第36話…浴場にて
リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグ王女の屋敷地下牢。
捕らわれている囚人は三人の冒険者。
大剣使いの戦士。
弓使いの野伏。
短槍使いの斥候。
残り3人は戦闘で命を落とし、リーヴァを引き取りに来た覆面の一団は王宮で取り調べを受けるため引き渡された。
地下牢に戦士の悲鳴が上がるたびに銀髪の美姫は恍惚の表情で荒い息を漏らす。
野伏と斥候の二人は恐怖に震える。
冒険者という無法者には人格に問題がある人物も珍しくないが、あの姫君の異常さは格別だ。
嗜虐趣味の変質者であり、あの行動は恐怖と苦痛を与える事で情報を引き出そうとか、自分を害した相手に復讐をするとか、そういった理由では全く無い。
単純に他人が苦しむ様が見るのが快感だからやっているのだ。
リーヴァが手にする魔法の短剣に殺傷力は、ほとんど無い。
傷つけた相手を痛みで怯ませ、その隙に逃げるための護身用が本来の使い道だろうか?
非力な女性の護身用装備としては掠り傷でも効果を発揮する有効な物かもしれないが…
「止めろー!もう止めてくれー!」
冒険者として長い経験があり、切り傷や骨折など珍しくもなかった戦士が悲鳴を上げている。
嗜虐趣味の相手には悲鳴は喜ばせるだけと知っていながら耐えられずに泣き叫ぶ戦士。
つまり、あの魔法の短剣は拷問器具として一流の品という事。
さらに魔法の短剣には殺傷力が無い。
傷は浅く、その傷からの出血で死んだり気を失う事は絶対に無い。
それは拷問が延々と続くという事。
「ああ…この悲鳴を聴きながらジャスパーに抱かれたなら最高の快楽が得られるでしょうに…」
銀髪の姫君は、変質的な趣味を口からこぼす。
「リーヴァ殿下、それは、お止めになった方がよろしいかと」
地下牢に降りてきたのは片腕を首から布で吊るした執事と死んだような冷たい眼をした侍女。
「夫に私の趣味嗜好を見せるつもりは無いわ」
お人好しの夫が知れば間違いなく寵愛を失う羽目になる。
「このような遊びも、今後は慎んでいただきますよう」
「ええ!ええ!そうでしょうとも!これが最後にしますとも!
それよりも!」
楽しい時間を邪魔した理由をリーヴァは問う。
「リーヴァ殿下、沐浴の用意が整いましてございます」
リーヴァの着替えを手にしていた侍女が答える。
「夫は既に浴場なのね?」
「はい碧竜伯様は既に浴場の方へ」
「それを早く言いなさい!」
リーヴァは返り血の付いた服を着替えると浴場に向かう。
その顔には別の意味で恍惚の表情が浮かび、リーヴァは執事から聞いた夫がいかにして自分の危機に駆けつけたのかという話を思い出していた。
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何故か出てくる幼竜2匹。
ハルとグラム。
「ギャギャ!ギャギャギャギャ!」
「うむ、回想シーンだな
何があったのか見てみようか」
「ギャギャ!」
矢で肩を貫かれた執事は、必死に走りウォードエンド辺境伯爵の別館に辿り着いた。
「リーヴァ殿下が拐われた?」
傷の手当てを受ける執事の話を聞いたジャスパーは一瞬の迷いもなく立ち上がる。
