第30話…碧竜伯
「兄貴!凄いの見つけたぞ!」
王都のウォードエンド辺境伯爵家の屋敷。
客人を持て成すための別館に真竜の幼体が駆け込んできた。
王都に到着し辺境伯爵家の客人として滞在しているジャスパー・ファーウッド一行。
ハルは毎日通訳の狐嬢と護衛の女騎士を従えて王都の市場を回り美味しい物を探してくる。
「お帰りハル」
覇気なく答えたジャスパーは長椅子の上でだらしなく横になり、老いて現役を退いた狩猟犬の腹に顔を埋めていた。
辺境伯爵屋敷では、辺境伯爵家第5子ユーリアの婚約者であるジャスパーを他家の貴族たちに紹介するための宴席が毎日設けられ、田舎の領主騎士家三男に過ぎないジャスパーからすれば侯爵だの伯爵だの身分が上の貴族たちと一緒に食事するだけで気苦労が絶えなかった。
「兄貴、お疲れだな」
「毎日、身分違いの貴族様相手に愛想笑いしてたら疲れもするさ…」
ハルは机の上に用意されてるサンドイッチを見る。
貴族家の宴席は、家の力を示すために料理も酒も高級な物が用意されているはず。
そんな宴席はジャスパーの腹を満たすよりも心労で食事を喉に通さない場なのだろう。
だから何時でもジャスパーが食べれるようにとアンリエットが作り置きしているサンドイッチ。
「兄貴って、ものぐさって言うかさ。
おにぎりとかサンドイッチとか片手間で食べれる物が好きだよな」
前世から兄を知るハルは、そう言いつつ買ってきた物が入っている壺を開ける。
「この匂いって?」
「凄いの見つけたって言ったろ」
壺からは何処か懐かしさを感じさせる匂い。
何かと思いジャスパーが壺を覗くと…
「ウナギの蒲焼きだぞ!」
ハルは串に刺さった蒲焼きをジャスパーに差し出す。
タレの匂いは日本の蒲焼きとは少し違う。
タレのベースが醤油ではなく魚醤だからだろう。
それでも、前世ぶりのウナギの蒲焼き。
「ほれ!兄貴も食べろ!食べろ!」
ジャスパーが受けとるとハルは自分も蒲焼きを食べ出す。
市場で食べ歩きしてきた後だろうに、その食欲は止まることを知らないらしい。
ジャスパーが長椅子から身を起こしウナギの蒲焼きを口にすると日本の物とは違いはするが懐かしさを感じさせる味が口内に広がった。
「白米が欲しくなるな」
「それな!次は米と醤油、あと味噌を探すんだ!」
ズライグ王国の首都だけあって王都には遠い国から運ばれてきた珍しい食材も集まってくる。
日本の醤油や味噌と全く同じ物は無くても穀醤は地球でも世界各地に存在していた。
ズライグ王国にも魚を発酵させた魚醤は存在するわけだし穀醤文化がある国はアニュラス界の何処かにあるだろう。
狐嬢が小さな植木鉢を持っている。
白い可憐な花が咲いている植木鉢。
ハルは『花より団子』を地で行く生き物。
花に興味があると思えない、狐嬢の趣味だろうか?
「綺麗な花ですね。
狐嬢さんは花が好きなんですか?」
「私ではなくハルさんが欲しいとおっしゃったので」
「ハルが?」
ハルの意外な好みにジャスパーは驚く。
ハルが花が好きなど知らなかった、それなら近い将来、自分の屋敷を手に入れたなら庭に花壇を作り綺麗な花で庭を埋め尽くそうかと思う。
「お前が花が好きなんて知らなかったよ」
「何を言ってるんだ、兄貴?」
だが、邪悪な魔獣に花を愛でる趣味など無かった。
「この植木鉢の花はジャガイモだぞ!
