第21話…天敵
「うーん?」
竜騎士ジャスパー・ファーウッドは、酒保商人から買った地図を見ながら唸り声を上げた。
行方不明の辺境伯令嬢ユーリアを探すために西の森まで来たジャスパー。
辺境砦では偵察に出る兵が、どのルートを通るか決めている。
万が一、偵察兵が戻って来なかった時に何処で行方不明になったのか解るようにだ。
他の天馬騎士から聞いたユーリアの飛行ルートは、この辺りのはずなのだが…
「兄貴、それ本当に地図か?」
日のある内は森と近郊の上空を回り、日が沈んだ今は上空から見つけた森の中の川の畔で夜営中。
焚き火で照らした地図を唸りながら見つめるジャスパーの背中に登り肩越しに地図と称される『何か』を見たハルは疑問の声を上げる。
日本の本屋なんかで売られている精巧な地図やスマホのアプリで見れる地図と比較するなら子供の落書きにしか見えない物が書かれた羊皮紙。
これが手に入る最高の地図らしい。
「地図は戦略的に重要だし精巧な物なんて売ってないとは思ってたけど」
「地図を見ながら敵が攻めてくるってのか?」
「そういう事だから地図を作るのも売るのも規制されてるわけだけど」
「それにしても酷いな」
地図に興味を失ったハルはノテノテと川の方に歩いていく。
「ハル、生水なんて飲んだら腹を壊すぞ」
ジャスパーは川の水が細菌やら何やらで汚染されてる可能性を考えてハルに警告するが、ハルは川から水をガブ飲みする。
そして言った。
「兄貴、私が生水で腹を壊すなら野生動物は渇きで絶滅してるぞ」
「そういや、今のハルは人間じゃなかったか…」
ジャスパーは焚き火で沸かしていた鍋の水を飲む。
水袋には砦から持ってきた葡萄酒が入っているが、水分補給が何時出来るか分からない以上は日持ちする葡萄酒は節約するべきだろう。
そんなジャスパーの目の前では、ジャスパーが背負ってきた背嚢から保存食をあさる邪悪な魔獣が居て節約など考えてるようには見えないわけだが。
ユーリア捜索の1日目は、こうして過ぎていった。
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アンドレイ・ウォードエンド辺境伯は自室で強い酒をあおった。
偵察に出た娘ユーリアが行方不明になった。
今すぐにでも全軍に娘の捜索をさせたい。
しかし、辺境砦を守る総指揮官が私情で軍を動かすわけにはいかない。
偵察を任務とする天馬騎士たちは連日の飛行で疲労が濃い。
ユーリアが偵察を行っていた森の辺りは、亜人軍の野営地から離れた場所。
その辺りまで亜人軍が進出していたならば辺境砦への再進攻の可能性は高い。
今は砦の守りを固めるべき、そう分かっていても娘を心配しない父親などいない。
ズライグ王国では本妻以外の女性を囲う場合に与える公的立場は二種類。
1つは側室。
これは本妻より立場は下となるが正式な結婚相手であり、側室が産んだ子供には爵位や財産を相続する権利も与えられる。
もう1つが公妾。
公式愛妾とも呼ばれ、結婚相手として相応しい家柄が無いなど、結婚するのに何からの問題がある場合に結婚せずに囲う場合の女性の立場。
側室との最大の違いは公妾との間に産まれた子供には相続権が無い事。
例え本妻と側室の子供が全員亡くなる事態になり、公妾との間に子供が居ても、その子供は爵位も財産も継ぐ事は出来ない。
ユーリアの母親は平民の出であったため側室の地位は与えられず公妾となった。
そのためユーリアは辺境伯の実子でありながら本妻や側室の子供である兄や姉とは立場が違い蔑まれてきた。
ユーリアが屋敷に居着かず、騎士の位を得て戦場に出た事も、有力貴族の娘でありながら縁談がなかった事も、その出自故。
辺境伯はユーリアを愛していたが、本妻や側室との関係悪化を恐れてユーリアを守る事をしなかった。
