第13話…妹、爆発する
「もう嫌だーっ!!」
その日、ハルが爆発した。
もちろんハルのお腹にあるドラゴン袋の中の『砲身型原子爆弾』が爆発して辺境砦が爆発四散したわけではない。
そもそも有袋類ではない竜種に腹袋など無い。
ずっと砦内で窮屈な暮らしを強いられていたハルがストレスで爆発しただけである。
「どっかに遊びに行きたいーっ!!」
ハルは、その辺にあった麻袋を被り頭を隠して床をゴロゴロ転げ回る。
頭を覆っているのは誰とも会いたく無いといった主張だろうか?
「ハル、少し落ち着け」
ジャスパーは妹を落ち着かせようと話かけるがハルは聞く耳を持たない。
考えてみれば当然だろう。
娯楽に溢れた日本の女子高生が、テレビもラジオもゲームもネットも無い世界の辺鄙な砦に缶詰め状態だ。
そんな退屈極まり無い状態では、ハルがストレスで爆発するのは仕方ない。
亜人軍の撤退から十日。
辺境砦の最強戦力である竜騎士ジャスパーとハルは砦で待機という退屈な日々を過ごし、ついにハルのストレスは限界を向かえていた。
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門より程近い猪鬼軍の野戦陣地でも問題は起きていた。
族長用の天幕の中で2人の巨漢が睨み合う。
血縁的には叔父と甥になる大猪鬼ハンプ・シャ・バラッハとヨーク・シャ・バラッハ。
「夜闇に紛れて奇襲すれば、あの程度の砦など半日とかからず落ちる!
今すぐ全軍を進軍させろ!」
若い大猪鬼の戦士ヨークは血気盛んであり、先の戦いで竜騎士に騎獣を焼かれた屈辱を晴らそうと焦っているようだった。
族長バークより全軍の指揮を任されたハンプは、族長の指示通りに全軍の待機を命ずるが、それが不満なヨークは毎日のようにハンプに進軍を要求する。
「ヨーク、貴様は族長の命令に逆らうのか?」
ハンプは族長バークの名前を出しヨークを制するが、それだけでヨークを抑えておけないだろう。
猪鬼は指揮官の命令に逆らって独断専行しても戦果さえ上げれば許されるという風潮がある。
そして若い猪鬼たちの間ではヨークの意見の方が主流であり、いつ暴発しても不思議ない状況。
さらに猪鬼には、お互いに退けない事柄を決闘で解決するという伝統もある。
1対1、お互いに素手で戦い、相手を降伏させるか殺すかすれば勝ちという単純なルールの決闘。
それをヨークがハンプに申し込み勝利すれば指揮官代行の地位はヨークに移る事になる。
ハンプとて歴戦の大猪鬼。
その実力はバラッハ氏族屈指であるが、氏族随一の戦士と称されるヨークに勝てる保証は無い。
「小鬼や岩鬼も略奪による戦利品が得られずに焦れている!
このままでは統率できなくなるぞ!」
これも問題だった。
メーガジット界の各種族は、それぞれの思惑で侵攻に参加しており、自分の利益でしか動かないのが常だ。
その最大の目的は略奪により戦利品を得る事。
種族により目的とする戦利品は違う事と『盟主』に逆らう事の危険性から一応の共闘関係にあるが、猪鬼の指揮で戦利品を得られないとなれば好き勝手に動くようになるだろう。
そうなれば亜人軍という組織は崩壊だ。
族長が神鷲を連れて戻るまで軍を維持するのがハンプの役割だが、それは決して簡単な事では無い。
そして猪鬼の中では理知的なハンプも戦いを望む猪鬼であった。
様々な問題を戦いを望む本能のままに進軍を命じ解決させようかという思考をハンプは抑えようとするが、その心の隙間に付け込むような女の声が響いた。
「窮しておるようだな猪鬼の代行」
「誰だ!!」
誰何の声と同時にヨークは手斧を声がした場所目掛けて叩きこむ。
手斧とはいえヨークの膂力と技量ならば相手は即死するだろう一撃。
