第47話…北の洗礼
「あれ?」
開拓村を後にして『氷壁都市』へと飛行する真竜ハルの背中で、ジャスパー・ファーウッドは自分の両手が寒さで麻痺してる事に気づいた。
もしもジャスパーの剣が両手で握れる片手半剣でなければ、戦いの最中に剣を取り落としていただろう。
「北部出身者の意見は素直に聞くべきって事だな」
ジャスパーは北部出身の冒険者オーツォが、極寒の北部では柄が短い剣は握り難いと言っていた事を思い出す。
「両手の麻痺に気づかないくらいに緊張していたのかな?」
そう呟いたジャスパーは両手だけでなく全身から体温が奪われ冷えていっている事に気づく。
「兄貴?どうした?」
寒さにも暑さにも強く、アニュラス界のほぼ全ての自然環境に適応する最強の魔獣ハルが不思議そうにジャスパーに問う。
ハル自身は寒さを物ともしないため、ジャスパーの異変に気づくのが遅れたのは仕方ない事。
「兄貴?おい!兄貴?!」
北部の寒さに慣れておらず、飛行中の高度と速度により温度がさらに下がった事でジャスパーはハルの背で倒れた。
「ポンド!ヤード!兄貴を支えてくれ!」
ハルが獣並みの知能しかない翼竜たちと、どうやって意思疎通しているのかは謎だが、理解したらしい2匹はジャスパーが落ちないように支え、ハルは全力で『氷壁都市』を目指した。
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『氷壁都市』の防壁を越えるとハルを見つけたグラムが出迎え、グラムに先導されてハルは北部総督府の中庭に降下した。
北部総督府はヴィーグ伯爵が客人の貴族を滞在させるための館を改装した物。
その中庭は馬術の訓練用に造られ、成竜形態のハルでも問題なく着陸出来る。
「狐嬢!兄貴が危ない!助けて!」
ハルは北部総督府上空で念話で叫びながら降下する。
ハルの念話を聞き付けた狐嬢が中庭に走り出てハルの背で半ば意識を失っているジャスパーを確認した。
「寒さで体温が落ちたみたいなんだ!暖めてくれ!」
狐嬢の慌てた様子から中庭に出たリーヴァは、皆に即座に指示する。
「アンリエット、厨房で温かい物を用意させなさい。
狐嬢は、暖炉がある部屋にベッドの用意をしなさい」
「「はい!」」
2人は、それぞれ指示された通りにするべく走り出す。
半分意識がないジャスパーをハルから受け取りユーリアが背負う。
「ユーリア、ベッドの用意が出来たらジャスパーの服を脱がせて、貴女が裸で温めなさい」
「私が…ですか?」
ユーリアは本妻特権で自分でやるつもりかと思ったリーヴァが裸で温める役割を譲った事に驚く。
「私は碧竜伯家の奥を守る者として、やる事が沢山あるの。
だから貴女に任せるわ」
北部総督府は碧竜伯家の人間が引っ越して来たばかりの状態と言っていい。
館の部屋割から使用人たちの仕事の割り振り、騎士たちの警備の割り振り、他様々な事柄の最終決定権は奥方であるリーヴァにある。
ジャスパーが倒れたならば、尚更リーヴァへの負担は大きい。
それらの仕事を他者に押し付けるつもりはリーヴァには無かった。
「本当に、妻の苦労を少しは考えてほしいものね」
夫の事を側室と愛妾に任せてリーヴァは執事と侍女から報告を聴きながら歩き始めた。
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保存のために塩漬けした肉を使った簡単なスープ。
味付けは塩漬け肉から染み出す塩分のみで、不味くは無いが旨くもない程度のスープ。
そんなスープを下品に音を立てて啜っている男は、この地の支配者であるヴィーグ伯爵が姿を見せても皿から顔を上げない。
「伯爵様に対して不遜であろう?」
男の態度に不快感を示す騎士たちを代弁してヴィーグ伯爵家に長く支える老賢者ゴーラは男を嗜めるが、男はヴィーグ伯爵に礼をつくす態度を取らないまま酷く訛りが強いズライグ語で答えた。
「お前タチは、我が主『一本牙』に礼ヲつくした態度ヲ取るノカ?」
顔を上げた男の肌は緑色で口から乱ぐい歯が覗く、彼は汚れて垢まみれの不潔な雪小鬼の男だった。
北部の雪小鬼の群れの中で最大の勢力を持つ一本牙の群れの中で、族長の参謀であり巫覡である雪小鬼巫覡火係。
火係の不敬な態度に腰の手斧や軽鎚矛に手をかける騎士たちを手で制するとヴィーグ伯爵は火係の対面にドカッと腰を下ろした。
ここは『氷壁都市』の北の防壁に近いヴィーグ伯爵の別館。
地下には非常時に防壁の下を潜って脱出するための抜け穴がある地下室。
そこでヴィーグ伯爵と雪小鬼火係は密会していた。
「5つの開拓村ヲ差し出ス代わりに他ノ村ニハ手を出さなイ約束ダッたはずダガ?」
ヴィーグ伯爵が春に5つ作った開拓村。
それは小鬼たちへの生け贄だった。
開拓村を守るための兵を出さず小鬼たちに好き勝手に略奪させる代わりに他の村への手出しを禁ずる。
そして開拓村への被害を、王国中央からの西部出兵命令を延期する口実にする。
実際には一本牙の影響下に無い群れは、他の村を襲う事はあるが20~30匹の雪小鬼に雪強小鬼が1~2匹程度の群れならば、村の自警団や村人が金を出しあって雇える冒険者や傭兵で対応可能だ。
「あの竜の戦士は身なりカラして貴族ダナ?
