第41話…耳と尻尾
それは無敵の軍勢だった。
身長10メートルを誇る霜の巨人が隊列を組み進む。
その威容を誰が阻めるだろうか?
その威力を誰が防げるだろうか?
人間も森妖精も鉱妖精も霜の巨人の軍勢を止められるはずも無かった。
連戦に次ぐ連戦、勝利に次ぐ勝利。
彼と彼の同胞は声高に戦の歌を謳い進軍した。
偉大なる『盟主』に勝利を捧げるために進軍した。
あの化け物が現れるまで…
あんな物が存在するはずがない。
あんな者が存在していいわけがない。
如何なる武器でも傷つく事のない偉大なる『盟主』が片腕を失い炎の巨人に守られながら敗走した。
彼の同胞が天より舞い降りた無数の竜の炎に焼かれ牙で爪で引き裂かれた。
無敵の軍勢が、常勝無敗の軍団が敗北した瞬間だった。
断崖より湖に落ちた彼の身体は自身が発する冷気により凍りついた氷に包まれ、彼の意識は途切れた。
彼の最後の記憶は、白い竜の上で亀裂のように口元を開き笑う化け物の笑顔。
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『北門都市』はズライグ王国の北部の玄関口と呼べる都市。
中央部から北部に向かう者、北部から中央部に向かう者、どちらも『北門都市』を通る事になる。
その立地条件は古着の売り買いを発展させた。
古着、つまりは防寒着の売り買い。
北部に行く者には必須であるが、中央部に行く者には荷物にしかならない邪魔な物である。
そこで、中央部に行く者が古着屋に防寒着を売り、北部に行く者が中古品を安く買う。
そんなサイクルが自然と出来上がった。
「あの…ジャスパーさん、私の服は新品ではなく古着で良いと思うのですが…」
「そうですよジャスパー様、この街には沢山の古着屋があって掘り出し物も多いそうですし」
ジャスパーの4人の妻の内で節約家の2人が新品の服を扱う店の前で言った。
「碧竜伯家の人間としての自覚を持ちなさい。
貴女たちが粗末な身なりをしていればジャスパーの名誉に関わるのよ」
リーヴァは夫の側室と公式愛妾を嗜める。
貴族令嬢どころか王族であるリーヴァの衣服はジャスパーの趣味に合わせた地味目の物でも見る者が見れば一目で最高級品と解る。
それと比較して狐嬢とアンリエットは自分の着ている物を見る。
狐嬢の服は侍女服。
辺境砦でジャスパーが買い与えた古着ではなく、碧竜伯家専用の物として新しく仕立てた物である、碧竜伯家の侍女は狐嬢しかいないため狐嬢専用衣装と言っていい。
アンリエットの衣服は下級騎士の妻として最低限の物。
少し裕福な商人や豪農の奥方の方が、アンリエットより良い衣服を着ているだろう。
ジャスパーは2人に好きに買い物するように金銭を渡しているが、2人には無駄遣いや贅沢という発想が欠落しているらしい。
「問題はジャスパー伯の方の気がしますが」
ユーリアは女性をアピールするドレス姿では他の3人に勝てないと判断したらしく、男装の騎士服姿。
ジャスパーの妻というよりも奥方の護衛といった格好である。
そのユーリアの視線の先には、宮中伯という高位貴族には全く見えない地味で安っぽい服装のジャスパー・ファーウッド碧竜伯。
「そうね、あれも矯正が必要ね」
リーヴァは矯正というより調教をしてやる、と言った口調で言う。
狐嬢とアンリエットが節約家なら、ジャスパーは吝嗇家ではないだろうか?
