第35話…愛しき愚か者
ズライグ王国東部に領地を持つマルーパ子爵は同じ派閥の重鎮ガダ侯爵の屋敷を訪れていた。
それ自体は珍しい事ではない。
マルーパ子爵領とガダ侯爵領は隣接し利害関係が発生しやすく、力関係では明らかにガダ侯爵が上となれば、マルーパ子爵とすればガダ侯爵に媚びへつらってでも自領の安寧を求めるしか無いからだ。
その結果として他の貴族からはマルーパ子爵はガダ侯爵の腰巾着と影口を叩かれる事になってもいる。
ズライグ王国の姫君リーヴァ・ペンズライグ王女の婚約が発表された日もマルーパ子爵はガダ侯爵邸にご機嫌伺いに訪問していた。
「ウネズ王国のマドック王太子がリーヴァ殿下を王太子妃にと望んでいる」
ガダ侯爵はマルーパ子爵の方を見ずに独り言のように話す。
ウネズ王国はズライグ王国の東に位置し、ガダ侯爵領、マルーパ子爵領と国土が接する中堅国。
そのウネズ王国マドック王太子が内々にリーヴァ王女を王太子妃に迎えたいとズライグ王家に交渉している事は東部貴族たちには公然の秘密だった。
「しかし陛下はリーヴァ殿下を、あの成り上がりの若造に降嫁させると…」
忌々しげに言うマルーパ子爵。
成り上がりの若造。
下級騎士から宮中伯爵となったジャスパー・ファーウッドを良く思わない貴族は多い。
マルーパ子爵にしても、下級騎士から、いきなり自分より上位の爵位を得たジャスパーに良い感情は持っていない。
さらにジャスパーがマルーパ子爵の政敵、西部貴族ウォードエンド辺境伯の派閥と目されている事も嫌悪感を持つ理由であろう。
「碧竜伯にリーヴァ殿下が降嫁すれば、碧竜伯に娘を側室に差し出したウォードエンド辺境伯と陛下は碧竜伯を通じて身内という事になる」
実際には、そこまで単純な話ではないが、陛下が西部の軍備強化を重視する際の言い訳にはなる。
すなわち可愛い姪の身内であるから西部を支援すると。
「碧竜伯との婚姻を嫌ったリーヴァ殿下がウネズ王国のマドック王太子を頼る事もあるだろうな…」
西に門という問題を抱えるズライグ王国が東で国境を接するウネズ王国と事を構えるのはリスクが大きい。
リーヴァ殿下が自主的にウネズ王国に亡命、ウネズ王国ではマドック王太子の妃として厚遇する。
そういう事にしてしまえば、後は外交的にウネズ王国から結納金の名目で金銭を支払うなり、両国間の交易条件などでウネズ王国が一歩譲りズライグ王国の利益を増やすなどして解決する方法はあるだろう。
実際にはリーヴァ殿下が拐われウネズ王国に無理矢理連れて行かれたのが真相でもだ。
「腕の良い冒険者には心当たりがある」
「それは…」
マルーパ子爵は王女の誘拐という大それた事に迷う。
「子爵領はウネズ王国国境とも接しているな」
マルーパ子爵は頭の中で素早く計算する。
リスクは大きい。
だが成功すれば次期ウネズ国王であるマドック王太子に恩を売る利益は計り知れない。
そしてマルーパ子爵はガダ侯爵派閥の中でも特別な立場を得られるのも間違いないだろう。
もし失敗しても家臣が勝手にやった事として逃げる事は出来る。
あの決断力に乏しいメドラウド王がはっきりした証拠もなくマルーパ子爵を処断する決断を出来るはずもない。
最悪な場合はウネズ王国に亡命する方法も…
それは劇薬というより毒薬であっただろう。
だがマルーパ子爵は目の前にぶら下がった利益の前に、それを飲み干す決断をした。
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半妖精の魔法具使いは氷結の長杖を取り落とす。
ハルは即座に落ちた杖を蹴り飛ばした。
半妖精という種族は、人間と森妖精の混血で産まれる種族。
人間より魔力に優れ、森妖精より身体の強靭さで優れる。
逆に言うならば人間より肉体的に劣り、森妖精より魔力的に劣る。
近接戦闘に向く種族ではなく、まして手を食いちぎられた半妖精にハルと近接戦をやれる余力など無かった。
ハルの蹴りを胸板に受けた半妖精は動かなくなる。
「くそっ!化け物め!」
リーヴァ王女の監視についていた盗賊が数本の短剣を投げ、その全てはハルの小さな身体に命中するが鉄より硬いハルの鱗には掠り傷すらつかない。
(ジャスパーの碧竜?)
