第40話…巨獣
ズライグ王国北部の玄関口と呼ばれる街『北門都市』まで、あと1日ほど。
見渡すばかりの草原を突っ切る街道を碧竜伯ジャスパー・ファーウッド一行は進んでいた。
道の安全を確保するために斥候として先行していた2騎の騎馬が急ぎ戻ってきた。
「巨大な獣が此方に向かって来ています!」
「総員!防御陣形!ジャスパー伯とリーヴァ殿下をお守りしろ!」
その報告に碧竜伯の側室にして守備隊々長ユーリアが叫ぶ。
「巨大な獣?」
ジャスパーは移動中は本妻特権で自分を独り占めするリーヴァの2人乗り馬車から降り、状況を確認する事にする。
「ジャスパーさん、危ないです!馬車の中に戻って下さい!」
ジャスパーの公式愛妾であり唯一の直属侍女として身の回りの世話をする獣人の狐嬢が駆け寄ってきてジャスパーを安全な馬車の中に戻そうとする。
ジャスパーは、かろうじて踏み固められた程度の足元を見る。
中央部と北部を繋ぐ最大の街道でも、このレベル。
街道の左右に広がるのが背丈が低い植物の草原とはいえ馬車で走るのは難しいだろう。
つまり馬車の中が安全とは言えそうにない。
「狐嬢さん、ハルは?」
「ハルさんは、グラムさん達と斥候の皆様に付いて行ったみたいなんです」
ハルと違いグラムたち翼竜の幼竜たちは飛行能力を持っている。
行動半径が広く好奇心が強い幼竜たちは馬車主体の本隊と一緒に移動するよりも先行する斥候について飛んで行ったようだ。
街道は事実上1本道で道沿いに進めば迷子になる事は無いし、腹が減ったり食事の時間になれば必ず戻ってくるため問題となって無かったのだが。
「本隊が襲われた時のためにハルには残ってもらった方が良かったな」
ジャスパーは交代で休ませるために人を乗せていない軍馬に股がる。
「僕は前の様子を見て来ます。
リーヴァとアンリエットには避難の用意をさせて…」
狐嬢に頼もうとしたが、優秀な旧グズルーン公爵家の侍女たちは、主たちが馬車から脱出した時のための準備に余念が無い。
「さすがは公爵家の侍女だなぁ」
リーヴァ直属の美人なのに死んだような目をしていて台無しな侍女がリーヴァの馬車に走って行くのが見える。
彼女は優秀だ、任せて大丈夫だろう。
ジャスパーは軍馬を走らせた。
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ズライグ王国では産まれ育った地域以外の情報を得る手段は少ない。
テレビもラジオもネットも無い世界で、本の種類も数も少ないのだから情報入手が難しい事は想像に難くないだろう。
旧グズルーン公爵家の騎士たちもウォードエンド辺境伯爵家の騎士たちも王国西部の出身で北部には疎い。
そんな中で頼りになるのはリーヴァが雇った北部出身の冒険者たちだった。
「あれは何という魔獣だ?」
大盾を構え槍衾を形成する兵士たちの後ろでユーリアは冒険者に問う。
ユーリアの目に映るのは肩までの高さで5メートル、体長は8メートルはあるだろう長い毛に覆われた巨大な四足獣。
巨大な2本の牙と長い触腕が生えた頭部を振り回し咆哮する、いかにも狂暴そうな魔獣だった。
「あれは巨象ですね。
草食で大人しい部類の魔獣なんですがね」
熊の毛皮を加工した毛皮鎧に戦斧で武装した冒険者の戦士オーツォが答える。
この熊の毛皮の戦士オーツォが冒険者のリーダーで、他に狼の毛皮の戦士ガルガンと人間の半分の背丈の小妖精の斥候トントの3人組の冒険者たち。
「大人しい?私には狂暴に暴れているように見えるが?」
ユーリアの疑問に犬の毛皮を纏う小妖精が巨象の後ろ脚を指差す。
「肉食獣に襲われて逃げているんだな」
ユーリアが目を凝らすと確かに何かの生き物が後ろ脚に噛みつき、それを振り払おうと巨象は暴れているらしい。
「巨象?!始めて見た!!」
ユーリアの後ろから感激するような声がした。
声の主はユーリアの夫である碧竜伯ジャスパー。
ジャスパーは巨象に感動の視線をおくる。
「ジャスパー伯、あの怪物に何か思い入れが?」
西部出身のジャスパーが北部独自の魔獣を知っていた事にユーリアは怪訝な顔をする。
「昔、読んだ本に出てきた事があっただけです」
ジャスパーは日本人の男の子として巨象への憧れを感情に出した事を失敗だったと反省する。
日本人としての知識はズライグ王国人ジャスパー・ファーウッドは知らないはずの事だ。
ユーリアはともかく、子供の頃からジャスパーを知っているアンリエットなら激しい違和感を覚える事だろう。
自分が異世界転生しただの前世の記憶があるだの言って奇異な視線を集めたくないジャスパーは、次から気をつけようと心に誓った。
「何かに襲われて逃げているんですね」
