32.生きる意味
「......へぇ、何を根拠に?」
カラエスは嘲るように口の端を上げ、私の顔から手を離すと船縁に立てかけた片足に肘を乗せ自身の頬をその上に押し付けた。
私はすっと彼の腰に付けてあるガラス瓶を指差す。
「あなたに初めて会った時、何か嗅いだことのある匂いがしたの」
「なんだ?酒くらい誰だって飲むだろ?酒の匂いが苦手というなら俺は体内のアルコールをすぐさま分解することができるぜ?元々オレたち精霊の臓器なんてあってないようなもんだ」
そうして左手の人差し指を軽く上げ、そこに魔力を集結させる。
「だったら、なんであなたはわざと酔おうとするの?私たちは飲まなくても食べなくても死なないんでしょ?なんでわざわざ体内に取り込んで人間みたいにお酒に溺れようとするのよ?」
カラエスは人差し指をぴくりとさせ、その先にできていた拳ほどの水色の光の球体は、彼の動揺を表すかのようにみるみる小さくなって消失した。
「私の前世でも同じような人がいたわ」
私はあの時、自分のことに精一杯で、彼らの気持ちがわからなかったけど。
ーーあなた、ちょっと飲み過ぎじゃない?
ーーわかってる。だけどな、飲まないとやってられないんだ。おれは辛いんだよ。
あの子は実家で暮らしていた頃の姉ちゃんとそっくりなんだ。あの子を見ると死んじまった姉ちゃんを思い出すからあの子と目を合わせられなくて...そんな態度をしてしまう自分も嫌で、あの子にも申し訳なくて...
ーー気持ちはわかるけど。私だってお義姉さん達がいなくなってしまって辛いわよ。でも、あまり大きな声を出したらあの子が起きてしまうわ
ーーなぁ、なんで姉ちゃん達がこんな事故に合うんだ?難病の子供達を救うための薬を作るって、子供達が笑顔になれるようにって、夫婦で研究を頑張ってたのに...!
何が笑顔だよ...!1番大事な自分の子供を悲しませてどうするんだよ......姉ちゃん...
前世で両親の死んだ後に私を引き取ってくれた叔父さん叔母さんの会話が蘇る。
彼らは気付いていなかったけど、仕事から帰ると毎日飲み明かしてる叔父さんの声は二階にあてがわれた私の部屋にまで聞こえていた。
私はたんに目を合わせてくれない叔父さん達に避けられているんだと思っていた。私がいなければお酒なんて飲まなくても叔父さん達は気持ちが軽くなるんじゃないか、自分が厄介者なんじゃないかって。
...でも違ったんだ。今ならわかる。
叔父さん達は私を大事に思ってくれていた。
ただ、あまりの辛さに現実に向き合えなかっただけ。
「......あなたは何が辛いの?」
私の問いかけにカラエスは無言で目を背ける。
「向き合いたくない“何か″があるんでしょう?
.........その何かが何なのか、なんとなく私にはわかったけど」
「......っ!」
逸されていた水色の瞳がわずかに見開かれたのを見て私はずっと思っていたことを口にした。
「あなたは不死身の体が素晴らしいなんて全く思っていないのよ。だっていつもそれを素晴らしいと言っている時のあなたの目は輝いていない。むしろその瓶の液体を常に飲まなくてはやっていられないくらいに辛いんでしょう?」
「あなたが向き合いたくないのは...」
「何千年、何万年だと思う?」
「え?」
急に切り返されたカラエスの言葉に驚く。
「気が遠くなりそうな時間をオレ達精霊王はこの世界のために生きてるんだ。......いや、もしかすると死んでいるのと同じようなものかもしれないな」
自身の長く青い髪を強く掴み、その掴んだ拳をどこか苦しげな表情で睨みつけながらカラエスは言葉を紡ぐ。
「はっ。ただ、世界を構成するためだけのために、だ。
神々が残した器に魂を入れられ、次の魂が決まるまでの気が狂いそうな長い時間を......終わらせたくても死することも許されない。オレが居なくなればこの地球の水は無くなってしまう。だから、そうならないためだけに、ただそのためだけにある存在だ。そう、ただそのためだけに...っ」
ギリッと歯を噛んだカラエスは、いつもの精霊王としての鷹揚な態度は微塵も無く、ただ自身の運命に苦悩する1人の青年のように見え、私まで心が苦しくなった。
でも...
「でも死ねない体も私達なんだよ。
私の力を手に入れて何かが変わると思った?
光の力を手に入れても、強大な力で世界を意のままに支配しても、そんなことしても今のあなたではただ虚しいだけ。何も変わらない。
あなたの眺める世界が変わらない限りは」
目をわずかに開けいまだ警戒してるラタの毛並みを撫でて、大丈夫だよ、と呟く。
「あなたが、あなた自身がこの世界に居たいって思わないと、この世界は輝いて見えない。
ずっと続く毎日もあなたが楽しいと心から思わないと楽しくなんてならない。
あなたは自分自身の為に生きていいんだってあなたが思わないと。
自分が自分自身の存在を否定しちゃ自分がかわいそうだよ」
ゆっくりと振り向く彼の瞳の奥を見つめながら、もしかしたら前世の私自身にも言いたかった言葉を彼に投げかけた。
「ねぇ、どんな理由であっても生きているんなら、自分のために生きることを楽しんだらいいじゃない」