「直ぐに救出に向かいましょう」
だが1つの不運が執事に降りかかる。
「ジャスパーさん、ハルさんの姿が何処にも見当たりません!」
狐獣人の少女が知らせるのは、ジャスパーの愛竜である碧竜が留守という不運。
屋敷内を探したが見当たらず、どうやら外に散歩にでも行っているらしい。
竜騎士であるジャスパーの戦闘力は竜無しでは激減する。
竜の居ない竜騎士など普通の騎士と変わらない。
それでも…
「狐嬢さんは、館に残ってハルが帰ってきたら待機させておいて下さい」
「はい!それでジャスパーさんは?」
「僕はリーヴァ殿下の救出に行きます」
そう言ってジャスパーは剣を取る。
メドラウド王より下賜された魔法剣。
だが執事は知っていた、目の前の少年騎士は魔法剣を持ってすら一般的騎士の戦闘力の水準より劣る程度の力しか無いと。
それでも迷わずジャスパー・ファーウッドはリーヴァ殿下救出に行くという、それは勇気か蛮勇か。
「ジャスパー伯、私は本館から人手と馬を借りてくる」
「私は保存食の用意をします」
碧竜伯の側室候補、リーヴァ殿下の恋敵のユーリア嬢とアンリエット嬢が迷いなく碧竜伯に従う。
やがて武装した老騎士と女騎士が馬を引いて姿を見せる
「ロロフ卿、クロエ卿、助力に感謝します」
「ジャスパー伯にはユーリアお嬢様をお救い頂いた恩義がございます。
この老骨、墓に入るまで恩義を忘れはしませぬ」
「竜殿には日頃から菓子類をいただいておりますので」
ユーリア救出の恩義に報いるというロロフ卿と普段のハルの食べ歩きで役得として一緒に珍しい菓子などを貰うクロエ卿。
そして自分も武装し同行する気のユーリア。
最低限の戦力は集まったと言えるだろう。
「それでリーヴァ殿下を拐った連中の手掛かりなどは?」
「それは…」
執事は口ごもる。
いくら戦力があってもリーヴァの行方が解らなければ意味は無い。
執事は自分の無能さを嘆く。
口ごもる執事に状況を察した面々は顔を見合わせる。
「リーヴァ殿下の行方を知る方法があれば…」
「もちろんあるよ」
「「「ええっ?!」」」
いつから居たのか?
そこには酒保商人の老人。
「爺さん、リーヴァ殿下の居場所が解るって?」
ジャスパーが半信半疑で問うと酒保商人は一枚の鏡を取り出す。
額が金製で宝石が散りばめられた小さめの鏡。
「兄ちゃん、あの姫様と寝ただろ?」
「はっ?」
その質問に、空間の温度が一気に氷点下まで下がった気がしたがジャスパーは震えながら答える。
「えっと…その…はい…」
「他には?」
「結婚の約束を…」
もはや絶対零度の冷たさを感じながらジャスパーは答える。
それに酒保商人は頷き、鏡の説明をする。
「この鏡は、深く縁を結んだ相手の居場所が解る魔法具だ。
親子とか兄弟、あるいは夫婦とかな。
いまの兄ちゃんと姫様は夫婦と言っていい縁がある。
だから兄ちゃんには使えるだろうさ。
ただし、こいつの効果は1日だけの使い捨てだし、ちょっとばかり高価だよ」
説明が終わると同時にジャスパーは姿を消す。
そして、しばらくして戻ってきたジャスパーは宝箱といった風情の鍵付きの箱と大きな袋を持ってきた。
「手持ちの金は、これくらいだが。
これで足りるか?
