してるのか?!」
「そのようですな」
一ヶ所で死体を積み上げる事で柵を越える事に成功した。
それを見た他の小鬼たちも真似し始める。
「不味い、四方から柵を越えられたら持たない」
敵は一万、味方は800。
簡易柵でも防御装置がなければ圧倒的数に呑まれ全滅するだけ。
ロロフ卿は、60年近い自分の半生を思い起こす。
悪い人生ではなかった。
辺境伯は部下の献身に正しく応えてくれる良い主君だ。
ロロフ卿が戦死しても、ロロフ卿の家族の生活は辺境伯が上手く計らってくれるだろう。
「キャッ!」
ロロフ卿に尻を触られたユーリアが可愛い悲鳴を上げる。
「何をするロロフ卿!」
「お嬢様、この陣地は此処まで。
天馬で脱出し辺境伯と合流して下さいませ」
「私だけ逃げろと?!」
「ユーリア卿!
卿には生き残り辺境伯に此処で何があったのか報告する義務がございます!
此処で死ねる等という甘えは許されませぬ」
天馬ならば空を飛び逃げられる。
父である辺境伯がユーリアを殿軍指揮官に任じたのは、いざとなれば脱出できるから。
それでも、若すぎるユーリアは部下を見捨て一人だけ逃げる事を躊躇った。
ユーリアは戦場全体を見回す。
小鬼たちが次々に死体を積み上げ柵を越えようとしている。
その後ろ、遥か後ろまで小鬼の群れは続いている。
一万の大軍、それを退けるなど800の兵には不可能だ。
殿軍の兵力だけでは不可能だ。
「?」
ユーリアの瞳に何か映った。
どこまでも青い空の中に、僅かに違う色が見えた。
それは青と緑の中間、鮮やかな碧色をしていた。
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「ふむ、大ピンチというヤツらしいな」
「ハル!竜の息だ!焼き払え!」
「焼いてもアレは食べれそうにないがな」
セイブルより辺境伯領の状況を確認するために飛行してきたジャスパーとハルは眼下に陥落寸前の陣地を発見した。
竜の息の射程距離まで降下する真竜の威容に小鬼たちは混乱しバラバラに攻撃を加える。
石の矢尻の弓矢が射たれ、石槍や石斧が投げつけられる。
その大半はハルの身体に届く事なく地に落ちた。
ハルの身体を捕えた数本もハルの強靭な鱗に傷一つ付ける事すら出来なかった。
「師匠は言っていた、攻撃されたなら必ず反撃しろ!と
私は攻撃してきた相手に訴訟も実力行使も辞さない!」
先に攻撃態勢を取ったのは此方だがな。
ジャスパーは、そんな事を頭を片隅で考えたが、次の瞬間にハルの口内より吐き出された閃光と熱量に忘れてしまう。
真竜ハルの炎の息は、地表を舐め。
一撃で、百匹近い小鬼を焼き払った。
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「竜騎士!!
竜騎士が援軍に来てくれたぞ!」
ユーリアは、美しい碧の竜に目を奪われ歓声を上げた。
竜騎士!竜騎士!竜騎士!
陣地の彼方此方から同じように歓声が上がる。
かつて、ズライグ王国存亡の危機の際に出現し国を救った伝説の竜騎士。
今、再び、竜騎士が降臨した。
ユーリアは、彼を見た。
碧色の竜に跨がる騎士を見た。
「何て綺麗な…」
ユーリア・ウォードエンド辺境伯令嬢は、この瞬間に恋に落ちた。