本妻も側室も辺境伯家に嫁ぐに相応しい貴族家の出身。
常に門からの進攻を警戒する辺境伯家には有力貴族家の助力は不可欠であり本妻や側室の実家との関係悪化を恐れたためだ。
結果としてユーリア1人に苦労を押し付ける事になった。
貴族家当主としての立場、国の防衛を司る辺境伯爵という立場、それらを優先した結果が戦場に出た娘が行方不明になるという事態。
「ジャスパー卿…娘を頼む…」
砦の防衛の要である竜騎士ジャスパー・ファーウッドが砦から姿を消した。
いや公的には砦内に居る事になっている。
辺境砦の指揮官である辺境伯がジャスパーが砦より出る事を許可していないのだから、勝手に出陣するのは契約違反なのだから。
早朝、夜明けと共に西に向けて飛び立った竜を砦の誰もが見なかった事にした。
「ジャスパー卿なら、先ほど酒保商人の店にいたようですが?」
「竜騎士殿なら防壁の方にいきました」
娘の捜索を命じるわけにいかない父親のために、砦の皆が嘘をつく。
辺境砦最強の竜騎士が新たな武勲を上げる事を皆が願った。
すなわち辺境伯令嬢を救出する武勲を…
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捜索2日目の朝。
ハルの低い唸り声でジャスパーは目を覚ました。
アニュラス界最強の魔獣が警戒するように唸り声を上げている。
「ハル、あの禿鷲か?」
前に戦った巨大な禿鷲。
猪鬼が飼う禿鷲が二羽だけなわけは無いだろう。
ユーリアの天馬も禿鷲に襲われた可能性はある。
真竜のハルが敵と呼ぶ存在の眷族らしい巨大禿鷲。
ハルが唯一敵と呼んだ魔鳥が、また来たのか?
「違う、もっとヤバいヤツが来る」
「それじゃ迎撃準備しないとな」
ジャスパーはハルに大きなベーコンの塊を投げる。
空中のベーコンにジャンプして噛みついたハルはベーコンを咀嚼しつつ成竜形態になる。
「前に禿鷲と戦った時とは違うだろ」
「何がだ?」
「今のハルの体調は万全だ」
前回の巨大禿鷲の戦いの時にはハルの魔力量は七割程度で体力も消耗していた。
今のハルは万全の状態、禿鷲などに負けるはずは無い。
「行くぞハル!」
真竜は飛び立つ。
「猪鬼を捕虜に出来ればユーリア卿の行方が解る可能性もあるな」
「兄貴、豚語なんて話せるのか?」
「前に戦った大猪鬼はズライグ語で名乗っていたから、人語を話せる猪鬼は居るって事だろ」
「兄貴は豚語は話せないと?」
「豚語じゃなくて猪鬼語な、僕は話せないよ」
「私もだ、そういえば痴女は痴女語ではなくズライグ語を話していたな」
『痴女語じゃなくて森妖精語だろ?』とハルの言い方に内心突っ込みつつジャスパーは騎兵槍を身体に固定する。
「兄貴…」
その姿を見た最強の魔獣である妹から発せられた感情は怯えだった。
「兄貴!アレは何だ!!あの化け物は何だ!」
それは黄金に輝く巨大な鷲。
メーガジット界を統べる『盟主』により造られた竜種の天敵『神鷲』。
最強の妹が怯えている。
ジャスパーは妹の背中を撫でる。
「ハル、僕がついてる大丈夫だ」
ハルは恐怖を振り払うように深呼吸をする。
「それで、どう戦う?」
ジャスパーは巨大禿鷲より一回り大きな黄金の鷲を見て作戦を考える。
「まず、相手の速度や運動性が見たい。
ハル、まずは竜の息だ。
避けられるだろうからカウンター攻撃に気をつけろ。
そして避け方で敵の運動性が解る」
「兄貴、私は霧宮流の拳士だ!前回の私とは違う事を兄貴にも教えてやるよ!」
ハルは恐怖を振り払い叫ぶ。
そして全力で竜の息を吐くために大きく息を吸い込んだ。
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「神鷲の慣らしのつもりだったが、何たる僥倖か!
