第38話…恋心
王女らしい豪奢なドレスは、これから戦うための戦闘服。
碧竜伯ジャスパー・ファーウッドが離縁状を突きつけてきても、彼女はジャスパーの妻のつもりだった。
だから彼女の名前は、リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグ。
例えジャスパーが認めなくてもリーヴァはジャスパーの妻として戦場に立つ。
「伯父様、リーヴァです」
返事も待たずに伯父であるメドラウド王の執務室にリーヴァは踏み込む。
護衛の騎士も王直属の文官もメドラウド王の姪であり養女である白銀の姫君を力ずくで止める事を躊躇し、それ故にリーヴァは執務室に踏み込めた。
「リーヴァ、そなたの婚約者は、とんでもない事をしてくれたな」
事態の収拾に頭を悩ませるメドラウド王。
まずはリーヴァはメドラウド王の勘違いを正す。
「伯父様、碧竜伯は婚約者ではなく夫ですわ。
国教教会のレツィア司教補様に結婚証明書を出していただきましたの」
メドラウド王は、寄進という名目の賄賂で大抵の事には便宜をはかるレツィア司教補の顔を思い浮かべタメ息をつく。
国教教会の力を借りる際には、寄進の額で簡単に操れる欲にまみれたレツィア司教補は利用価値があるのだが、まさか国王に無断で王女の結婚証明書を発行するとは。
「そなたらの婚姻は、もっと豪華な式の後で行うつもりだったのだがな」
「待てません」
「そうか、結婚おめでとうリーヴァ」
この件は、既に起こってしまっている事。
それに貴族たちの間では、リーヴァが碧竜伯の伴侶という話が広がっている。
いまさら正式な夫婦か婚約者かは関係ないだろう。
皆がリーヴァを碧竜伯の妻と認識しているのだから。
「王直属である宮中伯が、王に無断で武力を行使し、貴族の屋敷に攻めいった。
これは明らかに越権行為だ」
碧竜伯ジャスパーの爵位は宮中伯。
領地を持たず、王直属として手足のように動く貴族。
それが国王に無断で動き、貴族であるマルーパ子爵家を襲撃した。
これは本来赦される事ではない。
しかし、頭を悩ませる伯父にリーヴァは涼しい笑みを浮かべる。
「伯父様、いいえ国王陛下。
陛下は、王族であり陛下の養女である私を誘拐するという大罪を犯したマルーパ子爵をどうするおつもりだったのですか?」
悩むだけで決断力に乏しいメドラウド王は、黙考し口を開く。
「アドン・マルーパ子爵には子息に爵位を譲らせ、然る後、自領にて謹慎といったところか…」
リーヴァは、その辺りが落とし所だろうとも思う。
いや、少し前までは、そう思っていた。
愛する夫が自分のために子爵家に攻め入るまでは。
「国王陛下の養女である私を誘拐するという大罪を見逃しては陛下の御威光に関わりますわ。
そのような大罪を犯したマルーパ子爵を処断しなければ、貴族たちは陛下を侮る事になりますわ」
メドラウド王は唸る。
マルーパ子爵を処断しないのは、東部貴族の派閥との関係悪化を防ぐため。
いや、実際には東部貴族との対立を産む可能性がある行為を行う決断が出来なかっただけかもしれない。
そしてマルーパ子爵を処断しない場合にも問題は出る。
姪に手を出されてすら、貴族たちに何も出来ない無力な王として侮られる事。
そうなれば、誰も王の意向など無視するようになるだろう。
「我が夫は、陛下の威光を守るためにマルーパ子爵を処断したのです」
リーヴァの話は全くの嘘である。
碧竜伯ジャスパーは、自分の妻に手を出された事に怒りマルーパ子爵の屋敷を燃やしただけ。
仮にジャスパーの妻が卑しい獣人の女でも同じ事をしただろう。
「それでも、余に無断で武力を行使した事を許すわけにはいかん」
リーヴァは伯父との話し合いの落とし所を考える。
表立ってジャスパーを罰しない事が最低目標だろう。
そして伯父が納得するだけの譲歩も必要だ。
「では、我が夫は、しばらくの間は陛下の命令により王都を離れるというのは、いかがかしら?」
それは、ほとぼりが覚めるまで王都より追放するという事。