ジャスパーは話題を反らすために巨象の方を見て言ったが…
「ん?んんーっ?」
巨象の後ろ脚に噛み付いている赤い鱗に覆われた生き物が2匹、脇腹と背中に噛み付いているのが1匹ずつ。
あの小さくて赤いのは…
「翼竜の幼竜じゃないか?!」
そう、その生き物はジャスパーたちが連れて来た翼竜の幼竜たち。
それが巨大な肉の塊である巨象を狩ろうと襲いかかっているようだ。
「という事は…」
ジャスパーが予測した通り、比較的背丈が高い草の茂みから赤い翼竜の幼竜が脚に碧竜の幼竜をぶら下げて飛び出して来た。
「師匠は言っていた!『働いたら負けだが、食べ物を自分で捕れない生き物は死ぬしか無い』と!」
『アイツは何を言っているんだ?』というジャスパーの視線の先。
空中でグラムと分離したハルは成竜形態へと変身する。
「晩飯になれぇぇぇぇー!」
ハルが咆哮と共に上空から巨象に襲いかかり、体重を乗せた竜爪の一撃で巨象の背骨をへし折った。
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仕留めた獲物の上でハルが咆哮し、翼竜 の幼竜たちが獲物の周りをクルクル踊るように回る。
獣並みの知能しか無いはずの翼竜に原始的宗教でも芽生えたようであった。
「早い時間ですが、今日は此処で夜営にして、巨象から肉や毛皮を回収しましょう」
そうジャスパーが命じると手斧や鋸、肉切り包丁を持った使用人たちが巨象に群がっていく。
あの巨体を解体するには、相当の時間がかかるだろうが、食欲魔竜たちが巣くう一行では食料は幾らあっても足りないくらい。
解体が始まるとアンリエットと侍女たちが調理用具を持って行き、腐りやすい内臓を調理する。
そして獲物の所有権を主張して鳴く幼竜たちの胃袋に消えていった。
「碧竜伯閣下、進言よろしいでしょうか?」
ジャスパーが解体されていく巨象の毛皮が剥がされ運ばれて行く様を見ていると、堅苦しく冒険者のオーツォがジャスパーに声をかけてくる。
ジャスパーとしては、もっと砕けた感じで接して欲しいのが本音だが、上級貴族・宮中伯爵の権威を守るためには、そうもいかない。
ジャスパーが進言を許可するとオーツォは話し出す。
「次に立ち寄る『北門都市』で本格的な防寒準備をするべきです」
ジャスパーは自分が着ている防寒着に触れる。
リーヴァが選んだ外套はジャスパーの目から見ると少し派手な気がするが、中央部の冬季用外套は十分温かい。
「『北門都市』から、さらに北側の寒さは、此処の比じゃありません。
北部用の防寒着を買うならば『北門都市』が一番だと思います」
「なるほど、他に何かありますか?」
「武器と鎧です」
オーツォは板金鎧を着込み、長剣を腰に下げた騎士たちを見ながら話す。
「金属鎧は、北部では冷えすぎて凍傷になります。
それと北部では剣はお勧め出来ません」
オーツォとジャスパーの話しが聞こえたらしく旧グズルーン公爵家の騎士隊長バルタ・ヴォル卿と辺境伯家の騎士ボリシス・ロロフ卿がやって来る。
「騎士の誇りたる剣に何の問題があると?」
ヴォル卿が不快げに問うとオーツォは毛皮製の分厚い手袋を出して見せる。
「北部では、これより厚い手袋を着けなければ指が冷えて動かなくなります」
「なるほど、厚い手袋をしては柄が短い片手剣は握りが甘くなるという事でありますか」
ロロフ卿は、オーツォの武器が柄が長く握り易い斧である理由に納得したようだ。
「しかし、慣れない武器を使っては武芸を発揮出来ない」
ヴォル卿は納得いかない顔。
他国の騎士は戦斧や鎚矛を武器にする事は珍しくないが、ズライグ王国では長剣を使うのが当たり前となっている。
これは敵対する猪鬼が戦斧や鎚矛を好んで使い、あまり剣を使わない事も影響しているだろう。
貴族領によっては長剣は貴族や騎士の象徴であるとして、貴族や騎士以外には長剣を持つ事を禁止している所もあるとか。
ジャスパーは少し考え、ヴォル卿に提案する。
「『北門都市』で長槍を多めに仕入れましょう。
騎兵槍と同じとは言いませんが槍なら騎士たちも慣れているでしょう。
それと剣は外す必要はないでしょう、腰に差しておけばいいんですから」
「碧竜伯に従います」
完全に納得したわけでは無いだろうが、ヴォル卿は了承の返事をした。
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碧竜伯一行は『北門都市』に入り、一番高級な宿に泊まる事になった。
オーツォら冒険者たちの意見を受けて使用人や侍女たちが北部で必要になる物の買い出しに走り回っている。
「店に買いに行く?
このリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグが?」
一番高級な宿の一番高級な部屋でリーヴァが不快げに眉を動かした。
リーヴァにとって買い物とは、商人がリーヴァの元に商品を持って訪れる形。
自分から店に出向く発想など最初から無い。
「碧竜伯様が防寒着を買いに行くと申されております」
「私は行かないわよ。
わざわざ寒い中を外に行くだなんて…」
「では碧竜伯様には、そのように伝えておきます」
買い物をするなら商人を呼びつければいい。
北の田舎街に王都の商人のような品揃えは期待出来ないだろうけど…等と考えていたリーヴァは、ふと思い出す。
恋愛話を書いた本の一節を思い出す。
「待ちなさい!」
「リーヴァ殿下、何かありますでしょうか?」
「夫と妻が一緒に街に出て買い物をする。
それは逢い引きと呼ぶのでは無いかしら?」
死んだような目をした侍女は答える。
「そのように呼ぶ事もあるでしょう」
「それを早く言いなさい!
直ぐに出掛ける用意をなさい!
ああ、南方産の薔薇香水があったわね!
あれを用意なさい!
他には…」
次々に指示を出す主に侍女は、碧竜伯は側室や公式愛妾も連れて行くつもりだと伝えなかった。
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ズライグ王国北部ヴィーグ伯爵領。
北部の中でも、人の住む地域の端に小さな開拓村があった。
春の雪溶けと同時に、この地方の領主ヴィーグ伯爵が御触れを出し開拓村に移住する農民を募集した。
若いトマスは募集に応じて開拓村に移り住んだ農民。
トマスの両親は、自分の土地を持たない農奴だった。
働いても働いても、収穫した作物は領主と地主に持っていかれ、トマスの家族はいつも飢えていた。
トマスの父は、トマスが成人して間もなく病で呆気なく、この世を去ってしまった。
開拓村に移り住めば、自分の農地を得られる。
それはトマスには、余りにも魅力的だった。
何しろ収穫した作物を地主に取られる事が無くなるのだから。
「ニィナ、帰ったよ」
「お帰りトマス」
開拓村に移り住む前から付き合っていた、同じ農奴の娘のニィナ。
開拓村に移り住む際に、一緒に来てくれたニィナは産まれたばかりの息子を抱いている。
「身体は大丈夫?」
「うん、お義母さんも助けてくれるし」
貧しい人々にとっては、お産は命懸け。
医者や産婆に助けて貰えるのは裕福な人間の特権で、ニィナはトマスの母に助けられながら自宅で赤ちゃんを産み。
まだ体調は回復していない。
「トマス、帰ったかい」
自然の寒さを利用して野菜を保存している納屋から今夜食べる分を取ってきたトマスの母は杖をついて歩いている。
まだ30代でありながら酷く老け込み、長年の重労働で足を悪くした母。
それでも痛む足を引きずり息子夫婦のために働いてくれている。
体調の優れないニィナを古い摩りきれた毛布に寝かせ、トマスは近くの森から集めてきた薪に火をつける。
この家は開拓村に最初から建てられていてトマスが前に住んでいた家よりも立派な造り。
領主様は開拓村の村人を募集する前に最低限の家屋や家財道具を用意して下さっていた。
高価な鉄製の鍬や鋤まで無料で与えられ、最初の数年は税も大幅に免除される。
農奴の息子のトマスは貴族など、自分だけ贅沢をして威張り散らしているだけの存在だと思い込んでいたのだが、今では家族共々ヴィーグ伯爵様への感謝と敬愛の気持ちに溢れていた。
トマスたちが野菜でかさ増しした雑穀粥を食べていると、村に緊急事態を告げる鐘が鳴り響いた。
「ちょっと見てくる!」
