第19話…少女は幸せになりたいと願った
狐嬢。
そう呼ばれる少女は遥か東方に住む亜人である狐系獣人の末裔であるらしい。
『らしい』というのは本人にも自分の出自が、よく解らないからだ。
狐嬢が物心ついた時には娼館にいた。
娼館の女将から、自分は売られてきたと聞いたが、その売った相手が狐嬢の親や保護者なのか、それとも幼い狐嬢を拐ってきた盗賊の類いだったのかは解らない。
廃都市の娼館には様々な人がいた。
狐嬢の面倒を見てくれた娼婦がいた。
狐嬢が姉と慕った美人で優しい娼婦。
「いつか貴族様に見初められて貴族様の屋敷で幸せに暮らすの」
そんな事を言っていた彼女は、客から移された病で呆気なく逝ってしまった。
幸せとは何だろうか?
気づいた時には男に身体を売り、それしか生き方を知らない娼婦。
同族ではない人の中で生きてきた獣人の少女。
「幸せになりたい」
そう願っても獣人の少女には、どうすれば幸せになれるかなんて解らなかった。
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「女物の服を買いたい。
大きさは彼女に合わせて、4、5着くらい」
「もちろんあるよ」
ジャスパー・ファーウッド。
騎士爵と乗騎に真竜を持つ竜騎士。
そして狐嬢を買った御主人様。
そのジャスパーが狐嬢を連れて酒保商人の店に来ていた。
狐嬢は着の身着のままで買われたため着替えも日用品も持っていない。
廃都市から焼け出され、他の土地へと流れていった娼館の仲間たちの持っていた服や小物を譲って貰うわけにもいかないし、酒保商人から買った方が早いとジャスパーは狐嬢を着の身着のままで買った。
そして狐嬢のために買い物に来ているのである。
「あの…そんな沢山の服は…」
さすがに1着というわけにはいかないが、2着あれば洗濯して着回せる。
そう考える狐嬢だが、御主人様は別の考えらしい。
「言っとくけど、ウチで扱う服は古着だよ」
「それでいいよ、新品は大きな街に行く事があった時に買うから」
「新品?」
狐嬢のような場末の娼婦の服なんて古着で十分だろう。
新品の服なんて貴族様とか裕福な商人が着る物だ、というのが狐嬢の認識。
「これなんかどうだい?」
酒保商人の爺さんが出してきたのは、服というより一枚の布。
一枚布の真ん中に穴があり、そこに頭を通して身体の前後に布を垂らし腰あたりを紐で縛る最低限の衣服だろう。
狐嬢の身長からして布は前も後ろも太ももの上部辺りまでの長さしか無いだろう。
「もっとマトモな服は無いのか?」
狐嬢からすれば、部屋着ならその程度でも仕方ないと思うのだが、ジャスパーは不満らしく酒保商人に詰め寄る。
そのジャスパーの耳に酒保商人が何か囁く。
そうするとジャスパーは狐嬢の身体を上から下まで見た。
頭に『?』を浮かべる狐嬢。
ジャスパーは、わざとらしく咳払いしてから言った。
「その服も貰うが、他のも見せてくれ」
狐嬢には聞こえなかったが、酒保商人はジャスパーに、こう囁いたのだ。
「あの娘が下着なしでコレを着たところを想像してみなよ」
その言葉を聞いたジャスパーの頭の中に想像された物は言うまでもなかった。
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酒保商人が出してきた複数の服を狐嬢は品定めする。
古着であるから品質にはバラつきがあるのは仕方ないが、ジャスパーという上客との関係を悪化させる気がない酒保商人は古着の中でもマシな物を出してくれたようだった。
「尻尾の穴は必要だろうし、細かい調整は別料金で仕立て直すよ」
「裁縫なら私にも出来ますから自分で直しますが」
「それじゃ、コイツが必要だな」
酒保商人の提案に狐嬢が、そう答えると酒保商人は裁縫道具を出してくる。
商魂たくましい事である。
狐嬢はジャスパーに言われるまま服を選んでいると酒保商人は服の棚の奥から2着の服を出してきた。
それは貴族の屋敷で働く女中が着るメイド服が2着。
「これは、ある貴族家の屋敷の衣替えの時に処分された品でね。
使ってる布は上質だし、作りもしっかりしてるよ」
「ほう…」
ジャスパーは古着を選ぶ狐嬢を再び上から下まで見る。
ジャスパーの脳内に浮かんだのは、前世で悪友と行ったメイド喫茶。
(『メイド喫茶あんでぃご』とかいう店だったっけ、『子猫三号』ってメイドさんが可愛かったな)
そんなメイド喫茶のメイドさんに負けない美少女が目の前におり、自分専用のメイドさんに出来る。
その様を想像してジャスパーは、ウヒヒと笑う。
「ところで2着あるわけだが」
「両方買おう」
「毎度あり、それでだな」
「なんだい爺さん」
「このメイド服を仕立て直せるわけだ」
「ほう?」
「例えば1着のスカートを短くするとかな」
酒保商人が出してきたメイド服はロングスカートの代物。
貴族の屋敷で働くメイドに相応しい服だろう。
だが、夜の…例えばベッドの上なら?