表立ってジャスパーを処罰しないが、東部貴族に対しては問題を起こした碧竜伯を王都から追放処分したという形にして溜飲を下げさせる。
それがリーヴァの描く、落とし所。
「西は碧竜伯の馴染みの地、北か南になるな」
「それがよろしいかと思いますわ」
決断力がない王だが、決断すれば行動は早い。
それを知っているリーヴァは伯父に一礼し執務室を後にした。
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リーヴァが執務室を出ると執事が、リーヴァが予め調べるように命じていた情報を持ってきた。
それは、メドラウド王に碧竜伯を処罰するように進言に来た東部貴族たちの動き。
ガダ侯爵を筆頭に複数の東部貴族たちが国王陛下に謁見を申し込み、控えの間で待たされているとの事。
リーヴァは、控えの間に乗り込む事にする。
「これはリーヴァ王女殿下」
控えの間で謁見を待っていたガダ侯爵が長々とした挨拶の言葉を述べる。
マルーパ子爵は、ガダ侯爵の腰巾着と呼ばれる男。
そんなマルーパ子爵の大罪にガダ侯爵も何らかの形で関わっていた可能性はあるが、そんな事は尾首にも出さずガダ侯爵はリーヴァが無事だった事に喜びの言葉を並びたてた。
リーヴァは王女らしく美貌に華やかに笑みを浮かべながらガダ侯爵の言葉を聞き流す。
ガダ侯爵の言葉が途切れた瞬間にリーヴァは口を開いた。
「本日は東部のお歴々が揃って伯父様にお会いに来られましたようですけれど。
何か重大な事柄がありましたのでしょうか?」
ガダ侯爵は内心ではリーヴァの発言に思うところはあっただろうが、表情にすら出しはしない。
「それはマルーパ子爵の…」
若い伯爵が小さな声で発言したマルーパ子爵の名前にリーヴァは大袈裟に反応して見せた。
「私の夫である碧竜伯がマルーパ子爵のお屋敷を害したというお話は私も耳にしましたわ。
夫は私を愛しすぎるあまり、他者が私に指一本でも触れる事は許せないんですの」
リーヴァは大袈裟に惚気て見せる。
それに若い伯爵は愚痴のような小さな声を出す。
「しかし、マルーパ子爵には何の咎も…」
「そのように聞いておりますが、夫は私の誘拐の犯人に少しでも関わりがあった事すら許せないのですわ」
リーヴァは扇子を広げて美貌を隠す。
「夫の怒りは何処まで広がるのでしょう?
マルーパ子爵を擁護するような事を陛下に奏上する方々にまで怒りの矛先が向かないか私は心配ですわ」
貴族たちはざわめく。
彼らは、自分たちも竜の標的となりえる事実に気づいたからだ。
火を吐き、空を飛ぶアニュラス界最強の魔獣・真竜。
それに襲われたならばマルーパ子爵館の二の舞だ。
いや子爵館では死人は出なかったそうだが、次はわからない。
竜に皆殺しにされる可能性すらあるだろう。
真竜から身を守るにも、最強の魔獣に対抗出来る戦力など王都屋敷に置いているはずもなく、冒険者や傭兵を雇うにも真竜が相手では依頼料は金貨の山を積み上げる必要があるだろう。
そして、それだけの金をかけても勝てる可能性は低い、竜殺しとは英雄中の英雄の称号なのだから。
目の前の美しい姫君は、最強の竜騎士の寵愛を受け、真竜に守られている。
そんな相手に手を出した者が愚かなのだ。
リーヴァは扇子で口元を隠しながら冷たい視線をガダ侯爵に向ける。
ガダ侯爵は素早く損得を計算しリーヴァに笑顔を向けた。
「同じ東部に領地を持つとはいえ、我々はマルーパ子爵を擁護するような真似はいたしません。
リーヴァ殿下に害をなすような家臣がいた時点でマルーパ子爵には咎があるのですから」
リーヴァは扇子で隠した口元に嫌らしい笑みを浮かべ、王女らしい優雅な一礼をして控えの間を後にした。
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マルーパ子爵の屋敷を襲撃したジャスパーの姿は、王都の寂れた一角にある安宿にあった。
「やってしまった…」
貴族の屋敷を襲撃する大罪。
ジャスパー本人だけでなく、両親や兄にも罪が及ぶ事になるだろうか?