自分の物に無頓着な夫の服装をなんとかしようと妻たちは頷きあった。
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人という物は一度身に付いた価値観を変えるのは難しいらしい。
「こちらの商品は、白テンの毛皮を使った最高品質の物でして、こちらは国によっては子爵以上の爵位を持つ方々しか着る事が出来ないという黒テンの毛皮を使った物で御座います」
客の正体に気づいた店主が脂汗を滴しながら、店で一番の品質の外套の説明をしている。
聞いているのは、急遽用意された椅子にふんぞり返るように座るリーヴァ…の隣に控える死んだような目をした侍女だけ。
そんなリーヴァとお付きの侍女とは別に、側室と愛妾は防寒着を選んでいる。
「この外衣なら温かいですし、尻尾の邪魔にもなりません」
狐嬢が選んだのは外套ではなく外衣。
尻尾がある狐嬢には分厚い外套は着にくい。
「獣人用の帽子なんてあるんですね」
ジャスパーは頭部の上にある狐耳の邪魔にならない形の帽子を手に取る。
亜人への偏見が薄い北部の店だから亜人用の商品も置いているのだろう。
少なくとも王都の高級店で亜人用の商品など置けば、上客は寄り付かない事になるだろう。
「私はコレがいいです」
アンリエットが選んだのは氷狼の毛皮で造られた外套。
北部に生息する氷狼という魔獣は、姿形は狼に似ているが歳を重ねる毎に無限に大きくなり、強く賢くなるという危険な怪物。
当然、狩るのは難しく毛皮の値段も普通の狼より高くなる。
その毛皮は丈夫で温かいのだが、狼の毛皮というのはズライグ王国では低級の物と見なされている。
そのため見た目は狼の毛皮に見える氷狼の毛皮は実用性は高いが、衣服としての評価は低く貴族や大商人には好まれない。
リーヴァから、安物ではなく高価な物を身につけるように言われたアンリエットが、値段に目を瞑り選んだのが実用性一辺倒な氷狼の毛皮な辺り、人の価値観とは簡単に変わらないのである。
「なるほど、動きやすいように工夫されているのだな」
ユーリアが選んだのは、騎士用の外套。
動きやすさを重視した戦闘用の代物だが、毛皮は貴族が好む鼬の物で碧竜伯側室として恥じない高級品。
さらにユーリアは防寒用の手袋を品定めする。
ユーリアの剣技は素早さと正確さを信条とするため、指先が満足に動かせなくては実力を発揮出来ないからだ。
三人が各々に必要な物を選んだのを確認したリーヴァは自身の防寒着選びを侍女に任せて椅子から立ち上がる。
店で一番の高級品でもリーヴァを満足させるには足りない、そんな物の選択は侍女に任せておけば十分、それより大事な事があった。
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「珍しくて旨い物だろ?任せておけって」
辺境伯家に支える女騎士クロエ卿は、自信満々に断言する小妖精の斥候を見下ろす。
身長が人間の半分程度の小柄な亜人である小妖精は本来は人間に寄生、あるいは共生して暮らす種族。
人間の住む街や村に、いつの間にか住み着き、その手先の器用さを活かして職人のような仕事をして暮らしていく。
クロエ卿は小妖精に胡散臭げな視線を送る。
これはクロエ卿が亜人に偏見を持つズライグ王国人という事もあるが、小妖精の中には手先の器用さを活かして盗賊として生きる者もいる事にも起因する。
この冒険者の小妖精トントは斥候を名乗っているが、盗賊と斥候の違いは犯罪に手を染めないのが斥候と言うか…盗賊と名乗るのは犯罪者だと喧伝するような物だから斥候と名乗る者がいる程度の差でしかないというのが実際のところ。
そんなトントの言葉は簡単に信用出来ない。
しかし…
クロエ卿は自分の後ろで『北部食べ歩きツアー』と書かれた旗を持った碧竜と5匹の翼竜たちから圧力を感じる。
見た目は身長1メートル程度のチンチクリンな生き物である幼竜たちだが、金属製の籠手を着けた手を食い千切るくらい余裕な化け物たちだ。
碧竜と意思疎通出来るらしい狐嬢は碧竜伯と買い物に行ってしまったため、普段は碧竜の食べ歩きの護衛として同行するクロエ卿が幼竜たちの食べ歩きを先導する事になってしまった。
しかしクロエ卿には幼竜たちと意思疎通など出来ないし、幼竜たちには遊びのつもりでも噛みつかれたりすれば命に関わるのである。
「テヒヒヒ」
そんな鳴き声を上げながら碧竜ハルがクロエ卿の脚をつつく。
クロエ卿がハルの方を見るとハルは道端のパン屋らしい店を指差す。
パンを食べたいとの事だろうか?
ハルのオヤツ代として碧竜伯から渡された財布をクロエ卿は握り締める。
財布の中には、どう考えても一食で使いつくせるはずがない金貨すら入っていた。
それもクロエ卿には荷が重い気分になる原因。
碧竜伯は普段は温厚な人物で平民出身の使用人が粗相をしても叱責すらしない。
しかし、一度怒らせると…
碧竜伯が妻を拐った事件に関わった貴族の屋敷に殴りこんだ話を知らないわけもない。
碧竜伯の逆鱗に触れたなら間違いなく竜の餌だ。
「女というだけで何故こんな事に…」
クロエ卿の主である辺境伯は娘のユーリア卿の護衛としてクロエ卿を派遣した。
同性の方が何かと便利という事なのだろう。
しかし、それだけの理由で腹を空かせた幼竜たちの食べ歩きを先導するという危険な仕事をするはめになるとは…
クロエ卿は冷や汗をかきながらハルを伴いパン屋の扉を開けた。
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ジャスパーの妻たちの目的は、着る物に無頓着な夫の服装を何とかする事。
それも自分の趣味に染まった服装をさせる事だった。
4人は店員から防寒着を勧められているジャスパーの側に寄り添う。
「こちらは珍しい銀色の狐の毛皮を…」
狐の毛皮は高級品扱いで貴族の装いとして不足ない。
まして珍しい銀狐の物ならば宮中伯に勧めるのに問題があるはずもない。
そう思って用意した店員をジャスパーは見た後、狐嬢に目を向ける。
狐系獣人の愛妾に目を向ける。
その仕草に店員は真っ青な顔になる。
例えるなら愛犬家が最高級品だからと犬の毛皮を勧められたなら、どれだけ不快な思いをするだろうか?と言う話。
そんな店員の手から狐嬢は銀狐の毛皮の防寒着を受け取った。
貴族や騎士の鎧には獅子や虎といった勇壮な獣を模したデザインの物もある。
この防寒着も同じようなコンセプトなのだろうか?