トマスは薪割りに使う手斧を持って家を飛び出す。
開拓村には自警団が組織されているが、村の男たちが手斧や狩猟用の短弓で武装した程度で本格的な戦闘に耐えられる組織では無い。
「雪小鬼だ!雪小鬼の群れが来るぞー!」
村の守りは、村の境界線を示す意味しかない簡単な柵だけ。
村人が避難し立て籠れるような頑丈な建物も無い。
村の見張り台で鐘を鳴らしている自警団員の眼に雪煙を上げて走る雪小鬼が見えていた。
異界の門の向こう側。
メーガジット界より侵攻してきた小鬼の中には門が閉じた事で帰れなくなりアニュラス界に定着した者も多い。
そして圧倒的繁殖力と環境適応力を持つ小鬼はアニュラス界各地に住み着き環境に合わせて変化していった。
雪小鬼も、そんな環境適応した小鬼の亜種。
寒冷地に適応した雪小鬼たちは身体が長い体毛で覆われ、寒さに強くなる変化をした種であり、さらに人間から奪った衣服を自分たちの体型に合わせて加工し着込む事で厳しい冬を乗り越える力を身につけている。
開拓村に迫る雪小鬼、その数は…
「100を越えてる!みんな逃げろー!」
見張り台の自警団員が必死に叫び、村中に雪小鬼の大群の情報が広まっていく。
自警団員の声を聞いたトマスが急いで家に引き返す。
家の中でも外の声が聞こえていたのだろう。
足の悪い母と産後で体調の悪いニィナが逃げる準備をしていた。
トマスは納屋から荷車を引っ張り出す。
荷車にニィナと息子、積めるだけの家財道具を乗せ、母を背負って逃げるしかない。
「ニィナ、先に行きなさい」
「はい、お義母さん」
着れるだけ厚着をした上に毛布を羽織ったニィナは息子を抱き荷車に乗る。
さらにトマスが荷車に家財道具を積んでいった。
「母さんも早く!」
トマスが母を背負うために背中を向けると、その背には母ではなく荷車に乗せきれなかった物を詰め込んだ背嚢が背負わされた。
「あたしは残るよ、トマス」
「バカな事を言わないでくれ!」
老け込んだ母は首を横に振る。
「トマス、あたしを背負っては逃げきれないよ。
それに逃げきれたとして、その後は?」
家財道具に冬を越すための食料。
持ち出さないとならない物は多い。
母親一人分の体重で、どれだけの物を持ち出せるのか?
「母さんを置いてはいけないよ」
頭では分かっている。
開拓村から逃げ出し、他の村や街に辿り着いても冬を越せるだけの財産が無ければ凍死か餓死するだけだ。
母親を見捨てれば多くの財産を持ち出せ、食い扶持が減った分だけ冬を越せる可能性が上がる。
それでも母親を捨てていけるだろうか?
トマスには出来なかった。
そんなトマスを母は叱咤する。
「トマス!お前が守るのは、あたしじゃない!ニィナと息子だ!お前は嫁と子を死なせるのか?!」
そう叫んだ母はトマスを杖で叩き玄関へと押しやる。
「母さん、きっと助けを呼んでくるから!」
トマスは泣きながら走り出す。
助けなど来ない。
仮に街まで辿り着いて領主様が兵隊を出しても、兵隊が開拓村に駆けつける頃には母親の命は無いだろう。
そう分かっていてもトマスは気休めの言葉を叫ぶしかなかった。
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家の外からニィナが、何故母がいないのかトマスに問い詰める声がする。
長年の重労働で老婆のようになった母親は思う。
ニィナは優しい子だ。
トマスは良い嫁をもらった。
貧しい農奴の人生は辛い事ばかりだった。
それでも可愛い孫を抱く事は出来た。
「あんた…今、そっちに行くよ」
閂をかけた扉の外から雪小鬼の声がして、扉を破ろうと殴りつける音がする。
トマスの母親は国教教会の聖印を握りしめ最期の時を待った。




