第39話…北へ
馬車の歩みが遅く感じるのは、休みなく何百kmを走破する自動車と比較してしまうからだろう。
ズライグ王国北部へ向かう北部総督ジャスパー・ファーウッド碧竜伯は、寝台専用という贅沢極まりない大型馬車で目を覚ました。
こんな贅沢な馬車が用意されているのは、隣で寝息を立てているジャスパーの本妻リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグが本物の王女様で、この馬車はリーヴァが快適に移動出来るように用意された物だからである。
「寒っ…」
北部は一年の半分が雪に覆われる寒冷な土地。
とはいえ王都からの移動距離を考えると気候が変わる程の距離ではないはずだ。
地球の基準で考えるならだが。
「ファンタジー世界って事だよな」
山を1つ越えただけで一気に平均気温が下がった。
これからも短距離を移動するだけで加速度的に寒冷な気候になるとの話。
ここはアニュラス界、地球とは全く違うファンタジー世界である。
ジャスパーが上半身を起こした事で羽毛布団で温かく守られていた内部に冷たい空気が入り込む。
まだ眠っているリーヴァが寒さから身を守ろうと無意識に体温という暖房機能を持つジャスパーに抱きつき布団の中に引きずり込んだ。
「あんぎゃ~」
「ギャギャ~」
外からは登ってきたばかりの朝日に向かって吼える2匹の竜種の声。
『アイツらは鶏か何かか?』とジャスパーは思う。
もう少しすれば、リーヴァの侍女と狐嬢が寝台馬車で眠る主を起こし、身支度を手伝うために来るだろう。
ジャスパーは、それまでの時間を温かい妻を抱きしめ眠る事にした。
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ズライグ王国にも保存食という概念はあるのだが、貴族が移動する際には料理人が同行し食事を作るのが一般的である。
気温が低い場所では、温かい食事を食べれるという事は非常に重要なのは言うまでも無い。
朝食の食卓を囲むのは碧竜伯ジャスパーと3人の伴侶たち。
「はぁ…」
リーヴァは朝食という時間が好きでは無い。
美貌と体型の維持を第一するリーヴァは基本的に少食なのだが、目の前の皿には大量の厚切りベーコン。
肉を食べない者は、肉を食べれない程度の身分という扱いになり下に見られる事になる。
だから好き嫌いだの太るだのに関係なく、王女殿下の皿には多量の肉料理が並ぶ。
リーヴァの目の前では、移動中でも鍛練を欠かさず体力を使うジャスパーとユーリアが分厚いベーコンを次々に胃に詰め込んでいる。
騎士として身体を使う2人の食事、よく見ればジャスパーだけスープが入ったカップが追加されていた。
これは、ジャスパーのために毎食一品用意するアンリエットの作ったスープ。
アンリエットの料理は騎士家の家庭料理レベルの味だが、ジャスパーからすれば慣れ親しんだ故郷の味。
それを分かっているアンリエットは毎食一品作る事を欠かさない。
そのアンリエットはリーヴァと同じく多量のベーコンに困り顔。
元々、騎士家の娘の上に貧乏な下級騎士か下級役人の妻になる事を覚悟していたアンリエットは、質素倹約が身についている。
朝から多量の肉料理は胃が受け付けないのだろう。
ノテノテ…ノテノテ…
リーヴァとアンリエットが多量の肉料理に困り果てているとハルとグラムがノテノテと近づいてきて、大口を開けて肉を要求し始めた。
この2匹の食事は宮中伯という高位貴族のジャスパーや王族であるリーヴァより豪華である。
ハルとグラムは、既に朝食として昨日街道付近にあった村から買ってきた鶏を1羽ずつ丸ごと食べた後。
家畜を多数飼育して食肉を大量に作れる日本と違い、ズライグ王国では家畜は貴重品。
鶏は基本的に卵を産ませるために飼っていて、鶏肉は卵を産まなくなった廃鶏の肉が食べられる程度。
そんな高価な鶏肉を食べた2匹はリーヴァとアンリエットから残ったベーコンを貰い、大量のベーコンを咥えてノテノテ去って行く。
よく見ればハルが両腕に皿代わりに使う固いパンを複数持っているのも見えただろう。
「竜種って、どれだけ食べるんだ?