その罪の刑罰の重さを考えジャスパーは質の悪い古びた毛布を被り震える。
変装のつもりらしい子供用のフード付きマントを羽織ったハルは、情けない姿を晒す兄に何も言わない。
こんな時には小心者な兄だが、必ず立ち直ると確信しているから。
古い安宿は歩くだけで床板が軋み音を立てる。
誰かが部屋の外の廊下を歩く音がして、ジャスパーたちの泊まる部屋の前で止まった。
ジャスパーは剣を腰に差し、窓を開け外を見渡す。
どうやら安宿が包囲されてるような事は無いようだ。
いざとなればハルと窓から逃げれるだろう。
そして扉が叩かれた。
ジャスパーは何時でも剣を抜けるように身構えながら扉を開く。
ギィっと建て付けの悪い扉が音を立て少しだけ開いた。
その隙間から見えたのは…
「うぇひっ!」
ジャスパーは隙間から見えた物に恐怖し扉を閉めようとするが、魔法銀製の平鍋が隙間に捩じ込まれ閉めれなくなる。
「ジャスパー様ぁ~」
冥府から響く怨嗟のような声。
隙間から見えるのはハイライトが消えた瞳。
「私から逃げられるとか思ったなら大間違いですよ~」
「アンリエットーッ!何で、この場所がっ?」
何故ジャスパーの居場所が分かったのか?
そんな疑問に幼なじみは答える。
「ジャスパー様の事なら、何でも分かりますわ~」
ついに扉は開かれ、幼なじみアンリエットが姿を表す。
アンリエットは財布から数枚の銀貨を取り出すと背後の暗闇に投げる。
すると、暗闇から「毎度あり」と、辺境砦の頃から聞きなれた老人の声がした。
あの妖怪爺が、ジャスパーの居場所の情報でも売ったのだろうか?
「ジャスパー様が何処に行ってもアンリエットはついて行きます!
そのためなら故郷も家族も捨てて構いません!」
そう一息で宣言したアンリエットの顔は崩れた。
幼げながらも整った顔をぐしゃぐしゃにして涙を流した。
「だから一人で居なくならないで下さい」
アンリエットは、ジャスパーと二度と離れまいと強く抱きつく。
小さな身体で必死に抱きつく。
「本妻じゃなくてもいいです。
側室じゃなくてもいいです。
だから私を一人にしないで、ずっと傍に居て…」
今まで、ずっと傍にいた。
きっと、ずっと前から…
騎士家の人間は恋など出来ない。
騎士家の人間の結婚は、家の都合だけで決まり、恋をしても報われる事なんて無いのだから。
そんな事を言い訳に、目を反らしてきた。
自分の気持ちに嘘をついてきた。
ああ、これはジャスパー・ファーウッドの心だ。
かつて日本人だった薮崎明ではなく、ズライグ王国人のジャスパー・ファーウッドの心だ。
心が溢れる。
恋心が溢れる。
ずっと前から好きだった。
ずっと前から恋していた。
ずっと前から自分の物にしたかった。
それがきっと少年の心。
薮崎明の記憶と人格と混じりあい変質してしまった心。
「アンリエット、傍に居て、ずっとずっと僕の傍に居て、僕の…」
幼い頃から願っていた事。
叶うはずが無いと封じてしまった事。
その言葉が再び溢れる。
「僕のお嫁さんになって」
少女は願っていた。
叶わないと知りながら願っていた。
叶わないと分かっていながら、それでも願いを捨てなかった。
その想いは無駄ではなかった。
少女の歩みは無駄ではなかった。
その心が知りたかった。
その言葉が欲しかった。
偽りではない、少年の本当の心と言葉。
「アンリエットは、ずっとずっとジャスパー様だけのアンリエットです」
幼い頃から想い続けた恋心は成就した。
そして2人は口づけを交わした。
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正座である。
古い床板は状態が悪く正座すると脚が痛い。
「獣人の遊女などに初めてを捧げたんでしたね」
質の悪い古びたベッドに腰掛ける幼なじみが怖い。
ハイライトが消えた瞳で魔法銀製の平鍋を磨いている。
幼なじみが言っているのは狐嬢の事。
ジャスパーはガタガタ震えながら幼なじみの怒りが収まるのを待つ。
「私への求婚の言葉は『2人と結婚します!!』でしたね…」
ユーリアとの板挟みで、言ってしまった発言。
二股宣言をした過去。
「本妻は、王女殿下様で…」
幼なじみは怨嗟のような声を出す。
「ジャスパー様から求婚したのでしたね」
