第17話…女の温もり
闇妖精シャンディエンの短杖から雷が走る。
この短杖は魔力により物理法則を無視した効果を発揮する魔法具。
高い魔力を持つ闇妖精が内蔵魔力を消費する事で発する雷は人間ならば一撃で即死しても不思議ない威力。
矢などとは比較にもならない速度の雷を見てから避ける事など出来ないだろう。
まして姿を不可視化する魔法具である衣装を纏い、雷撃発射直前まで姿を消していたシャンディエンの攻撃は完璧な不意打ち、例え最強の魔獣でも避けられるはずもなかった。
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「ヒィギァァァァァーッ!!」
夜空に悲鳴が響き渡る。
「シビビビビィィィレレレ~」
雷の直撃を受けたハルは墜落する。
地上スレスレでジャスパーと狐嬢は地面へ投げ出され、ジャスパーがお姫様抱っこした狐嬢を庇い背中から地面に落ちた。
「狐嬢さん、怪我は?」
「私は大丈夫ですが…」
狐嬢の視線の先。
墜落したハルが幼体に戻り痙攣していた。
「ハルっ!しっかりしろハルっ!」
「うわわわ…痺れた…」
「ハル、攻撃を受けたのか?」
「そうだよ!」
「とりあえず、この場を離れよう。
攻撃してきた相手が近くに…」
そう言いかけジャスパーは止まる。
ジャスパーの瞳に映るのは美しい女。
地に落ちた竜の巨体が見えぬ事を不審に思いに確認に来た闇妖精シャンディエン。
「闇妖精っ?!」
「痴女っ?!」
その姿に兄妹は同時に叫んだ。
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雷撃の短杖の些細な欠点としては、使用時の消費魔力量から、姿を不可視化する隠れ身の衣装への魔力供給が途絶え効果が失われる事。
「スリングショット!あんな変態水着を着てる痴女なんて始めて見た!」
ハルが痴女呼ばわりする露出度が高い不可視化の魔法具である衣装を纏うシャンディエン。
「あの幼体が成竜に変身していたのか?」
そう判断しながらシャンディエンは、頂点部がギリギリ隠れた豊かな胸を揺らしながら再び雷撃を放つ。
狙ったのは竜の幼体、廃都市に遊びに来ていたのだろう竜騎士は長剣こそ帯びているが鎧を身につけているわけではない、一緒にいる狐種の獣人は娼婦の類い。
つまり最も脅威となるのが竜の幼体であるから優先して攻撃するのは当然であった。
雷が走りハルに直撃する。
高い身体能力を持つハルでも雷より速く動けるわけではない。
撃たれたなら避ける術はなかった。
「シビビビビィィィレレレーッ!」
バチバチと電撃の光が舞い、ハルは感電して転げ回る。
「くそっ!!」
雷撃を放ったシャンディエン目掛けジャスパーが短剣を投げるが、短杖に軽々と弾かれた。
そして、シャンディエンは不可視の魔法具を起動して姿を消す。
「消えた?!消えたぞ兄貴!?」
感電から立ち直ったハルが驚き叫ぶ。
「闇妖精は高い魔力を持ち、魔法具の作成に優れた種族だ!」
「何それ?ズルくない?チートじゃない?」
アニュラス界一のチート生物の幼体が文句を言うが、言った所で現実は変わらない。
姿を消した闇妖精に不意打ちされる事を恐れたジャスパーは狐嬢とハルの手を掴むと道端にあった樽の影に隠れる。
「あの闇妖精にハルが変身するのを知られたか?」
「そんな事より、この場をどう切り抜けるかだよ兄貴」
「そうだな、姿を消す魔法具に雷撃の魔法具か、やっかいだな」
「私なら後2、3発くらい耐えられるけど。
兄貴や狐嬢が喰らったら即死してもおかしくないぞ」
ジャスパーは狐嬢を見る。
自分たちは亜人軍と戦う辺境伯隷下の騎士。
戦って死ぬのは覚悟の上だが狐嬢は無関係だ。
狐嬢だけは絶対に守らなければ…
