第29話…恐怖『竜鍋』
ズライグ王国西部の辺境伯爵領から中央部の王都までの街道は存在する。
もちろん日本の舗装された道路などと比較にもならない荒れた道であり、馬車がなんとか通れるという程度の道でしかない。
そもそもズライグ王国に旅を楽しむなんて概念自体が存在しない。
人の住む街や村から一歩外に出たならば、そこは盗賊や野獣が徘徊する危険地帯。
ズライグ王国での旅とは、命懸けの冒険と同義と言っていいのだから。
「危険といっても、武装した騎士が護衛する馬車を狙う盗賊なんていないよな」
まして八脚馬2頭が牽く大型馬車を使える人間は大貴族か大商人。
そんな人間の護衛は凄腕の者が集められているだろうし、仮に襲って皆殺しにして金品を奪えたとして、その後には過激な報復が待っているだろう。
そこまでのリスクを犯す間抜けは普通いない。
野獣の類いは人数が多い集団を襲わない。
「まあ仮に襲われてもハルがいれば瞬殺なわけだし…」
竜騎士ジャスパー・ファーウッドは現実逃避するために、そんな事を考えていた。
「きゃっ!」
少しだけ馬車が揺れると左からわざとらしい悲鳴がしてアンリエットが抱きついてくる。
胸と腰の括れが全く無い完全寸胴ボディとはいえ、幼なじみで子供の頃から憎からず思っている美少女に抱きつかれるのは十代の少年には色々と辛い。
しかし、アンリエットから離れようと右に寄れば、普段の騎士服から胸元が広く開いた貴族の令嬢の装いに着替えたユーリアの豊かな胸の谷間が視界に入ってしまう。
「どうしたジャスパー卿?」
ユーリアも自分の豊かな胸がジャスパーの視線を集めると分かっていて、わざと胸元を強調する服装をしているのだろう。
その証拠にユーリアは自分の腕を豊かな胸の下で組み、持ち上げるようにして見せてくる。
その圧倒的質量は大半の男が好ましく思うものだろう。
ギギギギ…とロボットのような動きで視線を反らし正面を向くと狐嬢がミニスカ女給服で座っていて、ジャスパーが正面を見た瞬間に脚を組み換えスカートの中を見せてくる。
目の前の少年の好みを考えた清楚な白い下着。
左右をアンリエットとユーリアに固められ、正面を狐嬢に占領され、王都までの初めての道行きでありながら外の景色を見る事すら出来ない。
「このまま順調に進めば、今夜は旧都に泊まる事になりそうだな」
王都まで行った事があるユーリアが湖が窓の外に見えてきた事から、そう判断する。
「旧都って、昔は王都だったって街ですよね」
ジャスパーは、3人の美少女の身体から気を反らすためにユーリアの独り言に反応する。
「800年前の門からの大侵攻で被害が出て、遷都する事になったという話だが…
実際には、もっと後の時代に遷都されたらしい」
「でも、元々王都だったなら、かなりの大都市ですよね」
ジャスパーが想像したのは日本の京都や大阪。
伝統の都やズライグ王国第二の都市といった感じの大都市。
そんな想像をするジャスパーにユーリアは少し悲しそうな顔を見せた。
「昔は栄えていたらしいんだが…
たった10年で酷く寂れたと聞いている」
「うぇひ?10年前に何か?」
ユーリアは窓から見える湖を指差す。
「10年前に酷い水害があって旧都と周辺に大きな被害が出たんだ。
そして…」
ユーリアは言いよどむ。
それはユーリアのウォードエンド辺境伯爵家も関わる事であったから。
「水害が原因の事故で、当時の旧都周辺の領主グズルーン公爵と奥方は亡くなっている。
その時期は門からの侵攻があった時だった。
グズルーン公爵は、我が辺境伯領に多くの兵と人足を派遣してくれていたんだ。
そのため公爵領での水害に対処するための男手が圧倒的に足りなかった」
門からの侵攻でズライグ王国西部に被害が出る事は珍しくなかった。
そのため門からの侵攻に備えるウォードエンド辺境伯爵家に兵を貸したグズルーン公爵の判断が間違っていたとは言えない。
辺境伯軍が敗れる事になれば亜人の軍勢がグズルーン公爵領も蹂躙するのだから…
「結局、どれほど優れた為政者が、頭を悩ませ判断をしても正解など無いという事さ」
メドラウド王の弟であり、門という問題を抱える王国西部全体の安定を願ったグズルーン公爵。
その結果が公爵領の壊滅的被害と公爵と公爵婦人の落命。
たまたま王都に滞在していて難を逃れた一人娘の公爵令嬢は、成人した今も公爵位と公爵領の相続すら許されずにいる。
メドラウド王の心情はわからない。
公爵領を王家直轄地にする事で王家の財力を強化しようとしているのか?
