第1話…此処で会ったが14年目
ズライグ王国の西端ウォードエンド辺境伯領より程近い地域にセイブルの村はある。
そのセイブル村の一帯を治める領主騎士モンド・ファーウッド卿の三男ジャスパー・ファーウッドは平凡な少年だった。
年齢は14歳、武芸も学問も可もなく不可もなくと言ったところ。
多少なりと優れていると言えるのは金髪に碧眼を持つ顔立ちが整っている事だろうが、母親によく似た顔付きは柔和で女性的で、同年代としてはやや低い身長もあって騎士の風貌としては評価を下げる事になるかも知れない。
そんなジャスパーは、自室で眠れぬ夜を過ごしていた。
ズライグ王国では15歳で成人と認められる。
ジャスパーは自分の将来の道を悩んでいたのだった。
三男では親から継げる領地や財産があるはずもなく、七つ歳上の長兄ラルドも六つ歳上の次兄シュラーも健康で優秀。
次期領主は長兄ラルドで間違いないし、領主の補佐役の地位も次兄シュラーで不足ない。
歳の離れた三男には領地に居場所など無かった。
あとは領地を出て、領地を持たずに王族や大貴族に給金を貰い雇われる一代限りの騎士となるか、あるいは下級役人になるか。
他にも幾つか道はあるが、暮らしていくには不足ないが贅沢は出来ない程度の給金を貰い生きていく生活には変わらない。
「サラリーマンみたいだな」
不意に出た独り言。
「サラリーマンって…」
次の瞬間にジャスパーの脳内に、ジャスパー・ファーウッドとして生きてきた14年間とは違う前世の記憶が一気に甦ってきた。
薮崎明は日本の田舎町に住む平凡な高校生だった。
そして高校二年生の夏、妹の悠と一緒に下校途中、いきなり道路脇の山肌から大きな岩が落ちてきた。
覚えているのは妹を庇おうとして、結局一緒に岩の下敷きとなり潰されたという事だけ。
そして薮崎明は、ジャスパー・ファーウッドとして異世界転生したという訳だ。
「うーん、思い出したところで何かあるわけでもないか…」
ズライグ王国の文化技術レベルは、高校生レベルの知識から見ると中世ヨーロッパくらいだろうか?
しかし、実際の中世ヨーロッパとは、かなり違う。
例えば魔力と呼ばれる力の存在だ。
呪文を唱えたら火玉や稲妻の魔法が射てるなんて事はないのだが魔法具と呼ばれる物は存在する。
生物学的にも魔力を身体に蓄え物理的にあり得ない力を発揮する魔獣と呼ばれる生物が存在するし、人間とは別の人型知的生命体・亜人も存在する。
そんな世界で平凡な高校生の知識で現代知識無双なんて事が出来るのかと言えば…
「無理だよな、銃の存在を知っていても内部構造なんて知らないし、火薬を1から作る知識もないし…」
もっと簡単で平和利用可能な物、例えば料理とか?
「調味料とか食材とか、ちょっとコンビニで買ってきますってわけにもいかないしな」
料理人でもない高校生の料理知識と技能で、料理で大儲けなんて出来るはずも無かった。
他にも色々考えた結果。
ジャスパーの出した結論は、自分には知識チートなんて無理という事だった。
平凡な高校生の知識じゃそんな物だ。
漫画や小説である転生特典チート能力がないかと考えたが、もちろん武芸、学問共に凡庸なジャスパーにはあるはずもない。
少なくとも現時点では前世の記憶があると主張する痛い人間というだけしか他人と違いなど無かった。
「農奴とか貧しい家に産まれなかったのが転生特典と考えるか」
騎士家の三男という微妙な立場だが、今まで生活に苦労しなかったのだから満足するべきだろう。
「そして給料もらうために働くサラリーマンになって平凡に暮らしました…か。僕らしいと言えば僕らしいのかもな」
もう寝ようか、ジャスパーは窓を閉める。
月明かりが遮られ部屋は真っ暗になるが長年過ごした自室では困るわけもない。
この時までジャスパー・ファーウッドは平凡な騎士家の三男だった。
その声が次の瞬間に響くまでは…
「ここに居やがったか糞兄貴ーっ!」
碧色の竜に転生した妹が窓を突き破り突入してくるまでは…
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「ジャスパー、その生き物は何だ?」
次兄シュラーの詰問。
ジャスパーは長兄であり王都で翼竜騎士団の団員として勤める父の代わりの領主代行である長兄ラルド=ファーウッドの執務室に呼び出されていた。
