第37話…離縁状
早朝、ジャスパーが窓を開けると今日も幼竜たちが騒いでいた。
窓から見える庭には6匹の幼竜。
また王都近郊にある竜舎から翼竜の幼竜たちが脱走し遊びに来ているようだ。
「あんなに頻繁に脱走して竜舎員は心配しないのか?」
ジャスパーは、そんな疑問を口にする。
限定的とはいえ飛行能力を持つ翼竜の幼竜を閉じ込めるのは難しいのだろうが、あんなチンチクリンな見た目に反して重装歩兵並みの戦闘力を持つ魔獣が野放しというのも問題があるだろう。
幼竜たちはハルが何処かから入手してきたボールで遊んでいる。
サッカーボールくらいの大きさだが酷く歪で、球体と言えるか疑問なボール。
それを1匹が蹴って飛ばし全員が追いかけてノテノテ走っていき、最初に追い付いた1匹がまた蹴る。
それを繰り返して遊んでいるようだった。
「ん…ジャスパー…」
ベッドから美しい妻の声がして、ジャスパーは窓を閉める。
寝具から上半身だけ起き上がったリーヴァは睡眠時間が足りなかったらしく眼を擦っていた。
やがてリーヴァはジャスパーに向かって両腕を広げてみせる。
ベッドから起こせと甘えているのだろう。
ジャスパーがリーヴァを抱きしめつつベッドから起こすと、リーヴァは満足そうにジャスパーの胸板に頭を擦りつけた後、夫の唇を奪った。
ジャスパーに口づけする美しい銀髪の妻は、この屋敷の主でお姫様。
直ぐに侍女たちが駆けつけリーヴァの身支度を行う事になる。
それまでの短い時間、ジャスパーは美姫の身体の柔らかさを存分に味わった。
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「マルーパ子爵?」
その名前を口にしたジャスパーの表情は不快の一言だった。
温厚を通りこして、能天気で危機感が足りないと評されるジャスパーには珍しい表情。
屋敷の主たちは朝食を終え、庭で丸焼きにした大きな豚を骨ごと食い尽くした幼竜たちが朝食の残り物や皿代わりに使う硬いパンを狙ってテーブルを強襲している。
食卓を囲んでいたのはジャスパー、リーヴァ、ユーリア、アンリエット。
一人身分が低い狐嬢はジャスパーの給仕を行い、後で食事を取るのが日課。
ジャスパーは狐嬢に一緒に食事をするよう話したが、残念ながら狐嬢は聞き入れていない。
朝食後にお茶を楽しんでいたジャスパーがリーヴァの執事から報告されたのは、リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグ誘拐事件の事。
捕らえられた冒険者たちが依頼主の名前を吐き、そして出た名前が東部貴族アドン・マルーパ子爵だったという。
一度、自分の物と認識した物に拘るジャスパーは『自分の妻』を拐った犯人に不快極まりない感情を表す。
「それで、王宮に報告は?」
「無論、報告しておりますが、王宮にはリーヴァ殿下を冒険者たちから引き取りに来た一団を引渡しております。
おそらく同じ証言を得ているでしょう」
「つまりマルーパ子爵が処断されて、この件は解決ですか」
そのジャスパーの発言に、執事は微妙な表情を浮かべる。
貴族社会に詳しいリーヴァとユーリアも事件の顛末を想像し似たような表情。
その微妙な表情の予想する通り、食卓に訪れた侍女が執事に何やら耳打ちした。
「昨夜、マルーパ子爵の家臣がリーヴァ殿下誘拐の犯人として自首したそうです」
その報告にジャスパーは悪は滅びたとばかりに頷き。
「これでマルーパ子爵も捕まり処罰を受ける事になるわけですね」
そう言うジャスパーにユーリアは口を開く。
「いや、家臣が勝手にやった事としてマルーパ子爵は処罰を逃れるだろうな」
「そんなバカな…」