市場で見つけたんだ!」
「ジャガイモ?」
ズライグ王国には芋類は自生していないため芋を食べる文化は無い。
このジャガイモの花は、外国から輸入された物を食べるためではなく観賞用として栽培し売られていたものだそうだ。
「これを大々的に栽培すればジャガイモ料理食べ放題だぞ!」
「それは…いいかもな…」
ジャスパーの脳内には広大なジャガイモ畑で芋掘りする幼竜の姿が浮かぶ。
将来のジャスパーの屋敷の庭は花壇ではなくジャガイモ畑で埋め尽くされるようだった。
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辺境伯爵家で狩猟のために飼われ、今では老いて屋敷で余生をのんびり過ごす老犬。
ユーリアがジャスパーの癒しになればと別館に連れてきた老犬を狐嬢が威嚇している。
賢い老犬は短い期間で学習したようで6本の尻尾を放射状に広げて威嚇する狐獣人に長椅子を譲ると欠伸しながら部屋の隅で丸くなった、客人を癒す仕事を終えて昼寝するようだ。
「ジャスパーさん」
長椅子に座った狐獣が自分の太ももをポンポン叩き、ジャスパーは狐嬢に膝枕される形で横になる。
ジャスパーが狐嬢のフサフサの尻尾をモフモフしていると本館の方に行っていたユーリアとアンリエットが戻ってきた。
「ジャスパー卿、陛下に謁見する日取りが決まったぞ」
ユーリアは婚約者がいよいよ国王陛下に謁見し爵位と領地を与えられる事になると喜色満面の表情で報告する。
「ああ、決まりましたか…」
この謁見は、辺境砦防衛の論功行賞を含めた幾つかの式典の一部。
さらに800年ぶりに現れた真竜の竜騎士ジャスパー・ファーウッドを貴族たちに紹介する場でもある。
メドラウド王や各貴族の日程調整などがあって、今日まで日取りが決まっていなかった。
「噂ではジャスパー卿の爵位は伯爵。
領地はクルル、クーベル、フレミー辺りが噂になっているようだぞ」
「伯爵ですか…」
ジャスパーの脳内では何故か黒いシルクハットとマントを着けたハルがトマトジュースを啜る姿が浮かぶ。
ジャスパーの中では伯爵=吸血鬼らしい。
ジャスパーはユーリアが持ってきた羊皮紙を見る。
予定される日程は…
「謁見に晩餐会か…」
国王陛下に上級貴族たちとの会食など考えただけで胃が痛くなる。
「頑張れ兄貴~」
完全に他人事なハルは笑っているが…
「晩餐会には、お前も呼ばれているぞ」
「何だと?」
謁見式典にはハルは出席出来ないが、何故か晩餐会にはハルを伴って来るように指示されている。
「真竜を御披露目したいのかな?」
「何で私が行かなきゃならないんだ?面倒くさい…」
羊皮紙を読みながらブツブツ文句を言うハル。
「国王陛下主宰の晩餐会なら豪華な料理が出るぞ」
「ほほう?
まあ、この最強無敵の真竜悠を接待したいというなら応じるのはやぶさかではないな」
完全に飯の事しか考えてない邪悪な魔獣が偉そうに腕を組みウンウンと頷く。
「謁見式典には私も参加する。
ジャスパー卿の晴れ姿を見させてもらう」
有力貴族ウォードエンド辺境伯爵家の人間であり騎士爵を持つユーリアにも列席する資格がある。
ジャスパーは獣人で元娼婦の狐嬢を見る。
亜人であり身分が低い狐嬢は王宮に出入りする事すら出来ない。
「私は留守番してますから、土産話を楽しみにしていますね」
ジャスパーは手を伸ばして狐嬢の狐耳の生えた頭を撫でた。
気持ちよさそうに目を細める狐嬢。
ジャスパーが爵位を得て狐嬢が公式愛妾になれば、狐嬢の立場も少しは改善されるだろう。
「アンリエットは?」
アンリエットは出席するのかをジャスパーは問う。
アンリエットの身分としては出席出来るか微妙なところだろう。
領主騎士家の娘ではあるがアンリエット自身は無位無冠。
ジャスパーの公式な婚約者という立場で末席には列席できるだろうか?
