第2話…人間らしい食事
ファーウッド領主騎士家が治める領地セイブルと隣接するアーミンの地の領主騎士シーパルニア家。
領地が接する領主は利害関係が発生し険悪になる事もあるが、ファーウッド家とシーパルニア家は良好な関係を構築していた。
「アンリエット、遊びに行くのではないのだよ」
「わかっています、お父様」
「本当に解っているのかい?」
小太りした温厚そうな顔の中年男性、騎士というよりも裕福な商人を想わせる外見の領主騎士ベルトラン・シーパルニア卿は、ピクニックにでも行くような洋装で馬車に乗り込んできた娘を注意する。
騎士家令嬢にしては短い栗色の髪に灰色の瞳をしたアンリエット・シーパルニアは今年で14歳。
女性的美しさと子供的愛らしさを比較するなら、まだまだ愛らしさが勝る小柄な少女アンリエット。
アンリエットは自分で作ったサンドイッチが入ったバスケットを抱え、セイブルに向かう父に付いて行く気満々。
梃子でも動きそうにない娘に、甘い父親のベルトラン卿は早々に娘の同行を許す。
「ワシはセイブルでラルド卿と大事な話がある、その邪魔をしないなら同行を許可するよ」
「はい、お父様」
娘の目的はファーウッド家の三男、辺境伯領の不穏な噂を聞いたベルトラン卿の目的はセイブルの領主代行ラルド卿との協議だ。
娘はファーウッド家の三男坊に預けて自分はファーウッド家の長兄、次兄と難しい話をすればいいだろう。
そう考え、ベルトラン・シーパルニア卿は御者に馬車を発車させた。
===========
早朝、硬い床に敷かれた古びた毛布から起きたジャスパーは固まった筋肉をほぐしつつ、自分のベッドを占領する生き物を恨めしげに見た。
体長1メートル、尻尾を含めた全長なら145cmの青と緑の中間の碧色の生き物は、ベッドに寝転びながらジャスパーの部屋にあった騎士物語の本を読んでいる。
この最強の魔獣たる真竜の幼体には色々奇妙な能力があるようで、習ってもいないズライグ王国の文字が読めるのも、その1つ。
印刷技術など無いズライグ王国では、手で書き写すしかない本は総じて高価で、ジャスパーの部屋にあった本は個人で所有している物ではなくファーウッド家の資産。
「それ、面白いか?」
ジャスパーは、見た目は竜でも中身は女子高生の妹に、男性向けの騎士物語の本が面白いのかと訪ねてみた。
単純に竜として卵から産まれ、山野を駆け回る生活をしていたため活字に餓えていたのだろうか?
妹のハルは本から目を離さず答える。
「超面白い、特にマーシア卿とローラン卿の話が最高」
「そうか…」
女の子にも勇壮な騎士物語が理解出来るのだな、と感心したジャスパーだが、物語の中でのマーシア卿とローラン卿の関係を思い出し妹に疑惑の目を向けた。
「もしかして、その二人の同性愛のくだりか?」
「他に何があるんだ?」
古今東西、日本の戦国時代や江戸時代、古代ローマやギリシャに中世ヨーロッパ、様々な時代と地域の風俗を調べると存在する衆道などと呼ばれる同性愛の逸話。
ズライグ王国でも師弟や親友の男性が精神的肉体的に一線を越えてしまう話は珍しくない。
大都市の公衆浴場に行く場合、その手の御誘いに注意しろと言われる程だ。
ジャスパー自身は、他人の趣味を否定する気は全くないが、自分は女性にしか興味は無いから巻き込まないでほしいと思うところ。
そう言えば、この竜は女子高生だった時代にボーイズラブとか呼ばれる男同士の恋愛本を隠し持ってたな、と読書に没頭する妹をおいてジャスパーは部屋を出た。
屋敷内は、隣の領主であるベルトラン=シーパルニア卿が訪問するとの先触れがあり迎える準備に忙しい。
三男のジャスパーは最初に挨拶だけして、後は兄たちに任せればいいという気楽な立場。
失礼にならないように身だしなみを整える程度の準備を終えた後に、厨房で働くメイドから焼いて保管していた固いパン2つと葡萄酒を貰い自室に戻る。
とりあえず妹と軽い朝食にしようか。
挨拶だけして自室に引っ込んでいればいい。
そんな考えが全く甘かった事をジャスパーは直ぐに思い知る事になる。
「ジャスパー様!!」
「アンリエット殿?!」
ベルトラン卿より先に馬車を飛び降りたアンリエットがジャスパーの元に駆けてきたからだった。
===========
騎士家の男女として不味いのでは無いだろうか?
