第31話…銀色の髪の侍女
王宮の控え室には何枚もの絵画が飾られていた。
王宮に飾られる絵画は、きっと有名な画家が描いた良い絵なのだろう。
「『白竜公』の絵だな。
ズライグ王国を救った英雄『白の竜騎士』」
黒い長髪に立派な長い髭の偉丈夫の絵。
それを見上げる碧色の幼竜と絵の解説をする若い騎士。
「800年前の人物だし、当たり前だけど写真とか残ってるわけでもないしな。
この絵も後世の人が描いた想像の産物でしかないわけだよ」
ズライグ王国で公式に認められている二人目の真の竜騎士、碧竜伯ジャスパー・ファーウッドは、伝説の人物に想いを馳せる。
「後世に色々な英雄譚と混じりあったり、吟遊詩人や劇作家が創作したエピソードが本当の事のように信じられたりしている。
本当の白竜公が、どんな人物だったかなんて誰にもわからない。
ズライグ王国の貴族じゃ珍しい黒髪だから外国人だったとか平民出身だったとか、亜人だったんじゃないかなんて説すらある」
このうち亜人説を唱えた学者は、当時の国王の怒りを買い国外追放されたと聞く。
亜人の侵攻を受け、亜人に対して偏見と差別が横行するズライグ王国で救国の英雄が亜人だったなんて説を唱えれば、処刑されなかっただけ運が良かっただろう。
「800年前の伝説の真実なんて誰にもわからないって話。
この国の王家の姓は赤き竜の長なわけだが、それを理由に白竜公と共に戦った当時の王も赤き真竜に乗って戦った真の竜騎士だったなんて伝説もある。
でも、この話は後世の創作だって確定してる」
「…」
「その赤き竜の子孫が王国の騎士団が乗る翼竜たちだからさ。
真竜の子孫が翼竜なわけないって事」
これはペンズライグ王家が認めている事。
赤の竜騎士の伝説は、当時の王か王族の一員が翼竜に乗り戦った逸話から創作された物なのだろう。
「なあ兄貴…」
絵画を見上げる碧色の幼竜が口を開く。
その眼が見つめるのは絵画の偉丈夫ではなく背景に描かれた白い竜。
「コイツは何処に行ったんだ?」
「白の竜か?」
「そうだ、私の仲間は何処に居るんだ?」
ジャスパーは白の竜の伝説を思い出そうとする。
白竜公スィーラスーズの伝説の最後は…
「白竜公の伝説は、王国を救った白竜公が白の竜に乗って空に飛び立って終わる」
「死んだって事か?」
英雄が空に飛び立って終わる英雄譚。
空に飛び立つのが死の隠語である可能性はある。
「白の竜がどうなったのかは、わからない。
何しろ800年前の話だ。
そしてハルが人前に姿を表すまで真竜は確認されていない」
「私の仲間の生息地とか無いのか?」
「真竜は伝説の存在で、実在すら疑われているくらいなんだ。
少なくともズライグ王国では真竜はハルの他には居ないよ」
「そうか…」
真竜ハル。
卵より産まれた時に、親である竜の姿は無かった。
自分の仲間、他の真竜が何処にいるのかはハルも知らない事だった。
「碧竜伯、晩餐会の用意が整いました」
金色の髪の侍女と銀色の髪の侍女。
王宮の侍女らしく気品溢れる美少女2人が国王主宰の晩餐会の用意が出来たと告げに来た。
「ハル、行くぞ」
「ウヒヒヒ…飯だ!飯!」
ジャスパーとハルは2人の美少女に連れられ晩餐会の会場に向かった。
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長いテーブルの上には様々な料理が並んでいた。
ズライグ王国で、ご馳走と言えば真っ先に上げられる肉料理だけでも十数種類はあるだろう。
生産コストが高く、労働力や牛乳生産にも使われるため上級貴族くらいしか口に出来ない牛肉料理。
空に近い生き物として一部貴族から人気がある鶏肉。
定番の豚肉や羊肉の料理に、狩猟で獲られた鴨や鹿の肉料理もある。
他にも様々な魚や貝、珍しいところではウニなんて物も並んでいた。
ズライグ王国では保存が難しい生野菜のサラダなんて物や果物類も様々な物がある。
「旨そう…」
ハルが涎を垂らさんばかりに呟くが、さすがのハルも主宰者である国王や他の客が姿を表す前に料理に手を伸ばさない分別はある。
ジャスパーは案内された席に座り、周りを見渡す。
国王主宰の晩餐会である以上は他の上級貴族たちも出席するはずだろうが姿を見せない。
巨大なテーブルに座るのはジャスパーとハルのみ。
体長1メートルしかなく手足が短いハルのために用意された椅子は特注品だろうか?