「別料金でいいんだな?」
「もちろんさ」
二人の男は下心しか無い笑顔で頷きあった。
そんな兄をハルは、日本なら御歳暮の贈答品にありそうな大きなハムの塊を齧りながら見ていた。
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「服の直しだ、採寸してやりな」
酒保商人が店で働く中年女性に声をかけ、中年女性に連れられ狐嬢は天幕の中に消える。
中で狐嬢の服を直すために身体の寸法を測るのだろう。
狐嬢が天幕に消えたのを見届け酒保商人が真面目な顔になった。
「あの獣人の娘が元娼婦だってのは本当か?」
その質問にジャスパーはタメ息をつく。
廃都市は辺境砦の慰問所になっていた。
狐嬢を娼館で見かけた人間は複数いたようで、ジャスパーが何も言わなくても狐嬢が元娼婦という噂は広がっていた。
そして将来が嘱望された竜騎士であるジャスパーにお節介な事を言う貴族や騎士は多数いたのである。
『娼婦と遊ぶのはいいが、結婚相手には家柄が良い女性を選ぶべき』
そんな話を何度も聞かされた。
さらに結婚相手に自分の娘や妹を薦めてくる人間もいるくらいだ。
まだ肉体年齢14歳のジャスパーからすれば結婚の話なんて、まだまだ先の事としか思えないし、狐嬢を卑しい女扱いされるのは不快でしか無かった。
今のジャスパーは始めて彼女が出来た男子学生みたいなもので、将来云々より狐嬢の方が重要としか思えなかった。
そんなジャスパーに酒保商人まで小言を言うつもりかと辟易していると、酒保商人は鍵がかかった箱を出してくる。
何か高価な品が入っているらしい箱を開けて出てきたのは2本の薬瓶。
「これは森妖精の万能薬だ」
「万能薬?」
「森妖精が作った魔法の薬で、ほとんどの病を治す事が出来る」
「それが?」
何で、そんな物を出してきたのか理解出来ないジャスパーに酒保商人は、洗濯にせいを出す娼婦たちを見る。
酒保商人が雇っている娼婦たちを見る。
「娼婦が客から病気を移されるなんて話を聞いた事あるだろ?」
「ああ…」
日本でも、そんな病気の話を聞いた事はあった。
まして医療技術が未発達なズライグ王国では治療方法も無く病死した娼婦は多いのだろう。
娼婦も商品として扱う酒保商人も過去に何人もの娼婦の死を見てきたのだろうか?
「あの娘と兄ちゃんの分だ。
これを飲んでおけば大抵の病は治せる」
狐嬢が娼婦と知って、ジャスパーと狐嬢の身体を心配してくれていた酒保商人にジャスパーは素直に頭を下げた。
「そこまで気が回らなかった。
ありがとう爺さん」
「良いって事よ」
そう言って笑う酒保商人の老人は、さらに言葉を続けた。
「万能薬2本で金貨1枚にまけとくよ」
「ですよね~」
酒保商人は商魂たくましく笑った。
そんな様をハルは、繋がったままの長い腸詰めを齧りながら見ていた。
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持ち帰る服を抱えた狐嬢が戻ってきた。
直してもらう服は完成次第届けてもらえるとの事。
今、狐嬢が持っているのは狐嬢が自分で直す事にした服。
「爺さん、魔法具にも詳しいのか?」
魔法薬も扱っている酒保商人にジャスパーは確認する。
「齧った程度の知識だけどね」
そう答えた酒保商人にジャスパーは闇妖精から奪った服と短杖を見せる。
「闇妖精が使っていた魔法具なんだが、使い方とか解るかい?」
「どれどれ」
酒保商人が2つの魔法具をしげしげと見る。
「服は紋様からして『隠れ簑』の類い。
短杖は、ありふれた攻撃術の物だな」
「短杖からは『雷』が出ていた」
「うん、前に似たようなのを見た事があるよ、宝石の配置から『雷の短杖』だね」
酒保商人はジャスパーに短杖を返し、武器を買う客が試し切り出来るように立ててある古びた鎧を指差す。
「彼処に短杖を向けて『雷よ』って唱えてみな」
言われたままにジャスパーは短杖を構える。
「『雷よ』」
次の瞬間、短杖から雷が走り…
立ててある鎧から外れて近くの樽に直撃して樽をバラバラにした。
そして…
「あれ…?」
「騎士様っ!?」
ジャスパーは全身の力が抜けて倒れかけ、狐嬢に支えられた。
「何だコレ…」
何とか立ち上がったジャスパーに酒保商人が告げる。
「闇妖精が使ってたって言ったね?
