第32話…後悔しても、もう遅い
ウォードエンド辺境伯家の王都屋敷。
その別館で碧竜伯ジャスパー・ファーウッドの花嫁候補である2人は祝杯を上げていた。
「宮中伯ですか…」
「陛下がジャスパー伯を露骨に囲い込む意思を見せたという事だな」
アンリエットは故郷で飲み慣れた麦酒。
ユーリアは貴族が好む酒である葡萄酒。
ジャスパーの正妻の座を争う恋敵である2人だが、共にジャスパーの叙勲を喜ぶ同志でもある。
「あの私は貴族様の事は、よくわからないのですが。
宮中伯爵様というのは伯爵様とは違うのでしょうか?」
2人に給仕する侍女服姿の狐獣人の狐嬢が質問する。
「宮中伯というのは領地を持たない国王陛下直属の貴族だ。
国政における大臣として政務に参加したり、地方に派遣されての諸侯の監視や牽制を行う役割。
つまりは国王陛下の側近だな」
ユーリアの説明に狐嬢は、よくわからないという顔をするが、国王陛下の側近という事で高い地位だという事だけは理解したようだった。
「領地は持たないが、伯爵の名前に恥じないだけの給金は得られるんだが…」
ユーリアは脳裏に懸念が浮かんだ。
領地を持つ貴族は国の利益よりも自領の利益を優先して考える傾向がある。
これを大局が見えないだの利己的だのと評価するのも間違いだろう。
極論、自分の家族を飢えさせてまで国の利益を追求するのが正しい事か?という話になるのだから。
まずは自領の利益を最優先するのは当たり前の話。
一方で領地を持たない宮中伯は国王及び国の利益を最優先に動く事になる。
中央で国政に関わるならばともかく、問題は地方に派遣される場合。
地元に根差し独自の武力を持つ地方領主と中央から監視役として派遣された宮中伯。
仲が良くなるはずもなく、中央から離れた貴族領では、国王の後ろ楯があっても政敵である地方領主に勝つのは難しい。
ユーリアの実家である辺境伯家とて中央から派遣されてきた宮中伯に横からとやかく言われる事をよしとしない。
政敵として潰そうと画策するだろう。
「武力という点では問題ないが…」
ジャスパーの竜の戦闘力は貴族の私兵100や200など物ともしない。
その点では他の宮中伯より有利ではあるのだが…
「ジャスパー伯に政治的判断が出来るとは思えないな…」
ユーリアとて政治的判断が得意なわけでも無いが、良く言えば善人、悪く言えばお人好しのジャスパーよりはマシだろう。
「私が補佐するしかないな」
そう決意を新たにするユーリア。
見ればアンリエットは飲み過ぎて居眠りを始めている。
「ジャスパーさんがお帰りになるのは何時になるか分かりません。
お二人は先に寝室へ行かれてはいかがでしょうか?」
狐嬢がアンリエットを立たせて寝室へと連れて行く。
ユーリアはジャスパーが戻るまで待ちたい気持ちはあったが、狐嬢が1人だけ酒に手をつけない理由を何となく察していた。
狐嬢だけ身分差があり遠慮してるのもあるが、ジャスパーが帰るまで起きて待っているためだろう。
「私も眠る事にする。
狐嬢、後は頼む」
「はい、ユーリア様」
3人それぞれに寝室が与えられている。
一方でジャスパーには個人の寝室は用意されていない。
3人の誰かの寝室で眠らせるためにだ。
ちなみにハルには寝室が用意されていた。
有力貴族だけに辺境伯爵家の別館には使われていない部屋も多数残っておりハルに一部屋用意するくらいは簡単な事であった。