ジャスパーは、そんな事を考える。
「村で結婚式があったのですが、白いドレスの花嫁がとても綺麗で」
「はぁ…そうですか」
そんな話を嬉々とするアンリエット。
アンリエットはシーパルニア家の領地で起きた様々な事を話してくれる。
その話に耳を傾けながらジャスパーは、この状況に悩む。
騎士家の結婚とは基本的に家の都合で決まる。
早い話が政略結婚だ。
結婚式まで、結婚相手の顔すら知らないなど珍しい話では無いし、そんな夫婦には義務としての関係はあっても恋愛関係など滅多に発生しない。
愛妾や側室を囲える裕福な王族や貴族ならともかく、領主騎士程度の財力で本妻以外の女を養うのは難しいし、子供でも出来れば後継者問題で骨肉の争いとなり、家名が途絶える理由にも成りかねない。
そんなズライグ王国の騎士家の事情からして、未婚の男女が二人きりで馬で遠乗りという状況は不味いのでは無いか?
馬に跨がったジャスパーは自分の前で横乗りに馬に乗り楽しそう話しをするアンリエットの栗色の髪を見る。
婚約者でも無い未婚の男女が二人きり、間違いでもあったらどうするのか?
いや、どうなるのか?
未婚の騎士家令嬢に手を出し、父親や兄に斬り殺された話は実話としてある。
何しろDNA鑑定など存在しないのだ。
結婚相手の女性に純潔を求めるのは当たり前。
騎士にしろ貴族にしろ、自分の領地と財産を子供に継がせたいというのが当たり前の話で、妻が不義密通して托卵されれば先祖代々守ってきた領地と財産を他人に奪われる事になる。
それ故に騎士家の令嬢には身持ちの堅さが要求されるのは当然で、結婚前に純潔を失えば、悪い噂が立ち縁談を全て断られ一生独身と成りかねない。
ジャスパーが騎士家令嬢を妻に出来る立場ならば、間違いがあっても責任をとる事が出来るが領地も財産もない三男には不可能だ。
安い給金で雇われる下級騎士や下級役人の妻になるよりも領地を持つ騎士家に嫁に行く方が幸せになれるだろうし、シーパルニア家の為になる。
そんな事を考え、アンリエットの話を上の空で聞いているジャスパーの背中には、体長1メートルの蜥蜴に似た生き物が張り付いていた。
その生き物はアンリエットが抱えたバスケットを見ている。
何か美味しい物が入っており、糞兄貴が独り占めするつもりなら訴訟も実力行使も辞さない。
人の記憶を取り戻してからも山野で山菜や獣の肉を食べていたハルが、久しぶりの人間の食べ物に拘るのは仕方ない事である。
=========
ウォードエンド辺境伯はズライグ王国の西の守りを司る家。
辺境伯爵という地位は、国境付近に領地を持ち他国や異民族の進攻を受けた際に、独自で軍を率いて敵を食い止める事を役割とする。
そのため他の伯爵家よりも領地は広く権限も大きく、1つ上の爵位である侯爵と同等以上の待遇を受ける爵位。
その辺境伯領に近い地域に領地を持つファーウッド家とシーパルニア家は、辺境伯領に敵が進攻して来た場合に被害を受けやすい。
ベルトラン・シーパルニア卿が隣接し友好関係にあるファーウッド家に噂程度でしかない辺境伯領の異変の話を持ち込み、相談した事は領地を守る領主騎士として慎重と評価されても、大袈裟と馬鹿にされる事ではなかった。
「門の話ですか?」
