42.彼が望んだもの
「........っ」
これは、この光る球体はもしかして...。
思わず後ずさろうとしたが、バラガに手を掴まれていて逆に反動で前のめり倒れそうになる。
手をついた寝台のシーツから目を上げると、光る球体の向こう枕の向こう側のベッドヘッドに立てかけられている小さな絵画に気がついた。
額に入れられた古びた絵画は、おそらく家族なのだろう正装をした若い男女と3歳ぐらいの小さな男の子が笑顔で描かれている。
「男の子?弟さん...?」
持ち主が何度もその絵画を眺めていたのかフレームは両側が色褪せていた。
私の視線に気がついたバラガが絵画をそっと手に取った。
「ふ、ふふふふ、......あははははっ」
目を伏せて笑い出した彼の口元が皮肉げに歪む。
「弟か。そうだね。そう思うよね。」
尋常じゃないバラガの様子に私の全身が強張る。
繋がれた手の先が緊張によってまるで自分の手じゃないかのように感覚がなかった。
「3歳かな。この館の礼拝堂で僕が精霊の祝福を与えた時だ。幼い子供は純粋で僕達の姿を見ることができるからね。礼拝堂に現れた精霊王の僕に気づいた彼はニコニコと笑っていて可愛かったよ。
僕はね......、この無垢で優しい小さな子...アクア・コランバインが、この緑豊かな領地を守る素晴らしい領主になってくれると思っていたのに」
「...何を言っているの?バラガ。この絵の男の子がアクアさんって......?」
バラガの言葉に私は眉を寄せた。
礼拝堂で見た柩の中のアクア・コランバインは美しい長い銀髪の少女だった。絵画に写っている子供は確かに銀髪だけどどう見ても男の子だ。
バタン!
その時、部屋の扉が突然閉まった。
「バラガ様!開けて!」
扉の向こう側からラタの声がする。
おそらくバラガが魔法を使い、追ってきたラタを閉め出したのだ。
バラガは一体何をしたいのだろう。得体の知らない恐怖が私を襲う。
「アクアは、アクアは『男』だよ。
昔も...今も。
......ねぇ、オパール。
おかしいと思わない?
あんな優しい子が、あんな慈愛に満ちた聡明な少年が、何であんな格好で眠りにつかないといけないんだ?」
バラガは小さな絵画をサイドテーブルに置き、前屈みなった私を引っ張りあげバラガの正面に向き直させると私の両手の動きを拘束した。
「.........っ!!」
手を引き抜こうとしても手首を掴む彼の力のあまりの強さに私の手はビクともしなかった。
「あの子の両親が亡くなるまではあの子は幸せだったんだ。あの子の、アクアの両親の乗る馬車が崖から転落なんてしなかったら。あの愚かな男が、野心にまみれたあの男がアクアの両親の代わりにこの館の主になんてならなかったら」
バラガに両手を持ったまま押され、背中から
寝台に倒れ込む。
両手を顔の横で押さえ込まれ、見上げるとバラガの翳った瞳がすぐ近くにあった。
「バラガ!!一体どうしちゃったの!?
こんなの、いつものバラガじゃないよ!!
ねぇ、手を離して!ラタを部屋に入れて!
どうしたの?誰かに操られているの!?」
「いつもの僕じゃないって?」
私の発した言葉にバラガがクスクスと笑う。
「これが『僕』だよ。
汚い欲に塗れた愚かな人間を憎み、世の不公平さに辟易とし、そして今僕は君を......。君を......」
途中で言葉を飲み込み、自嘲するかのように笑った彼の顔があまりに痛々しくて私の心をズキズキとさせた。
「......アクアは両親を亡くした4歳の時から『男爵令嬢』になったんだ。
爵位をもっていなかったアクアの叔父がアクアの両親の死後この館に来て、元々体の弱かった幼いアクアには領地を治めることは不可能だと言い張り、自分がこの領地を治めると言ってね。そのためには爵位相続の『直系の男子』がいては困る、と」
バラガは淡々と語る。
彼の明るく輝いていた新緑の瞳は今はその欠片もなく、ただただ暗く翳り、目の前にいる私すら見えていないかのように思えた。
「じゃ、じゃあ、さっきの礼拝堂の銀の髪の少女がアクアさんだと言うの...?」
アクア・コランバインの爵位相続権を奪うために彼の叔父が彼に女のフリをすることを強要したということ?
私の問いにバラガは無言で目を細めた。
「ねぇ、自分が望んでいない姿をさせられる気持ちってどんなだと思う?
本人にとってどれだけのストレスだと思う?
アクアは成長して身体はだんだんと健康になったはずなのに、心が壊れて、最後にはこの部屋からでれなくなってしまったんだよ?」
にこりと笑ったバラガの周りに黒い霧が現れた。
「バラガ......!?」
「そして5日前、彼はやっと解放された。
僕が会いに来たときには、すでに肉体は生き絶え、この橙色の美しい魂になってしまっていたけどね」
ゆっくりと横を向いたバラガの視線の先を見るとさっきの橙色の光る球体がふわふわと浮いていた。
「確かに彼が苦痛に思っていたあの姿からは解放された。......でも、だったら、彼の人生は何だったんだろう?
本当なら彼は自由に生きれるはずだったのに。
彼は......アクアは、馬で野を駆ることも、僕以外の友人を作ることも、ドレス以外の着たい服を着ることも、好きな女性に巡り合うことも、何一つ...!何一つできなかったんだ!」
「くっ......」
私の両手首を掴むバラガの力がギュッと強くなった。
「ねぇ。オパール。
だから...
だから君の『神からの力の器』を貸してくれないか?」
「えっ?あ......何...こ...れ......!?」
バラガから噴き出す黒い霧が私に纏わりつき体が硬直して動けなくなる。
(何、これ...苦しい......)
まるで水の中にいるかのような苦しさに私は顔をしかめた。そんな私を翳った瞳で見つめるバラガはもうすでに私の知っている彼ではなかった。
「前にも言ったよね?
君を従属させたいわけじゃない、
友達になって、と」
何も映さない深く暗い森のような色をした瞳が私を見下ろす。
「友達になってよ。
その君の『力の器』にアクアの魂を入れて、僕の友達になってくれ」