成竜になったらハルの食費で碧竜伯家が破産したりしないか不安だな」
そんなジャスパーにリーヴァが答える。
「あら知らないの?
竜種は成長すると食事量が減るのよ」
「そうなの?」
「学者が言うには大気中の魔力を吸収出来るようになって、食事で魔力を補う必要がなくなるからとか」
ジャスパーはズライグ王国の翼竜たちを思い出す。
確かに十数匹の翼竜がハルの何倍も食べるなら王国の財政に悪影響が出るだろう。
ジャスパーたちは朝食を終え、食後のお茶を楽しむ事にする。
朝食が終わる時間を見計らいハルとグラムが戻ってきた。
そして朝食の残り物を受け取り去って行く。
本当に、どれだけ食べるのやら…
「寒い地域に行くから皮下脂肪でも貯めているのか?」
そんなジャスパーの何気無い一言に、その場に居たジャスパーの嫁たちは思わず自分の腹部を触り脂肪の厚さを確認した。
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お茶が終わるとジャスパーとユーリアは手の空いている騎士たちと剣の稽古をする。
ジャスパーとユーリアは護衛についている騎士たちと比較して弱い。
ちょっとした余興として騎士たちによる木剣の試合で勝ち抜き戦を何度かやってみたところ。
成績の最下位がジャスパー、下から二番目がユーリアであった。
騎士たちの中でも高い実力を持つロロフ卿によれば、実戦ならジャスパーの方がユーリアより強いとの事だが、女騎士のクロエ卿にすら勝てない現実の前に最下位が二番目になっても意味など無かった。
落ち込んだジャスパーは…
狐嬢の尻尾をモフモフし…
アンリエットに膝枕で耳掻きをしてもらい…
ユーリアの胸に顔を埋め…
その場を目撃したリーヴァに激怒され、しばらくリーヴァ専用寝台馬車に監禁された。
なお、ジャスパーの剣の実力を知った騎士たちは「我々が碧竜伯を守らなくては!」と、士気が上がったりしている。
ジャスパーが剣の稽古をしている内に、一行は出発準備を終えた。
稽古の時間は散歩に行っていたらしいハルとグラムが背嚢を背負って戻って来て、本妻の特権としてリーヴァはジャスパーと2人乗りの馬車に2人きりで乗り、碧竜伯一行は進み始めた。
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「それでは今日も北部について、お教えしましょうか」
馬車の中でリーヴァが羊皮紙の束を広げる。
ジャスパーは王国西部出身で北部の事には疎い。
これは西部の辺境伯家の騎士たちも旧グズルーン公爵家に仕えていた騎士たちも同じで、簡単に旅行など出来ず、テレビやネットといった情報入手手段も無いズライグ王国では、他の地域の詳しい話を知る人間は少ない。
その点を理解していたリーヴァは北部出身の冒険者を雇い同行させると共に、自分も予め知識を学び馬車で移動中にジャスパーに教えてくれる。
「北部総督府が置かれる『氷壁都市』は、グナル・ヴィーグ伯爵の領地で、このヴィーグ伯爵が北部貴族の代表格と考えていいわ」
「元はペンズライグ王家と敵対してた北方異民族の族長の家系なんだっけ?」
「そうね、ヴィーグ伯爵は当年40歳、若い頃の戦傷で隻眼だそうよ」
ズライグ王国に征服され、領地と爵位を与えられ北部の守りとなったのが多くの北部貴族の成り立ち。
元々が異民族で文化風習にも違いがある。
例えばズライグ王国では亜人は偏見と差別の対象だが、北部貴族には偏見は薄い。
そのためヴィーグ伯爵家は北部に住む鉱妖精の集落と商取引をしている。
鉱山開発や鍛冶の技術が高い鉱妖精の作る金属加工品は質が良く。
人間には無い、強い魔力を持つ魔法銀の加工技術等も持っていたりする。
そんな鉱妖精の金属加工品は王都でも高く売れるので、寒冷地故に農耕に劣る北部の財源の1つとなっているそうだ
「アンリエットの平鍋は、凄い値段だったしな」
ハルが食いちぎった鉄製の平鍋の代わりとしてジャスパーがアンリエットにプレゼントした魔法銀製の平鍋。
「ハルでも食いちぎれない丈夫な平鍋が欲しい」
そうジャスパーが言った翌日。
酒保商人の爺さんが仕入れてきた物で、アンリエット曰く『凄く丈夫、焦げつかない、油汚れが簡単に落ちる、魔法の平鍋』であり大いに感謝された。
それも鉱妖精の手により作られた物だった。
「ジャスパー…」
アンリエットの名前を呟き、上の空になった夫をリーヴァが嗜める。
「ヴィーグ伯爵は農耕の発展にも力を入れているそうよ。