ハルの体格にあった大きさだ。
もっともハルの短い腕ではテーブル上の料理に届かないわけだが。
給仕のために並んでいる侍女たちは、王宮で働くだけあって動きに気品と優雅さがある。
おそらくは身分が高い貴族家の令嬢ばかりなのだろう。
(王宮の侍女だし見た目も選考基準なのかな?)
ジャスパーは侍女たちを横目に見ながら、そんな事を考える。
侍女たちには美形と呼べる容姿の者が多い。
特に控え室にジャスパーを呼び来た2人は特筆に値する美しさだろう。
そんな事を考えていると大扉が開き主宰者が姿を表した。
簡易的な物とはいえ王冠を被り、ズライグ王国の成人男性らしく生やした髭を短く整えている国王メドラウド・ペンズライグ。
その登場にジャスパーは慌てて立ち上がり頭を垂れて敬意を示す。
ハルは短い脚で椅子から降りるのが面倒だったらしく、椅子の上に立って尻尾を振る。
霧宮流での挨拶術とかハルは主張するが、絶対に嘘だとジャスパーは思っていた。
「今宵は、余と碧竜伯だけの宴だ。
畏まる必要は無いぞ」
「うぇひ?」
ジャスパーは驚き、癖で変な声が出た事を反省する。
晩餐会というから多数の貴族が参加するかと思っていたらメドラウド王と自分だけとは…
ああ、もう1人…いや1匹、邪悪な魔獣が参加しているわけだが…
「まずは乾杯といこうか」
メドラウド王が合図をすると金色の髪の侍女がジャスパーの杯に酒を注ぐ。
酒はズライグ王国の貴族たちから愛される葡萄酒。
杯から漂う香りの芳醇さだけで、ジャスパーが普段水代わりに飲むような安物とは違う高級品だと分かる。
メドラウド王も自分の杯に酒を注がせ、杯を掲げた。
「800年の時を経て再び表れた真なる竜騎士に」
「か…乾杯…」
ジャスパーは自分の杯を一気に飲み干すが、正直なところ葡萄酒は好きではない。
高い酒なのは分かるが、田舎の領主騎士の三男に高級な葡萄酒の味を判断出来る舌などあるはずもなかった。
「碧竜伯は、どのような酒が好みかな?」
「はっ?えっ?あ…」
メドラウド王の質問にジャスパーは右往左往するばかりでマトモに答える事は出来なかった。
相手は国で一番偉い人間で、比喩でなく機嫌を損ねればジャスパーどころか一族郎党皆殺しにされかねない。
そんな相手と2人で食事などジャスパーには荷が重すぎた。
眼を白黒させるジャスパーにメドラウド王は自分の杯に口をつけて見せる。
そして杯より口を離したメドラウド王の口髭には白い泡がついていた。
「うぇひ?」
葡萄酒では白い泡はつかない。
つまりメドラウド王の杯の中身は麦酒。
上級貴族からは平民の飲み物とされる麦酒。
わざと泡をつけて見せたメドラウド王は笑顔を向けた。
「余は葡萄酒よりも麦酒が好みでな。
しかし、貴族たちには麦酒は好まれん。
貴族たちとの酒宴では気取って葡萄酒を飲んでみせるわけだが、王とてままならぬ事はあるという事であるな」
酒の好みがままならないのか?
