第9話…少年騎士の武勲
「鳥が増えてきたな」
辺境砦の中庭で飛行騎兵たちは空を見上げた。
戦による多数の死者。
その死体を狙って上空には多数の腐肉食鳥類が集まって来ていた。
「我々が死ぬのを待っているのか?
忌々しい事だ」
死体を食べるために集まる鳥たちへの生理的嫌悪感。
さらに、空を飛ぶ飛行騎兵にとっては上空の鳥たちは飛行時の障害物となるため、物理的にも嫌悪対象となる。
「鳥にぶつかって墜落死とか冗談じゃないな」
不快な鳴き声を上げながら上空を旋回する鳥たちを飛行騎兵たちは忌々しく見上げた。
===========
辺境砦西門。
防壁の分厚さ故に、門は坑道と呼べそうな長い通路の半ばにある。
開け放たれた巨大で分厚い門扉を再び閉じるには、相応の労力と時間が必要だろう。
そして、門扉周辺には身長3メートルはある岩鬼が陣取り、その巨体の脇から複数の小鬼たちが砦内を目指して進む。
あの岩鬼と小鬼たちを排除しなければ再び門扉を閉じる事は難しいだろう。
岩鬼は砕かれ用を成さなくなった棍棒を投げ捨てる。
武器を失ったとはいえ、その豪腕は素手でも人間くらい簡単に殴り殺せるだろう。
そんな強暴な岩鬼の前に立ち塞がるのは身長1メートルの矮躯。
碧色の美しい鱗の真竜の幼体。
真竜ハルは、足元に落ちていた槍二本を蹴り上げ空中で両手に掴む。
「霧宮流槍術、参る!!」
ハルは竜の咆哮を上げ、三倍もの巨体の怪物に挑む。
「霧宮流、隠形…」
踏み出す瞬間にフェイントをかけ、一瞬だけ敵を幻惑する歩法
「縮地…」
一瞬の幻惑で機先を制し、爆発的加速で敵の懐に跳び込む。
そして、両手の槍を振るう。
「霧宮流槍術!双頭竜円舞!」
対する岩鬼は圧倒的筋肉に覆われた太い腕を振るう。
それは技術も何もない、力任せの一撃。
「てぃひっ?!」
吹き飛んだのはハルだった。
ハルは、ベタンと音を立て石壁に叩きつけられた。
「もうダメだー!」
リリシュ男爵家の兵士たち。
農民兵とは違う本物の兵士たち。
それが悲鳴を上げた。
迫ってくるのは小鬼たち、戦力的には正規兵の敵ではない雑魚共。
しかし、心が折れた男爵家の兵士たちは脅え逃げ出そうとする。
その瞬間、天より天馬が舞い降りる。
天馬より飛び降りたのは少年騎士と少女騎士。
「竜騎士ジャスパー・ファーウッド見参!」
士気を盛り返すためにジャスパーは竜騎士の銘を声高に叫び走る。
その手には、騎乗で使うための長大な騎兵槍。
本来は振り回すための槍ではない騎兵槍を歩兵用の長槍のようにジャスパーは振るう。
ジャスパーの技量は騎士見習いか新米騎士程度だが、それでも産まれた時から騎士となるべく武芸を磨いてきた身。
並みの兵士とは鍛え方が違う。
血飛沫が舞い小鬼が次々に倒れた。
「辺境伯爵家第五子ユーリアである!
男爵家の兵たちよ!直ぐに増援が来る!それまで持ちこたえろ!」
ユーリアは兵士たちを鼓舞し細剣を振るう。
正規の騎士爵を持つだけに、その剣技は精妙にして可憐。
剣術の試合ならば上級騎士にも引けを取らない技量だろう。
ユーリアの天馬で見張り塔上で戦況を見ていた辺境伯に西門の危機を報せに行き、西門に駆けつけた二人。
この場では間違いなく最強の戦力のはずの少年少女。
「指揮官は誰だ?」
「自分です!」
ユーリアの問いに古参兵長マートンが叫ぶように答える。
「では貴様は隊を率いて小鬼に対処しろ!
絶対に砦内に入れるな!」
「はいぃぃぃぃーっ!」
ユーリアは、小鬼の第一派を駆逐したジャスパーに並び、兵士たちに聞こえないように小声で問う。
「ジャスパー卿には、あの化け物を倒す自信が?」
「ありませんよ」
「私もだ」
ユーリアの剣技は、人間や小鬼には有効でも岩鬼相手に威力不足。
細剣での突きを何度打ち込んでも岩鬼の強靭な肉体を傷付けるのは難しいし、浅い傷では強力な再生力で即座に治ってしまう。
(さて、どうするべきかな?)