外からはファーウッド家に支える執事がジャスパーの部屋の窓を修理する音が聞こえる。
深夜ジャスパーの部屋から響き渡る大きな音にファーウッド家の屋敷の面々が気づかぬはずもなく、何事かと武装した兄たちがジャスパーの部屋に突入してみれば、一つしかないベッドの領有権を廻って殴り合うジャスパーとドラゴンの幼生という謎の状況。
そして一人と一匹は、領主代行たる長兄ラルドの執務室に連行され尋問を受けているというわけだった。
詰問する次兄シュラー、長兄ラルドは燭台の明かりで手元の本に目を落としている。
「シュラー兄さん、この竜は僕が先日、森で拾ってですね、隠れて世話をしていた訳でして…」
シュラーは椅子に座るジャスパーの膝の上で欠伸をする生き物を睨むように見る。
「亜竜か下位竜の幼体だろうが、そいつらが人間に懐く事は極めて稀だと知っているな?」
亜竜、下位竜。
どちらも知能は動物並みしか無い魔獣であり、成長すれば7~8メートルになる。
亜竜の一種である翼竜は極少数が国家騎士団で飼育されており翼竜騎士という翼竜に騎乗して戦う騎士も存在する。
しかし、それは例外中の例外だ。
大半の亜竜や下位竜は人間を肉の塊としか認識しておらず、幼体の頃から飼い慣らしても懐く事など極めて稀。
国家騎士団で飼育している人間に慣れた翼竜でさえ竜舎員や翼竜騎士が襲われ怪我をしたり死亡する事故が起きる程に狂暴なのだ。
「その幼体の種類は分からないが、飼ったところで懐かず、成長すれば村人を襲う事になるだろう。翼竜騎士である父上の苦労を知らないお前ではあるまい」
ジャスパーの父モンドは翼竜騎士の素質が認められ王家直轄の翼竜騎士団の一員となっている。
その苦労を息子たちが知らないはずも無かった。
「ハル、お前の口から兄さんたちに説明してくれ」
ジャスパーは小さな声で膝の上の子供ドラゴンに言った。
ハルが人語を話す知能があると証明出来れば、獣のように人間を襲ったりしないと説明できる。
しかし、ハルは『ウヒヒヒ』と奇妙な笑い声のような鳴き声を上げた後に口を閉じる。
「無理だよ、兄貴」
「何がだ?」
「私の口は人間の言葉を話すように出来ていない」
「冗談言ってる場合か?実際話しているだろう?」
「兄貴が私の言葉が解るのは念話だよ、そして兄貴以外の人間には受信出来ないみたいだ」
冗談を言っているわけでは無いらしい。
実際、ジャスパーにはハルの言葉…というか意思は念話とやらで伝わっているがシュラーやラルドには伝わらないようだ。
二人にはドラゴンの幼体にジャスパーが独り言を言ってるようにしか見えていないようだった。
「ジャスパー、その幼体は危険だ、本当なら殺せと言いたいが…」
シュラーの言葉をラルドが遮った。
「ジャスパー、その竜の指は何本だい?」
「手足共に五本です」
質問の理由が分からないまま答えるジャスパーにラルドは本を見たまま確認する。
「手足の指が全て五本で、頭に角があり四肢と翼がある、そうだね?」
ジャスパーは膝の上の生き物の外見を確認する。
短いが手足があり指は五本ずつ、頭には頭頂部から後頭部へと流れる二本の角、背中には小さいが翼がある。
「ラルド兄さん、その通りです」
その返答にラルドは本から目を上げ、ドラゴンの幼体を観察する。
「驚いたな真竜だ」
「この幼体が真竜?!」
「そうだよシュラー、真竜あるいは古竜と呼ばれる竜種
亜竜や下位竜とは違う本物の竜だ」
シュラーが驚きの声を上げ、ラルドが説明する。
真竜あるいは古竜。
人語すら解する高い知能を持ち、空を飛び、口から火炎を吐く、最強の魔獣。
そして約800年前にズライグ王国の危機を救った英雄である竜騎士が騎乗していたとされる聖獣。
ズライグ王国が翼竜という亜竜を危険を承知で飼育しているのは、その戦闘力もさる事ながら国を救った英雄である竜騎士にあやかって、真竜に見た目が似た翼竜に象徴的意味を見いだしているからだ。
「シュラー、聖獣である真竜を殺すわけにはいかないよ。
それに真竜なら成竜には人語を解するほどの知能があるはずだ。
むやみに人を襲う事は無い」
シュラーは、ラルドの言葉に半信半疑といった様子。
何しろ真竜とは伝説の存在で本物を見た人間などいないからだ。
例えば竜殺しの英雄譚などは各地に伝わるが、その大半が真竜と見た目が良く似た下位竜や亜竜を退治した話に尾ひれが付いた物で、倒した竜の遺物を調べて真竜だと判明した例は無い。