貴族たち相手の酒宴で好きな酒を飲めない事か?
どちらにせよ、王侯貴族に好まれない麦酒を好むという、ちょっとした秘密を明かす事でジャスパーの緊張を柔らげようとしたメドラウド王の配慮なのだろう。
「碧竜伯様、こちらのお酒はいかがでしょうか?」
銀色の髪の侍女がジャスパーの杯に酒を注ぐ。
無意識に杯に口をつけたジャスパーの思わず感嘆の声を上げた。
「これは美味しい」
注がれた酒は、甘めの林檎酒。
ジャスパーが唯一旨いと思う酒種であり、国王主宰の晩餐会に出されるだけに今まで飲んだ林檎酒より旨い酒だった。
「碧竜伯の好みの酒が見つかったようだな」
「はい…」
メドラウド王が笑い、ジャスパーは林檎酒を注いだ侍女を見た。
控え室にジャスパーを迎えに来た2人の内の1人、魅力的に微笑む銀髪の美少女。
「碧竜伯は料理は、どのような物が好みかな?
今宵は様々な物を用意させた存分に味わうといい」
メドラウド王が次の質問をしてくる。
その後もメドラウド王は様々なジャスパーの好みを聞いてきた。
芸術、音楽、洋服、武具…
多少は緊張が和らぎ、最低限の受け答えが出来るようになったジャスパーは、メドラウド王の質問の意味を考える。
家臣に褒美の品を下賜する際のために、相手の好みを知っておく必要があるのだろうか?と…
武術一辺倒の武人肌の貴族に絵画や彫刻を贈るより、武具や軍馬を贈る方が喜ばれるとか、そういう事なのだろう。
ハルは腹を空かせながら目の前のテーブルを見てみていた。
ハルの短い腕ではテーブル上の料理には届かない。
兄は国王相手に受け答えするので精一杯でハルの様子に気付いていない。
ハルにも分別はある。
国王という国で一番偉い人間と兄の話しに割って入り、料理を取ってくれなど言えるはずもない。
そんなハルに銀髪の侍女が近づき、ハルを抱き上げるとテーブルの上に乗せた。
ジャスパーは、ここで始めてハルの様子に気付き、テーブルに乗ったハルを見た。
さすがに国王の前で竜の幼体をテーブルに乗せ、好き勝手に料理を貪らせるわけにはいかない。
そのはずだが、メドラウド王は哄笑した。
「その腕では皿に手が届かなかったか。
良い、余が許す。
好きなだけ食すがいい」
ハルはジャスパーの顔を伺い、ジャスパーは好きに食べろと頷く。
許しを得たハルは、さっそく一番大きな皿の牛肉料理に飛び付き、その大きな口いっぱいに頬張った。
「ありがとうございます」
「いいえ、私は何もしておりません」
ジャスパーは銀色の髪の侍女に礼を言うが、銀髪の侍女は何でもない事として微笑みだけ返した。
その後も宴は続いた。
ハルはテーブル上を縦横無尽に駆け回り次々に皿を空にしていく。
皿が空になると侍女たちが皿を下げ、新しい料理を運んでくる。
その度にハルは歓声を上げて料理に飛び付いた。
ジャスパーの杯が空になると銀髪の侍女が気をつかい酒を注いでくれる。
林檎酒にも幾つか種類があるらしく、その味の違いはジャスパーを飽きさせなかった。
さらにメドラウド王との会話に忙しく料理になかなか手を伸ばせないジャスパーに銀髪の侍女はサンドイッチの乗った皿を運んできた。
貴族の宴には相応しくないサンドイッチ。
会話の合間に片手間で食べられるように用意した物だろうか?