お前ラが裏切ったノカ?」
開拓村を救うために戦ったジャスパーの身なりは式典用の豪奢な衣装だった。
通りすがりの冒険者や傭兵と言い張るのは無理があるだろう。
「あの竜騎士は、私の指揮下には無い。
中央から派遣された貴族だ」
そう言ってヴィーグ伯爵は指を鳴らす。
すると護衛の騎士たちが火係の前に無造作に2つの物を投げ出した。
1つは売り物になると思えない程にボロボロな古着の山を縄で縛り塊にした物。
もう1つは頭に開けた穴を縄で通した大量の魚の干物。
古着は子供用の物が多く、小柄な小鬼には適正な大きさの物。
干物は人間から見れば安い保存食だが、小鬼にはご馳走の類いだろう。
火係がゴクリと喉を鳴らす。
それでも即座に手を出さないのは火係という男が小鬼として破格の知能を持つ証だろうか。
「コレは?」
「竜騎士の件は事故だ。
私は関わっていない。
だが、それらを賠償として支払おう」
「ふんっ!」
火係は、わざとらしく鼻を鳴らしてから2つの賠償の品に手を伸ばす。
火係はヴィーグ伯爵自らが出てきた事から人間が裏切ったわけでは無いと判断するが、小鬼にしては聡明な火係も本能で行動する小鬼の血の影響から完全には自由と言えない。
目の前の干物から漂う匂いに口内が涎で満ちるのを止められなかった。
「北は変わりないか?」
2つの荷を背負い抜け穴から帰ろうとする火係にヴィーグ伯爵は問う。
雪小鬼を利用する、もう1つの理由が『氷壁都市』より北の地の警戒網として小鬼の群れを使う事。
高い防壁に囲まれた都市より外は、亜人や魔獣の跋扈する領域。
『氷壁都市』より北には開拓村の他に簡単な見張り砦があるくらいで人間の領域とは言いがたい。
強力な魔獣や大規模な亜人の群れの出現には気を配る必要があった。
「特にナイ」
火係は短く答え、焚き火で焙った干物の味を想像しながら地下室を出た。
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アンリエットが持ってきた、お湯で割った葡萄酒の入った杯を口元に寄せるとジャスパーは血の気が全くない青い唇を杯に付けて葡萄酒を喉に流し込む。
お湯の温かさとアルコールがジャスパーの体温を少しでも上げるだろうが、ジャスパーの意識は朦朧としたまま。
狐嬢が暖炉にくべる薪を増やし、アンリエットが暖炉に鍋をかける。
ユーリアはジャスパーを脱がせるとベッドに寝かせ毛布を被せると自分も服を脱ぎ始めた。
ユーリアが何をするか理解したアンリエットと狐嬢が真剣な顔で見つめ合う。
いや見つめ合うというより睨み合う。
そして、無言で手を出す。
碧竜ハルが伝えた『じゃんけん』とか呼ぶ、出した指の形で勝敗を決める決闘法。
勝利したアンリエットも服を脱ぎ始める。
やがてジャスパーを真ん中にユーリアとアンリエットが左右から抱き着き冷えた身体を温め始め、ジャスパーは寝息を立て始めた。
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「狐嬢、兄貴は?」
狐嬢が廊下に出ると部屋の前では不安そうなハルが待っていた。
ハルの後ろでは飛行と戦闘で疲れたポンドとヤードが寒さなど気にせずに昼寝し、グラムが降ってきた雪を不思議そうに眺めている。
「ジャスパーさんなら大丈夫ですよ。
もしもという時のための魔法薬もありますから」
森妖精の魔法薬は、大抵の病気に効く万能薬だが高価だし数が少ない。
リーヴァが数本持っているようだが滅多に使える物では無かった。
それでも本当にジャスパーの命が危ないならばリーヴァは迷わず使うだろう。
「そうか、なら安心だな」
「はい、ハルさんたちの部屋の用意も出来てますよ。
あと何かお食事をお持ちしますね」
「頼む」