足りないなら、この魔法槍と魔法剣も付ける。
それでも足りないなら…」
開けた箱と袋の中身は大量の金貨や銀貨。
さらに国王陛下から下賜された魔法の武器まで付けるという。
その様に執事は感激する。
我が主のために全財産を投げ打つという碧竜伯の行動に感激する。
「いや、そこまでは高価じゃないさ」
そう言いながら箱から代金分の金貨を取る酒保商人。
その金額は商会同士の取引かと思う額だった。
大分減った箱を尻尾をギンギンに立てている狐獣人に渡したジャスパーは軍馬に跨がり執事に言った。
「貴君は、事態を王宮に知らせて下さい。
陛下も動いて下さるでしょう」
そしてジャスパーは騎士たちを引き連れ館を飛び出して行った。
回想を見ていたハルが叫ぶ。
「私のオヤツ代がーっ!!」
「ギャギャ?」
嘆くハルを不思議そうに見るグラム。
「私のために全財産すら捨てるつもりだったなんて…」
何故か回想シーンに居る銀髪の姫君。
「おいグラム、なんでお前の主がいるんだ?」
「ギャギャー?」
ともあれ回想シーンは終わった。
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「さすが公爵家の屋敷だな」
日本人であったジャスパーが前世の記憶を取り戻してからズライグ王国での生活での不満点といえば簡単に風呂に入れない事であった。
ズライグ王国に入浴の風習が無いという事ではないのだが、家に風呂があるという贅沢が出来るのは貴族といった裕福な層だけ。
風呂は都市部に公衆浴場があるだけで一般的な平民や下級騎士は、水浴びか濡らした布で身体を拭くのがせいぜい。
そんなジャスパーの目の前には、日本の銭湯並みの広さの浴場があった。
さすがは貴族の爵位で最高位に位置する公爵の元屋敷という事であろう。
「生きかえる~」
「ギャギャ~」
これまた銭湯並みの大きさがある湯船に、背泳ぎ状態でプカプカ浮かぶ2匹の魔獣。
2匹は顔と腹を水面に出しながら尻尾で壁にぶつからないように方向転換しながら漂っている。
一応、この屋敷の所有者リーヴァ・ファーウッド=ペンズライグの夫という事で屋敷で二番目には偉いはずのジャスパーより明らかに態度がデカい2匹。
風呂を用意した執事の話ではジャスパー以外入浴していないという事だったのだが…
「一番風呂は最高だな~」
「ギャギャ~」
ジャスパーは風呂場を見渡す。
さすがは元日本人だけあってハルが湯船に入る前に身体を洗った痕跡があるのだが…
落ちている太く頑丈そうなブラシ。
あの馬にでも使いそうなブラシでグラムをゴシゴシ擦ったのだろうか?
まあ、竜種の身体は金たわしどころか金ヤスリでも傷すらつかない気もするのだが…
ジャスパーは湯船に浮かぶ2匹は無視して身体を洗う事にする。
「これはまさか石鹸か?」
科学技術で日本に劣るズライグ王国だが、魔法という日本には無い技術がある。
石鹸そのものはなくても似たような物を作り出せたのだろう。
ジャスパーは、前にリーヴァの身体から漂っていた良い匂いが石鹸で身体を洗っていたためかと納得する。
まあ魔法薬の香りというのが真相なわけだが…
「ふぅ自宅に風呂があるのはいいな…」
ジャスパーは湯船に浮かぶ魔獣たちを努めて気にしないようにしながら湯に浸かる。
脚を伸ばして入れるのが心地よい。
「風呂は最高だな…」
問題は、これだけの湯を用意するのに必要な水と燃料の代金がバカにならない事だろうが…
「宮中伯の給金で賄えるかなぁ…」
無理なら王都に幾つかある公衆浴場に通うか…とジャスパーは考えるが…
幼竜同伴で入浴出来る公衆浴場は無いだろうとプカプカ浮かぶ邪悪な魔獣を見ながら考えた。
そんな風にジャスパーが湯船で寛いでいると浴場の入口が開き誰か入ってきた。
ジャスパーは少し不思議に思う、リーヴァの夫であるジャスパーと一緒に入浴するという無礼を働く者が屋敷にいた事にである。
そう、この時ジャスパーは、この場が男湯と勘違いしていた。
プカプカ浮く2匹が雌竜という事実はともかく銭湯のような広さから男湯の銭湯に入っているように錯覚していた。
だが、この浴場は私用の物であり公衆浴場では無い。
入口から入ってきたのは、均整がとれた完璧な肢体を持つ美姫だった。
その姿は写実的に作られた女神の彫刻のように完璧な裸体。
それが自分の伴侶という事すら忘れて思わず見惚れるジャスパーにリーヴァは一瞬だけ勝ち誇った笑みを浮かべる。
そうだ、こうでなくてはならない。
このリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグの美しさには誰もが傅くべきなのだ。
リーヴァは姫君として教育された優雅な歩法で進み、湯船で自分の裸体に夢中な夫の隣に入浴しようとする。
この美しい伴侶が隣にいる事に耐えられず夫は獣のように自分を押し倒すだろうと想像しながら…
だが…
「ちょっと待ったー!!」
「あんぎゃ~!」
「ギャギャー!」
自分に見惚れていた夫と湯船でプカプカ浮いていた竜2匹が一気に叫ぶ。
「えっ?何かしら?」
驚くリーヴァにジャスパーは洗い場を指差し言った。
「湯船に入る前に身体を洗う!」
「えっ?」
リーヴァは首を傾げる。
そういうマナーを知らないわけでは無い。
問題は、女神のごとき裸身を晒す自分への欲情よりも、そんなマナーを優先するという事実。
普通なら、そんな細かい事は無視して自分の裸身に抱きつく場面では無いのか?