見ての通り、魔力量が少ない人間が使うと一発で魔力を使い果たしてブッ倒れる事になる代物だな」
「口で説明しろよ…」
「ああ、すまないすまない」
全く悪びれない口調の酒保商人にジャスパーは苦笑する。
「こっちの服も魔力が強い種族しか使えないだろうね。
ただ着るだけなら服として使えるけど」
「せっかく手に入れても使えないって事か…」
「それで、どうする?
王都の専門商人に売れば、それなりに高く売れるよ。
森妖精の冒険者とか魔力が高い者には使えるし、魔法具を集めてる好事家の貴族なんてのも居るしね」
「使えないんじゃ売るくらいしか無いか」
「今すぐ換金したいなら引き取るけど、ウチは専門じゃないしな。
大分安く買い取る事になるよ」
ジャスパーは2つの魔法具を見る。
雷の短杖は一回切りの捨て身の切り札としては使えるだろうか?
しかし命中率は低いようだし、練習も難しいだろう。
隠れ簑の服は全く使い物にならないだろう。
そもそも、こんな服をジャスパーが着るとか完全に罰ゲームだ。
今すぐ売ってしまうか?王都に行く機会を待つか?
そんなジャスパーを支える狐嬢から女の子の香りがした。
「……」
「あの?騎士様?」
ジャスパーは狐嬢の身体を上から下まで見る。
そして、隠れ簑の服を見る。
魔法具としては使えなくても服としては使える。
「せっかく手に入れた物だし売る前に一度使ってみるか…」
ジャスパーはスリングショット水着に似ている衣装を着ている狐嬢を想像して売るのは後にする事に決めた。
そんな様子をハルは、巨大なチーズの塊を齧りながら見ていた。
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「こんなに買っていただいて本当にいいのですか?」
狐嬢は自分用に買って貰った様々な品を前に言った。
ジャスパーの部屋は、扉でニ部屋に分かれた部屋に変えられていた。
一部屋がジャスパーの寝室で、もう一部屋が…ハルの領地である。
夜に兄が狐嬢と二人で過ごせるようにハルが自分の部屋を所望しジャスパーが暗い眼をしたユーリアに頼みこみ用意して貰った部屋。
「必要な物は必要ですから」
「でも…」
「じゃあ、お礼として1つ狐嬢さんにお願いします」
「何でしょうか?」
少しだけ身構える狐嬢にジャスパーは言った。
「僕の呼び方『騎士様』ってのを止めて下さい」
「それでは『御主人様』とお呼びすればよろしいでしょうか?」
一瞬だけ『御主人様』呼びに心が動いたジャスパーだが。
「普通にジャスパーと呼んで下さい」
「ジャスパー様」
「『様』は止めて下さい」
何か、誰かの顔が思い浮かんだ気がした。
「あの…その…ジャスパー…さん…」
「それでお願いします」
何故、ハルの事は普通に『ハルさん』なのに自分を『ジャスパーさん』と呼ぶのに抵抗があるんだろうか?と、ジャスパーは不思議に思った。
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「天馬隊は偵察を強化する」
辺境砦と目と鼻の先にある廃都市への奇襲を察知出来なかった事に危機感を持った辺境伯は偵察を強化する事を命じた。
偵察に飛び立つ天馬騎士の中に、辺境伯令嬢ユーリアの姿もあった。