「そうだ、若いラルド卿やシュラー卿は経験した事は無いだろうが、十数年ごとに異界と繋がる門が辺境伯領の西にあり、数百から数千の亜人の群れが進攻してくる」
父親でありファーウッド家当主であるモンド・ファーウッドが翼竜騎士として王都に勤めているファーウッド家では、まだ若い領主代行のラルドが領地を守っている。
領主として経験があるベルトランは、ラルドにとって様々な相談を出来る相手。
そのベルトランが持ち込んだ話に、門からの進攻を経験した事ないラルドは真剣に耳を傾ける。
「亜人の種類は小鬼、猪鬼、岩鬼等だが、向こうの世界の魔獣や巨人が出現する事もあるそうだ」
「伝説では800年前に大規模な亜人の軍勢が出現し、国が滅びる危機であったとか」
「それを打ち払った竜騎士スィーラスーズ白竜公の伝説だな、ワシも伝説が真実かまでは知らないが、二、三年以内に門が開くのは間違いないと言われておりウォードエンド辺境伯が西の砦に兵を集めていた」
「そして、その門が開いたという話ですか?」
「そこまでは解らん、ワシも辺境伯領に人を遣わして情報を集めているが、まだ報告はない」
田舎と言っていいセイブルやアーミンには外部からの情報は入って来にくい。
そもそも大都市間でも情報の行き来は遅いのだ。
最も早い通信手段が伝書鳩の類いで、次に天馬や鷲馬といった飛行型魔獣に騎乗し直接伝令する方法。
伝書鳩は確実性に難があり、長い文章を運べない事から緊急の報告を短く伝えるのが精一杯。
飛行可能な魔獣は貴重で、人が乗れる程に調教された個体が売りに出されるなど滅多に無く、仮に売られていても非常に高価だ。
そんな貴重な天馬や鷲馬を伝令を使うのは簡単では無い。
結果、馬による伝令が一般的な連絡手段であり情報の素早い伝達など望むべくも無い。
ベルトランは王都に勤めるモンドからラルドに何か情報が来ている事を期待していたが、残念ながら何もなかった。
「万が一に備えて兵を集めておいた方が良いでしょうか?」
「ワシは領民に兵役の報せを出しておいた」
「私もベルトラン卿を見習わせてもらいます」
「杞憂に終わればいいが、用心するに越したことは無いからな」
領主騎士が常備する兵力は少ない。
戦となれば領民に兵役を課して農夫の次男や三男を農民兵として徴用するが一般的だ。
領地に布令を出し兵を集めるのにも時間はかかる。
予め用意する必要があるだろう。
===========
兄や父が領地を守るために頭を悩ませている頃。
ジャスパーとアンリエットとオマケの邪悪な生き物はセイブルの村外れにある川辺に来ていた。
柔らかい草の野原が広がり、沸かせば飲み水としても使える小川が流れてる。
野遊びには調度良い場所だろう。
「ジャスパー様、私、サンドイッチを作ってきましたの」
「それは楽しみです」
「ほほう?サンドイッチとな?」
笑顔でバスケットを示すアンリエットと社交儀礼のように楽しみだと言うジャスパー。
そしてサンドイッチを狙う邪悪な魔獣。
二人と一匹は草地に敷布を敷き、川から水を汲み沸かしてお茶の用意をする。
「ところでジャスパー様」
「なんでしょうか?」
「先ほどから気になってはいたのですが…」
「はい?」
「この亜竜はいったい?」
アンリエットは噛みつかれる事を警戒しつつ、ずっとジャスパーの背中に張り付いていて、今はサンドイッチが入ったバスケットを狙う魔獣を見る。