姪が女公爵となるより、良縁を得て嫁ぐ方が幸せになれると考えているのか?
「あのスィマスィロ湖も水害を起こす側面と様々な恵みを人々に与える側面がある」
「しましろ湖?」
何となく日本語ぽく発音しながらジャスパーは窓から湖を見ようとユーリアを押すような体勢になる。
ジャスパーの眼に大きな清んだ湖と旧都の防壁、そして湖に浮かぶ白い岩で出来たような島が見えた。
「島白って…まさかね」
あの白い島を見た日本人が名付けたわけでもあるまい。
「それにしても、あの島の形って…」
「昼寝してるハルさんみたいな形ですね」
狐嬢が島の形を見ながら、馬車内の空気に耐えられず屋根の上に逃げ出したハルの昼寝姿に似ていると言う。
「呼んだか?」
その狐嬢の言葉に応えてハルが屋根の上から窓を覗いてくる。
真竜のハルには直射日光が当たり気温が上がる屋根の上も快適である。
屋根の上で旅の景色を楽しみながら持ってきた保存食を摘み食いし続けていたようだ。
「ほら、あの島ですが形がハルさんの姿に似てませんか?」
「ふむ…」
ハルは、しばらく遠くに見える島を眺め言った。
「私は、あんなに太っていない!!」
そんな妹にジャスパーは『いや自分がワガママボディとか思ってるのはお前だけだからな』と内心突っ込むが口には出さなかった。
「そのだな…ジャスパー卿…」
「ユーリア卿?」
窓から外を見るためにユーリアの身体を押し潰す形になり苦しかったのか、とジャスパーはユーリアから身体を離そうとするが…
「そういう事はベッドで2人きりの時にだな…」
「うぇひ?」
そこでジャスパーは自分の手が何か柔らかいモノを掴んでいる事に気づく。
それはユーリアの柔らかい胸だった。
「ジャスパー卿、今夜は私と一緒に過ごしてくれるんだな」
顔を赤らめたユーリアにしなだれかかられたジャスパーに2人の美少女の舌打ちが聞こえたのだった。
=============
「期待外れだったな」
質の悪い小麦粉と塩で作った酷く塩っぱいお菓子が大量に入った袋を抱えハルは言った。
旧都に到着した一行は街を回ってみたが、街は10年前の水害の被害跡が生々しく残り、かつての賑わいなど全く感じさせない寂れた街になっていた。
塩味のお菓子はハルが狐嬢を連れてアチコチ回り、やっと見つけてきた物。
砂糖や蜂蜜を使ったお菓子は街の何処にも売っていなかったらしい。
「昔の王城っていうのか?
城の跡も半分崩れてたな」
水害による物か?
それとも単純な経年劣化を修復する人間がいないためか?
