第20話…絶対に忘れない
「アンリエット、遊びに行くのではないのだよ」
ウォードエンド辺境伯領から程近い地に領地を持つ領主騎士シーパルニア家当主ベルトラン・シーパルニア卿は娘を嗜める。
辺境伯爵領にある辺境砦には1万を越える亜人が襲来し戦争状態に突入、近隣の領主に参陣の要請が来た。
そのためシーパルニア家も出陣準備に忙しいのだが、困った事に娘のアンリエットが自分も辺境砦に付いて行くと言って聞かないのだ。
「辺境砦にはジャスパー様がいらっしゃるのでしょう?
それならば私も行ってジャスパー様をお手伝いします」
書斎で領地に関する様々な事柄を指示する文章を羊皮紙に書きながら、ベルトラン卿はタメ息をつく。
アンリエットは騎士家の令嬢だが武芸を修めているわけでは無い。
アンリエットの出で立ちは、長距離移動用の革靴に防寒に優れたフード付きのマント、手には護身用のつもりらしい銅製の手鍋を持っているが小柄な少女であるアンリエットには小鬼 1匹すら倒す力は無いだろう。
「アンリエット、良くお聞き、私は戦に行くんだ。
これから行く場所は戦場で危険な場所だ。
お前は屋敷に残りなさい」
ベルトラン卿は思う。
アンリエットは、1つの事以外で我が儘を言わない子だ。
娘を持つ他の領主騎士から聞く「娘に高価なドレスをねだられ困っている」だの「娘が王都の舞踏会に行きたいと我が儘を言う」だのといった愚痴とはベルトラン卿は無関係だった。
アンリエットは聞き分けがよく家事を進んで行い。
機織りや刺繍で作った物を出入り商人に売って家計の足しにしたりもする。
そんな何処に出しても恥ずかしくない出来た娘なのだが、たった1つの我が儘だけが問題で、その事に関してだけは絶対に譲らないのだ。
すなわち隣の領地の領主騎士モンド・ファーウッド卿の三男ジャスパーに関する事だけは。
ズライグ王国の王都で翼竜騎士として勤めるモンド・ファーウッド卿は、自分の領地を空ける事が多く。
逆に田舎の自領で過ごす事が多いベルトラン・シーパルニア卿は王国中央に疎い。
そんな二人は自分に足りない部分を補うために友誼を結び協力してきた。
ベルトラン卿が二つの領地で起きた様々な問題を解決し、モンド卿が王都の貴族相手に培った人脈で得た利益を二人のために使う。
モンド卿の嫡男ラルドが領主代行となるとベルトラン卿は後見人となり若いラルドを助けた。
そんな二人であるから同じ歳のファーウッド家三男とシーパルニア家長女は幼い頃から仲の良い友人関係であった。
「私は将来ジャスパー様と結婚するの」
そんな幼い頃のアンリエットの言葉が成人に近い年齢となっても曲げない信念のようになるとは、誰も思っていなかっただろう。
仲の良い男女の幼なじみが一定の年齢になると疎遠になったり、兄妹のように育ったが故に相手を異性として見れなくなるなど珍しい話では無いのだから。
「アンリエット、これを見なさい」
ベルトラン卿は、娘を危険な戦場から遠ざけるために隠しておいた切り札を使う事にする。
引き出しの奥にしまっていた一枚の羊皮紙。
ズライグ王国で公式な契約をする場合に使われる王国の紋が入った羊皮紙にはベルトラン・シーパルニア卿とモンド・ファーウッド卿の署名が書かれている。
つまり、これはシーパルニア家とファーウッド家の公式な契約が書かれた羊皮紙。
同じ物がファーウッド家にもあり領主代行ラルド・ファーウッド卿が管理しているはずだ。
それをアンリエットに見せる。
その内容は…
「私とジャスパー様が15歳になったら結婚させるという内容でしょう」
アンリエットは読みもせずに言って、羊皮紙を大事に丸めて袋にしまい込む。
「アンリエット、知っていたのかい?」
「知ったのはジャスパー様が辺境伯爵領に出向かれた後ですけれど」
ジャスパーと結婚したいと我が儘を言う娘に困ったベルトラン卿がモンド卿に相談した結果交わされた両家の覚書。
しかし、ファーウッド家三男ジャスパーの将来の進路が決まっていない事を理由に当人たちには知らせなかった。
継ぐべき領地も財産も無い騎士家の三男坊に妻子を養う収入が得られるかは解らないし、武芸を修めている騎士家の次男、三男が腕1本で身を立てると冒険者や傭兵になる事もある。
他にも国教教会の聖職者になり妻帯を拒否するなんて未来もあるからだ。