「まあ、なんと言いますか…」
「我こそは、最強の真竜悠!!」
特撮ヒーローみたいなポーズを取り、アンリエットには理解出来ない念話で見栄を切る転生前は妹だったモノを見て、ジャスパーは答えた。
「ペットです」
「まあ!ジャスパー様の父君は翼竜の乗り手と聞いておりましたが、ジャスパー様も亜竜の主になっておられたんですね!」
アンリエットは手を叩き、我が事のように喜ぶ。
亜竜の主、つまり竜騎士となれば国王も大貴族も高給で召し抱えようとする。
つまり、ジャスパーの将来は安泰だ。
ただの騎士家の三男とでは将来性が違いすぎる。
とはいえ…
「僕が竜騎士の類いになれるとしても…」
ペット呼ばわりされた事にジャスパーの脚に噛みついて抗議する竜の幼体を見る。
その体長は1メートル程しかない。
「乗れるまで成長するのに何年かかる事か…」
ジャスパーたちが乗ってきた馬で体長2.5メートルはある。
木に繋がれ優雅に草を食べている馬。
あれくらい大きくならないと騎乗は難しいだろう。
「それでも竜騎士候補でしたら王様も貴族様も先を争って召し抱えようとなされるでしょう?」
「確かに、そうですね」
本気で噛みつけば、幼体の牙でもジャスパーの脚をボロボロに出来るだろう。
手加減して甘噛みしている妹をジャスパーは抱き上げる。
「ハル、ちょっとした冗談だよ、悪かったよ」
「許さん!私は訴訟も実力行使も辞さない!」
「機嫌直せよ、お茶にしようぜ」
「うむ、最強の真竜たる我に、お茶とサンドイッチを捧げよ!」
ハルは本気で怒っているわけでは無いだろう。
サンドイッチの取り分を増やすために怒ったふりをしているのかもしれない。
「ハーブティーか…」
「茶葉や珈琲豆はズライグ王国じゃ栽培出来ないからな、輸入品として存在はしてるが貴族様とか金持ち用の高級品だよ」
「まあ、コレはコレで…」
卵から産まれ野山を駆け回り育ち、人であった転生前の記憶を取り戻したのは、つい先日。
竜となってから、人間らしい食事は今日の朝食が初めてだが、焼いて日が経ち堅くなったパンをお湯で薄めた葡萄酒に浸けて食べれる程度まで柔らかくして食べるといった朝食で満足出来たはずもない。
セイブルの村人からすれば雑穀の粥が主食で、パンは低品質のライ麦パンでもご馳走の部類なのだが、料理の基準が日本の食卓なハルからすれば堅くて不味いパンという評価でしか無いのは仕方ない。
子供の頃からズライグ王国人の食生活に慣れているジャスパーは普通の食事なのだが、ハルの食事に対する餓えは消えていなかった。
「マトモな飯だ…」
アンリエットの作ってきたサンドイッチも、日本のサンドイッチと比較すればパンが堅すぎ具材の塩漬け肉も野菜も美味しくはない。
それでも、ハルにとっては前世ぶりの人間らしい食事だった。
ハルは、ジャスパーの分のサンドイッチを半分貰い、さらにアンリエットの分も半分わけてもらう。
「たくさん食べて大きくなって下さいね」
ニコニコ笑いながらガツガツとサンドイッチに齧りつく竜を見るアンリエットの脳内には、竜騎士となって爵位と領地を得たジャスパーの姿と、その隣に立つ花嫁の姿が浮かんでいた。
将来性が無い騎士家の三男ならともかく、竜騎士となれば父や兄も結婚を反対しないに違いない。
そんな未来を夢見てアンリエットは微笑んだ。