リーヴァの目に映る特長的な鱗の色。
彼女の伴侶ジャスパー・ファーウッドが救出のために送りこんだとしか思えない。
他にも大部屋で冒険者と戦う赤い幼竜たち。
あれはグラムと王都近郊の翼竜の竜舎で飼われている幼竜たちだろう。
(私が人質にされる事を警戒して竜だけを送りこんだの?)
基本的に人語を解さない幼竜たちをどうやって操っているのかはリーヴァにも解らない。
しかしジャスパー・ファーウッドは800年ぶりに現れた真なる竜騎士、竜を操る力があっても不思議ない。
西部では見捨てられた農民兵を助けるために戦い。
猪鬼の捕虜になった辺境伯爵令嬢を助けるために単身敵陣に向かい敵大将と一騎討ちで戦った。
お人好しで無謀で英雄願望がある間抜けな善人。
それが碧竜伯ジャスパー・ファーウッド。
リーヴァ・ペンズライグに騙され、求婚する事になった愚かな男。
でも…
それでも…
その愚かさが何と愛おしいのか…
リーヴァの目の前で碧竜が軽装の冒険者と戦っている。
冒険者の身のこなしは間違いなく一流の物だが、相手が悪すぎた。
相手は幼体とはいえ真竜。
アニュラス界最強の魔獣なのだから。
「霧宮流格闘術!奥義!竜爪脚!」
ついに碧竜の蹴りは炸裂し盗賊を吹き飛ばす。
そしてハルは鋭い爪でリーヴァの拘束を切ると鎧戸に覆われた窓を跳び蹴りで粉砕した。
「ちくしょう!女が逃げる!」
窓から外に逃げ出すリーヴァ。
しかし冒険者たちが、それを許すわけもない。
「ここは任せろ!追え!」
「おう!」
大剣使いの戦士が剣を大きく振り幼竜たちを牽制した隙に弓使いの野伏が離脱しリーヴァを追う。
普段運動すら滅多にしない王女と野外活動の専門家である野伏。
森で追い掛けっこすれば結果は見えている。
それでもリーヴァは森目指して走る。
「まあ行かせないわけだが」
野伏を通すまいと窓の前で立ちふさがるハル。
走るリーヴァの目の前の森から覆面をした一団が出てきた。
リーヴァは相手が何者か察して足を止める。
「捕らえろ!」
一団のリーダーらしい男がリーヴァを見て叫ぶ。
覆面の男たちがリーヴァを捕らえようと迫った。
武器も持たず、武芸の心得もないリーヴァには、どうしようもない状況。
まさに絶体絶命。
「全く、もう歳ですから全力疾走する軍馬に乗るとか勘弁して欲しいものです」
覆面の一団とは違う道から駆け出してきたのは騎馬の一隊。
先頭の老騎士は愚痴りつつ覆面の一団に斬り込む。
そして…
「リーヴァ殿下!」
少し遅れて駆けてきた騎馬の背には少年騎士ジャスパー・ファーウッド。
酒保商人から深く縁がある相手の居場所が解るが、使い捨てな上に、とんでもなく高価な魔法具を買い、自身の妻であるリーヴァの居場所を知って駆けつけたジャスパーは妻の名を叫び、手を伸ばす。
「ジャスパー…」
リーヴァ王女はジャスパーの腕の中に収まり、ジャスパーの騎馬を守るように女騎士が跨がる2騎が覆面の一団とジャスパーの間に入った。
「クロエ卿!ロロフ卿の援護を!」
「承知しました!」
細剣を手にしたユーリアが叫び、普段はハルと狐嬢の食べ歩きの護衛役をしている辺境伯爵家に支える女騎士クロエが駆ける。
勝敗は決した。
覆面の一団も正規の騎士か、それに匹敵する技量の持ち主であったが歩兵と騎兵では戦闘力に圧倒的開きがある。
それを察した覆面たちのリーダーは撤退を選択する。
「退くぞ!」
森の中では騎兵は自由に動けない、それゆえに逃げ切れる可能性は高いのだ。
だが、彼らは1つ忘れていた。
「とう!」
小屋の窓から飛び出した碧い鱗の竜の存在を!
