第11話…師の教え
地には数十匹の竜種が蠢いていた。
手足を持たぬ蛇に似た姿とはいえ、角を持つ頭と身を覆う硬い鱗は竜に他ならない。
蛇竜と呼ばれる亜竜の一種。
門の向こう、学者たちにアニュラス界などと呼ばれる世界では生態系の頂点たる竜種の悲鳴が響き渡る。
蛇竜の硬い鱗を引き裂く爪と嘴を持つ巨鳥たち。
退化した亜竜とはいえ、最強の竜種を補食する天敵たち。
その様を眼下に見下ろす存在。
この亜人たちの住むメーガジット界と呼ばれる世界において盟主と呼ばれる存在。
二つの世界を繋ぐ門が出現する時期を『休戦期』として定め、亜人たちが門の向こうに侵攻し略奪する『狩猟期』を作った存在。
それは美しい人間の少女の姿をしていた。
年の頃は十歳にもなっていないだろう。
艶やかな長い黒髪が幼い裸身に絡み付き、その身を申し訳程度に隠している。
陰鬱さを漂わせた瞳が眼下の巨鳥たちを見下ろす。
それは美しい少女だった。
そして、その美しさは決定的に欠損していた。
如何なる武器でも傷付かぬ権能を持つはずの彼女の右腕は肘の辺りから先が無かった。
800年前に門の向こうに侵攻した彼女が失った右腕。
白の竜騎士と呼ばれた仇敵に切り落とされた右腕。
「此度の『狩猟期』は数年にも及ぼう」
彼女は右腕を失った時の痛みを思い出す。
如何なる武器でも傷付かぬはずの身体を斬られた痛みを思い出す。
「妾は、この日のための支度を整えた。
我が仇敵よ…そなたには800年の時は長過ぎよう。
もはや、そなたに妾を止める力はあるまい。
ああ…待ちわびたぞ、この時を…
傷が痛むたびに、そなたが守った全てを蹂躙し奪い尽くす事を想い続けた」
眼下から蛇竜たちの断末魔が聞こえる。
それを啄み食す巨鳥たちの囀りが聞こえる。
「そなたの騎獣とて、妾が造った『神鷲』の前では餌でしかない」
竜種の天敵たる巨鳥『神鷲』、その眷族たる『大禿鷲』。
800年前、竜騎士に煮え湯を飲まされた彼女が支度した竜種の天敵。
彼女は、先遣軍を率いる猪鬼たちに下賜した数羽の巨鳥を想う。
約10年ごとに開く門から、向こうの情報は得ていた。
既に竜種の多くは退化し、知能を持たない下位竜や見た目だけ祖先に似た亜竜しか見かけぬらしい。
あの忌々しい仇敵が守った世界を焼き付くす様を夢見て、彼女は瞳を閉じた。
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「ハル?敵って何だ?」
ズライグ王国だけでなくアニュラス界全体で真竜こそが最強の種族と信じられている。
他にも強力な魔獣が存在する事は事実だが、真竜が敵と呼ぶ種族など聞いた事もない。
「解らん!だが敵だ!」
ハルは、そう吼えてジャスパーの背中から飛び降りる。
「ハル、魔力の回復は?」
「七割強くらいだ」
敵が何か解らない状態、元々不足気味のハルの魔力量が七割では不安が残る。
「ジャスパー卿!あれを!」
隣のユーリアが空を指差し叫ぶ。
指差した先には一頭の鷲馬。
大きく傷付きフラフラと飛ぶ鷲馬の背には騎士の姿はない。
「鷲馬騎士を討ち取る程の強敵が居るのか?!」
「いくぞ兄貴!味方が傷ついているならば猶予は無い!」
防壁上でハルは巨大化し西の空を目刺し飛び立った。
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「数では圧倒的に有利なはずが!?」
鷲馬騎士を率いる騎士隊長ジョルジュ卿は唇を噛む。
たった二羽の大禿鷲に手も足も出ない。
大禿鷲の身体は鷲馬の数倍、10メートル近くはあるだろう。
それほどの巨体でありながら速度も運動性も鷲馬を圧倒し、その爪は一撃で硬革鎧を纏う騎士を両断する。
大禿鷲を駆る大猪鬼の腕前も並みでは無かった。
長柄の戦斧が振るわれる度に血飛沫が舞う。
「せめて一矢!」
複合弓の射界に大猪鬼を納めようとすれば、もう一羽が牽制してくる。
こちらに乗るのは平均的な猪鬼のようだが、猪鬼にしては珍しく積極的に攻撃して来ず、大猪鬼の補佐に徹している。
ジョルジュ卿の弓から放たれた矢が牽制してきた猪鬼を狙うが、巧みに大禿鷲を操りかわされる。
矢は大禿鷲の身に突き刺さるが、その巨体には少々の矢傷など致命傷となるはずもない。
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「あれがハルの言っていた敵か?」
西に飛ぶハルの背の上、ジャスパーの目に見えたのは巨大な禿鷲。
その姿に生理的嫌悪感を覚えるのは、頭部に羽根が無いためか?それとも腐肉食鳥という生態を知るためか?
