第43話…くっ殺せ!
北部の中心都市『氷壁都市』
その北門を多数の避難民が通っていく。
ここより北に作られた開拓村から逃げてきた避難民たち。
ズライグ王国北部貴族の代表であるグナル・ヴィーグ伯爵が春に移住者を募集し作られた5つの開拓村。
その内、既に3つが雪小鬼の襲撃で壊滅した。
避難民の数は村によって違う。
雪小鬼の襲撃に際して、どのような対応を取ったかで被害に差があるからだ。
最初に襲われた開拓村は、村長が傭兵上がりの戦士で村の男衆を率いて徹底交戦した。
結果として村長以下男衆の大半は戦死し女子供も逃げられた者は少数だった。
2つ目の村は襲撃する雪小鬼の群れの発見が遅れ、気づいた時には逃げるのも戦うのも手遅れで多くの被害が出たが、襲撃方向と反対側の村人たちは避難が間に合った。
3つ目の村は早めに襲撃を察知出来、村人の多くが逃げられた。
避難の足手まといになると判断され見捨てられた老人や子供以外は…
休む暇なく荷物を満載した荷車を引いてきた若い農夫トマスの疲労の色は濃い。
荷車の上のトマスの妻ニィナは出産したばかりで体調が優れず荷車に揺られて移動するだけで酷い顔色になっている。
「母さん…ゴメンよ」
兵士に守られた北門を通り、安全な防壁内に入った瞬間、トマスの眼から涙がこぼれた。
避難の際に足の悪い母親を残してきた事への後悔。
頭では母親が一緒では逃げ切れ無かったと理解している。
仮に逃げ切れても、冬を越せるだけの財産を持ち出せ無かったと理解している。
それでもトマスの眼から涙が流れ続けた。
心配したニィナが荷車から降りてトマスに寄り添う。
ニィナの腕の中の赤ん坊が泣き始め、トマスは涙が止まらないままに妻と息子を抱きしめ歯を食いしばる。
妻と息子を守れるのは自分だけだ。
2人に何かあれば、家族を逃がすために自ら残った母親の犠牲が無駄になる。
だから悲しくても辛くても歯を食いしばって耐えなければならない。
「開拓村からの避難民は此方に集まれ!」
ヴィーグ伯爵に仕える下級役人が避難民たちを誘導する。
誘導された広間では、身を切る寒さの中を開拓村から歩いてきた避難民たちに温かい白湯と古く質は悪いが防寒の足しになる毛布が配られ、避難場所となる地区の説明がされる。
1家族1部屋の狭い集合住宅だが、雨風をしのげる家が用意され、仕事の世話もして貰えるという。
街まで逃げてきても住む場所も仕事も無くては生きていけない。
そんな不安を抱えていた避難民たちは領主であるヴィーグ伯爵の温情に感激し割り当てられた地区に向かって疲れた足を動かした。
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『氷壁都市』領主の館。
グナル・ヴィーグ伯爵の年齢は40歳。
実年齢を知らない者にヴィーグ伯爵の年齢を当てるのは難しいだろう。
隻眼の顔には深い皺が多数刻まれ、白髪混じりの頭と合わさり実年齢より老けて見える。
しかし反対に身体は鍛えられ太く筋肉に覆われた手足は実年齢より10歳も若く感じるだろう。
暖炉に多くの薪がくべられ室温を上げた部屋に、北の開拓村の状況を偵察していた騎士が報告に来た。
ヴィーグ伯爵は騎士に温かいお茶を勧め、一息つかせてから報告させる。
「4つ目の開拓村も落ちたか…」
特に驚きもせずにヴィーグ伯爵は報告を聞く。
「避難民の状況は?」
既に3つの開拓村からの避難民が街についている。
その状況を家臣が報告する。
「どの村も老人や子供の大半は逃げ遅れたようです。
ですが、残った者の内で働ける者に仕事を与えれば冬を越すのに問題は無いと思われます」
生き残った大人たちは労働力として役に立つ。
これから迎える厳しい冬を越すのに邪魔となる老人や子供の口減らしが出来たと言えるだろう。
ヴィーグ伯爵は、騎士を退席させ、もう1つの懸念材料を家臣に問う。
「碧竜伯は、どの辺りだ?」
「『北門都市』に到着し滞在していると報告を受けております」
王都から北部の『氷壁都市』に向かってきている碧竜伯ジャスパーの歩みは遅い。
多数の大型馬車を率いて大人数で移動すれば、移動速度は遅くなるし天馬といった普通の馬より移動速度が速い魔獣を使えばジャスパー一行を追い抜き情報を伝達するのは容易だ。
ヴィーグ伯爵の元には王都の家臣たちから報告が上がっており、ジャスパーの北部総督就任から、ジャスパーの人となりの情報も来ていた。
「碧竜伯は無類の女好きと聞きます。
高級娼婦か、適当な家柄の娘をあてがえばよろしいのでは?」
戦功の褒美に美姫として名高いリーヴァ殿下の降嫁を願い出た。
辺境伯の娘や騎士家の娘など複数の令嬢を側室にし、獣人を愛妾にしている。
そんなジャスパー・ファーウッド碧竜伯は、王都では無類の女好きだと噂されているらしい。
北部貴族の令嬢を側室に差し出すとか、高級娼婦をあてがうとか、そんな方法で懐柔しようという策は効果がありそうだが…
ヴィーグ伯爵は少し考え首を横に振る。
「碧竜伯の本妻はリーヴァ殿下だ。
他の女をあてがえば殿下の不興を買いかねないな」
国王の姪であるリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグ殿下の不興を買うのも北部のためにならない。
「北部総督とは面倒な事だな」
ズライグ王国西部では亜人の軍勢と戦争中。
北部にも出兵の要請は来ているがヴィーグ伯爵ら北部貴族は何かと理由をつけて出兵を先延ばししている。
雪小鬼の群れによる開拓村襲撃も理由の1つ。
領内の村が襲撃を受けており治安維持に兵を割く必要があるとの理屈。
「碧竜伯は西部貴族の派閥だったな」
北部貴族に西部への出兵を促すために北部総督に任命されたのか?
