第15話…あの娘が傍に欲しいんだ!
獣人。
その名の通り獣と人の中間のような姿の亜人である。
中間と言っても、人に近い身体で一部だけが獣の物という姿から二足歩行する獣といった姿まで幅広く、獣の部分が何の獣であるかの差もある。
結果として、獣人という種族名は、人と獣の中間の姿の亜人の総称でしかない。
ジャスパーは目の前の少女を見る。
年齢的にはジャスパーより1つ2つ歳上に見えるが種族が違うため外見年齢は当てにならないかもしれない。
頭の上には白い狐耳、臀部に生えた六本もの白い狐尻尾。
身体は驚く程に細く青年漫画雑誌の表紙を飾るスレンダーを売りにするグラビアアイドル並みか、それ以上。
顔立ちは整っており、この娼館を含めて風俗街で声をかけてきた他の女性たちより数段上のランクだろう。
狐嬢と名乗った娼婦は小首を傾げて見せる。
その姿は大人の女性の色香と少女の健康的魅力を両立させているようだった。
「その娘に目をつけるとは、騎士様は御目が高い」
そんな声をかけてきたのは娼館の女将らしい中年女性。
かなり太り、顔の皺などに加齢を感じさせる女将は、狐嬢に釘付けのジャスパーを上客と見てか矢継ぎ早に言葉を繰り出す。
「この娘は見ての通りの美形でして、それでいて獣人ですからね。
お安くなっておりますよ。
同じくらいの娘を買うのと比べて三割は値引きさせていただいております。
そうそう、この娘がお気に入りでしたら身請けの相談にも乗りますし。
獣人と人では子供が出来ませんから愛妾にしても跡継ぎ問題が起きないのも騎士様へのお勧めでしょうか。
ああ、買う前に身体の方の確認をなさりたいなら服を脱がせて見せますけれども…」
グイグイと薦めてくる女将にジャスパーは冷や汗をかきながら後退る。
とりあえず逃げよう!
そう判断して、ジャスパーの背中から飛び降りていたハルの方を見ると、ハルは狐嬢に娼館の女将より矢継ぎ早な早口で話しかけていた。
あの早口で、よく舌を噛まない物だと感心するレベルで微笑む狐嬢に話しかけるハルを小脇に抱えたジャスパーは女将に話を切り上げるために質問する。
「とりあえず食事をしたいので、この辺でお勧めの飯屋を教えて下さい」
「それでしたら、そこの通りを真っ直ぐ行って右にある『太った猫亭』がお勧めですよ」
「ありがとうございます」
ジャスパーは情報料として銅貨を女将に握らせると逃げるように…いや逃げるようにではなく、本気で走って逃げた。
小脇に抱えられたハルが狐嬢に向かって何か叫んでいたが急いでその場を離れるジャスパーの耳には聞こえなかった。
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「まさか、こんな通路があるとはな」
大猪鬼ヨーク・シャ・バラッハ率いる亜人軍別動隊は、夜闇に紛れて辺境砦を迂回し、砦の東側にある森の中に来ていた。
森の中にあったのは古びた遺跡。
石造りの遺跡からは幾つも巨石を切り出した跡がある。
おそらく辺境砦を建築する際に石を切り出し使ったのだろう。
そんな遺跡に地下通路があった。
道案内してきた闇妖精シャンディエンが見つけたという地下通路。
この遺跡が何の遺跡かは知らないが、通路は廃都市の中へと繋がっているとの事。
ヨークが率いてきた猪鬼戦士団、小鬼王たちが率いる比較的統率が取れた小鬼の群れ、腹を空かせた岩鬼たち。
小鬼や岩鬼は頭が悪く兵士として使えない類いの種族だが、狩猟を行い獲物を捕る種族故に隠密行動の能力は意外と高い。
この地下通路を使って街中から奇襲するのに不足ないだろう。
街の守備兵は、外部の攻撃から街を守るために防壁を中心に展開しているはずだ。
いきなり街の内部に入り込まれたならば対応は後手に回り、簡単に街は陥落するだろう。
「よし、行くぞ。
夜の内に一気に攻め落とし、あらゆる物を略奪するのだ」
ヨーク率いる別動隊が地下通路に突入した。
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女将から薦められた店は、悪くなかった。
もちろん日本のファミリーレストランや大衆食堂より味は劣るかもしれない。
それでもズライグ王国の平民向けの店としては、味も値段も満足出来る方だろう。
ズライグ王国で、ご馳走と言えば大量の肉と酒である。
ジャスパーとハルの前には丸々一頭分ありそうな子羊の肉。
「どうしたハル?食べないのか?」
竜に転生してから魔力不足を補うために食欲の権化となっているハルが、目の前の料理に手を伸ばさないのをジャスパーは不思議に思う。
屋台での食べ歩きで腹が減ってないのだろうか?