ハルにとっては生理的嫌悪感どころでは無いらしく、全身で不快感を表している。
「アレじゃない!でもアレから嫌な気配がする!」
「あの禿鷲がハルの言う敵の眷族の類いって事かな?」
「兄貴!いくぞ!焼き鳥にしてやる!」
「焼き鳥にしても、あの肉を食べたいとは全く思わないけどな」
鷲馬騎士隊の不利を見たハルは速度を限界まで上げる。
そして射程距離外を解りながら全力で竜の息を吐きつけた。
命中させるよりも真竜が参戦した事を敵味方に示す攻撃。
「おおっ!待ちかねたぞ!」
最強と詠われる竜騎士の姿に大猪鬼ヨーク・シャ・バラッハは歓喜する。
「アグウ、雑魚を抑えておけ!
俺は竜騎士を討ち取る!」
強敵と戦い打ち破る事こそを史上の喜びとする猪鬼の戦士の本能のままヨークは大禿鷲を駆りハルへと向かう。
「よし!こっちに向かってきたな!」
これで苦戦している鷲馬騎士に反撃の機会を作れるだろうとジャスパーは考える。
向かってきた巨大な禿鷲はハルより二回りは大きいだろう。
「兄貴、アレは何て名前の鳥だ?」
「さあ?僕は学者でも賢者でも無いからな。
あの魔鳥の種族は解らないよ。
巨大な禿鷲か禿鷹って見た目だけど」
そんな話をしつつ兄妹は迫り来る巨鳥を迎撃するために動く。
まずは敵より上を取るために上昇する。
空中戦では上を取った方が有利だ。
上から下に降りる方が登るより労力は少なく速度も出せる。
それは敵も解っているのだろう、向かって来つつ高度を取る。
「向こうの方が上昇力は上か?」
「むむっ!鳥のくせに生意気な!」
いや、空って領域では空飛ぶ蜥蜴って姿の竜種より鳥の方が上位の生き物じゃないのか?というジャスパーの疑問に気づかないままハルは不快気に唸り竜の息を吐くために力を溜める。
「焼き鳥になれーっ!!」
口で話すのではなく念話であるからだろう。
火を吐くために口を大きく開けていながらハルの言葉はジャスパーに届く。
「速いっ!!」
斜め下から放たれた必殺の竜の息を大禿鷲は軽々とかわす。
その様が見えたのはハルの邪魔にならないように少し離れた空を飛ぶ天馬騎士ユーリアだけだった。
大きく開けた口と自ら放つ火焔の光が一瞬だけハルとジャスパーの視界を遮ったからだ。
必殺の竜の息への絶対の信頼。
この攻撃を受けて倒せぬ敵などいないという自信。
それがハルの心に油断を生んだ。
その一瞬を見逃すほどにヨーク・シャ・バラッハという戦士は甘くなかった。
「ハルっ!避けろ!」
「ティヒ?」
空に響いたのは悲鳴だった。
最強の魔獣である真竜の顔を切り裂いたのは大禿鷲の爪。
竜として産まれて始めて受けた傷の痛みにハルは悲鳴を上げる。
圧倒的硬度でハルの身を守り続けていた竜鱗は大禿鷲に切り裂かれた。
無敵の真竜が無敵で無くなった瞬間だった。
「ハル!ハルっ!大丈夫か?」
ハルの流す血が風に乗りジャスパーの顔も濡らす。
悲鳴を上げる妹を心配するジャスパーにハルは一際大きな咆哮を上げた。
「乙女の顔を傷付けるなど絶対に許さん!!
