第45話…勝利をもたらす者
見ず知らずの薄汚れた農夫。
縁も所縁も無い北部の開拓村。
それでも碧竜伯ジャスパー・ファーウッドは即座に救援に行く決断をした。
ジャスパーの側室であり護衛隊長でもあるユーリアは、その姿を誇りに思う。
あれこそが、我が夫だと誇りに思う。
そして同時に我が身の無力さを情けなく思う。
西部の戦いでユーリアには天馬スリジェが共に居た。
愛馬であり家族とも思っていたスリジェは、ユーリアを守るために逝き、既にいない。
王都で新しい天馬か鷲馬を得られないかと探したが、元々数が少ない上に乗り手との相性の問題もある飛行型魔獣を得る事は出来なかった。
今のユーリアにはジャスパーと共に飛び補佐する事すら出来ない。
これから戦いに行く夫を1人で行かせるしか出来ない身がもどかしい。
「ジャスパー伯、私たちも…」
飛行する竜の速度について行けなくとも騎馬の1隊を率いて後詰めとして補佐を、と言いかけたユーリアだが口を噤んだ。
北部はズライグ王国内であっても北部総督ジャスパーの味方であるとは限らない。
むしろ中央から派遣された国王からの監視役である北部総督は地元領主たちの政敵。
そしてジャスパーの家族を守る護衛の数は最低限しかいない。
護衛を雇うジャスパーの本妻リーヴァ殿下の財布にも限界はあるし、何より最低限以上の戦力を他人の領地に持ち込めば相手は侵略を疑う事になるのだから。
そんな最低限しかいない護衛を簡単には割く事は出来ない。
ユーリアが1隊率いてジャスパーの後詰めに行き、留守の間に残してきたジャスパーの家族に何かあればどうするのか?
それはジャスパーもわかっているのだろう。
農夫の若者から詳しい情報を聞き碧竜ハルに跨がったジャスパーはユーリアに声をかける。
「ユーリア卿、僕が留守の間は頼みます」
「御武運を!!」
ユーリアは、そう答える事しか出来なかった。
一方…
「グラム、皆を頼むぞ!」
ハルは盟友グラムに尻尾を振り、仲間たちを守ってくれと頼む。
「ギャギャ?」
グラムたち5匹の翼竜は顔を見合せ、相談するかのように鳴き交わす。
やがて2匹が飛び上がりハルの背に乗った。
「ポンド、ヤード、一緒に来てくれるのか?」
「「ギャギャ!」」
「うむ、我らの力を愚民どもに見せつけてやろう」
『愚民ども』って竜種は支配者だとでも思っているのか?という疑問を口にする事なく碧竜伯ジャスパー・ファーウッドは飛び立った。
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彼女の姓は『ファーウッド=ペンズライグ』
この二重姓の意味は彼女がファーウッド碧竜伯爵家の婦人であると同時にペンズライグ王家の王女であるという事を表している。
降嫁してなお、彼女は王族であり王女であった。
ジャスパーの本妻リーヴァは夫の愚かな行動に冷笑を浮かべる。
馬鹿で間抜けでお人好しで、世界はお花畑と愛と希望と善人で溢れているとでも勘違いしている夫。
「全く、少しは妻の苦労も考えてほしいものだわ」
ジャスパー本人は何も考えていないだろうが、真竜の戦力は数千人の兵に匹敵すると考えられているだろう。
つまり、今ジャスパーは現地領主に無断で領内で数千の兵を勝手に動かしたのと同じ事だ。
これが、どういう事か少し考えれば解る事だろうに、夫の瞳には目の前で助けを求める人々しか映らず、その後の事を考える頭は無いらしい。
自分の領地に、他の貴族が無断で数千の兵を率いて入ってきたなら?
それは武力侵攻と呼ぶ行為に他ならないだろう。
さらに現地領主であるヴィーグ伯爵を飛び越えて北部総督が領内の問題に介入し解決すれば、領民たちはジャスパーを頼りヴィーグ伯爵を蔑ろにする事態にも成りかねない。
それらからジャスパーの軽率な行動は、北部総督が北部の支配権を得るために行った侵略行為とヴィーグ伯爵に認識され本格的な敵対関係となるだろう。
そう理解するリーヴァは、馬車から降りた。
北部総督の馬車と並走する手筈のヴィーグ伯爵の馬車も止まっていた。
農夫による直訴と竜騎士の出陣に、沿道の民草はざわめている。
その民草が見守る中を一目で高貴な身分と分かる身なりのリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグ王女はヴィーグ伯爵の馬車に向かって優雅に歩きだす。
扇子で顔を隠したリーヴァに即座に侍女たちが駆け寄り付き従い、リーヴァはゆっくりと進む。
ヴィーグ伯爵の馬車までの短い距離。
距離は短い、ほんの数十歩。
だが、ほんの僅かの距離でも、ズライグ国王の王族が、メドラウド・ペンズライグ国王の姪にして養女であるリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグ王女殿下が、公衆の面前で、自らの脚で歩き、身分的に格下である貴族の下に出向く意味は大きい。
北部貴族グナル・ヴィーグ伯爵には、王女を自ら歩かせ出向かせる力がある。
民には、そう誤解される光景。
リーヴァは、ほんの僅かな距離を歩くだけで、その光景を作り出しヴィーグ伯爵に恩を売った。
リーヴァが馬車まで歩ききる前に、馬車から慌てて飛び出してきたヴィーグ伯爵が片膝をつき頭を下げ、王女殿下に敬意を表す。