そんな邪推をしながら、ヴィーグ伯爵は、どうやって北部総督ジャスパー・ファーウッド碧竜伯を骨抜きにしようかと頭を悩ませた。
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ジャスパーの4人の妻の内、狐嬢とアンリエットが気絶し馬車に運ばれていった。
男装姿の側室ユーリアは、ジャスパーには、どんな服が似合うかを考える。
ジャスパーの目から見るとスポーツ少女の女子高生のような美少女であるユーリアだが、ユーリア本人の自分の外見の自己評価は極端に低い。
これは日本人的嗜好のジャスパーと違い、ズライグ王国人に筋肉質な女性を美しいと感じる文化が無いためである。
それでも獣人である狐嬢や童顔幼児体型のアンリエットと比べるなら自分にも女性として良い所はあると思っていたユーリアなのだが、ズライグ王国人として完璧な美女であるリーヴァが本妻となった事で心が折れた。
結果としてユーリアは女として張り合うのを止めて男装をしているのだが。
この男装姿が日本人嗜好のジャスパーには好ましい服装なのは皮肉なところだろう。
何しろズライグ王国の女性にはズボンを履くという文化すら無いわけで、スカート姿以外の女性も見たいという元日本人ジャスパーの嗜好なわけであるから。
ユーリアは様々な防寒着を手にしてみるがジャスパーに似合うような気がしない。
ユーリアは小柄で自分と背丈に差がないジャスパーを見る。
この背丈もユーリアのコンプレックスの1つ。
あと二年もすればジャスパーの方が背が高くなるのは間違いないだろうが、今は差がない。
そのせいでユーリアがハイヒールなどを履けばジャスパーの背を追い越してしまう。
「これは…」
ユーリアが手にしたのは女性用らしい防寒着。
男性用の中に混じっていたらしい一着。
ユーリアは自分が女性用防寒着を着ている姿を想像し、似合わないなと自嘲する。
そして頭の片隅でジャスパーの方が似合うだろうかと考えた。
ユーリアの動きが止まる。
しばし何かを考え、手にした女性用防寒着とジャスパーを見比べる。
そうジャスパーなら似合いそうだ。
それは、ちょっとした悪戯だった。
「ジャスパー伯、これを試着してみてくれ」
「はい?」
ジャスパーは疑問に思わず、女性用防寒着に袖を通す。
ユーリアが想像した通り、似合っていた。
その姿は貴族の令嬢と言われて信じられるほど。
それを見たユーリアの心の中に何か目覚めてはいけない物が目覚めた。
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「ユーリアお嬢様、美しい御婦人が捕虜となれば悲劇的な末路が待っているのですよ」
騎士を志したユーリアを止めようとする者は多数いた。
貴族家の令嬢としての教養を身に付け、女としての幸せを得る方を選ぶべきという善意。
そんな善意から、戦場に出た女性がどのような酷い目にあうのかを語られた。
捕虜となり男たちの慰みものにされると語られた。
そしてユーリアは実際に猪鬼の捕虜となり慰みものとはされなかったものの、衣服を剥がされ犯されるような恐怖を味わった。
そして今、ユーリアの前には貴族令嬢のような姿のジャスパーが立っていた。
戦場に立つ女騎士を思わせる少年がいた。
ユーリアは個室になっている試着室の扉を見る。
下着姿にならないと試着出来ない服に着替えるための小部屋の扉を見る。
「ジャスパー伯、少し此方に…」
言い訳用に適当な服を手にしてユーリアはジャスパーの手を引く、試着室の中へと引く。
「ユーリア卿?」
試着室に連れ込まれたジャスパーは疑問顔。
ユーリアが何を考え、ここに連れ込んだのか理解していない。
「女の身で戦場に出るという事が、どういう事か解っていないようだな」
「は?何を言っているんですか?」
ユーリアは血走った眼をジャスパーに向け、荒い息をしている。
そして、状況を理解していないジャスパーを押し倒し服を脱がそうとする。
「ちょっ…ユーリア卿!止めて下さ…」
「女の身で戦場に出た事を後悔するがいい」
どうやらユーリアの脳内では、戦場で捕虜になった女騎士ジャスパーをユーリアが襲おうとするシチュエーションが妄想されているようだ。
何故、そんな妄想に至ったのかジャスパーは想像すら出来ない。
「くっころーっ!」
『くっ殺せ』という襲われかけた女騎士定番の台詞を半泣きで叫ぶジャスパー。