ジャスパーに将来の道は好きに決めさせたいというモンド卿の親心と、婚約発表した後で破棄する事態になりアンリエットをぬか喜びさせたくないベルトラン卿の親心で知らせなかったはずなのだが、父親の書斎の掃除もしていた娘は羊皮紙の存在を知ってしまったらしい。
「私とジャスパー様が二人きりで遠乗りに行くのを止めもしなかったのは、そういう事でしょう?」
「それは…そうだが…」
未婚の若い男女が二人きりで人目につかない場所に行く。
間違いが起きなくても周りは二人の関係を疑うに決まっている。
普通ならば従者なり侍女なりを同行させるだろうが、ファーウッド家もシーパルニア家も二人に何も言わずに送り出していたのは間違いが起きたなら結婚させるつもりだったから。
ジャスパーがアンリエットに手を出した場合は、未婚の令嬢を傷物にした責任を取りモンド卿の人脈でジャスパーを王都の下級役人か下級騎士の職につけ二人を結婚させる事になってもいた。
「ジャスパー様は今では竜騎士。
騎士家令嬢を妻とするのに問題ない身分ではありませんか?
むしろジャスパー様と縁戚になる事はシーパルニア家のためになります」
今のジャスパーは竜騎士。
領主騎士家どころか男爵家や子爵家の令嬢との婚姻も有り得る立場。
モンド卿とベルトラン卿は友人であり、モンド卿は両家が交わした約束を三男坊の価値が上がったからと一方的に破棄する御仁では無い。
つまりアンリエット・シーパルニアは両家が認めた正式なジャスパー・ファーウッドの婚約者。
望みを叶えた娘が領地でジャスパーの帰還を待つだろうというベルトランがの思惑は外れる。
「私もジャスパー様も一月と待たずに15歳になります。
もはや私はジャスパー様の妻も同然。
夫を助けるために砦に行くのは当然の事です」
そう言って膨らみが全く無い胸をはる娘にベルトラン卿は再びタメ息をつく。
ここで同行を拒否した場合、娘は一人で辺境砦に向かう可能性が高い。
そんな事になれば、盗賊なり野獣なりに襲われて帰らぬ人になる事だろう。
娘に甘すぎる父親、ベルトラン卿は今回も折れる事になった。
「道中は絶対に私の言う事を聞くんだよ」
「もちろんです!お父様!」
喜色満面で書斎より出ていくアンリエットが「うふふ、ジャスパー様、最初は男の子が欲しいですわ」などと独り言を呟いていた事にベルトラン卿は再びタメ息をついた。
翌日。
辺境伯爵領に向けて出立したシーパルニア家の兵力は、当主ベルトラン卿本人である騎馬兵一名、槍持ち従者一名、農民兵五名と各種物資を運ぶ荷馬車一台。
そしてロバの背に乗った少女一人であった。
この時、騎士爵ジャスパー・ファーウッドは自分が幼なじみの領主騎士令嬢アンリエットと婚約している事実に全く気づいていなかった。
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目の前でミニスカートのメイドさんが拭き掃除をしていた。
短すぎるスカートの下から六本の白い狐尻尾が出ており、尻尾の動きに合わせてスカートは揺れ、その下の下着を覗かせる。
掃除の邪魔にならないようにベッドに腰かけたジャスパーとハルは酒保商人が仕入れてきた遥か東方にある国の盃『湯呑み』で、これまた東方より遥々輸入された御茶を飲みつつ拭き掃除をするメイドさん狐嬢を見ていた。
「なあハル」
「なんだ兄貴」
「メイドさんって良いものだな」
「そうだな」
兄妹は『萌え~』と表現出来そうな表情で狐嬢を見る。
「なあハル」
「なんだ兄貴」
「ふさふさ尻尾って良いものだな」
「そうだな」
二人は『萌え~』と表現出来そうな表情で狐嬢の尻尾を見る。
「なあハル」
「なんだ兄貴」
「白い下着って良いものだな」
「妹に、それを言う兄貴は、はっきり言って気持ち悪いぞ」
二人は…
いやジャスパーのみが『萌え~』と表現出来そうな表情で、ハルは隣の兄に軽蔑の表情を向ける。
娼館で売れない娼婦だった狐嬢は下働きも兼任していて、掃除、洗濯、裁縫と何でもこなす。
騎士として最低限ながら修行していたジャスパーも戦場で一人で何でも出来るが狐嬢が来て色々楽になった。
ハルは狐嬢という同性の話相手が出来た事で精神的に安定したようで、日中は狐嬢に付いて周り早口でずっと話しかけている。
30秒で350文字は読み上げれそうな早口にジャスパーはハルが舌を噛まないのか不思議に思ったのだが。
「何言ってるんだ兄貴?