ズライグ王国に伝わる800年前の英雄たる竜騎士の逸話も長い時の間に変化しているのは間違いないだろう。
「我がファーウッド家は翼竜騎士を排出する血筋とはいえ、真竜と出会うなど…」
ラルドから竜種について書かれた本を見せられシュラーは唸る。
森で弟が伝説の竜を拾ってきたなど吟遊詩人の詩くらいに都合が良すぎる話だ。
「ほほう?私は、そんな凄い生き物なのか?」
ジャスパーの膝の上でハルが偉そうに腕組みする。
その様を見たジャスパーの脳裏に名案が浮かんだ。
「ラルド兄さん、シュラー兄さん、この竜に人間並みの知能があるって証明する方法があります」
「何だいジャスパー?」
「人間並みだと?」
驚く二人の前にジャスパーは羊皮紙を持ち出す。
そして数字を書いた。
「ハル、1+1は?」
「兄貴、私をバカにしてるのか?」
そう言いつつハルは羊皮紙が広げられた机の上に飛び乗り、数字の2を手で指す。
ジャスパーの次々出す簡単な算数問題をハルは数字を指し答えていく。
途中でラルドが問題を出してみたが、ハルは当然正解してみせる。
簡単な計算問題だが、平民で読み書きや計算が出来る者は少ない。
ハルが知能を持つ事をラルドもシュラーも認めるしか無かった。
こうして真竜の幼体ハルはファーウッド家に迎え入れられた。
深夜にも関わらずハルには専用の寝床が用意され…
「糞兄貴…此処は何処だ?」
「馬小屋だな」
騎士に軍馬は必須の存在。
当然ファーウッド家の屋敷にも馬小屋はあり軍馬が飼われている。
その馬小屋の一角にハルの寝床はあった。
馬の獣臭と馬糞の臭いが立ち込める馬小屋の一角に藁が敷き詰められただけの寝床である。
「こんな場所で乙女に寝ろというのか?
許せん!!私は訴訟も実力行使も辞さない!!」
ハルは人間時代に師匠より受け継いだ古流武術の構えをとる。
3分33秒に渡る兄妹の激闘の末。
ハルの寝床はジャスパーの部屋の床に古い毛布を敷き詰め作られる事になった。
しかし…
「私がベッド!糞兄貴は床!!」
態度がデカイ生物がベッドを占領していた。
真竜
ズライグ王国で聖獣とも言われる最強の魔獣…の幼体は実力行使で兄からベッドの領有権を奪ったのだった。
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ズライグ王国西端ウォードエンド辺境伯領。
それは光の門だった。
何も無い荒野に高さも幅も数キロメートルに渡る巨大な光の門が出現した。
アンドレイ・ウォードエンド辺境伯の妾腹の娘、女騎士ユーリア・ウォードエンド卿は、愛馬たる天馬に乗り上空から光の門を見ていた。
天駆ける翼を持つ天馬は臆病で戦闘には向かない魔獣だが、その飛行速度から偵察や連絡に使われている。
今回のユーリアの任務は光の門の偵察。
おおよそ十年周期で出現する門は異界と繋がり、異界より侵略者が出現するのが常。
辺境伯軍・兵数3500は、ここより数キロメートル離れた砦より出陣し、近くの丘の上に集結して侵略者を撃退する準備は出来ている。
門より隊列も何もなく20匹~30匹程度の群れが多数雑多に進み出てくる。
身長は130cm程の子供程度の体格をした亜人たち。
体色は様々だが緑色や茶色の者が多いようだ。
かぎ鼻に乱杭歯と尖った耳に疎らに生えた髪、そんな醜い顔をした小鬼と呼ばれる亜人の群れ。
武装は粗末な石槍や石斧、棍棒などで金属製の武器は見当たらない。
鎧と呼べるような物は部族の族長などが獣の毛皮を身体に巻き付けている程度で、腰ミノ等で辛うじて股間を隠している者が大半だ。
その戦闘力は、武装の粗末さと小さな体格による筋力の低さから、十分な訓練を受けていない農民兵にも劣る。
通常ならば警戒するような敵では無い。
しかし、今回は1つ通常とは違っていた。
当年16歳のユーリアが門を実際に見るのは初めてとはいえ、ズライグ王国の守りたる辺境伯家の娘が、前回の敵の数を知らないわけも無い。
前回、門より出現した小鬼の数は5000匹と聞いていた。
しかし、今回は…
「5000…いや、8000…まだ増えている?!」
小鬼は敵の前衛、雑魚にすぎない種族だ。
それが途切れる事なく門から吐き出され続けている。
「敵、前衛部隊だけで一万だと?!」
ユーリア・ウォードエンドは上空を飛ぶ天馬の背の上で眼下の敵の数に戦慄した。