歴史がありそうな古い建物が幾つも崩壊しているのを目にした。
「私が前に通った時より酷くなっているな」
「国王陛下は旧都を再建するよりも旧都から他の都市への移住を進めてるとも聞きおよびまする」
王都への通り道として何度も旧都に立ちよった事があるユーリアとロロフ卿の会話。
「ロロフ卿、やはり街中に宿をとるより湖畔の適当な場所で夜営をしましょう」
ジャスパーは一行の護衛の指揮官を勤めるロロフ卿に提案する。
街中の治安には不安が残る。
馬車を預けて宿に泊まったら、馬車ごと全て盗まれましたなんて状況は避けたい。
「確かに街の外で全員固まっている方が護衛は楽ではありまするが…」
ジャスパー…というより辺境伯令嬢のユーリアを宿屋のベッドでゆっくり休ませたいのだろうロロフ卿は少し悩む素振りを見せる。
その様子にユーリアは言った。
「ロロフ卿、私とて騎士として長期行軍や夜営の訓練は受けている。
アンリエット嬢と公式愛妾は馬車で眠らせるべきだろうが、私とジャスパー卿は野宿でも問題ない」
「ユーリアお嬢様が、そう言われるなら、私に否はありませぬ」
そうして一行は夜営に適した場所を探して湖畔に移動した。
=========
「日が陰ると一気に冷える気がするな」
「そうか?」
「ハルは寒さにも暑さにも強いから分からないか…」
「うむ、もう一泳ぎしてくるか!無敵の真竜に水の冷たさなど関係ないからな!」
「夕飯までには帰ってこいよ」
そう言って湖に飛び込むハルをジャスパーが見送っていると護衛の女騎士と旧都の市場に買い物に行っていたアンリエットが羊を牽きながら戻ってきた。
「ジャスパー様、色々良い食材が手に入りました」
アンリエットが見せてきたのは、ジャスパーやアンリエットの故郷の田舎でもお馴染みの野菜たち。
「湖の側だと真水が沢山あって便利ですよね」
羊を買ってきてどうするかなど言うまでもない。
「良い羊ですな」
「解体は我らで行いますのでお任せあれ」
そう言って羊を連れていく騎士たち。
ジャスパーと本妻候補、側室候補、公式愛妾。
護衛の騎士たちと馬車の御者といった従者たち。
そして腹を空かせた邪悪な魔獣。
羊1頭くらい1食で食べ尽くすだろう。
ここまでは普段の風景だった。
しかし、次のアンリエットの一言でジャスパーの顔が引きつった。
「今日は冷えますし、お鍋にしましょうか」
そして楽しそうに馬車から大鍋を持ってくるアンリエット。
アンリエット・シーパルニアの幼なじみであり、アンリエット・シーパルニアをよく知るジャスパー・ファーウッドの顔色は悪くなっていく。
アンリエットの料理が不味いわけではない。
むしろアンリエットの料理技術は高く、同じ地域出身であるジャスパーの慣れ親しんだ味付けという事もありアンリエットの手料理は好ましいのだが…
「アンリエット嬢、私も手伝おう」
「私も何か出来る事があれば」
家庭的な女の子をアピールするつもりは無いのだろうが、ユーリアと狐嬢がアンリエットに手伝いを申し出るのだが…
「何かおっしゃいました?」
鍋の具材を用意しているアンリエットの瞳からハイライトが消えていた。
「ユーリア卿、狐嬢さん、鍋を作っている時のアンリエット殿に近づいてはいけません!」
日本人だった前世の記憶を思い出すまで、アンリエットのような人種を何と呼ぶか解らなかった。
しかし、今のジャスパーには解る。
あの胸も腰の括れもない生き物は…
『鍋奉行』だと!!
アンリエットの産まれたアーミン地域に伝わる味付けにジャスパーの好みを考えた調整を加えたアンリエット独自の鍋。
瞳からハイライトが消えたアンリエットが食材の下準備を次々に終え大鍋に投入していく。
護衛の騎士たちは、その戦士としての危機察知能力でアンリエットの危険性を理解したのか解体した羊の肉の中で一番良い部分を渡しにきた後は、その場を離れて従者たちと別の料理を作っている。
「おっ?鍋か、いいな」
霧宮流水練とやらで尻尾を使って鰐のように泳いでいたハルが戻ってきて鍋の出来上がりを待つ面々に加わる。
もう『お前の師匠には尻尾が生えていたでいいよ』と思っているジャスパーはハルが尻尾を使う技術を霧宮流と主張する事に何も言わない。
「ハル、これから大事な事を言う」
「何だ兄貴あらたまって?」
「鍋をお代わりする時にはアンリエット殿に『お代わり』と言って皿を渡せ。
絶対に鍋に近づくなよ」
「何だそりゃ?」
「ユーリア卿と狐嬢さんも同様にお願いします」