そう考えるジャスパーと同じ事を思ったらしいハルは珍しく自分から戦術を提案した。
「兄貴、自分が姿を消せるなら、どこから攻撃する?」
ハルの眼には決意の色があった。
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姿を消し不意打ち出来る自分の方が圧倒的に有利。
シャンディエンは、そう判断する。
姿を消したシャンディエンを倒すための方法は限られる。
例えば竜が成竜形態になり広範囲を竜の息で焼き払うといった方法はあるが、的が大きくなればシャンディエンの雷撃は簡単に命中するし、最悪の場合は姿を消したまま逃げる事も出来る。
圧倒的に有利であり、つまらないミスをしない限り確実に勝利出来る。
人間の愚かさを小馬鹿にするシャンディエンの前に樽の影に隠れていた竜騎士が姿を表す。
シャンディエンは人間を見下しているが、愚かではない。
彼女は攻撃の瞬間に姿を表さなければならない魔法具の欠点を理解し安全策を取る。
すなわち敵の視界に入らない背後からの不意打ちを選択する。
シャンディエンの眼に竜騎士が奇妙な形の背嚢を背負っているのが見えたが、そんな物で雷撃を防げるはずもない。
「雷よ!」
シャンディエンの短杖から雷撃が走り、ジャスパーの背中を直撃した。
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「ヒィギァァァァァーッ!」
ジャスパーの背中から響き渡る妹の悲鳴。
ジャスパーの背中に張り付き雷撃を防ぐ盾になっていたハルの悲鳴。
姿を隠せて不意打ちするなら、最も狙われる確率が高い場所は背中。
そう考えたハルが選択した、自分がジャスパーの背中に張り付き盾になる戦術。
それは功を奏し初撃を防ぐ。
「そこかーっ!」
振り向くジャスパーの眼がシャンディエンを捉えるが、一息に間合いを詰め斬りかかれる距離ではない。
強力な飛び道具を持つシャンディエンが、わざわざ剣の間合いに入ってくるわけがない。
シャンディエンは人間を小馬鹿にしているが油断していなかった。
ジャスパーが再び短剣を投げてくる可能性は理解していた。
そして、シャンディエンの体術の技量も低くは無い。
闇妖精は単純な腕力では人間に劣るが敏捷性では優る。
短剣の投擲程度は弾くのも避けるのも難しくない。
そう、投げられた物がマトモな物だったのなら…
ジャスパーは感電したままのハルの尻尾を掴む。
そして…
「ハル!!行っけーっ!!」
必殺『妹ミサイル』
ジャスパーは、ハルを闇妖精目掛けて投げつけた。
「なんだとっ?!」
投げられたのが短剣や投矢ならシャンディエンは冷静に対処できただろう。
だが竜の幼体を投げつけるという攻撃に一瞬だけ意表を突かれた。
その一瞬でハルはシャンディエンに激突し2人は縺れ合い倒れた。
「邪魔だ!!」
自分目掛けて走るジャスパーを見てシャンディエンは焦りながらハルを引き剥がし地面を転がって距離を取った。
シャンディエンの手には雷撃の短杖。
長剣の間合いに入らなければシャンディエンの有利は変わらない。
「おのれ!恥をかかせおって!!」
下等と蔑む人間に一矢報いられた事に、シャンディエンは憤る。
そんなシャンディエンに、ゆっくり立ち上がったハルが手にした何かを振ってみせる。
「ウヒヒヒ」
ハルの言葉はシャンディエンには解らない。
しかし、その悪意に満ちた眼の意味は理解する。
『恥をかくのは、ここからだ』
そんな悪意を理解する。
そして、その理由に気づいたシャンディエンは恐る恐る自分の身体を見た。
「きゃあああああーっ!!」
ハルが振っていたのはシャンディエンの服だった。
ハルがスリングショット水着と称したV字型の服は簡単に脱げ奪われてしまっていた。