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「頭痛い…」
夜遅くに別館に戻ったジャスパーは狐嬢の部屋で倒れるように眠ったが、翌朝は見事な二日酔いであった。
飲みやすい甘めの林檎酒だからと杯を空けすぎたらしい。
「ジャスパーさん、ハーブティーをどうぞ」
狐嬢が二日酔いに効果があるハーブで淹れたハーブティーを持ってきてくれる。
「はぁ…朝食は食べれそうにないから…」
「そうですか」
そこにノテノテとハルがやってくる。
昨日は、小さな身体の何処に入るのか不思議な量を平らげたハルは狐嬢に朝食をねだり用意された厚切りハムのステーキに齧りついている。
この邪悪な魔獣の胃腸の頑丈さは、文字通り人間離れしている。
実際、肉体は人間では無いわけだが。
ハルがハムステーキと皿代わりの硬いパンを食べ終わり食後のハーブティーを飲んでいると本館に行っていたらしいユーリアとアンリエットが慌てた様子で戻ってくる。
そしてジャスパーの姿を見ると叫んだ。
「これは、どういう事だ!!」
「これは、どういう事ですか!!」
その声の大きさにジャスパーは二日酔いの頭を抱える。
「痛たたた…
2人とも、落ち着いて…」
そんなジャスパーの静止は興奮した2人には意味がなかった。
「これが落ち着いていられるか!!」
「そうですよジャスパー様!どういう事なのか説明して下さい!」
2人の激高ぶりにジャスパーは首を傾げる。
「何の話ですか?」
するとユーリアは持っていた羊皮紙をジャスパーに突き付けた。
「……」
ジャスパーは頭痛に耐えながら羊皮紙に目を通す。
ハルも後ろから覗きこんでいる。
「えーと…
碧竜伯が国王陛下の姪リーヴァ殿下に婚姻を申し込み。
国王陛下が降嫁を許してリーヴァ殿下の婚姻が決まった…と」
ジャスパーはリーヴァ・ペンズライグ王女殿下に会った事はなく顔も知らないが、美姫として有名との噂は知っていた。
そんなリーヴァ殿下の結婚が決まったという国にとって目出度い報せ。
碧竜伯とかいう御仁は、高貴な身分の美姫と婚姻出来る羨ましい人物なようだ。
「碧竜伯?碧竜伯…?」
どこかで聞いた称号だが、誰の事だったかな?とジャスパーは考え…
「えっ?碧竜伯とリーヴァ・ペンズライグ王女殿下が結婚?」
そう碧竜伯とは自分、ジャスパー・ファーウッドの事である。
「えーっ!!僕がリーヴァ殿下と結婚ーっ!!」
どうしてこうなった?
どうしてこうなった?
どうしてこうなった?
ジャスパーの頭に『?』が駆け巡るが答えなど出ない。
「ジャスパー様からリーヴァ殿下に結婚を申し込んだって書いてますよ!!」
アンリエットが泣きそうな顔で詰め寄る。
「そうだぞジャスパー伯!どういう事なのか説明してもらおうか!」
ジャスパーは全く身に覚えが無い話にアワアワと慌てる。
「婚姻なんて申し込んでないよ!
そもそもリーヴァ殿下って方と会った事さえ無いんだよ!」
幼なじみで付き合いが長いアンリエットはジャスパーの眼をジッと見て、どうやら嘘をついていないと判断する。
「嘘では無いみたいですね」
「嘘じゃないよ!そもそも婚約者がいる僕がリーヴァ殿下に結婚を申し込む理由が無いよ!」
ユーリアとアンリエットは、顔を見合わせる。
ジャスパーが嘘を言っていないなら、これはどういう事なのか?