ジャスパーは考える。
技量未熟な自分の出来る事は、今の戦力と状況で勝利する方法を考える事。
そう理解しているジャスパーは考える。
強力な再生力を持つ岩鬼を倒す方法は、一撃で致命傷を与えるか、岩鬼が傷を再生するために使う内蔵魔力が切れるまでの持久戦。
(持久戦は論外だな、時間が立つ程に敵が門に殺到してくる
岩鬼が複数来たら対応は不可能だ)
ジャスパーは自分の武装で岩鬼に致命傷を与える方法を考える。
(首を一撃で落とすか?心臓を貫くか?
この身長差じゃ片手半剣で首は狙えない。
後は騎兵槍で心臓を狙うしか…)
ジャスパーが考えを纏めるのを岩鬼が待つはずもない。
岩鬼は吼え、太い腕を振り回し突進してくる。
だが、その生き物が、それを許すはずも無い。
「霧宮流格闘術、竜角鎚!」
ハルの体当たりのような頭突きが岩鬼を襲った。
倒れはしなかったものの脇腹を強打された岩鬼の突進は止まる。
「腐女子の顔を殴るなど言語道断!私は訴訟も実力行使も辞さない!」
ハルは両手に握った槍を見て、それを捨てた。
ハルの今の身体は手足が短く、人間のような動きは出来ない。
「ふむ…槍術は失敗だったな…
だがっ!!
霧宮流は全方位対応古流武術!
無手だからといって河馬人間などに負ける事は無い!」
そう見栄を切る元妹をジャスパーは見る。
あの妹は、とんでもなく頑丈で、河馬が踏んでも壊れない。
大猪の一撃でも掠り傷一つ負わなかった。
「ハル、無事だな?」
「当たり前だ!」
「じゃあ手伝え!」
「任せろ!」
ジャスパーは、ハルを坑道から出し、巨大化して外から岩鬼を竜の息で倒す事も一瞬考えるが、竜の息で門扉が壊れる事を考慮し止める。
開閉部が壊れ閉まらなくなる事態など冗談では無いからだ。
「僕が騎兵槍で心臓を狙う、援護しろ!」
ハルの短い手足による攻撃では岩鬼に致命傷を与えるのは難しいと考えジャスパーは自分が矢面に立つ選択をする。
ジャスパーは騎兵槍を構え突撃する。
ユーリアも援護のために走る。
迎撃のために腕を振り上げる岩鬼をハルの爪が襲う。
「お前の相手は私だ!霧宮流の貫手を喰らえ!」
『それは貫手じゃなくて爪だよな?』というジャスパーの疑問はともかく、ハルの貫手という名の竜爪は岩鬼の脚を抉る。
「ゴォオォォォーッ!!」
抉られた傷は短時間で再生する。
だが痛みが無いわけでは無い。
岩鬼は怒り狂い、足元に纏わりつきながら鋭い竜爪で攻撃する生き物を殴り殺そうと豪腕を振るうが、ハルは短足とは思えない速さで攻撃を避ける。
「ふっ!鈍間め!そんなスピードでは私は捕らえられん!」
岩鬼がハルを狙う隙にジャスパーは突進し、その分厚い胸板に騎兵槍を突き刺した。
「ゴァァァァフーッ!!」
岩鬼の悲鳴。
「浅いっ!!」
ジャスパーの騎兵槍は岩鬼の頑強な胸骨に阻まれ心臓まで届かない。
ジャスパーは力を込め直し騎兵槍をさらに深く突き刺す。
胸から派手に吹き出す岩鬼の血。
「くそ!この状態から再生出来るのか?!」
騎兵槍を握るジャスパーの手に岩鬼の肉が再生し押し返す感触が響く。
「ゴォォォッ!」
岩鬼は自分の胸に刺さる騎兵槍を抜こうと騎兵槍を掴もうとするが、そこにユーリアの細剣が走る。
「いくら強靭な身体でも、指くらいなら細剣でも切り裂ける」
岩鬼の両手の指はユーリアの細剣の連続突きで切り裂かれる。
切断こそされなかったものの、筋肉と腱が切り裂かれ握力を奪う。
岩鬼は槍を掴む事を諦め、その腕を叩きつけ騎兵槍を折ろうとするが。
「河馬よ!