ヴィーグ伯爵とジャスパー碧竜伯は同格の貴族としても、リーヴァ碧竜伯婦人は違う。
貴族より格上の王族であるリーヴァ王女殿下にはヴィーグ伯爵も敬意を表す姿勢を取らなければ、不敬と批判されるだろう。
「ヴィーグ伯爵、顔を上げてくださいませ」
口元を扇子で隠しながらリーヴァ王女はヴィーグ伯爵に語りかける。
顔を上げたヴィーグ伯爵の目に映るのは、冷たい眼光を放つリーヴァ王女殿下の美貌。
『このリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグが公衆の面前で歩いて見せたのだから、夫の行動に口を挟むな』との無言の圧力。
そして、リーヴァの口からは全く別の言葉が漏れる。
「ヴィーグ伯爵が、非常の事態に対して、即応出来る我が夫・碧竜伯の碧竜に助力を頼みたいとのお話により夫は開拓村の救援に向かいましたわ」
そのような事実は無い。
だが、ここでヴィーグ伯爵が、予め碧竜伯と協議し非常事態の助力を頼んでいたと認めれば、ジャスパーの行動を批判する事が出来なくなる事と引き換えに、領民に対して『領主であるヴィーグ伯爵が領内の村の危機に対処した』と示す事が出来る。
それを理解するヴィーグ伯爵は、リーヴァの嘘に付き合う。
「はっ!事前協定により北部総督の助力を得られた事、望外の喜びに御座います!」
「今後も北部の安定のためヴィーグ伯爵の働きに期待します」
「はっ!お任せ下さい殿下!」
2人の会話の声は大きくなかったが、沿道で成り行きを固唾を飲んで見守る領民に届いた。
その内容を理解した領民から爆発的な歓声が上がった。
領民はヴィーグ伯爵の名を連呼し、その名を讃える。
(これで、ヴィーグ伯爵が即座にジャスパーと敵対する事は無いでしょうね)
リーヴァは扇子で顔を隠しながら踵を返そうとして、ふと止まる。
領民の歓声でリーヴァの声は目の前のヴィーグ伯爵くらいにしか聞こえないだろう。
リーヴァは口元を扇子で隠し、視線だけ不愉快な農夫の若者に向ける。
夫ジャスパーの政治的窮地を作る原因となった若者に冷たい目を向けた後、リーヴァは口を開いた。
「あの者はヴィーグ伯爵の領民故、領内の法で裁かれるべきでしょう。
その後の事を北部総督に報告する必要もありません」
「無論、我が領内の問題故、我が領内の法により裁く事となります」
答えを聞いたリーヴァは自分の馬車へと踵を返す。
直訴は、どこの貴族領でも重罪であり、あの不愉快な若者は法に則るならば死罪となるだろう。
だが、お人好しな夫なら命を助けろなどと言いかねない。
「村は救ってあげるのだから、貴方の命くらい安い物でしょう」
リーヴァは一瞬、ここが王都だったなら自分に引き渡させて地下牢で玩具に出来るのに…と残念に思った。
「まあ仕方ないわ。
埋め合わせはジャスパーが帰ってきたならしてもらいましょう」
歓迎式典は終わったわけでは無い。
ここからは北部総督婦人としてジャスパーの代理となるのはリーヴァ。
それを含めて、ジャスパーが帰ってきたなら存分に可愛がって貰おうとリーヴァは冷笑を浮かべた。
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「北門を抜けて、道なりに北だな」
ジャスパーと翼竜の幼竜ポンド、ヤードの2匹を乗せたハルは全力で飛ぶ。
ハルに2人乗りする事は可能だが、飛行時の魔力消費が大幅に増え継戦能力が落ちる事になる。
しかし、幼竜は見た目より軽く、いざとなれば自力飛行も出来るためハルへの負担は少ない。
「ポンド?ヤード?」
「角が短い雌竜がポンド、一番小さな雄竜がヤードだ!私が名付けた!良い名前だろう?」
ハルは、グラム(g)からポンド、ヤードという量りの単位で名付けたのだろうか?
ジャスパーは他2匹の名前も聞いてみる。
「一番大きな雄竜がリッター、鱗の色が鮮やかな雌竜がメーターだ」
リッター…つまりリットル、メーターはメートルだろう。
やはり測量単位で名付けたようである。
「グラムといえば、北欧神話竜殺しの宝剣の名前と同じだよな…」
元日本人ジャスパーは、グラムという名前から北欧神話に出てくる竜殺しの英雄シグルズの宝剣グラムを連想したが、ハルは重さのグラムだったようだ。
どちらしてもアニュラス界には存在しないのだから、偶然同じ響きになっただけだろう。
「それにしても…」
ジャスパーは、自分の前後でギャーギャー鳴く幼竜を見る。
角が短い?一番小さい?
5匹並べても外見の違いなど全く分からない。
同じ竜種のハルには、ちゃんと見分けがつくようだがジャスパーには全く分からない。
「リーヴァはグラムだけは見分けられるって言ってたな」
幼竜の名前から連想した北欧神話。
その中に妻の名前と似た名前もあったはず。
それは竜殺しの英雄シグルズの恋人である戦乙女の名前。
「シグルドリーヴァ…『勝利をもたらす者』
リーヴァが僕の勝利の女神って事かな」
「兄貴、何か言ったか?」
「いや、それよりハル」
「ああ、見えてきたな!アレが開拓村だな!」
視界に入ってきた村のアチコチから火の手が上がっていた。
「いくぞ!ハル!」
ジャスパーは腰の剣を抜き叫んだ。