私は訴訟も実力行使も辞さない!」
ハルの顔の傷が動画を早回しで見るように急速に塞がっていく。
体内魔力を消費して傷を治しているのだろうが、この再生能力も体内魔力が尽きるまでしか使えない。
「ハル、仕切り直しだ。
竜の息は多用するな。
外せばカウンターを喰らうぞ」
「格闘戦でも真竜が最強だと解らせてやる!」
ジャスパーは騎兵槍を抱え身体に固定する。
騎士にとって乗馬は基本技能。
槍騎兵として訓練も当然受けている。
ジャスパーは、大禿鷲の上の大猪鬼を見た。
身長は2メートルはあるだろうか?
その巨体は全身が肥大化した筋肉に鎧われている。
当年14歳で大人に成りきれていない少年のジャスパーとは比較にすらならない体躯。
仮に乗騎より降りて剣で戦うならば勝ち目など有りそうに無いだろう戦力差。
「ハル、騎兵槍突撃!」
「何だそりゃ?」
「ああ~突撃って意味だ」
「任せろ!」
騎兵槍試合の一騎打ちを大猪鬼が知るわけも無いだろうが、両者の思惑は一致し騎兵槍を構えるジャスパーと戦斧を構えるヨークは正面から激突する。
共に騎獣の翼が邪魔にならないように激突瞬間に翼を畳ませ交錯する。
負けたのはジャスパーだった。
バキッ!っと派手な音を立て騎兵槍が砕ける。
折れた騎兵槍が戦斧の軌道を変えていなければジャスパーの首が飛んでいただろう。
「……」
「兄貴っ!?兄貴っ!?平気か?!」
「ああ…大丈夫だ」
技量も膂力も違いすぎた。
ジャスパーは痺れる右腕を擦り右手の指を確認するように一本ずつ動かしてみる。
騎兵槍を砕かれた一撃はジャスパーの右腕を痺れさせたが筋肉や腱に損傷は無い。
すれ違った二騎は再び激突するために旋回する。
その間にジャスパーは連弩を手にする。
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「ふん!この程度か竜騎士!」
ヨーク・シャ・バラッハは一合の手合わせでジャスパーの腕前を理解し詰まらなそうに呟く。
余りにも弱すぎる。
一撃で首を落とせなかった理由は、運の一言でしかない。
確かに竜という種族は弱くない。
大禿鷲の爪に耐え、即座に傷を治す再生能力。
そして命中したならば大禿鷲とて焼き付くされかねない竜の息
警戒すべき魔獣ではある。
だが、それだけだ。
「遥々、門を越えて来たのだ!
俺を楽しませろ竜騎士!」
そう吼えたヨークの目に写ったのは連弩を構える竜騎士の姿。
「そんな物で俺を倒せるつもりかっ?!
俺を舐めるなっ!!」
連射される矢に鍛えぬかれたヨークの肉体を貫く力など無い。
ヨークは射たれた矢を避けもせずに大禿鷲を突撃させた。
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「牽制にすらならないか!」
連射された12本の矢。
その内の数本は大猪鬼の巨体を捕らえたが、その強靭な身体に弾かれる。
目にでも当たればダメージとなるだろうが、双方安定しない空中では連弩に命中率など期待出来ない。
ジャスパーは効果が無い連弩を投げ捨て片手半剣を抜くが騎上で使うには短い片手半剣は大して役に立たないだろう。
再び二騎は交錯する。
ジャスパーは両手で片手半剣を強く握り絞めるが、あの戦斧を防げるのか?仮に受けれても剣ごと両断されるのでは?
そんな不安がジャスパーの心を支配する。
禿鷲の巨体が迫る、ジャスパーは剣を構え…その身体を両断しようと戦斧が迫り…
「霧宮流!竜角鎚!」
ハルの頭突きが戦斧を跳ね返す。
ハルの頭の二本の角。
その一本を半ばから断ち切られながらハルの頭突きは戦斧を押し返す。
「うわわわ…クラッときた」
頭を強打されたせいだろう。
一瞬の脳震盪にハルは目を回すが即座に体勢を立て直す。
もしもハルの頭突きが無ければジャスパーは両断されていただろう。
「さて、兄貴どうする?」
戦略戦術は兄に任せる。
そう決めているハルが問う。
「速度も運動能力も敵が上だ」
「ふむふむ」
「乗り手の技量には話にならない差がある」
「それでどうする?」
ここまでの戦いでジャスパーは双方の戦力差を理解していた。
乗り手の身体能力、技量は話にならない差がある。
ハルと敵の禿鷲を比較して、ハルが優れているのは竜の息の火力だけ。
空中での速度、運動能力、共に敵が上だ。
これだけ差があっては竜の息を吐いても軽々と避けられ無駄に魔力を消耗するだけだ。
敵の巨体、あの大きさの禿鷲が物理的に飛行可能なはずは無い。
おそらくハルと同じく魔力により飛んでいるのだろう。
そう、ハルの翼は成竜形態でも物理的に飛行出来ない大きさだ、ハルが飛べるのは魔力のおかげで翼は飛行時の補助に使うだけ。
同じ魔力による飛行でも両者には圧倒的な差がある。
ハルは言うなれば空飛ぶ蜥蜴だ。
空中戦で飛行に特化した生物である鳥に勝てるはずが…
「蜥蜴?」
「兄貴…誰が蜥蜴だ?