「仮に処罰されるとしても、家臣の罪の責任を取り、子息に家督を譲り隠居といった辺りか」
貴族とは特権階級であり、それを処罰するのは難しい。
大抵の場合は家臣を身代わりにして、当主は知らぬ存ぜぬで逃げられてしまう。
仮にメドラウド王がマルーパ子爵を処罰しようとすれば、ガダ侯爵を始めとする東部貴族の派閥がマルーパ子爵を擁護し国王と対立する事になり、国政に悪影響が出る。
そこで、表向きはマルーパ子爵本人に罪は無いとして、裏で政治的駆け引きで決着させる事になるだろう。
「気に入らないな」
その声が聞こえたのはジャスパーと狐嬢だけだった。
声を発したのは、テーブル上の茶菓子を奪い仲間たちに配っていたハル。
「ああ、気に入らない」
妹の言葉に同意する兄。
「マルーパ子爵本人が、この件に関わっていない可能性は?」
一応程度に確認するジャスパーに執事は答える。
「王族の誘拐を一家臣が独断で行うのは無理があります。
自首した家臣は『身代金目的』だったと自白したそうですが。
金銭目的の犯行にしては、失敗時のリスクと見合いません」
マルーパ子爵の家臣は、間違いなく死罪となるだろう。
金銭目的なら、他にいくらでも金になる犯罪はある。
同じ誘拐でも裕福な商人の子息でも狙う方が簡単でリスクも少ないだろう。
マルーパ子爵本人が主犯なら、失敗しても自分だけは逃げられると判断しての犯行。
「マルーパ子爵は、リーヴァ殿…」
殿下と付けようとしたジャスパーの太ももをリーヴァがつねり、ジャスパーは言い直す。
「マルーパ子爵は、リーヴァを拐って何をするつもりだったのですか?」
「そこまでは不明です」
「マルーパ子爵の他に黒幕がいる可能性は?」
「可能性はありますが、仮に居たとしても立証は不可能でしょう」
それだけ確認したジャスパーは、席を立ち数枚の羊皮紙を持って戻ってきた。
そして何やら走り書きするとテーブルにつく三人に渡す。
その内容を見てリーヴァはジャスパーを平手打ちした。
「私と離縁するですって!
そんな事が許されるわけないでしょう!」
ユーリアとアンリエットは、リーヴァに機先を制される形になり手は出さなかったが怒りの表情はリーヴァと同じだった。
「私との婚約は破棄、今後一切関係が無いだと?」
「ジャスパー様、冗談でも言っていい事と悪い事があるのは解りますよね?」
三人と関係を断つという証拠を残したジャスパーは、女性陣の怒りを無視して狐嬢の方を向く。
「狐嬢さんには、僕の所有する金貨の半分を譲ります。
後は好きにして下さい」
狐嬢はジャスパーから贈られたメイド服の極端に短いスカートを摘まんで貴族の令嬢のような礼をした後、答えた。
「はい、好きにいたします。
狐嬢は、ずっとジャスパーさんのモノです」
そういう事では…とジャスパーは思うが、王女であるリーヴァを含めた証人の前で狐嬢を自由にすると発言したのだ。
これでジャスパーが、これからやる事で狐嬢が責められる事は無いだろう。
「さらば盟友よ」
ハルがグラムたちに尻尾を振って別れを告げている。
グラムたちも尻尾を振り返す。
霧宮流挨拶とは竜種には通用するようだ。
「ジャスパー、貴方は何をするつもり?」
詰め寄るリーヴァを無視してジャスパーは剣を手に庭に出る。
その隣をノテノテ歩いて付いてきたハルは庭で成竜形態に変身した。
その姿に翼竜 の幼体たちがギャーギャー鳴き、飛び上がったハルは屋敷上空で最後の挨拶代わりに一息火を吐いた。
「ジャスパー!戻ってきなさい!」
リーヴァの叫びを無視して、碧色の竜は飛び去った。
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「さて、兄貴どこまでやる?」
「そうだな、人死には無しだ」
「了解!