「ジャスパー卿が、そう言うなら」
「そのようにします」
ここまでは良かったのだ。
多少の窮屈さはあってもアンリエットの美味しい鍋を皆で食べて終わるはずだったのだ。
しかし、異変が起きはじめた。
ジャスパーは自分の隣の魔獣が低く唸り始めた事に気づく。
まさか神鷲や大禿鷲といった竜種の敵が近づいているのかと一瞬警戒するが、隣の魔獣は鋭い歯が並んだ大きな口からダラダラとヨダレを滴しながら大鍋をジッと見ていた。
「なんだハル、そんなにお腹が空いてるのか?」
ハルは、そんな兄の軽口に応えない。
そしてアンリエットが出来上がった大鍋から中身を皿によそい一人一人に渡してきて、新たな異変が起きる。
ハルの手は、指が短く鋭い鉤爪があるため細かい動きを苦手とする。
それでも匙くらいは使えるし、今までハルはスープや粥を食べる時には匙を使っていた。
それが、皿を受け取ったハルは犬のように皿に口を突っ込み凄まじい速度で皿の中を空にしていく。
「おい!ハル、落ち着け!」
妹の奇妙な行動にジャスパーはハルを止めようと肩を掴もうとしたが…
「キエェェェェーッ!!」
ハルは人間とは思えない奇声を上げ、大きく開けた口から鋭い牙を剥き出しにしてジャスパーを威嚇する。
それは日本の女子高生ではなく野生の竜種としか思えない反応。
「ハル?!」
ジャスパーが怯んだ隙に自分の皿を完食したハルは皿を放り出し、まだまだ中身がたっぷり残っている大鍋へと跳ぶ。
「行儀の悪い子に、お鍋を囲む資格はありません!」
鍋奉行アンリエットが買って間もない鉄製の平鍋を振るい邪悪な魔獣から大鍋を死守しようとするが無駄だった。
「アンリエット危ないっ!!」
ジャスパーの警告は間に合わず、ハルはアンリエットの平鍋に噛みつき鉄製のそれを食いちぎった。
一瞬遅れてジャスパーはアンリエットを押し倒し、覆い被さりアンリエットを守る。
そしてハルは人間が触れれば火傷するだろう熱を持った大鍋を抱え、大鍋に顔を突っ込んで食べながら、もの凄いスピードで逃走していく。
「私の…私のお鍋が…」
「アンリエット!鍋なんかより自分を大切にして!」
「ジャスパー様…」
しっかりと抱きしめ自分を守る幼なじみの少年をアンリエットはきつく抱きしめ返した。
そして、しばらくそうしていて…
ジャスパーは自分の下から荒い息使いが聞こえている事に気づいた。
「あの…アンリエット殿?」
「アンリエット!」
「えっ?」
「アンリエットって呼んで下さいましたよね?昔みたいに…」
「えっ?あれ?そうでしたっけ?」
「これからは、またアンリエットって呼んで下さるんですよね?」
「アンリエット…殿…うぇひっ?!」
アンリエットの瞳からはハイライトは消えたままだった。
ジャスパーを抱きしめるアンリエットの爪はジャスパーの服すら貫いて背中の皮をえぐっていた。
「ジャスパー様…もう一度呼んで下さいますか?」
呼び方を間違ったなら、間違いなく背中の肉をえぐられる!!
本能的に、それを察したジャスパーは…
「アンリエット…」
「はい!貴方の伴侶アンリエットです!」
アンリエットは大鍋の事など忘れたかのようにジャスパーに情熱的な口づけをした。
============
「お前は白くて島のように大きいのですぅ!
だから、お前の名前は『島白』ですぅ!」
懐かしい夢。
もはや年老い、死を待つだけの身。
もう何十年も指先1つ動かす事すらなく眠り続けていた。
ほんの少しだけ浅くなった眠りの中で。
微睡みの中で、懐かしい気配がした。
もう何百年も前に失った仲間の気配。
「この卵が孵る事はない。
新たな子が産まれる事は決してないのだ」
青の竜と緑の竜が残した最後の卵。
決して孵化する事ない最後の子。
ああ、幸せな夢を見ている。
孵るはずがない卵が孵り、産まれるはずがない子が産まれた幸せな夢を…
青と緑の子が地を走り回る夢を見ている。
==========
「………………」
ハルは自分が空っぽの大鍋を舐めている事に気づいた。
アンリエットが鍋を作っていた事までは覚えている。
それから…
「はて?何があったんだ?」
ハルは腕を組んで思いだそうと努力し…3秒で止めて大鍋を抱えてノテノテ走りだした。
師匠は言っていた。
『考えて分からない事を考えるのは時間の無駄』だと。
「分からない事は兄貴に聞けばいいんだ」
そう考えてハルはノテノテ走った。
このアンリエットの作る鍋が『竜鍋』と呼ばれ、ハルたちの大好物と認識されるのは少し後の事である。