私は真竜の悠!
蜥蜴などと無礼な言い様は許さん!
私は訴訟も実力…」
「ハル、お前は鳥じゃない」
「てぃひ?そりゃそうだが?」
「だから空では鳥に勝てない」
「うん?何が言いたいんだ兄貴?」
「ハル、僕に作戦がある」
ジャスパーは妹を心配させないように自信満々に言った。
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「なんのつもりだ?」
大猪鬼ヨークは敵の意図が解らず疑問の声を上げた。
空中戦とは上を取った方が圧倒的に有利だ。
それなのに竜は降下し地面スレスレを舐めるように飛行している。
「むぅ?我が戦斧の一撃がそこまで効いていたのか?」
頭への一撃で傷を負い飛行すら難しくなったのか?
そう思いヨークは、期待外れの幕切れに失望する。
伝説の竜騎士は、あまりにも弱すぎた。
後は上空からの大禿鷲の爪の一撃で終わるだろう。
「行け大禿鷲」
ヨークは弱すぎる敵への侮蔑のこもった声で騎獣に命じる。
大禿鷲が奇声と共に爪を構えて急降下した。
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「ハル、お前は鳥じゃない」
兄の言葉をハルは噛み締める。
そうだ自分は鳥では無い。
自分は竜だ!
強靭な四肢を持つ最強の魔獣だ!
空中では、あのデカイ鳥を焼き鳥にするのは難しい。
ハルの速度と運動能力ではデカイ鳥に勝てないからだ。
でも…
ハルの目に上空から急降下する鳥が映る。
上空斜め後方からの急降下攻撃。
後方からなのはハルの竜の息を警戒しているからだろう。
そして空中でのハルの旋回能力では身体を回して後方斜め上から急降下する敵に頭を向け竜の息を放とうとしても間に合わない。
そう空中ならば…
では地上なら?
「ハル、お前は地上なら空中の三倍は速い!」
「当然だよ兄貴!」
空中では空気抵抗を増やし重く邪魔になる太く強靭な手足。
だが地上ならば!
「ハル!超信地旋回!」
兄のよく解らない叫び。
超信地旋回の意味は解らなくても意図は理解している。
「回れーっ!!」
ハルは地面を強靭な四肢で掴み地表で旋回する。
派手に土煙を上げ、地面を削りながらハルは回る。
上空より高速で降下する大禿鷲、それを竜の息の放射圏内に入れるために回る真竜。
「間に合わない…」
上空から全てを見ていたユーリアは絶望の声を上げた。
少し、ほんの少し間に合わない。
ほんの少しの時間が足りない。
このままでは巨鳥の爪は竜の背を乗り手ごと引き裂くだろう。
そう、それは普通の竜だったのならの話だ。
ここに居るのは只の竜では無い。
その肉体に宿る魂は、人の技を身につけた者。
「師匠は言っていた!
尻尾とは、ただの打撃武器では無いと!!
尻尾は身体を支える第三の脚ともなり、体感を支えるバランサーともなるのだと!
それ故に『術』なのだと!
それ故に『霧宮流尻尾戦闘術』なのだと!!」
四肢だけでは足りない。
四肢だけでは間に合わない。
だが、今の身は竜。
巨大な尻尾を持つ竜。
ハルは大きく重い尻尾を大きく振る。
その反動により加速する。
知るがいい愚か者よ!
お前の目の前に在りし者が何者であるのかを!
「我こそは霧宮流古武術拳士!悠!」
その念話と共にハルの口内より放たれた剛炎が大禿鷲の片翼を焼き払った。