昨夜は、あんなに可愛かった幼なじみの女の子が、朝起きたら悪魔になっていた。
「許しません!許しません!許しません!」
そう言い続けながら平鍋でポカポカ叩く幼なじみ。
嫉妬する姿も可愛い…なんてのは物語の中だけで、ただひたすらに怖い。
「昨夜の僕は弱気になって、どうかしてたんだ…」
ジャスパーは昨夜の事を後悔するが、もう遅い。
公的な立場はともかく、幼なじみの少女は傍から絶対に離れなくなり、それをジャスパーが望んでしまったのだから。
それは、なんて甘美な束縛。
ジャスパーはアンリエットを抱きしめ、頰を膨らませたアンリエットは怒ってますとアピールしながらも抱きしめ返す。
「何をしているのかしら?」
「うぇひ?」
抱きしめ合う2人に怒りの声がかかる。
ジャスパー・ファーウッドが寝室で聞きなれた声。
「リーヴァ殿下…」
「リーヴァと呼びなさいと言ったでしょう!」
ジャスパーの本妻リーヴァは、自分に隠れて他の女と密会していた夫を見る。
その瞳は嫉妬の炎で燃えていた。
「あの…えーと…その…側室は認めてくれるのでは?」
「隠れて、こそこそ会うのは認めません!」
リーヴァはジャスパーをアンリエットから引き剥がし、これ見よがしに口づけする。
その様を見せつけられてもアンリエットは微笑を浮かべ余裕を見せる。
本妻も側室も関係なく、ジャスパー・ファーウッドの心に一番寄り添っているのは自分だとの余裕。
その余裕を察したリーヴァがアンリエットを睨みつける。
対峙する2人の美少女。
「ジャスパーさん、お疲れですか?
はい、ジャスパーさんが好きな尻尾ですよ」
「尻尾モフモフ~」
2人の美少女はベッドの上で狐獣人の尻尾に顔を埋めてモフモフしている男に激怒の表情を見せた。
「ジャスパー!!」
「ジャスパー様!!」
「えっ?ちょっと落ち着いて…」
ジャスパーの叫びも虚しく、リーヴァの平手打ちとアンリエットの平鍋の一撃でジャスパーの意識は闇に沈んだ。
「毎度あり~」
そんな様子を後目に、苦笑するユーリアから情報料を受け取った酒保商人は次の商談に向かうために立ち去った。
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「碧竜伯ジャスパー・ファーウッドに北部総督の任を与える」
北部総督なんて大層な役職名だが部下の一人も居やしない。
早い話が王国北部で、しばらく頭を冷やしてこいという事。
「死罪とかにならなかっただけマシか…」
ジャスパーは、リーヴァが用意した馬車に乗りこむ。
2人乗りの小型の馬車。
他にも公式にジャスパーの側室となったユーリア・ファーウッドに着いてくる形で碧竜伯の客分となったロロフ卿とクロエ卿や旧グズルーン公爵家に支えていた騎士も集まり護衛についているし、様々な荷物を乗せた大型馬車も複数随伴する。
「さあジャスパー、行きましょうか」
国教教会の修道女姿のリーヴァが当然とばかりに馬車に乗り込んでくる。
ジャスパーが渡した離縁状の話をリーヴァにすると、リーヴァは激怒して破り捨てたと断言した。
つまりリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグはジャスパーの本妻のまま。
ジャスパーが馬車から後ろを見ると大きな樽を4つ積んだ馬車に乗ったジャスパーの側室アンリエット・ファーウッドが手を振っている。
北部行きの前にけじめとしてユーリアとアンリエットは公式に側室となり、狐嬢は公式愛妾となった。
そして、この北部行きには全員が同行するという。
側室兼護衛隊々長という謎の立場のユーリアは軍馬に乗り、狐嬢はハルとグラムの乗った馬車に2匹の世話係として同乗している。
上空には護衛とジャスパーが北部に向かうかを監視する役割の翼竜騎士が1騎あり、空を見上げたハルとグラムが尻尾を振っている。
「ところでリーヴァ、その服装は?」
白を基調とした修道女の服はリーヴァに似合っているが、何故に王女が修道女の服装などするのか?
そのジャスパーの疑問にリーヴァは蠱惑的な笑みを浮かべながら答えた。
「あら、ジャスパーは、こういう服装がお好みでしょう?」
そしてリーヴァに身体を押し付けられながら馬車は北へと進みだした。