「私は…その…王宮に上がれるようなドレスがないですから…」
アンリエットは恥じ入るような小さな声で答える。
田舎の領主騎士家の娘であるアンリエットは騎士家の集まりで恥をかかない最低限のドレスは持っているが、元々質素倹約を好む性格もあり王宮の式典に着ていけるようなドレスはなかった。
「今から作るとなると…間に合わないか…」
ジャスパーは呟く。
貴族令嬢のドレスは基本的にオーダーメイド。
金を積めば即日用意出来るわけではない。
ジャスパーはアンリエットの顔を見る。
顔に出さないように努力しているが幼なじみであるジャスパーには解る。
アンリエットが式典に出られない事を本当に残念がっていると。
もしもアンリエットが出席出来ずユーリアのみが出席すれば、諸侯はユーリアがジャスパーの婚約者、つまりは正妻になると認識するだろう。
そして、それは既成事実化しユーリアが本妻となりかねない。
ジャスパーの晴れ姿を見られないという事と本妻争いでの後退。
アンリエットが残念がるのも仕方ない。
ジャスパーはアンリエットの体格を見る。
借りるにせよ状態が良い古着の物を探すにせよ、小柄すぎるアンリエットの体型にあうドレスは簡単には手に入らない。
ジャスパーは憎からず思う幼なじみの気持ちを想ってタメ息をつく。
「アンリエットの体格にあうドレスがあれば…」
「もちろんあるよ」
「うぇひっ?!!」
ジャスパーは長椅子から飛び上がり、いつの間にか部屋の入り口に立っていた酒保商人の老人を見た。
「爺さん!何故いる?!」
「王都で商品の買い付けと顧客への挨拶回りのためだよ」
辺境伯爵家の御用商人といった立場でもある酒保商人が辺境伯爵の屋敷に出入りしているのは不思議ない…
「いや不思議だろ!おかしいだろ!」
「竜騎士の兄ちゃんよ。
馬車より速く王都に来る方法なんて幾らでもあるだろ?
金さえ払えば買える物は多いんだぜ」
「ほう、これは洋辛子か?
酢もあるな」
ジャスパー含めた、ほぼ全員が酒保商人の登場に驚く中、ハルは酒保商人が荷物運びに連れてきた大男の持ってきた商品を物色している。
「ん?
爺さん、アンリエットのドレスがあるって?」
「金さえ払えば王女殿下の下着でも仕入れてくるよ」
それは無理だろうと思いながらも、目の前の妖怪みたいな爺なら本当に仕入れてきそうで怖い。
酒保商人は、上客である真竜に王都で仕入れた様々な調味料を見せている大男にドレスを出すように指示する。
出てきたのは青と緑の中間、碧色を基調としたドレス。
それは竜騎士ジャスパー・ファーウッドを表す事になるだろう色。
それが2着。
ユーリアとアンリエットの体型に合わせたドレス。
「爺さん…用意良すぎだろ」
「客が何を求めてるのかを考えて商品を仕入れるのが良い商人ってもんさ」
「何にせよ助かるよ爺さん」
「兄ちゃんは金払いがいいからね。
ワシは金払いがいい客の味方さ」
ジャスパーは苦笑しつつ酒保商人の言い値を払う。
これでドレスの問題は解決した。
「兄ちゃんの礼服はあるのかい?」
「前に爺さんから買ったのがあるからね。
田舎の領主騎士の三男坊の服装なんて誰も気にしないさ」
「そうかい」
酒保商人の老人はジャスパーに無理矢理礼服を売り付ける気は無いらしく引き下がる。
「兄貴!コレとコレとコレを買いたい!」
様々な調味料が入った壺を抱えるハル。
ドレスの話をしている間にハルの物色も終わったようだった。
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「騎士爵ジャスパー・ファーウッド卿の功績を讃え、新たに宮中伯爵の爵位を与える」
謁見の間に文官が響くと列席した諸侯のどよめいた。
「謹んでお受けいたします」
玉座に座るメドラウド王の顔を見る事も出来ず顔を伏せたままジャスパーは応える。
もっとも緊張の極致にあるジャスパーが顔を上げても周りを認識する事すら出来なかっただろう。
道を示す絨毯の上を歩き、膝をつき頭を垂れる。
そんな簡単な事すら今のジャスパーには出来た事が不思議なくらい。
まだ文官が何やら言っている。
報償金やら下賜される宝物の話だろうか?
メドラウド王が口を開く。
「貴公に与えられる爵位は宮中伯であるが、真なる竜騎士である貴公には相応しい呼び名を与えねばなるまい。
かつて我が国を救った白の竜騎士スィーラスーズ公爵の二つ名『白竜公』
ならばジャスパー・ファーウッド宮中伯は『碧竜伯』と呼ばれるべきであろう」
「碧竜伯…?」
「そうである、貴公のみが名乗る事が出来る名だ」
列席した諸侯より歓声と拍手が上がった。
辺境伯爵家の一員として列席したユーリアも歓声を上げ。
末席で遠くに見える幼なじみを見守るアンリエットは感極まって泣いていた。
これよりジャスパー・ファーウッドは『碧竜伯』の名で呼ばれる事になる。