「少し臭みがあるが柔らかいし旨いぞ」
ハルは何を考えているのだろうか?
心、ここに在らずと言った雰囲気だ。
もしかして、楽しかった1日が終わる事を嘆いているのだろうか?
明日から始まる退屈な日々を嘆いているのだろうか?
ジャスパーはナイフで肉の一番良い部分を切り取りハルに差し出す。
「んっ…美味しい…」
味など感じていなさそうなハルが、条件反射的に肉を口に含み呟いた。
店を出た後もハルの様子は、おかしなまま。
ジャスパーは砦に帰るためにハルが巨大化出来そうな場所を探す事にする。
夜は、外に繋がる門は閉められており簡単に街の外に出られない。
比較的目立たない場所でハルに成竜形態になってもらって空から帰還するのが手っ取り早いだろう。
明かりが点いた風俗街を離れ暗い路地に入ったジャスパーの背中からハルが降りる。
「ハル?」
そしてハルは地に頭を擦りつけるように兄に土下座した。
「兄貴!お願いだ!あの狐嬢って娘を身請けしてほしい!」
「ハル、どういう事だ?」
「あの娘は私と話せるんだ!あの娘には私の念話が通じるんだ!兄貴以外じゃ初めてなんだ!」
ハルに人間の言葉は話せない。
ハルの口は人語を話すように出来ていない。
ハルの念話を受信出来るのはジャスパーだけ、だからハルはジャスパーとしか話せない。
それは、どれだけ辛い事だったのだろうか?
どれだけ寂しい事だったのだろうか?
楽しそうに話し笑いあう人々の輪の中にハルは入れない。
身振り手振りで意思を伝えるのは難しい。
文字で会話しようにも読み書き出来る人間の数は少ない。
そんなハルが出会った少女。
自分と会話出来る他者。
その人が傍に居てほしいと願うのは当然の事だった。
そう理解してもジャスパーは首を縦に振れない。
「ハル、僕たちが居るのは砦の中だ。
最前線で、いつ敵が攻めて来るかわからない危険な場所だ。
そんな場所に彼女を連れて行くのか?」
辺境砦は亜人軍と戦う最前線。
戦いで陥落しない保証など無い。
無責任に他人を連れて来れる場所では無い。
「それでも…それでも!兄貴以外じゃ狐嬢だけなんだ!話しを出来るのは狐嬢だけなんだ!だから、お願いだ!彼女に傍に居てほしいんだ!」
ハルは必死で懇願する。
地面を握り締め懇願する。
ジャスパーも本当は妹の願いを叶えてやりたい。
でも、賭かっているのは他人の命。
ペットを飼うように簡単に認める事は出来ない。
「ダメなのか?どうしてもダメなのか?」
ハルは涙を流しながら必死で懇願する。
「ハル…」
ジャスパーはハルをどうやって説得しようか考える。
そんな時だった。
ジャスパーとハルは同時に異変に気づく。
「兄貴…」
「ああ、囲まれてるな」
ここは暗く狭い路地。
その両側から複数の人影が迫る。
「前から三人、後ろから二人か?」
夜目が利くハルが不機嫌に呟く。
「武装してるな、斧に槍、あとは棍棒と短剣」
「盗賊か、それとも傭兵の類いか?」
ジャスパーは剣を抜き構える。
「兄ちゃん、羽振りが良いみたいじゃないか?