そんな様子をハルが見ていた。
ハルは昨夜の晩餐会を思い出す。
「そのリーヴァ某って、どんな外見なんだ?」
ハルの念話を狐嬢が通訳しユーリアが答える。
顔立ちや髪の色、その他の特長。
その説明をフンフンと聞いていたハルは兄の方を見る。
「リーヴァ某って兄貴が晩餐会で嫁に欲しいって言った銀髪の侍女じゃないか?」
「うぇひ?!」
ジャスパーの顔色が一気に悪くなり、頭から水でもかけられたかのようにダラダラと脂汗を流し始めた。
「ジャスパー様、そこに座りなさい」
長い付き合いで色々と察したアンリエットがハイライトが消えた瞳で床を指差す。
「あの…アンリ…」
「座りなさい!!」
「うぇひっ!!」
ジャスパーは幼少時から刷り込まれた条件反射でアンリエットに従い床に正座する。
「ハルさん、説明してくれませんか?」
ジャスパー以外では唯一ハルと会話出来る狐嬢がハルに質問した。
質問する狐嬢の尻尾は膨らみギンギンに立ち上がっていた。
もちろんコレは激怒している証である。
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「再現映像、スタート!」
髭を短く整え王冠を被った威厳溢れる外見の男性が侍女姿の美女たちを一列に並ばせる。
「この中の好きな娘と一夜を過ごすがよい」
それを耳にした若い男は好色な笑みを浮かべて美女たちを舐めるように見ていく。
「そこの銀髪の侍女、スカートを上げてパンツを見せてもらおうか?ぐぇへへへ」
銀髪の美少女は涙を浮かべ唇を噛み締めた。
そして震える手で、ゆっくりスカートを上げていく。
「ぐぇへへへ、エロい身体しやがって、お前には僕の子供を産んでもらおうか」
ついに銀髪の美少女は耐えられずに美しい瞳から涙をこぼした。
「おい…」
「そして兄貴は、その場で銀髪の侍女をテーブル上に押し倒して…」
「おい、待てや…僕の我慢にも限界があるからな」
「お…おう…」
ハルによる再現映像という名の妄想劇場が終わった。
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「陛下が、その場にいた侍女を並ばせた、と?
その侍女たちの特長は?」
ユーリアはハルの説明を通訳する狐嬢の言葉を聞き、貴族令嬢とは思えない態度で舌打ちした。
「リイル王女殿下、シャーロット王女殿下、ベアトリス公爵令嬢、ザラ女子爵…
おそらく全員が王族か王家に縁ある貴族家のご令嬢だ」
「つまり、誰を選んでもジャスパー様が婚姻を申し込んだ形になっていたのでしょうか?」
「そうだアンリエット嬢、ジャスパー伯は最初から嵌められていたんだ」
どういう事?とジャスパーは疑問顔。
ジャスパーはメドラウド王の言葉を思い出す。
「陛下は『例えば、この中で選ぶならば、どの娘が好みかな?』って、あくまでも例え話として言ったんじゃ?」
それにユーリアは自分のコメカミを押さえる。
このジャスパー・ファーウッドは田舎騎士の三男で世間を知らなすぎる。
安全は無料で十歳に満たない幼女が夜の街を1人で歩いていても平気な世界にでも住んでいたのかと思える程に、ジャスパーは他人の悪意に無頓着で、世界は善人で溢れていると信じてるらしい。
「『例えば』この中に居ない王族の令嬢を選んでもいい。
そう解釈も出来る」
「そんなバカな…」
ジャスパーは呆然とユーリアの話を聞きながらも必死で反論の余地を探す。
「僕は『酒の席の余興としてお答えするなら』って前置きしたんだよ…」
その反論はユーリアに簡単に論破される。
「宮中伯に叙勲されたといっても貴族に列せられたばかりのジャスパー伯に王女の降嫁が許される事は普通はない。
そして婚姻を申し込んで断られるのは恥であるから、陛下に降嫁を認められなかった時には『酒の席の余興』としての発言だったとして恥をかかないように予防策をとる。
そう解釈も出来る」
「そんなバカな…」
「それに陛下が例え話として言ったなど、ジャスパー伯が余興として言ったなど、誰が証明できる?