「おお、怖い怖い、話すら聞く気が無いのか?」
小馬鹿にしたような女の声。
何もない空間で手斧は止まる。
そして手斧を短杖で受け止めた女が姿を表した。
その正体にヨークは叫ぶ。
「闇妖精か?!」
「隠れ蓑の魔法具か」
魔法具で姿を隠し、猪鬼の天幕に侵入していた女。
褐色の肌に尖った長い耳と切れ長の瞳を持つ美女。
ジャスパーやハルが見たならば『スリングショット水着』と表現するだろうV字型で首から股間近くまでが大きく開いた露出度の高い衣装。
人間からすれば妖艶で扇情的な姿の美女であるが、猪鬼の美的感覚で見るならば痩せっぽっちの貧相な女でしかない。
ハンプやヨークら猪鬼にとっての美女とは大柄で恰幅がよい女だ。
そんな種族的な感覚の違いから2人の大猪鬼が色気に惑わされる事はない。
ハンプは胡散臭い闇妖精に問う。
「何の用だ?」
闇妖精はズル賢く陰謀や策略を好む種族。
正面から相手を叩き潰す戦いを好む猪鬼からすれば唾棄すべき姑息な連中。
ハンプもヨークも闇妖精の女に敵意の満ちた目を向けるが、闇妖精の女は小馬鹿にした態度を改めず話す。
「全軍の統率に悩んでいるのでは無いかと思ってな。
指揮官代行殿に1つ策を進言しに来たのさ」
「策だと?」
ハンプは話しだけは聞く気になる。
頭が足りない小鬼や岩鬼と違い闇妖精は少なくとも話しを出来る相手だ。
今の状況を打破する方法があるなら聞いてみる価値はある。
闇妖精の女シャンディエンは猪鬼に向かって話しだす。
「人間共が『辺境砦』と呼ぶ砦の東に『廃都市』と呼ばれる街がある。
砦を迂回し、そこを攻めてはいかが?
目先の欲を満足させる程度には戦利品を得られるでしょう」
その策をハンプは鼻で笑う。
「砦を迂回して街を襲ったところで街の守備兵と戦っている間に、砦から出てきた兵に背後を襲われ挟み撃ちにされるだけだ」
そもそも亜人軍が辺境砦を無視して近隣の都市や村々に向かわない理由が、砦を放置して進軍すると背後から追撃される危険があるからだ。
さらに一万を越える大軍が消費する水や食料を全て略奪で賄うのは難しい。
門との補給線を絶たれては軍は、たちまち干上がるだろう。
「もしも砦の兵にも街の守備兵に気づかれないまま街の内部まで侵入する方法があるとしたら?」
「むっ…」
そうなれば話は別だろう。
短時間で陥落させ略奪が可能なら砦から援軍が来る前に引き上げる事が出来、不満を貯めている連中の憂さばらしになる。
それでも姑息な闇妖精を信用するのは難しいとハンプは幾つか問う。
「それで貴様らの目的は何だ?」
「我らも戦利品は欲しい。
宝石、貴金属、そういった物がな」
闇妖精は強い魔力を持ち、様々な魔法具を作る技術を持つ。
魔法具を作る材料に宝石や貴金属が必要という話をハンプも耳にしていた。
「お前たち猪鬼の狙いは鉄や銅であろう?
それらは譲ろう。
そして我らは宝石と貴金属を貰う。
悪い話ではあるまい?」
メーガジット界には鉄鉱石の鉱山が少ない。
武具に使う鉄は常に不足しており戦闘種族である猪鬼にとってアニュラス界での略奪で最重要な物資は鉄だ。
銅は、鉄より強度で劣るが石や木よりマシとして武具に使われている。
人間たちには価値が低く、人間が使う貨幣では鉄貨は一番価値が低いのだが、逆に言うならば人間の街には鉄貨の形で大量の鉄があると言う事。
人間が有り難がる金貨や銀貨は猪鬼には、さほど価値は無いし闇妖精に譲ったところで問題は無い。
小鬼は道具や布を作る技術に乏しく、人間の道具や衣服を手に入れれば満足する。
岩鬼が望むのは野獣よりも味が良い家畜の肉や人間たちが備蓄している様々な食料。
どちらも街を襲えば手に入り猪鬼や闇妖精の目的と競合しない。
「闇妖精の話など信用出来るか!