俺たちにも少し分けてくれよ」
そんな声と下卑た笑い。
ジャスパーが屋台で金貨を出した際に、その場を見ていた男が仲間を集めてきていた。
ジャスパーが人目につかない場所に来るまで尾行し襲って金を奪うために付け狙っていた盗賊たち。
「ふん!私は今とても機嫌が悪い!皆殺しにしてやろうか?!」
「止めろハル、街中で大事にしたくない」
「じゃあ、どうする?」
「ハル、後ろのヤツを蹴り飛ばせ、そして風俗街の方に逃げよう。
明るい場所まで逃げれば追って来ないだろう」
ハルはジャスパーの提案に少し考える
「それなら店の中に逃げこんだ方が確実だろう?
全力で走って狐嬢の居た店に逃げこんで一晩泊まるってのは、どう?」
「そうしようか、いくぞハル!」
「師匠は言っていた!カツアゲするような不良には目にもの見せてやれと!」
『カツアゲってレベルじゃないだろ』と思うジャスパーに構わずハルは一番体格が良い斧使いに飛び蹴りを放つ。
「霧宮流格闘術奥義!竜爪脚!!」
当たれば大猪の頭蓋骨を砕く一撃を受けて斧使いは吹き飛ぶ。
「お頭!しっかりしてくれ!」
ちゃんと手加減したらしく子分が蹴り跳ばされた斧使いに駆け寄ると斧使いは咳き込みながら立ち上がる。
「逃げるぞハル!」
「狐嬢の店までな!」
何やら叫んで追ってくる盗賊たちから2人は全力で逃げだした。
後ろを見ずに必死で走るジャスパーと短い脚を高速回転させてノテノテ走るハル。
2人の目に飛び込んできたのは、格子の中で手を振る獣人の美少女。
「女将さん、あの娘を一晩買いたい!」
狐嬢を指し示しながらジャスパーは叫び店内に飛び込む。
「あいよ!狐嬢!お客さんだよ!」
スッと自然に狐嬢はジャスパーに近づき、その手を握る。
そして二階にある娼婦と一夜を過ごすための部屋まで恋人のように手を繋ぎ向かおうとした狐嬢にハルが話しかける。
「何か、食べ物と飲み物ってある?」
「簡単なお摘みとお酒でしたら」
「じゃあ、それも追加で」
「はい」
ハルの言葉を理解する狐嬢が注文を女将に告げ、ジャスパーは財布から銀貨を取り出し料金を支払う。
「それでは騎士様、行きましょうか」
小さく柔らかな女の子の手。
その感触を考えないようにしながらジャスパーは二階の部屋に向かった。
「バルコニーなんてあるんだな」
元は何の建物だったのか?
その部屋にはベッドが置かれ、窓にはバルコニーがあった。
ハルはバルコニーに置かれた椅子に座り、机に酒とツマミを置かせる。
「ああ狐嬢、ちょっといいか?」
「何でしょうか?」
部屋の中で居心地悪そうに立ちすくむジャスパーを指差しハルは狐嬢に囁く。
「兄貴は内気で恥ずかしがりやなんだ。
こんな場所まで来ても自分から積極的にはなれないから狐嬢から無理矢理って感じで頼むよ」
「若いお客様には、そういった方は居られますから大丈夫ですよ」
「私は、ここで楽しんでるから気にしないでくれ」
「では、ごゆっくり」
そう言って狐嬢は窓を閉めた。
部屋の中から聞こえる声を気にせずハルは葡萄酒を口に運ぶ。
そしてハルはウトウト微睡み始めた。