師匠は言っていた!司法が役に立たないならば、自分の手でフルボッコして恨みを晴らせ!と。
私は、家族を傷つける奴には訴訟も実力行使も辞さない!」
リーヴァがジャスパーの嫁ならば、リーヴァはハルの義姉。
つまり家族だ。
霧宮流拳士は家族を傷つける敵を絶対に許さない。
王都、貴族の屋敷の並ぶ地区上空をハルは飛ぶ。
直ぐに目的の場所が見えてきた。
「あれが、何とか子爵の屋敷で間違いないな?」
「ああ本館に立てられた旗が見えるだろ。
あの紋章はマルーパ子爵の物だ」
ジャスパーが世話になっていたウォードエンド辺境伯爵家別館の近く。
それもあってジャスパーはマルーパ子爵の屋敷を覚えていた。
「兄貴、最悪の場合ズライグ王国から逃げる事になるぞ
本当にいいんだな?」
竜であるハルと違って、ジャスパーには地位も名誉も美しい妻もある。
その全てを捨てる覚悟が本当にあるのか?をハルは問う。
「へらへら笑って、仕方ない事だって諦めるのが正しいのかもな。
でも僕は僕のリーヴァを傷つけた者を許したくない。
そんな奴が何の罰も受けずにいる事が許せない」
「そのために嫁と離縁するのは本末転倒じゃないか?」
「全て上手くいったら、泣いて土下座して謝って再婚してもらうさ」
「女として、それはドン引きだぞ」
そう言って兄妹は笑う。
ズライグ王国は王侯貴族が支配する国。
特権階級である貴族に媚びへつらい、国とか時代とかのせいにして諦めるのが賢い生き方なのだろう。
こんな事は、ただの暴力で正しくなんて無いのだろう。
それでも…
「身内を殴られて、殴り返せないような人間になるくらいなら」
昨夜触れたリーヴァの身体の熱をジャスパーは思い出す。
撫でた髪の滑らかさを思い出す。
口づけした唇の柔らかさを思い出す。
そんな妻を傷つけた相手を許せるものか!
許していいものか!
碧竜伯ジャスパー・ファーウッドの身内に手を出す事が、どういう事なのか骨の髄まで思い知らせてやる!
「いくぞハル!」
「了解!」
ハルは降下しマルーパ子爵館の象徴である紋章が描かれた旗に竜の息を放った。
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マルーパ子爵の屋敷はパニックに陥った。
いきなりアニュラス界最強の魔獣に襲われては当然だろう。
屋根に立てられた旗は派手に燃え、屋敷から斧槍を手にした警備兵が飛び出し、他の使用人たちも次々に避難するため走り出てくる。
斧槍を構えた警備兵が震えながら遠巻きにする中、ハルは威嚇の咆哮を上げる。
「これは、どういう事か!!
我がマルーパ子爵家はズライグ王国建国時より爵位を持つ門閥貴族!!
その我が家に何の権利があって…」
兵たちの後ろで派手な服装の男が喚く。
あれがマルーパ子爵だろうとハルは考える。
ハルは屋敷の窓から部屋の中を覗く。
絵画や彫刻が飾られた派手な部屋があった。
マルーパ子爵本人の部屋かは不明だが、調度品は高価そうだ。
ハルは窓を竜爪で破壊し、部屋の中の手を突っ込むと中を滅茶苦茶に破壊する。
絵画や彫刻の値段はハルには解らないが、マルーパ子爵と使用人たちの反応から高額な代物のようだ。
「碧竜伯!貴公が宮中伯とはいえ、こんな事が許されるわけは無いぞ!」
ジャスパーは、マルーパ子爵を睨みながら無言でハルから降りる。
そしてマルーパ子爵の前に進み出た。
マルーパ子爵の兵たちはジャスパーを遠巻きにするだけで手出しはしない。
当然だろう。
仮にジャスパーを討ち取っても次の瞬間に真竜の吐く炎で消し炭にされるのが確実なのだから。
「碧竜伯の伴侶であるリーヴァ殿下が誘拐された件ならば、私は一切関わっていない!
私に報復するつもりならば、何の証拠があって、私が関わっていたと言うのか!」
下賎な冒険者や使用人の証言より、貴族であるマルーパ子爵の証言が優先される。
仮にジャスパーが捕らえた冒険者を証人として出しても、それだけではマルーパ子爵の犯罪を立証出来ない。
そんな状況でジャスパーは口を開いた。
「我が妻を拐ったのはマルーパ子爵の家臣であり、マルーパ子爵本人には関わりないと言うのだな」
「当然だ!むしろ罪があるのは碧竜伯であろう!