毎年、春に開拓村を作って人を送り込んでいるそうなの」
「そうなんだ」
征服された異民族に支配される地域。
それだけ聞くと問題が山積してそうな北部だが、意外と上手く行っているらしい。
「北部総督なんて、何の仕事も無いかもね」
「あら?ジャスパーには、とても重要な仕事があるでしょう?」
リーヴァは蠱惑的に笑う。
「ん?北部総督って何か大事な仕事があるの?」
リーヴァは羊皮紙を仕舞いジャスパーと腕を組む。
「跡継ぎを作るって大切な仕事があるでしょう」
そう言ってリーヴァはジャスパーの肩に、もたれ掛かった。
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問題は数日後に発覚した。
朝食後のお茶の時間が終わりジャスパーが剣の稽古を始めようかと思っているとリーヴァの執事が報告して来た事。
「食料の減りが予定より早い?」
「はい、それも誤差とは思えない量です」
「具体的には?」
執事は、今日も朝食の残り物や茶菓子の残りを運んで去っていくハルとグラムの背中に視線を向ける。
「1日でハル殿とグラム殿が普段食べる量の倍以上です」
「うぇひ?!」
ジャスパーは絶句する。
それは誤差とは思えない量。
それが1日で消費される計算上の適正量に上乗せされ減っているという。
「まさかとは思うけれど。
食料を盗んでいる不届き者がいるのかしら?」
碧竜伯家に家臣団など存在しない。
連れて来ている護衛や使用人の大半はリーヴァが雇う旧グズルーン公爵家に縁がある者たち。
内部の犯行ならばリーヴァの面目が丸つぶれとなる。
「外部の犯行の可能性は?」
静かに怒りを貯めるリーヴァを静めるためにジャスパーは外部犯行の可能性を出してみる。
「外部の者が食料を積んだ馬車より盗んでいるならば、護衛の者たちの能力を疑わなくてはなりませんし、我々は移動しています。
同一犯ならば内部の犯行が濃厚かと」
執事の言う通りだろう。
外から盗賊が入り込み、食料を積んだ馬車まで行き、食料を盗んで立ち去る。
その間に誰にも見つからないのは不自然だ。
馬車に近づいて不自然では無い内部の人間の犯行の可能性が高いだろう。
問題は誰が犯人なのか?
「…」
ジャスパーは少し考える。
盗んでいる時間は夜の可能性が高いだろう。
そして夜の警備配置は決まっている。
それを知る犯人の裏をかくには?
「ユーリア卿、手伝って下さい」
何か思い付いたジャスパーは、ジャスパーの側室として夜の警備態勢から外れているユーリアに声をかけた。
「兄貴、何かあったか?」
ユーリアに作戦を伝え終わり、剣の鍛練の用意をしていると、散歩に行くつもりらしく背嚢を背負ったハルがやってきた。
「いや何でもないよ」
「そうか?」
兄妹は、特に疑問に思わず朝の日課を始める事にした。
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夜。
馬車は止まり、夜営の用意がされる。
「あれ、いいよな」
「ああ…」
護衛の騎士たちが見ているのは、騎士服姿のユーリア。
ズライグ王国の女性の服は基本的にスカートなのだが、男装のユーリアはズボンを履いている。
明かり用と獣避けに炊かれた篝火に照らされるのはユーリアの形が良いお尻。
女性が下半身のラインを出す服装が稀なズライグ王国では女性のヒップラインを見る機会は無い。
騎士の何人かは、護衛を終えて家に帰ったなら妻や恋人に同じ格好をさせようと心に誓う。
そんなお尻を独り占めにする碧竜伯が、側室ユーリアの肩を抱いて明かりが届かない場所に連れて行く。
護衛の騎士たちは特に疑問に思わず、警備の仕事に戻った。
ハルとグラムは散歩から戻ってきた。
背嚢の中には街道近くを歩き探してきた食料。
小動物に山菜に茸、2匹で探しまわっても十分な量は採れない。
「仕方ない、今夜も食料を取りに行こう」
ハルとグラムが夜営地内を歩いていても誰も警戒しない。
悪い事だと解っていても2匹には沢山の食べ物が必要だった。
ハルは小さな身体を活かし闇に紛れて食料が積まれた馬車を狙う。
巡回する兵士が去った隙にハルは馬車の扉を開けた。
「曲者!!」
馬車の中から女性の声。
「てぃひ?!」
細剣を手に飛び出して来たのはユーリア。
さらにジャスパーも片手半剣を手に出てきた。
ユーリアの叫びで松明を手にした騎士たちが駆けつけてきてハルとグラムは包囲されてしまう。
「ハル?食事なら十分な量を食べてるだろう?