私は念話で会話してるから口を動かす必要は無いし舌なんて噛まないぞ」
との事。
真竜悠。
文字通り人間では無いのである。
廃都市陥落により辺境砦内は不穏な雰囲気が流れるが、ジャスパーとハルは比較的穏やかな日々を過ごしていた。
この時は、まだ…
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廃都市陥落まで辺境砦は亜人軍の動きを察知出来なかった。
夜闇に紛れて辺境砦を迂回し廃都市を襲ったらしい…。
そう気づいたのは全てが終わった後。
索敵の失敗を認めた辺境砦総指揮官アンドレイ・ウォードエンド辺境伯は天馬騎士による偵察飛行を強化した。
先の戦いで飛行騎兵の主力鷲馬騎士には大きな被害が出ており偵察に回す余力が無かった事も天馬騎士の負担を増やす事になった。
だから竜騎士ジャスパー・ファーウッド卿の補佐を役割とする天馬騎士辺境伯令嬢ユーリアが偵察任務に参加を志願した事を誰も不思議に思わなかった。
ユーリアは辺境砦の西にある森の上空を飛行していた。
愛馬である天馬スリジェが主を心配するようにいななく。
「私は大丈夫だ、スリジェ」
愛妾の娘として産まれ辺境伯家で孤立した立場にあるユーリア。
そんなユーリアが血の繋がった辺境伯家の人間より、家族だと思っている愛馬スリジェ。
ユーリアが、辺境伯爵領内の天馬牧場で子馬だったスリジェと出会った時から、ユーリアとスリジェは共に過ごしてきた姉妹とも言える存在。
「ジャスパー卿も竜を妹と呼んでいたな」
その名前を口にした時、ユーリアの胸が痛んだ。
獣人の少女を囲い恋人のように接するジャスパー。
何故、自分ではなく娼婦などを側に置いたのか?
嫉妬と悲しみがユーリアの心をかき乱す。
偵察を言い訳にジャスパーから距離を取り、一人になるために単独偵察をしている。
いや偵察ではなく現実逃避をしている。
スリジェが警告のいななきを上げる。
「どうしたスリジェ?」
最高速度で飛び、この場から離れようとするスリジェにユーリアは疑問の声を上げる。
注意力散漫になっていたユーリアは、それに気づくのが致命的に遅れた。
それは黄金に輝く巨鳥だった。
太陽を背に上空より飛来した黄金の巨鳥・神鷲。
「あれは?!」
先の戦いで猪鬼が乗っていた大禿鷲よりも一回りは大きな神鷲にユーリアは驚愕の声を上げ愛馬に拍車を打つ。
しかし、必死で逃げる天馬スリジェの努力も虚しく神鷲の爪は天馬の翼を切り裂き。
空に天馬の悲鳴が響いた。
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「ロロフ卿、何かあったのですか?」
辺境砦に偵察から戻ってきた天馬騎士たちの様子がおかしい事を気づいたジャスパーは顔見知りの老騎士ロロフ卿に問う。
そんなジャスパーの疑問に歴戦の老騎士は青い顔で答えた。
「偵察に出たユーリアお嬢様が戻っていないのです」
「ユーリア卿が?!」
騒然とする砦の中。
ハルは狐嬢に頼み、酒保商人から金貨一枚で買えるだけの食べ物を買ってもらう。
いつにもまして大量の食料を腹と背嚢に詰め込んだハルは、大猪の固い毛で作った歯ブラシで鋭い牙を磨きながら言った。
「兄貴、散歩に行こうか」
ハルが指差したのは西の空。
そこは、ハルに砂糖菓子と林檎酒をくれたユーリア・ウォードエンド辺境伯令嬢が偵察に向かった方角。
霧宮流古武術拳士・悠とは、食べ物の恩と恨みを絶対に忘れない生き物である。