「変身っ!!」
空中で幼竜形態から成竜形態に変身したハルは、森に逃げ込もうとした覆面たちにあっさり追い付き退路をふさいだ。
「霧宮流尻尾戦闘術!竜尾撃!」
そして尻尾の一撃で覆面たちを吹き飛ばした。
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ロロフ卿たちが小屋に踏み込んだ時、冒険者たちと翼竜の幼竜たちの戦いは続いていた。
そのまま戦っていたのなら、どちらが勝ったのかは解らない。
ただ、幼竜との戦いで疲弊した冒険者たちに歴戦の老騎士ロロフ卿に対抗する体力は残っていなかった。
逃亡を謀った者もいたが飛行能力を持つハルと翼竜の幼竜から逃げられるはずも無かったのだ。
結局、リーヴァ・ペンズライグ誘拐に関わった賊の半数は命を落とし、半数は生きたまま捕らえられた。
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「ギャギャ!ギャギャギャギャ!」
成竜化したハルを目の当たりにしたグラムたち翼竜の幼竜たちが騒いでいる。
「リーヴァ殿下…」
「はぁ?」
「えっリーヴァ殿下?」
ジャスパーに殿下と尊称つけられリーヴァは頬を膨らます。
「私は貴方の妻なのですよ!殿下など不要です!」
「えっと…リーヴァ…」
「よろしい!」
「あの~リーヴァ…あの幼竜たちは、もしかして巨大化出来ないのでしょうか?」
ハルは巨大化というか成竜化出来る。
それに対して騒いでいる幼竜たちは、なんとなくだが。
『お前だけズルいぞ!』
と、言っているような気がする。
「翼竜の幼竜が変身するなど聞いた事もありません」
翼竜グラムの主であるリーヴァが、そう言うのだから翼竜の幼竜が成竜形態に変身した記録は無いのだろう。
あの元妹は本当に奇妙な生き物らしい。
「兄貴、私はコイツらを家に送っていく」
背中に翼竜の子供たちを乗せたハルは、そう言って飛び立った。
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リーヴァ殿下誘拐事件の犯人たちは王宮に引き渡され尋問を受けているらしい。
そう報告を受けたジャスパーは旧グズルーン公爵王都館に引っ越していた。
この館の所有者はリーヴァなわけだが、リーヴァが王都の国教教会に結婚証明書を発行させた事で公式に夫となったジャスパーを自分の館に招いたのだ。
その旧公爵館の広い庭には野戦で兵士たちに食事を提供するための大鍋が複数用意され大事な客を招く用意に余念が無い。
招かれた客は、王都近郊にある竜舎からノテノテと館に訪れた翼竜の幼竜たち。
ハルとグラムを加えた6匹は庭に用意された席につきヨダレを滴しながら料理の完成を待っている。
そして…
「お鍋が出来ましたよー!」
鍋奉行アンリエットの声と歓声のような竜種の鳴き声が庭に響き、幼竜たちの戦勝祝いが開始されたのだった。
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旧グズルーン公爵館地下。
その存在を知る者は、極少数でありジャスパーも存在を知らない場所。
そこには地下牢が作られ、リーヴァを拐った冒険者の生き残りが捕らえられていた。
太く頑丈な鎖で拘束された大柄な戦士をリーヴァは冷たい眼で見る
「俺はプロだ、依頼人の名前は吐かないぜ」
実際には上手く交渉し情報と引き換えに自分だけは助かりたいと画策する冒険者。
リーヴァは武器として使うには細く短く実用性に乏しいだろう短剣を手に取る。
複雑な細工が施され宝石が散りばめられた装飾品のような短剣。
それを手にしたリーヴァは無造作に戦士の脚を刺した。
刃は短く非力な女の力では屈強な戦士の身体には深く刺さらない。
だが地下牢には異常なほど大きな悲鳴が響きわたった。
戦いを生業とし痛みに慣れているはずの戦士が感じた痛みはまさに尋常では無かった。
「この魔法の短剣は、殺傷力は無いけれど刺さると、とても痛いのよ」
美しい王女の顔に浮かぶのは恍惚の表情。
「貴方は何も話さなくていいわ。
そんな事は望んでいないの。
私は、意外に思うかもしれないけど、他人が苦しむ様を見るのが大好きなの。
そうね、夫に愛される事の次くらいに。
だから私が貴方に期待するのは、私を楽しませる事だけ」
そして地下牢には囚人たちの悲鳴が響き続けた。