竜騎士と出会すとは!」
大猪鬼バーク・シャ・バラッハは獰猛に笑う。
『盟主』より下賜された最強の魔鳥・神鷲 。
強い魔獣ほど飼い慣らすのは難しく神鷲も調教にかかる手間は大禿鷲の比ではなかった。
この神鷲に乗れるのはバラッハ氏族の中で族長バークとバークの実弟で氏族随一の戦士ヨークくらいだろう。
バークは強敵と戦う事に喜びを感じる猪鬼の本能のままに咆哮を上げて大薙刀を振り上げた。
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「騎手は大猪鬼だな」
種族が違えば個体識別が難しくなる。
ジャスパーは先の戦いで戦死した猪鬼の死体は何体も見たが顔の見分けどころか男女の区別すら難しかった。
猪鬼の戦士に女が居るなんて全く気づかなかったし、女性らしい胸の膨らみというより腹の膨らみが目立つ肥満体型が猪鬼には美女なのだとロロフ卿に説明され、冗談を言っているのかと思ったものだ。
そんなジャスパーだが、黄金の巨鳥に乗る大猪鬼は一目で区別出来た。
「族長と名乗ったヤツだな」
真竜と神鷲の間合いが近づく。
しかし、まだ武器の間合いでは無い。
爪や牙が届く間合いでもない。
「私の新技を喰らえ!」
真竜の中の人は霧宮流という古流武術を使う拳士。
技を開発し研鑽する人間の拳士。
大禿鷲に苦戦したハルは、ただ喰っちゃ寝してダラけていたわけでは無い。
次に戦う時のために新しい技を開発していた。
「竜の息改!」
そんな念話と共に放たれた竜の息は今までの物と違っていた。
吐き出された剛炎は大きく拡散し広がる。
『拡散型竜の息』
大禿鷲の運動性に苦戦したハルが編み出した対抗策。
広範囲に広がった炎は魔力消費が激しい代わりに避けるのは困難な一撃となる。
ジャスパーは敵が拡散竜の息を避ける事は予測していた。
避けられて当たり前、掠って軽い火傷を負わせれたら幸い程度に考える。
問題は避け方や避ける方向。
ジャスパーとハルは神鷲の次の動きに警戒する。
広がり視界を塞ぐ炎、それをどう避けてくるか?
右か?左か?上か?下か?
広がった炎が壁となりジャスパーにもハルにも見えていなかった。
神鷲が避けもせずに真っ直ぐ炎へと突き進んだ事が見えていなかった。
「神鷲には炎は効かんぞ!」
そのバークの声がジャスパーの耳に聞こえる事は無かった。
剛炎を避ける事なく突っ切った神鷲。
その身には障壁でも有るかのように炎が触れる事は無く。
「てぃひっ?!」
直進するなど、最強無敵の竜の息を無効化する敵が存在するなど、想像する事すら無かったハルの意表をつき、神鷲は爪の間合いに入り込む。
「私を舐めるな!!」
今のハルには内蔵魔力が十分にある。
避けられないと察したハルは鋼鉄より硬い竜鱗に持てる最大の魔力を注ぎこみ強化する。
真竜の本気の防御。
しかし、その魔鳥は尋常な魔獣では無かった。
800年前、白の竜騎士に右腕を切り落とされた『盟主』が、復讐のために800年の時をかけて産み出し育てた竜種の天敵だった。
そして悠は真竜としては、あまりにも幼い子供だった。
「兄…貴…」
神鷲の爪はハルの右肩から右の翼の付け根までを大きく切り裂き。
「ハルーっ!!」
ジャスパーの叫びが空しく響く。
ジャスパーの身体とハルを繋ぐ革帯が切れ、偶然にも神鷲の脚に絡みつく。
様々な道具をしまっていた背嚢が空中に投げ出され、落ちていき。
そして…
肩から背中までを大きく裂かれた真竜が錐揉み状態になり森の中へと落ちていった。