その場の証人となる人物は全て陛下の身内だ。
ジャスパー伯の反論など誰も支持しないだろう」
ジャスパーは、自分と王族以外で、その場に居た竜を見る。
無駄だろう、こんなチンチクリンな生き物の意見など誰も信用しない。
「ユーリア卿…今から勘違いでしたと陛下に申し上げて結婚を破談に出来る可能性は?」
ユーリアは忌々しげに首を横に振る。
「リーヴァ殿下には国内有力貴族から他国の王族まで、様々な縁談が申し込まれているはずだ。
ジャスパー伯との結婚を発表したという事は、それらの良縁を全て断ったという事になる」
今さら結婚を無かった事にしては国王陛下の顔が立たない。
ジャスパー・ファーウッドは自分が完全に陰謀に絡め取られ詰んだ事を知った。
「怖い…王様怖い…王都怖い…帰る…お家に帰るーっ!」
泣きながら逃げ出そうとするジャスパーの腕をアンリエットが掴む。
いつの間にかアンリエットは旅装束を整え巨大な背嚢を背負い荷物を背負ったロバを牽いていた。
「いいんですよジャスパー様。
一緒に田舎に帰って2人で幸せに暮らしましょう」
「アンリエットーっ!!」
泣きながらアンリエットの平な胸に顔を埋めて泣くジャスパーにアンリエットは…
「うふふ…これでジャスパー様は私だけのモノ」
とかドス黒いオーラを放ちながら呟くのだが。
当然、ジャスパーがリーヴァ殿下との結婚から逃げられるわけも無いのであった。
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「ずいぶん地味なのね」
旧グズルーン公爵家の王都館。
亡き父グズルーン公爵の爵位も領地も相続が認められていないリーヴァ・ペンズライグ王女が唯一相続を許された館の一室で、リーヴァは老商人が用意した服一式を見た。
王女であるリーヴァが着るのに相応しい品質の布と縫製であるが見た目は非常に地味で街娘の晴れ着を思わせる衣装。
一応、最低限の王族としての飾りはあるがリーヴァ・ペンズライグが着るには地味過ぎる。
「王女殿下、勝負服とは勝負を挑む相手に合わせて用意する物であります」
「そう、そなたの話を信じましょう」
リーヴァは服一式に入っていた下着を見る。
こちらも白一色でレースの意匠の1つも無い地味な代物。
こんな物で殿方は欲情するのだろうか?とリーヴァには疑問だが老商人は自信あり気な表情を崩さない。
「それと、こちらがご注文の森妖精の魔法薬にございます」
リーヴァは、これ1本で大金貨が飛ぶほどの高価な魔法薬の入った薬瓶を受けとる。
「これが眠りの魔法薬なのね」
薬は無色透明で少量しかなく、見た目は高価な魔法薬には見えない。
普通ならば詐欺の可能性を考えるところだが、この老商人は単純に金を得る事ではなく、商売で儲ける事に喜びを感じる人物だとリーヴァは評していた。
「いいわ、代金は、そなたの言い値で払いましょう」
「ご贔屓下さり光栄にございます。
我が商会は、金額さえ折り合うなら、どんな品も仕入れてごらんにいれます」
「『金さえ払うなら、王女殿下の下着でも仕入れてくる』だったかしら?」
リーヴァは、辺境砦で酒保商人としても働く老商人を見た。
この老商人から買った竜騎士ジャスパー・ファーウッドに関する情報は正確だった。
だからこそ、あの晩餐会の場で碧竜伯ジャスパー・ファーウッドにリーヴァ・ペンズライグを選ばせる事が出来た。
あの場を整えジャスパーに自分へ婚姻を申し込むような言動をさせる陰謀を仕組んだのはリーヴァ・ペンズライグ。
酒保商人が退席した後。
リーヴァは机の上に飾っていた人物画を手にする。
それは白黒の線画で、少女のような少年が描かれていた。
「実物は絵より悪く無かったわね」
貴族の肖像画などは絵師が美化して描くため別人のように美形に描かれているなど珍しくない。
その点、この絵を売ってきた酒保商人は払った金額に応じた働きをした事になる。
リーヴァは酒保商人から買った地味としか思えない衣服を見て、それを着てジャスパー・ファーウッドの前に立つ自分を想像し呟いた。
「碧竜伯ジャスパー・ファーウッド。
このリーヴァ・ペンズライグを妻に出来るのよ。
それは貴方の全てを捧げるくらいの価値はあるでしょう?」