何で、こんな真似を?」
ハルは観念し、全てを話すしか無かった。
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正座である。
短い脚で、よく正座出来る物だと思うのだが、幼竜たちが地面に正座していた。
「食べ物かお酒が入っていると思ってました」
アンリエットが自分が乗っていた馬車に積まれていた4つの樽の中を覗きこんでいる。
保存食か水代わりに飲まれる酒類が入っていると思われていた樽の中から出てきたのは4匹の翼竜の幼竜たち。
ハルとグラムが一緒に遊んでいる仲間たちである。
ハルとグラムを含めた6匹が正座させられている。
その前には、バカな真似をした妹に激怒するジャスパーと眠りを妨げられて不機嫌なリーヴァ。
「私は…私はただ…皆も旅行に連れて行ってやりたかっただけなんだ…」
狐嬢がハルの言葉をリーヴァに耳打ちして伝える。
「今頃、王都の竜舎は大騒ぎでしょうね」
竜舎で飼われている幼竜が行方不明になった。
王都では、そういう状況になり幼竜の捜索を行っているだろう。
未来のズライグ王国を担う翼竜の幼竜の価値は高く、他国に連れ去られ戦力化される危険を考えるなら必死の捜索が行われているだろう。
「何とか王都に送り返しましょう」
ジャスパーはリーヴァに、そう提案するがハルとグラムは翼と尻尾を広げて4匹を守ろうとする。
「嫌だ!コイツらを送り返すなんて許さない!
私は、仲間と愛と正義と自由と尻尾を守るために訴訟も実力行使も辞さない!」
仲間を守るために主を威嚇するハルとグラム。
4匹の幼竜は「キュ~キュ~」と悲しい鳴き声を上げる。
北の地には、まだ見ぬ雄大な景色と珍しい食べ物が待っているはずなのだ。
こんな所で送り返されるなんて嫌だ!と鳴く。
リーヴァは、魔法の短剣を取り出す。
「碧竜の力は必要だから仕方ないわね。
ジャスパー、次の街で天馬の伝令を雇って王都に幼竜が着いて来た事を知らせましょう」
「このまま北部に連れて行くんですか?」
「仕方ないでしょう、送り返すにも途中で逃げたりしても困るもの」
「今からリーヴァ某を御義姉様と呼んでもいい」
ハルは感動の目をリーヴァに向けるが、リーヴァは刺した相手に恐ろしい痛みを与える魔法の短剣を手に冷たい視線を返す。
「連れては行くわ。
でも、罰は必要よね?」
「ん?」
ハルは、自分に匹敵する防御力を持つグラムがガタガタ震えているのに気づく。
その意味をハルが知るのは、その直後の事であった。
6匹の幼竜の絶叫は夜営地の安眠を妨害し、翌朝は多くの者が寝坊して出発が遅れる事になったのだった。
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「アイツに逆らうのは止めておこう…」
「ギャギャ~」
朝食時、樽に隠れてハルとグラムが調達する食料で糊口をしのいでいた4匹は久しぶりに満腹まで飲み食いし、ハルはリーヴァに逆らう事の恐ろしさを実感していた。