やりたいなら貴様らだけでやればよかろう!」
短気なヨークが怒鳴り、シャンディエンは大仰に怖がるふりをしてみせるが。
実際にはヨークを知能が足りないと小馬鹿にしているのだ。
「我ら闇妖精は数が少ない。
戦で同胞を減らしたくは無いのでな」
闇妖精の寿命は長い。
その寿命は千年とも不老であり寿命で死する事が無いとも言われる。
反面、繁殖力が低く数が少ない。
多数の戦死者が出れば種族の維持すら難しくなるのだろう。
強力な魔法具を操る優秀な種族である闇妖精がメーガジット界で亜人たちの頂点に立てない理由が数の少なさ。
「分かった。
戦利品として得た宝石、貴金属を譲る条件を呑もう。
詳しい話を聞かせてもらおうか」
ハンプはシャンディエンの策に乗る事にする。
今の亜人軍の状況は良くない。
解決する策があるなら、それに越したことは無いからだ。
闇妖精の女シャンディエンは妖艶に微笑んだ。
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「ハル、酒保商人の爺さんの店に行こう。
何か食べたら気も変わるだろ?」
部屋の隅で麻袋を被ってイジけている妹をジャスパーは慰めようとするがハルは無視する。
一日の楽しみが一切れの干し肉や一杯の麦酒しか無い砦の兵士たちと比較するならジャスパーとハルは恵まれているだろう。
竜騎士ジャスパーの給金は高く酒保商人から好きな物を好きなだけ買う事が出来る。
ハルの日々の食事は一般兵からすればご馳走の類いだし、部屋には酒保商人に頼んで仕入れて貰った高価な本も数冊ある。
しかし、その程度の娯楽で日本の女子高生が満足出来るはずもない。
ジャスパーは窓の外を見る。
既に日は落ち、夜の見張り以外の人間は眠りにつく時間なのだがハルは自分用のベッドに向かわず部屋の隅でイジけたまま。
妹を我が儘だと叱る事はジャスパーには出来なかった。
竜騎士としての名声も褒賞も全てはハルが勝ち取った物。
ジャスパーはハルという最強の妹に乗っていただけで功績の横取りしてるような物だと思っていたから。
「ハル、近くの街に気晴らしに行けるようにユーリア卿に頼んでみるよ。
だから元気出せよ」
そう話しかけても動かない妹のためにジャスパーは自室を出た。
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辺境伯令嬢ユーリアは眠るために寝巻きに着替えていた。
結い上げた髪を下ろして櫛でときベッドに入る。
ユーリアが微睡みかけた時に扉が叩かれ誰かの訪問を告げる。
ここは最前線の辺境砦。
何か緊急事態が起きたかとユーリアは飛び起き扉に向かう。
「ユーリア卿、夜分にすみませんジャスパーです。
少し相談したい事がありまして」
「ジャ…ジャスパー卿っ?!」
ユーリアは飛び上がった。
そして自分の今の格好を思い出す。
「ジャスパー卿、少しだけ待ってくれ」
そう扉の向こうに声をかけユーリアは衣装棚に駆け寄る。
万が一に備えて用意していた高級下着があったはずだ。
「まさか夜這い…農村部ではよくある事だと農民兵が言っていたが…」
貴族の女にとって結婚まで純潔を守るのは当たり前の事。
婚前交渉などもっての他。
しかし農村部では違うらしい。
田舎の騎士領出身のジャスパーが若い情動を抑えきれず夜這いに来たとて不思議はない。
ユーリアの父である辺境伯はジャスパーとユーリアを結婚させるつもりだと言っていた。
つまり2人は婚約者も同然であり肉体関係を持っても問題は無い。
いや、むしろ最強の戦力である竜騎士を味方につけておくために、ジャスパーと関係を持つのは辺境伯令嬢として正しい判断だ。
そんな事を考えユーリアは王都で購入した高価な絹製下着を身につける。
化粧のひとつもして綺麗だと思われたいのが女心だが、さすがにそこまでの時間を待たせるわけにはいかなかった。
「ジャスパー卿、入ってくれ」
ああ、これから私は女になるのだな…と妄想しながら扉を開けたユーリアだが、ジャスパーの相談はハルのストレスを解消するため近くの街まで行かせてくれないか?という事なのである。
それを聞いたユーリアが膝から崩れ落ちた理由をジャスパーが察する事はなかった。
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「『廃都市』ですか?」
「この砦を造る際に職人や人足が暮らすために造られた街があるんだ」
「それは知りませんでした」
「砦が完成した後に放棄されたんだが、いつの間にか住み着く人間が現れた。
最初は、他の街や村から追放された者や盗賊の類が隠れ住み。
それから様々な人が集まっていった。
今では砦に詰めている兵士たちの慰問所にもなっている」
「それならハルの気晴らしにもなりそうです。
早速、明日行ってみたいのですが、いいでしょうか?」
「ジャスパー卿の功績は大きい。
そんな卿の便宜をはかるのは私の役割」
「ありがとうございますユーリア卿」
「それで『廃都市』に行くなら私も一緒…」
「すぐにハルに伝えたいので失礼します」
「えっ?あの?私も…」
ユーリアの言葉は、ジャスパーの耳に届かず、ハルに吉報を伝えるために自室へ駆け出して行った。
「えっ?あれ…?」
そして部屋には勝負下着を身につけたユーリアだけが残されたのだった。