頭に被るフードには狐の耳のような飾りがあり腰の後ろには尻尾もある。
つまりは狐を模したデザインなのだろう。
ズライグ王国では狐は神格化まではされていないが幸運をもたらす獣なんて迷信があるので、狐を模した服も作られたのだろう。
防寒着を広げてデザインを確認した狐嬢の呼吸が荒くなっていく。
「ジャスパーさん、試着してみて下さい」
ハアハアと荒い息を吐きながら血走った眼で勧める狐嬢。
ジャスパーは狐嬢が、狐の毛皮を不快に思わない事に安堵しながら試着してみる事にした。
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幼い頃に娼館に売られた狐嬢に両親の記憶は無い。
遥か東方に住むという狐系獣人である狐嬢は同族に会った事もない。
狐嬢を娼館から買い、身体を売って生きる環境から救い出した少年。
その気持ちは感謝となり、肌を重ね続ける事で愛情という物に変化していった。
それでも狐嬢の中にあった感情。
自分と彼は違うという感情。
自分と同じ姿の同族を求める感情。
もしも、自分と彼が同じ種族だったのなら…そう妄想する事はあった。
今、狐嬢の眼に映ったジャスパーの姿は…
狐耳と狐尻尾が生えた防寒着を着たジャスパーの姿は、狐嬢が求め続けた同族、狐系獣人のような姿だった。
その姿を見た狐嬢の顔面が爆発した。
「ちょ…狐嬢さん?!しっかりして下さい狐嬢さん?!」
いや顔面が爆発したわけでは無かった。
ただ激しい興奮の余り爆発的に鼻血を吹き出し倒れただけだった。
「ふふふ…ジャスパーさん…良くお似合いですよ…」
興奮し過ぎて鼻血を大量出血し半ば意識が無い狐嬢を護衛として付いてきていたロロフ卿が抱えて馬車に運んでいく。
「いったい何が…」
狐嬢の鼻血が付いた狐型防寒着を買う事にしながらジャスパーは呟いた。
その後ろでは、まだ3人も居るジャスパーの伴侶たちが夫に着せる服を選んでいた。
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小妖精は手先が器用な種族であり、その手先の器用さを活かして手に職を付けて生きていく種族。
そんな小妖精の中に料理という技術を身につけた者もいた。
冒険者トントが案内したのは、そんな小妖精が経営する酒場だった。
北部は比較的亜人差別が薄いとはいえ、全く無いわけではなく、そのため目立たない裏道にある酒場は知る人ぞ知る隠れた名店といった扱い。
他の客に迷惑にならないように宴会用の個室に案内され大きなテーブルを囲む幼竜たちの前に山盛りに料理が盛られた大皿が置かれる。
「ほう、揚げ物か…そんな物もあるのか」
ハルの言葉を理解する者は誰もいない。
ハルは大皿に、これでもかと盛られた大量の揚げ物に手を伸ばす。
肉に白身魚に野菜と中身は様々な物がある。
「肉には黒いソース、白身魚には白いソースが…って、アレ?」
説明しようとするトントの言葉より先にハルは肉等にはウスターソースに似た風味の黒いソースを白身魚にタルタルソースに似た風味の白いソースを塗り仲間たちの小皿に取り分けていく。
「何で知ってるんだ?」
トントの疑問にクロエ卿は食欲を司る邪悪な竜を見ながら答えた。
王都での食べ歩きでも説明なしでソースやら薬味やらをかけて食べていた食欲魔竜。
「あれは、そういう生き物としか言えません」
6匹の目の前の小皿に料理が行き渡ると同時に幼竜たちは大量の揚げ物に齧りついた。
「あと大皿を二皿追加しておきますか…」
その食べっぷりを見ながらクロエ卿は追加注文を決めた。
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ズライグ王国の最北端より、さらに北の海には幾つもの小島がある。
多くの島は断崖絶壁に囲まれ夏場に船で近づいても上陸する事は難しい。
しかし冬になり海が凍りつけば幾つかの島は大陸と地続きになり行き来が可能となった。
そんな島の1つに巨大な氷塊があった。
西から流れ着き数百年以上も溶けない巨大な氷塊。
その中に何があるのか知る人間は誰もいない。
それは、身長10メートルの筋肉質な巨体、その身体に相応しい巨大な鎚矛を握り締めたまま眠る霜の巨人の戦士。




