第23話…誇り持つ者
猪鬼たちが騒ぐ声が聞こえる。
そこは柵で囲われた広場だった。
柵と言っても簡単に乗り越えられる低い木製の物で、出入りを規制するのが目的ではなく境界線を分かりやすくするための物だろう。
柵の外では多数の猪鬼たちが雑多に集まり思い思いに持ち寄った食料と酒で騒いでいた。
柵の中を見下ろす位置に飾り気は無いが大きく頑丈な椅子が置かれ、その周りには猪鬼たちが最も価値があると思っている大薙刀、戦斧、重鎚矛、戦鎚、投槍、大盾など多数の鉄製の武具が飾られている。
金銀や宝石を飾る人間の玉座とは赴きが違うが、その椅子は猪鬼にとって貴人が座る玉座の類いなのだろう。
玉座に座る猪鬼は他の猪鬼たちより巨大な肉体を誇る大猪鬼バラッハ氏族バーク・シャ・バラッハ族長。
バークは鉄製の大盃を手に酒をあおる。
大盃が空になれば、人間から見れば肥満体に見えるが猪鬼にとって美女と呼べる厚い脂肪を纏う猪鬼の女戦士が酒を注ぐ。
「……」
ジャスパーは柵の中で目覚めた。
神鷲にハルが落とされ、ジャスパーは切れた革帯が偶然神鷲の脚に引っ掛かり気を失い、そのまま猪鬼の野営地まで運ばれてきたようだ。
「気づいたようだな竜騎士」
バークが多少訛りはあるズライグ語で話しかけてくる。
ジャスパーは、ゆっくりと起き上がりながら状況を確認する。
広場は、かなり広く騎士が武術の訓練に使う練習場くらいあるだろう。
柵は低く簡単に乗り越えられるが、外に群がる猪鬼を突破して逃げるのは難しい。
騎兵槍、片手半剣、連弩は取り上げられ、色々な道具を入れておいた小物入れの袋も無い。
(武器は…短剣だけか…)
腰の後ろに差していて短剣は取り上げ忘れたのか?短剣くらい脅威にならないと無視されたのか?残っていた。
しかし短剣1本で、どうにかなる状況では無いだろう。
「貴方は、猪鬼の族長だったか?」
「バラッハ氏族々長バーク・シャ・バラッハである」
「ズライグ王国騎士爵ジャスパー・ファーウッド」
お互い名乗るが、あまり意味は無かった。
ジャスパーはズライグ語を話す大猪鬼に前から思っていた疑問をぶつけてみる。
「人間の言葉を話せるのか?」
「敵の事を知らずに戦ができようか?」
「話が出来るなら和平の道があるのでは無いのか?」
バークは心底不思議という声音で答える。
「戦い、打ち倒し、勝利し、奪う、それが戦士の生き様では無いか?
戦わぬという事は、お前たちは我々の奴隷になるという事か?」
ジャスパーは猪鬼という種族、いや亜人という物を勘違いしていたと知る。
目の前の亜人は、人型をしているだけで、知能があり会話が出来るというだけで、決定的に人間と思考形態が違う生き物。
説得も交渉も意味は無い生き物。
「僕をどうするつもりだ?」
「人間の言葉で言う『決闘』をしてもらう」
「決闘?」
「我々の風習だ、1対1、素手で正々堂々戦い、相手を殺すか降伏させれば勝利となる『決闘』だ」
「族長と僕が戦うのか?」
「違う、竜騎士は我が弟にして氏族随一の戦士ヨーク・シャ・バラッハと『決闘』してもらう」
人間の言葉が理解出来る猪鬼は少ないらしく、ジャスパーとバークの会話を何人かの猪鬼が周りに通訳し、それが猪鬼全体に広がっていくようだった。
猪鬼たちが会話を理解したのだろう。
氏族随一の戦士ヨークの名前を猪鬼は連呼する。
立ち上がり足を踏み鳴らし、拳を胸に打ち付け、猪鬼たちは連呼する。
その声を受けて、一際大きな大猪鬼が姿を表す。
両腕を振り上げ咆哮を上げる戦士ヨーク・シャ・バラッハ。
武器は持たず、上半身は裸。
しかし、その強靭な肉体は素手でジャスパーを殴り殺すのに不足なく、ジャスパーの拳は大猪鬼の身体に傷すら付けられないだろう。
(『決闘』といいつつ、つまりは処刑か)
ジャスパーは、勝ち目など無いヨークを目の前に、これは処刑だと思うがバークはジャスパーの足元に何か投げた。
それはジャスパーの片手半剣。
疑問顔のジャスパーにバークは言う。
「互いに素手では竜騎士は十度戦い十度負けるだろう。
そんな物は『決闘』とは呼ばん!