ジャスパーの下着を脱がし襲おうとするユーリア。
そして…
試着室の扉が開き、暴走するユーリアを手刀で気絶させた歴戦の老騎士ロロフ卿がユーリアを担いで去っていった。
「いったい何だったんだ?」
ジャスパーは脱がされかけた下着を直しながら半泣きで呟いた。
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「まだ食べるのか…」
小妖精の料理人が経営する酒場で大いに食べた幼竜を先導してクロエ卿は店を出たのだが、少し歩いた所にある肉屋の前で幼竜たちは止まり、中から漂う香りに涎を滴し始める。
結果、ハルと肉屋に入ったクロエ卿は一番大きな腸詰めを6本買い、それを咥えた6匹の幼竜たちと宿目指して歩く事になった。
ノテノテ歩く幼竜たちが再び止まる。
そこは街中を走る運河の岸。
幼竜たちは下に流れる運河を見ている。
幼竜にとって美味しそうに見える魚でも泳いでいるのだろうかと運河の見たクロエ卿の眼に飛び込んできたのは青い鱗の竜種の姿だった。
「海竜…」
ジャスパーやハルが首長竜を連想する水中活動に適応した姿の亜竜種の海竜。
まだ若い小柄な個体が運河を泳いでいる。
「ギャギャ!ギャギャ!」
腸詰めを食べ終わった亜竜種翼竜の幼竜たちが激しく鳴いている。
陸上に上がれないわけでは無いが、手足がヒレ状になっており地上では動きが鈍い海竜と翼竜の幼竜たちが喧嘩になる可能性は低いだろうが、クロエ卿は腰の長剣に手をかける。
若い個体とはいえ翼竜の幼竜より大きな海竜は鳴く翼竜を無視して泳いでいく。
「あんぎゃー!」
腸詰めを食べ終えた青と緑の中間の碧色の幼竜が吠えた。
すると初めて青い鱗の海竜は止まり、長い首をもたげて碧竜の方を見た。
その頭は竜種特有の形の鱗に覆われ、額辺りに鋭い角が生えていた。
「アンギャー!」
海竜は碧竜の鳴き声に答えるように一声鳴き、水の中に消えていった。
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ついに本妻のみを残して側室と愛妾は消えていった。
リーヴァは碧竜伯家に相応しくない奇行を見せた側室と愛妾たちに眉をひそめながら夫に話しかける。
「ジャスパーの好きな服は、どれかしら?」
多数ある防寒着。
王族であるリーヴァを満足させるには不足でも貴族が着て恥ずかしくない高級品は複数ある。
その中でも見栄えが派手な数着を横目にリーヴァはジャスパーに問う。
王女であるリーヴァが着飾った時に、夫として隣に立つのに不足ない品を見ながら問う。
しかし…
「うーん、コレかな」
ジャスパーが手にしたのは平民でも、もう少し派手な物を着ているだろうと思える外套。
酷く地味で飾りの1つも無く、値段も安い代物。
リーヴァは怒りに震える。
今のリーヴァの衣服も王女とは思えない程に地味な物。
ズライグ王国の王女として高級で派手な衣装を着るのが当たり前であるリーヴァには相応しくない衣装。
夫の嗜好に合わせて、そんな服を着ているリーヴァ。
しかし、夫は妻の趣味嗜好に服装を合わせるつもりは全く無いらしい。
それがリーヴァの逆鱗に触れた。
たまには自分の嗜好に合わせるべきだろうと激怒した。
「そう、やはり貴方には矯正が必要なようね」
「リーヴァ?」
ジャスパーは暗い眼で自分を睨む妻を見る。
冷や汗を流しながら妻を見る。
美しい銀髪の妻の手に、いつの間にか握られている鞭。
『どこから取り出した?』というジャスパーの疑問に意味は無い。
「あの…リーヴァ?」
ズライグ王国王女リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグ殿下は夫を調教…いや矯正するために鞭を振り上げ叫んだ。
「王女様とお呼び!!」
「ええーっ!!」
ジャスパーの悲鳴と鞭の音が店内に響いた。
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死人のような目をした侍女に後頭部を思いっきり殴られ気絶したリーヴァ王女殿下と本妻に踏みつけられ鞭で叩かれ気絶したジャスパー碧竜伯閣下を担いで歴戦の老騎士ロロフ卿は馬車に運んでいく。
リーヴァ殿下の優秀な執事が衣服の代金と店内で起きた珍事の口止め料を払っている。
全員気絶しているジャスパー・ファーウッド碧竜伯夫妻5人を乗せて馬車は宿に向かって帰路についた。