何の罪もない私の屋敷を破壊した事は王宮に訴えさせてもらう!
ただで済むとは思うな!」
「なるほど」
ジャスパーは納得したように首肯する。
マルーパ子爵は引きつった不恰好な笑みを浮かべ勝ち誇る。
いくら国王直属の宮中伯でも、貴族であるマルーパ子爵が証言するなら罪を問える。
さらにガダ侯爵ら東部貴族はマルーパ子爵を支持する発言をして国王と碧竜伯の側室の父であるウォードエンド辺境伯の力を削ぐ材料にしようとするだろう。
政治的にはマルーパ子爵の勝ちなのだろう。
貴族社会の暗闘を生き抜いてきたマルーパ子爵と貴族に成り立てのジャスパーでは政治力に雲泥の差がある。
しかし、マルーパ子爵は忘れていた。
目の前の竜騎士は政治だの交渉だの取引だの、そんな物を一切無意味にする力を持つという事を。
それは、全てを凌ぐ暴力という力。
「マルーパ子爵の言われる事は、もっともですね。
マルーパ子爵の『家臣が勝手にやった事』であるから、子爵ご自身には罪はない」
「そ…その通りだ!」
ジャスパーは黒い笑みを浮かべて、さらに言葉を続ける。
「では、僕も『僕の竜が勝手にやった事』ですから、僕には何の罪もありませんね」
「何?」
マルーパ子爵が問い返した瞬間。
既に避難は終わったと確信したハルは、ジャスパーの指示なく子爵邸に竜の息を撃ち込んだ。
「ぎぃやぁぁぁー!」
マルーパ子爵の悲鳴を無視してハルは燃えている子爵邸を破壊していく。
「止めろ!誰か竜を止めろー!」
マルーパ子爵が叫んでも最強の魔獣たる真竜に挑む勇気がある兵は1人もいなかった。
マルーパ子爵の屋敷は、中にあった財産ごと燃やされ破壊されていく。
その様にマルーパ子爵の婦人らしいドレス姿の貴婦人が気絶し、侍女たちの悲鳴が響き渡る。
男の使用人たちは右往左往するばかりで巨大な竜相手には何も出来ず、屋敷は簡単に廃墟と化した。
さらにハルは敷地内の他の建物を破壊し、手入れされた庭の花壇なども焼いていく。
死人は1人も出なかった。
怪我人は避難の際に転倒した者や屋敷の火を消そうとして火傷を負った者が少数居た程度。
しかし、物的損失は多大だった。
マルーパ子爵の屋敷の敷地内にあった物は全て破壊されたのだから。
マルーパ子爵の屋敷があった区画の上空。
碧色の竜は勝利の咆哮を上げて飛びさって行った。
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「リーヴァ殿下!一大事です!」
長く支える執事が見た事が無い程に不機嫌に離縁状を切り刻むリーヴァの元に侍女が駆け込んできた。
「何かしら?」
つまらない内容だったなら地下牢に監禁して死ぬまで玩具にしてやる、と言わんばかりのリーヴァの視線に一瞬だけ怯んだ侍女は気を取り直して、その情報を伝えた。
「碧竜伯様がマルーパ子爵のお屋敷に攻め入り、お屋敷を焼き払ったとの事でございます」
その報告にリーヴァは夫には絶対に見せない暗い笑みを浮かべた。
そして側に控える執事に命じる。
「直ぐに王宮に上がるわ!支度なさい!」
「リーヴァ殿下、何をなさるおつもりですか?」
その執事に問いにリーヴァは答える。
「夫が私のために、いけ好かないマルーパ子爵を断罪したのよ。
ならば妻である私のするべき事は1つでしょう?」
根回しも何も無しに行動する馬鹿な夫。
そう笑いながらもリーヴァは上機嫌に王宮に向かう支度をする。
夫ジャスパー・ファーウッドは内外に示した。
自身の妻に手を出す者は決して許さないと示した。
「全く離縁などと格好をつけたのに、本当は私が愛しくてたまらないのね」
夫が妻のために行動したのならば、今度は妻が夫のために行動するべきだろう。
リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグは、自身の戦場に向かう。
夫が苦手な政治という舞台で戦うために。




