第12話…角笛
猪鬼とは戦闘種族である。
その社会は戦闘に特化しており、『狩猟期』と呼ばれる門の向こうへの進攻略奪時期以外でも猪鬼は戦い続けている。
同じ猪鬼同士で争い、他種族の街や村を襲い、傭兵として他種族に雇われる事もある。
戦いこそが猪鬼の日常であり、『戦士』こそが猪鬼という種族で最も尊敬される職業である。
そんな猪鬼の戦士の武勲とは個人としての武勲に他ならない。
個人として強敵と戦い打ち破る事が猪鬼の武勲であり、組織としての勝利より個人としての武勲を重視するのが猪鬼だ。
そんな猪鬼の中でアグウ・ニジマという男は異端であった。
既に初老と呼ばれる年齢のアグウには他者から評価される武勲は無い。
大猪騎兵として長く戦場にありながら何の武勲も上げていない戦士、それがアグウ・ニジマ。
猪鬼の戦士は加齢により肉体が衰えても引退するより戦場で死ぬ事を選ぶ者が多い、アグウが戦士として戦える時間は長くないだろう。
誰からも評価される事なく戦士としての生涯を終えるはずだったアグウは、初老という年齢で一人の漢と出会った。
バラッハ氏族の族長となったバーク・シャ・バラッハ。
バークは優れた戦士であった、そして猪鬼には珍しい戦略家であった。
そんなバークの目にアグウは止まった。
何の個人武勲も無いアグウをバークだけが評価した。
「貴様が所属する隊の騎兵は誰も死んでおらん」
そんな事を武勲として評価する猪鬼など存在しなかった。
ただ一人バーク・シャ・バラッハを除いては。
アグウ・ニジマは、この年齢にして自分を評価する主と巡りあった。
バークはアグウを認め、新設した大禿鷲を駆る飛行騎兵に任命してくれた。
そんなアグウ・ニジマの眼下に、それは見えた。
尊敬する主の実弟ヨーク・シャ・バラッハの乗る大禿鷲の翼が竜の息に焼き払われるのを見た。
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『妹よ、お前の師匠は本当に人間か?』
そんなジャスパーの一抹の疑問に関わりなく、ハルは『霧宮流尻尾戦闘術』とやらで尻尾を使い身体を高速回転させる。
そして急降下してくる大禿鷲目掛けて必殺の竜の息を放った。
狙いをつける余裕は無かったとは言え、剛炎は敵の片翼に見事命中し焼き払う。
片翼を失い悲鳴を上げて墜落する大禿鷲。
いかに生命力が高い魔鳥とは言え、焼き付くされた片翼を再生出来るはずもない。
致命傷では無くとも二度と空に飛び立つ事は出来ないだろう。
地面に叩き落とされ踠く大禿鷲の背の上、鞍に下半身を固定していた大猪鬼が脱出しようする姿をジャスパーの目が捕らえる。
「ハル!止めだ!」
「焼き豚にしてやる!!」
ハルは止めを刺すべく竜の息を吐くために再び大きく息を吸う。
その喉が輝き、鋭い歯の隙間から燃え盛る炎が見えた。
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アグウ・ニジマという男を評価する者は誰もいなかった。
自分の武勲よりも味方の被害を抑え、隊としての戦果を優先した男を評価する者はいなかった。
只一人バーク・シャ・バラッハを除いては。
アグウは眼下を見た。
今、上空より竜騎士を奇襲すれば討ち取れる可能性は高い。
ヨークへの竜の息を放った直後ならばアグウの大禿鷲の爪を躱せないだろう。
そんな事は解っていた。
それで何の武勲もない老兵だとアグウをバカにした連中を見返す事が出来る。
そんな事は解っていた。
それでも…
只一人、自分を認めてくれた主を裏切る事が出来るだろうか?
あの偉大なる族長が自分に何を期待し大禿鷲の乗り手に選んでくれたのか?