何だか、だんだん腹が立ってきた。
「この私の…このリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグの裸身を前にして、そんな事の方が大事だと言うの!!」
「あの…リーヴァ殿下?」
「リーヴァと呼びなさいと言ったでしょう!!」
何やら激怒している妻にオロオロするジャスパーを尻目にハルとグラムはノテノテと浴場を後にする。
湯上がりにハルとグラムは蜂蜜入り牛乳を飲み、浴場から聞こえる様々な声を無視して去っていった。
夫婦喧嘩は竜も喰わないのだ。
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地下牢で執事は侍女に命じて囚人の手当てをさせる。
傷は浅いが、不潔な地下牢で傷から病気にでもなればリーヴァ殿下の玩具が壊れてしまうだろうから。
「何だよ!何なんだよ、あの化け物は!」
「我が姫を化け物呼ばわりはいただけませんが…」
とはいえリーヴァの悪癖には執事も思うところが無いわけでもない。
結婚を機会に、こんな真似は慎んで欲しいのが本音だ。
「何でも話す!何でも話すから助けてくれ!あんな化け物を近づけないでくれー!」
屈強な大男が泣きながら懇願している。
他の二人も戦士がなぶられる様を散々見せつけられ恐怖を骨の髄まで染み込まされているのだろう。
リーヴァが姿を消した機会に懇願した。
「仮に、ここから出られても官権に引き渡されれば王族を害した罪で死罪は免れませんが?」
一応程度に執事は確認した。
「ここで、あんな化け物の玩具にされるくらいなら法で裁かれた方がマシだ!」
「なるほど…」
執事は考える。
この場所を碧竜伯に知られたならリーヴァ殿下の立場は無くなり離縁という事にすらなりかねない。
碧竜伯と離縁ともなればリーヴァ殿下の悪癖は、さらに酷くなるのではないか?
罪もない平民を拐って監禁し玩具にする。
主が、そんな未来を歩まぬために、こんな遊びは早く止めさせるべきだろう。
「それで、貴方たちの雇い主は?」
「東部貴族のアドン・マルーパ子爵だ!
直接接触してきたヤツは家名を名乗らなかったが、依頼主が裏切った時のために調べたんだ!本当だ!」
執事は、戦士の言葉に眉根を寄せた。
自国の貴族が王族を害した事実に不快感を表した。
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「リーヴァ殿下、失礼いたします」
あまりにも長い入浴時間に侍女が浴場を確認するため戸を開けると…
ジャスパー・ファーウッドがリーヴァ・ファーウッド=ペンズライグの身体を素手で洗っていた。
リーヴァは童女のように、なすがままに身体を洗わせている。
「ごゆっくり…」
侍女は、それだけ言って戸を閉めた。
夫婦喧嘩は誰も喰わないのである。