ハルは寝ているポンドをグラムに背負わせ、ヤードの尻尾を掴んで引き摺りながらノテノテ狐嬢について行く。
ハルたち幼竜のために大部屋が1つ用意されていた。
床には藁が敷き詰められ、部屋の隅には大きな水瓶があって幼竜たちが何時でも喉を潤せるようになっている。
ハル用のベッドもあり毛布なども用意されていた。
ベッドで眠る習性があるのはハルだけで他の幼竜たちは適当に床で寝るのが普通だ。
ハルが幼竜部屋に入ると人間のように仰向けで寝ているリッターと犬のように身体を丸めて寝ているメーターが起きてきて『腹減った!』とばかりに鳴き始めた。
すると寝ていたポンド、ヤードも起きて唱和して鳴き始める。
「すぐに何かお食事を用意させますから待っていて下さいね」
そう言って狐嬢が厨房に向かう。
幼竜部屋には食料の備蓄は無かった。
何故なら、有れば有るだけ食べてしまうに決まっているからであった。
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「温かい…」
ジャスパーが目を覚ましたのは深夜。
部屋の中は暖炉の炎だけが明かりで、暖炉の側の椅子には薪をくべ続けていたらしい狐嬢が座り眠っている。
ジャスパーは両隣の温かい物の正体を確かめる。
「ユーリア…アンリエット…」
2人は裸で抱き着き、体温でジャスパーを暖めていたようだった。
ジャスパーは側室2人を労い、頬に軽く口付けする。
「それにしても、凄いシチュエーションだな」
両隣に全裸の美少女。
両手に花である。
ジャスパーは2人を起こさないように優しく2人の身体に触れる。
「柔らかい…」
女の子特有の身体の柔らかさをジャスパーが静かに堪能していると、音を立てないように静かに扉が開いた。
「あら?目が覚めたようね」
入ってきたのはナイトガウン姿のリーヴァ。
「それで何をしているのかしら?」
本妻の視線が冷たい、再び寒さで倒れそうな程に冷たい。
「麻痺してた指が、ちゃんと動くかの確認…」
リーヴァは冷たい視線のままナイトガウンの胸元をはだけて見せる。
リーヴァの美しい肌が覗き、ジャスパーの視線を釘付けにした。
「確認なら私の身体でしなさい」
そう言ってリーヴァは夫を自分の寝室に連れ込んだ。
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正座である。
全裸で正座である。
今朝、雪が積もった『氷壁都市』の床は酷く冷たく脚が痛い。
正座させられたジャスパーの前には怨みがましい眼をした3人の美少女。
ジャスパーの後ろのベッドでは、やけに肌が艶々した本妻リーヴァが欠伸している。
朝、目覚めてジャスパーがいない事に気づいた側室、愛妾の3人は本妻リーヴァの寝室に早朝から殴り込み、ジャスパーを正座させていた。
「寒いので…せめて服を着させて…」
着させてほしいと言おうとしたジャスパーだが、絶対零度並みの冷たい視線を放つ3人に沈黙する。
倒れたジャスパーを必死で看病したのに、元気になったジャスパーが他の女とお楽しみでは3人がキレるのも仕方ない事であった。
3人は無言で、じゃんけんを始める。
「では、私からだな」
勝ったのはユーリア。
「ユーリア様、早く済ませて下さい」
二番目はアンリエット。
「私の分も残して下さい…」
残念そうな三番目の狐嬢。
「何の順番?」
状況を理解していないのはジャスパーだけ。
「もちろん、看病した労働の対価を払って貰うだけだ」
「ジャスパー様の身体で」
「あの…私の分…残して下さい…」
そしてジャスパーは3人に引き摺られてリーヴァの寝室を後にした。
夕方…
ハルは、全身から水分を吸い取られたような干からびたジャスパーを目撃したが、兄に『幸運を!』と親指を立てておいた。