ジャスパーが口に運ぶとズライグ王国では信じられないほどに柔らかいパンに高級な牛肉を使ったローストビーフが挟まっていた。
運んできた銀髪の侍女にジャスパーが会釈すると銀髪の侍女は微笑む。
そうして宴は進み、ジャスパーが何杯もの林檎酒を飲み、ハルがテーブル上の料理を食いつくしかけた頃。
幾つもの質問をジャスパーに投げ掛けていたメドラウド王は、その問いを放った。
「碧竜伯は、妻とするならどのような女性が好みかな?」
そう言ったメドラウド王は侍女たちを一列に並ばせる。
「例えば、この中で選ぶならば、どの娘が好みかな?」
何杯もの林檎酒を飲み干し酔いが回った頭でジャスパーは考える。
前世で日本の高校生だった頃にも友人たちと似たような話しで盛り上がった。
アイドルグループの中で誰が一番好みか?とか、クラスの女子で誰が一番可愛いか?とか。
クラスの女子の人気投票をやっていた友人は、女子たちに人気投票の件がバレて総スカンを喰らっていた。
そんな思い出を酩酊した頭に浮かべながらジャスパーは侍女たちを見る。
王宮で働く侍女たちは身元がしっかりした貴族家の令嬢ばかりだろう。
そして、年齢からして既に婚約者がいるに違いない。
これはメドラウド王の戯れ言、酒の席のちょっとした会話だ。
そう思ったジャスパーは深く考えずに侍女たちを1人1人見た。
最初に控え室にジャスパーを迎えに来た金色の髪と銀色の髪の2人が容姿では、ずば抜けている。
もちろん他にも美形と呼ぶ女性はいるのだが、この2人はレベルが違った。
その2人を見比べる。
容姿に差はないだろう。
でも…
ジャスパーは銀髪の侍女を見た。
ジャスパーに林檎酒を注ぎ、ハルが食事出来るように取り計らい、サンドイッチを持ってきた銀髪の侍女。
「どうかな、碧竜伯?」
「酒の席の余興としてお答えするなら、あの銀色の髪の御令嬢でしょうか」
その瞬間、メドラウド王の視線が鋭くなり、銀色の髪の侍女の口元が僅かに歪んだ。
しかし、この時、照れて杯を口をつけたジャスパーが、自分の致命的失言に気付く事はなかった。
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「もう食べられない…」
そう呟きながら半ば居眠り状態のハルを背負いジャスパーは王宮を出た。
もう食べられないとか言いながらハルは土産に持たされた菓子の入った袋を手放そうとはしない。
その様を微笑ましく見ながらジャスパーは帰りの馬車に乗り込んだ。
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宴は終わり、巨大なテーブルから残った料理や皿が片付けられた。
テーブル上に残ったのは蝋燭を灯す燭台だけ。
その燃える火を見ながらメドラウド・ペンズライグ王は、侍女の姿に扮している姪に話しかけた。
「リーヴァ、碧竜伯はお前を選ぶ形となった」
「はい、伯父様」
「本当に良いのだな?」
その問いにリーヴァ・ペンズライグ王女は優雅に一礼し答えた。
「私、リーヴァ・ペンズライグは、碧竜伯ジャスパー・ファーウッドに請われ降嫁する事といたします」
その夜の内に、王都のあらゆる場所に、その御触れが貼り出された。
すなわち…
ジャスパー・ファーウッド碧竜伯が、メドラウド・ペンズライグ王に、国王の姪にして養女であるリーヴァ・ペンズライグ王女との婚姻を申し込み。
メドラウド王が碧竜伯の武勲に免じてリーヴァ王女の降嫁を許し。
ジャスパー・ファーウッド碧竜伯とリーヴァ・ペンズライグ王女の婚姻が決定した。
そう布告された。