私が、それを許すと思うか?」
ハルの竜爪が岩鬼の左の二の腕の筋肉を抉り。
「ジャスパー卿の邪魔はさせない!」
ユーリアの細剣が、比較的柔らかい右の脇の下に突き刺さり、腕の自由を奪う。
如何に強力な再生力を持つ岩鬼でも、命の危機を回避するために心臓を守る筋肉を再生している間は、腕を素早く再生する事は出来なかった。
「貫けーっ!!」
ジャスパーは渾身の力で騎兵槍を突き刺す。
堅い胸骨がへし折れ、遂に騎兵槍の先端が心臓に触れる。
だが、そこまでだった。
岩鬼は強暴で傲慢で愚鈍とはいえ、自分の命の危機に逃げない程に間抜けでは無い。
岩鬼は騎兵槍から逃れるために後ろに下がる。
槍先と心臓に僅かな隙間が出来れば、圧倒的再生力で回復される。
「河馬よ、逃がすと思うか?」
岩鬼の背後に碧色の生き物が立っていた。
「霧宮流格闘術!奥義!竜爪脚!」
ハルの背後からの強力な跳び蹴りとジャスパーの騎兵槍の挟撃は、遂に岩鬼の心臓を貫いた。
「ゴァァァァフーッ!!」
それでも強靭な生命力で暴れる岩鬼。
しかし心臓を貫かれたままでは再生する事は出来なかった。
やがて岩鬼は断末魔の叫びと共に地に伏した。
「殺ったか?」
「兄貴、それは殺ってないフラグだ」
ハルは軽口を叩くが、岩鬼の絶命は間違いなかった。
「竜騎士ジャスパー・ファーウッド卿が岩鬼を討ち取ったぞー!」
ユーリアが砦全てに響けとばかりにジャスパーの武勲を叫ぶ。
「今だ!小鬼共を押し返せ!我々には竜騎士殿がついているぞー!」
脅えていた男爵家の兵士たちが叫ぶ。
「兄貴、ちょっと不味いな」
「ああ、もう一仕事必要だな」
ジャスパーたちが一匹の岩鬼を仕留める間に、坑道入り口には別の岩鬼が姿を表していた。
「しかも3匹ときたか」
ハルは3匹の岩鬼相手に腕をグルグル回して見せる。
ジャスパーが再び騎兵槍を構え、ユーリアが岩鬼に刺さり折れた細剣の代わりに、落ちていた槍を拾う。
数では、3対3。
だが一匹でも苦戦した岩鬼三匹相手に勝ち目など…
「全く、もう歳ですから完全武装で長距離走とか勘弁してほしいものです」
そんな声と共にジャスパーの横を板金鎧の騎士が歩いていく。
強敵のはずの岩鬼相手に全く気負う事なく老騎士は進む。
「ユーリアお嬢様、ジャスパー卿、ここは我らにお任せを」
「ロロフ卿?!」
「私だけではありませんぞ」
砦の中から板金鎧や鎖帷子で武装した重装歩兵が進んでくる。
「さて、ズライグ王国の盾たる辺境伯軍の力を見せてやりましょうか」
ロロフ卿の幅広い長剣が、突進してきた岩鬼の首を斬り飛ばした。
============
「ジャスパー卿?
あの竜騎士か?」
「西門で騎兵槍を振るって岩鬼を討ち取ったそうだ」
ユーリアが叫んだジャスパーの武勲は中庭の鷲馬騎士たちの耳まで届いた。
「竜の力だけで武勲を上げてるわけではないと示したわけか」
騎獣の能力が優れているだけ。
武勲を上げるジャスパーへの嫉妬もあり、そう考える騎士は多い。
自分も竜さえ居れば同等以上の武勲を上げれると考える騎士は多かった。
しかし、岩鬼を討ち取った武勲は竜に乗らずに成し遂げたという。
「岩鬼を単独で討ち取るのは簡単では無いな。
このままでは…」
このままでは、この戦いでのジャスパー・ファーウッドの武名は不動の物となり、他の者の武勲は忘れ去られるだろう。
それは飛行騎兵の主力を自負する鷲馬騎士とて同じ事。
「ジョルジュ卿…我々はどうすれば?」
若い鷲馬騎士たちが隊長であるジョルジュ・ジオ卿を不安気に見る。
「しばし待て、我々の出番は…」
そうジョルジュ卿が部下たちに言いかけた時、偵察に出ていた一騎の鷲馬騎士が戻り叫んだ。
「猪鬼軍の本陣を発見した!」
その報告にジョルジュ卿は獰猛に笑う。
「諸君!出陣だ!我々で敵本陣を叩くぞ!」
辺境砦、飛行騎兵主力たる鷲馬騎士12騎が一斉に飛び立った。