生娘のような悲鳴を上げて裸身を隠そうとするシャンディエンの前で、ハルは奪った衣装の匂いを嗅ぐ。
「ふむふむ、魔力の匂いがする魔法具だな」
「匂いなんてするのか?」
「兄貴…女の服の匂いを嗅ぐとか変態臭いぞ」
「そういう事を言うなよ!」
自分が着ていた服の匂いを人間の男が嗅ぐ様をシャンディエンは激高した。
「貴様!私の服を返せ!!」
思わず服を取り戻そうと走るシャンディエン。
間合いを詰めるためジャスパーも片手半剣を構え走る。
「狐嬢!パス!」
「はっはい?!」
ハルはシャンディエンの服を狐嬢に向かって投げると、向かって来るシャンディエン目掛け走り出す。
近接戦闘ならば霧宮流古武術の使い手たるハルが負けるわけは無い。
シャンディエンの手に雷の短杖が無ければだが。
シャンディエンは激高していても高い知能を持つ闇妖精。
自分に向かって走る一人と一匹の内、ジャスパーを最初の標的にする。
人間が雷撃を受ければ命は助かっても戦闘不能になるだろう。
「雷よ!」
左手で胸を隠しながらシャンディエンは右手の短杖を発動させた。
シャンディエン目掛け走る兄妹。
兄は、自分に雷撃が当たれば即死するだろうと解っていた。
だから…
「馬鹿なっ!?」
シャンディエンの驚愕の声。
「えっ?」
樽の後ろから見ていた狐嬢の声。
「ヒィギァァァァァーッ!」
そして、感電して悲鳴を上げるハル。
必殺『妹シールド』
ジャスパーは隣を走っていたハルの尻尾を掴むと雷撃を防ぐ盾にする。
そして、感電して動けなくなったハルを投げ捨てると体当たりするような突きを放った。
「私が…人間ごときに…」
ジャスパーの片手半剣の突きはシャンディエンの腹部を貫通し、その命を奪った。
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殺した…
女を殺した…
いや違う!
こいつは敵だ!
殺さなければ、こっちが殺される敵だ!
ただ敵を殺しただけだ!
今まで殺してきた小鬼や岩鬼と何も違わない。
人間に似ているだけで人間では無い亜人だ!
そう思っても、頭で理解しようとしても、その感触は生々し過ぎた。
見目麗しいから、小鬼や岩鬼のように醜くないから、そんな理屈ではなく。
ジャスパーの身体に、人を殺した感覚が襲いかかる。
柔らかい女の身体を貫き殺した感触が襲いかかる。
「うっ…ぐっ…」
カランと剣が手から落ち音を立てる。
ジャスパーは必死で吐き気に耐え、口を手で押さえる。
人を殺した感触が怖い、人を殺した感覚が気持ち悪い。
膝から崩れ落ちるジャスパーを狐嬢は見ていた。
娼婦。
身体を売る卑しい女。
そう蔑む者は多い。
街によっては娼婦は違法であり、処罰される事になる。
そうでなくても風紀を乱すとして忌み嫌われる事は多い。
そんな身の少女。
それでも少女は知っていた。
辺境砦は亜人軍と戦う最前線。
そんな場所で、伴侶も恋人も側にいない場所で命の危険に晒される兵士たち。
人にあらざる者だからと人に似た者を殺さねばならない兵士たち。
女の身体の温もりが兵士を癒す事を少女は知っていた。
女の身体の温もりが兵士の心を支える事を少女は知っていた。
だから狐嬢はジャスパーの頭を自分の胸に押し付けた。
この少年が少しでも楽になれるようにと押し付けた。
狐嬢の胸の中で少年は嗚咽を上げた。
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ハルは死んだ闇妖精が落とした短杖を拾う。
この短杖からも魔法具の匂いがする。
拾っておけば何かの役に立つだろう。
そんな事を考えるハルは、小さく聞こえる嗚咽が聞こえないふりをした。