それを知る身ならば、やる事は1つだけだった。
「行け…」
アグウは大禿鷲を急降下させた。
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「ジャスパー卿!上っ!!」
小さく聞こえたユーリアの声にジャスパーは咄嗟に上を向いた。
その目に写ったのは急降下する巨大な禿鷲の姿。
竜の息の発射体勢に入っているハルは咄嗟に動けない。
ジャスパーの全身が死の恐怖に凍りつく。
次の瞬間だった。
ハルの口から止めの炎が吐き出され…
その炎は地に墜ち踠く大禿鷲と背に乗る大猪鬼では無く…
上空より急降下しハルと大猪鬼の間に割り込んだ大禿鷲を乗り手の猪鬼ごと焼き払った。
「何だ?もう一羽か?」
ハルは上空で戦っていた鷲馬騎士が、もう一羽を叩き落とし、偶然竜の息の射界に入ったのかと首を傾げる。
アグウの大禿鷲が焼き付くされる間にヨークは鞍に身体を固定する帯皮を斬り大禿鷲より飛び降りた。
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その漢は全てを見ていた。
二羽の大禿鷲が敵飛行騎兵と戦闘になって直ぐに大猪騎兵を率いて本陣より打って出た漢バラッハ氏族々長バーク・シャ・バラッハは身を挺して実弟を守った部下の功績を全て見ていた。
「戦場で死するは戦士の誉れ、安らかに眠れ戦士よ」
バーク率いる大猪騎兵は地に降りた竜目掛けて突撃した。
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「焼き鳥二人前お待ち!」
ハルは目の前に焼ける二羽の大禿鷲に軽口を叩く。
「ハル、巨体の猪鬼が乗っていたはずだ、どこに行ったか解るか?」
「ん~?大きな豚人間?」
ジャスパーとハルは、大猪鬼ヨークの姿を探す。
燃え盛る大禿鷲の死体。
強敵を倒した直後という気の弛み。
それが大猪騎兵の接近を許した。
いや、それ以前に真竜ハルには大猪は、大きな豚肉でしかなく警戒対象で無かった事が理由かも知れない。
「猪鬼の騎兵?!」
「豚肉が沢山!!」
そんなハルの油断が迫り来る大猪騎兵相手に即座に飛翔し待避しなかった事に繋がる。
「ハル、飛べ!」
「てぃひ?」
ジャスパーの指示に従うより速く一際大きな大猪に乗る一騎の騎兵が突撃してきた。
大禿鷲の骸を踏み台に大猪は跳ぶ。
「バラッハ氏族々長バーク・シャ・バラッハ!
竜騎士よ!
その首、貰い受ける!」
大猪の背には大薙刀を振りかぶる大猪鬼バーク。
「兄貴!危ない!」
ハルが咄嗟に振るった爪が大猪の腹を引き裂くが、バークは騎獣より跳びジャスパーの身体を両断しようと大薙刀 を振るう。
「くっ!!」
金属が、ぶつかり合う音が響いた。
ジャスパーの片手半剣は刀身を両断されながらも使い手を守りきった。
乗騎を失い地に降り立ったバークを数を減らしながらも健在だった鷲馬騎士の弓矢が襲う。
「この豚野郎!!」
バークに遅れて突撃してきた大猪騎兵の武器が牙がハルに叩きつけられる。
これまでの戦いで魔力の多くを消費し防御力の落ちたハルの竜鱗は傷つき血を流す。
ハルの反撃で十数騎が吹き飛ばされながらも残った大猪騎兵たちは駆け抜けて行った。
「逃げたのか?見逃してくれたのか?」
ジャスパーは刀身が折れた剣を手に駆け抜けて行く敵騎兵を見た。
大禿鷲に乗っていた大猪鬼と族長と名乗った大猪鬼は仲間の大猪に乗せられ一緒に退いていく。
「ちくしょー!豚め!焼き豚にしてやる!」
傷つけられたハルが怒りに叫び、飛び上がって炎を吐こうとするのをジャスパーは制する。
「ハル!残り魔力は?」
「てぃひっ?