この『決闘』に勝利したならば竜騎士を解放しよう!」
ジャスパーのみが武器を持てば素手のヨーク相手に勝ち目は出てくる。
猪鬼とは思考形態が違い、決定的に解りあえない。
だが猪鬼という種族には人間とは違うが、誇りがある。
そういう事なのだろう。
その事に気づいたジャスパーはバークに問う。
「族長、1つ聞きたい」
「何だ?」
「天馬に乗った女騎士を知らないか?」
目の前の猪鬼は、人間とは違うが誇りを理解し、人間とは違う公平さや正義を持つ種族。
それならばとユーリアの事を聞いてみる。
バークは猪鬼語で何かを部下に命じる。
やがて1人の猪鬼が縄で両手を縛られた少女を連れてきた。
結い上げられた髪は、髪止めが切れたのか下ろされ、身体には幾つかの傷がある。
武器や鎧どころか衣服も靴も全て奪われ、白い肌と豊かな胸を晒された少女。
その裸身は鍛え上げられ筋肉質ながらも女性的柔らかさを保っていた。
裸身を晒させられたウォードエンド辺境伯令嬢ユーリアの姿にジャスパーは激怒した。
「女性を辱しめるとは、貴様ら、それでも誇りある戦士か!!」
「……」
激怒するジャスパーにバークは首を傾げる。
そして少し考える。
ジャスパーの言葉を猪鬼語に変換し意味を考えているらしかった。
やがてバークは口を開く。
「それは我々が、この女を犯したという意味か?」
「それ以外に何がある!!」
バークは心底意外という様子で、猪鬼の女戦士を見る。
「お前たちは闇妖精のような女が好みなのでは無いのか?」
ジャスパーは廃都市で戦った闇妖精の女を思い出す。
確かに美女と呼ぶ容姿だった。
バークは猪鬼の女戦士を指差す。
「我々にとっての美女と人間の美女は違うのでは無いか?」
「あ~」
ジャスパーは女戦士を見る。
その姿は、言ってみればモンスターの類いだろう。
例え捕虜にしても犯そうなんて気は全く起きない。
猪鬼にとってユーリアの姿は、まあそういう事だ。
性欲の対象になりようが無いのだろう。
ユーリアはジャスパーの姿を見て、少しでも裸身を隠そうと身を縮めている。
その瞳には涙が浮かび、顔は羞恥に歪んでいた。
ジャスパーは考える。
自分が、この場を逃げるにはヨークという大猪鬼を倒せばいい。
しかし、ユーリアを連れて逃げるには?
ジャスパーは、ユーリアが行方不明になったと聞いて迷わず助けに行こうとした妹を思い浮かべる。
あの最強無敵の妹が死ぬはずはない。
きっと生きていて森の中で食べ物を探してノテノテ走っているだろう。
もしかしたら砦に先に帰っているかもしれない。
お菓子1つと酒1杯。
そのためにユーリアを助けに行こうとした妹。
そんな妹が誇れる兄でいたい。
弱くて何の取り柄もない兄でも、妹が誇れる兄でいたい。
だからジャスパーは口を開いた。
「族長、先ほど正々堂々戦うのが『決闘』だと言ったな?」
「それがどうした?」
「僕だけ武器を持つのは正々堂々とは言わないだろう」
「何?」
「正々堂々ならば、互いに武器を持つべきだ」
ジャスパーの言葉が猪鬼たちに広がる。
やがて笑いが起きた。
ジャスパーの目の前の族長も哄笑している。
最初、ジャスパーは自分が馬鹿にされているのかと思った。
しかし、違っていた。
バークは笑いを止め真面目な顔になる。
「貴様を軽く見た事を謝罪しよう」
猪鬼たちはジャスパーを馬鹿にしたわけではない。
その行為を称賛しているのだ。
やがてヨークの元に戦斧が運ばれてくる。
ヨークが肩慣らしに戦斧を振るう様を横目に見ながらジャスパーは口を開いた。
「僕が勝ったなら、彼女も返してもらうぞ」
「そうか、この女は貴様の女だったのか。
互いに武器を持たぬなら十度戦い十度ヨークが勝つだろう。
貴様だけが剣を持つなら十度戦い七度ヨークが勝つだろう。
互いに武器を持つならば、貴様の勝率は十度戦い一度だ」
「それがどうした?」
「その誇りを称賛し、貴様が勝ったなら女も解放しよう」
バークは重々しく言った。
「ジャスパー…卿…」
泣きそうなユーリアの声。
ユーリアは知っていたジャスパーの剣の実力では大猪鬼の戦士に勝てない事を。
(こんな時、ハルならどうするんだっけ?)
ジャスパーは妹の仕草を思い出す。
そして剣を抜いてヨークの方に向き直り、自分の背中を見つめているはずの少女に向けて右手の親指を立ててみせた。
妹が時々やる仕草。
ハルが前に言っていた気がする。
この仕草の意味は、たしか…
『幸運を!』
そして…
『後は任せろ!』
大猪鬼が誇りを込めて叫ぶ。
「バラッハ氏族戦士ヨーク・シャ・バラッハ!」
それに答えてジャスパーも叫んだ。
「竜騎士ジャスパー・ファーウッド!推して参る!!」
二人の男が命をかけて走り出した。