えーと、あまり残ってない…」
「ハル、追撃は無しだ!戦場のド真ん中で魔力切れなんて冗談じゃないぞ!」
「むむっ!」
魔力切れの問題に気づきハルは小さく唸る。
この場で幼竜形態に戻れば、歩いて砦まで戻るはめになる。
武器が短剣しか残ってないジャスパーを連れて徒歩で砦まで戻るのは、無敵の霧宮流古武術の使い手たるハルにも難しい。
「兄貴、仕方ない戻ろう」
「そうだな」
「兄貴、お腹すいた」
「帰ったら、酒保商人の爺さんに何か旨い物を売って貰おう」
「肉!肉を沢山食べたい!」
「そうだな、肉料理を…」
そんな会話をしながら砦まで飛ぶ二人の耳に、それは響いた。
それは角笛の音だった。
最初は西から小さく聞こえた角笛の音は次々に波及し戦場全体へと広がる。
どうやら誰かが最初に角笛を吹きならし、その音を聞いた者が同じように吹き、それが戦場全体に広がったようだ
「ジャスパー卿!この角笛は!」
「ユーリア卿?」
「猪鬼の角笛、おそらく撤退の合図です!」
「撤退?」
空を飛ぶジャスパーの眼下。
陣形も何もなく亜人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていくのが見えた。
「勝った…のか?」
「勝利だな兄貴!」
「ああ…でも…」
敵には、まだ十分な戦力が残っているだろう。
この撤退が一時的な物で、敵は戦力を再編して再び攻めてくる事は間違い無かった。
それでも…
「勝ちは、勝ちだな」
今夜はハルに好きなだけ食べさせてやろう。
酒保商人の在庫に何かハルが気に入る食材があればいいのだが…
「それにしても、この戦いだけで何回死にかけたかな…」
「兄貴、何か言ったか?」
「何でもないよ、戻ろうハル」
竜騎士は辺境砦目指して飛び続けた
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門に近い場に造られた野戦陣地まで亜人軍は戻っていた。
猪鬼バラッハ氏族々長バークの天幕に怒鳴りこんで来たのは実弟ヨークと血気盛んな若い猪鬼戦士たち。
「兄者!撤退とは、どういう事だ!
俺たちは、まだまだ戦える!!」
余力を残しての撤退にヨークは憤る。
他の猪鬼たちも口にはしなくても同じ不満を持っているのは間違いないだろう。
「空で戦える戦力がなくては話にならん。
あの竜騎士に上から焼き付くされるだけだ」
「それより前に砦を落とせばいいだけだろう!」
その存在が無ければバークも同じ戦術を取っただろう。
肉を斬らせて骨を断つ戦術を取っただろう。
だが、バークには切り札が残っていた
「俺は神鷲を取りに戻る。
その間の指揮はハンプ叔父に任せる」
「おお神鷲を…」
盟主より下賜された最強の巨鳥・神鷲。
竜種を補食する竜種の天敵。
その威容を知る猪鬼たちはどよめく。
自分が兄の留守中の指揮官に選ばれ無かったヨークは不満そうだが、叔父にあたる大猪鬼ハンプ・シャ・バラッハを不快気に睨んだだけで兄の決定に異を唱えなかった。
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一息ついた。
辺境砦の兵士たちは、この勝利が一時的な物だとわかっていた。
それでも一時の勝利を祝う。
砦の総指揮官アンドレイ・ウォードエンド辺境伯は兵士たちを労い麦酒を振る舞い。
砦の彼方此方に酒盛りをする兵たちの騒ぐ声が響いた。
「皆、酔っぱらって大丈夫なのか?」
焚き火で林檎を焼きながらハルが疑問の声を上げ、それにジャスパーが答えた。
「ズライグ王国じゃ安全な飲み水は貴重なんだ」
「それで?」
「だから水分補給に子供でも麦酒や葡萄酒を飲むのは珍しくない」
「なんだそりゃ?普段から酔っぱらってんのかよ?」
「目覚めに麦酒を一杯、昼休憩で一杯、仕事終わりに酒場で一杯なんて地域は普通にあるそうだ」
「マジかよ~」
そんな会話をしながらハルは焼いて甘くした林檎を口に放り込んだ。
「鶏の丸焼きが上がったよ」
酒保商人が皿代わりの堅いパンの上に乗せた鶏の丸焼きを持ってくる。
内臓を取り除き野菜や香草を詰めて焼いた一品だ
「待ってました!!」
歓声を上げて受け取りハルは、兄と自分でどう分けようかと考えるが、そこに声がかかる。
「ジャスパー卿、父が主催の夜会があるのだが」
「ユーリア…卿?」
声をかけてきたのは辺境伯令嬢ユーリア。
ユーリアは、普段の騎士服ではなく夜会用のドレス姿だった。
胸元が大きく開いたドレスはユーリアの豊かな胸を強調し、そこに目が釘付けのジャスパーにユーリアは赤面した顔を向けた。
「兄貴、行ってきなよ。
私は、兄貴の分まで鶏肉を一人占めだ」
ハルは、そう言って鶏の丸焼きに噛りつく。
「夜会用の服なんて持ってない…」
「もちろんあるよ」
そんな抵抗をするジャスパーに酒保商人が何処からか礼服を取り出す。
「うぇひ?!」
酒保商人に服を着替えさせられ、ユーリアに腕を組まれて連れ去られる兄をハルは親指を立てて見送った。