来世で、また。
目の前には、眉間に皺を寄せて唸る熊が1匹。
来世の厳しさを、自分への罰のように受け取ったことを怒っているのだろうか。
しみじみ思うが、やはり人間臭い熊だ。
今など頭が痛いとばかりに額をおさえている。
「あのね、誰のせいだと思ってるの。
君のせいだからね!?
本来、前世の全ては死後の世界に置いていくもので、来世に持ち越すものじゃないの!」
他人事のように眺めていると、鼻息も荒くまくし立てられた。
わかっている。
約200年も面談者をやってきたのだから。
それに、たぶん。
熊は心配してくれているのだろう。
子どものような言動や、わざと挑発するようなことを口にしても、本当は面倒見のよい優しい熊だ。
この200年、なんだかんだと見守ってくれていた。
「…あのさ、急にデレるのやめてくれない?
恥ずかしくて居た堪れないから。
面談室では、魂の思考が筒抜けなんだって知ってるでしょー!」
だからだ。
とても便利なシステムだ。
さすがに面と向かって口にするのは、私も恥ずかしい。
来世が厳しいものだと知っても、今は穏やかな気持ちだった。
口元も、自然と緩む。
確かに罪悪感はあるけれど。
実はそれだけで、来世を受け入れたわけではない。
この場で、たくさんの魂に出会った。
魂の数だけ、世界があるのだと知った。
他にも、まだ見ぬ世界があるだろう。
だから、転生できることを嬉しく思っている。
たとえ、誰かに憎まれたとしても。
誰かに殺される運命であったとしても。
たとえば、少年のように自分の心と体の性が一致しなくても。
同性しか愛せずとも。
人とのコミュニケーションが下手くそでも。
たとえば、幼子のように長く生きられなかったとしても。
生まれて、そこに生きていることが素晴らしい。
面談した魂たちのおかげで、そう思えるようになった。
過ちを教えてくれた。
死者でも、これほど誰かに影響を与えることができるのだ。
きっと、生きている者は、もっともっと誰かに何かの影響を与えているに違いない。
人は、そこにいるだけで誰かに何かの影響を与えている。
だから。
辛い未来であったとしても、期待したい。
すぐ死ぬかもしれなくても、死ぬまでに何かできることがある。
熊、知ってるか。
赤子は、周囲に与える影響が絶大なんだ。
泣いたり笑ったり。
だから、私も来世でできることをするよ。
何もせず、死んだりはしない。
死ぬとしても、最期まで諦めない。
記憶はなくても、魂に刻んでいこう。
熊。
今まで、ありがとう。
助かったよ。
「なっ、なんだよー。
最初のころはツンツンだったくせにぃー!」
熊は、つぶらな瞳を潤ませたかと思うと、すぐに毛皮に覆われた手で顔を隠す。
熊も、素直ではないな。
ふと思った。
熊は、私と同じように浄化作業を行う身ではないのかもしれないけれど。
できるならば。
いつか、生者の世界で君と出会える日があれば良い。
ふわりと体が、魂が浮遊する。
旅立ちの時のようだ。
いつか、また会おう。
♢♢♢
転生『可』の印が押された資料が、ゆらゆらと揺れ、そのままスッと消え失せた。
老人の魂と資料は、自分のもとから次の担当者のところへ引き継がれたのだ。
チクリ、と熊の心が痛む。
本当は、老人を心配して少年の資料に手を加えたわけじゃない。
あのアドバイスは、老人のためを思って言ったわけではなかった。
だって、あれは試練なのだから。
面談者。
この役目を課された魂は、要注意。
浄化を行なって転生しても、巡るうちに、魂は業を背負っていく。
積み重なった業は魂を黒く塗りつぶし、巡ることを、転生を阻んでしまう。
そんな転生できなくなる直前の魂たちが、面談者となる。
熊も、何故なのか詳しくは知らない。
ただ、他の魂との触れ合いが、業まみれの魂には良いらしいと聞いた。
事実、時間がかかっても大半の魂は次の世へ転生していくのだから、噂もあながち間違ってはいないのだろう。
熊は、そんな転生できなくなる直前の魂たちを見守っている。
時に諭し、導く監督者。
それが、熊の立場だ。
そして、頃合いをみて彼らに試練を言い渡す。
『今回の判断が、君の来世に影響する。』
『この魂は、転生『否』と判断するのが君のため。』
『君の来世は厳しく辛いものになる。』
『来世は、生まれてすぐ死んでしまうかも。』
こんな言葉に惑わされるようでは、面談者に来世はない。
巡る魂になる以前の姿から、やり直し。
だが、不思議なことに惑わされる魂は少ない。
やはり、他の魂との触れ合いが効くのだろう。
生まれて、死んで、転生できる。
巡る魂は、熊の憧れだ。
彼らは、選ばれた存在。
エネルギーに満ちている。
一時、欲に支配されても、内省する能力を持っている。
つまり、生きているだけで凄い。
どこかで生まれたことが凄い。
だが、そんな凄い魂も、同じような魂たちに囲まれていると、いかに自分が素晴らしい存在なのか忘れてしまうらしい。
それは、なんて悲しいことだろうか。
だが、それでも巡る魂になりたい。
彼らほど、可能性を秘めた存在はいない。
だから、熊はここで修行しているのだ。
ここで修行していれば、いつかは熊も巡る魂になれる。
どこかで、生きることができるようになる。
『いつか、生者の世界で君と出会える日があれば良い。』
老人の言葉が、よみがえる。
試練のためとはいえ、老人を騙したことは心苦しい。
でも、200年も老人を見守ってきたのだ。
寂しい気持ちもあるけれど、無事に転生できて熊もホッとしている。
それに。
また会いたいと言ってくれた。
これはもう友人と言っても良いのではないだろうか。
くふふ、と思わず笑みがこぼれた。
友人が、できた。
ここで修行しだして、はじめてのことだ。
再会してもお互いに記憶はない。
しかし、それでも友人がどこかで待ってくれていると思うと嬉しい。
くふくふと機嫌良く笑いながら、のしのしと巨体を揺らして立ち上がる。
すると、目の前にふわふわと魂が舞い降りた。
業を背負って黒く染まりつつある、魂。
熊が見守るべき、次の魂だ。
よし、と気持ちを入れ替える。
ギロリと睨まれても、なんのその。
老人だって、最初はツンツンの塩対応だったのだ。
きっと500年後くらいまでには仲良しになれるはずだ、たぶん。
ばふっと、両手で顔をたたく。
気合は十分。
「やあ、はじめましてー。」
老人。
君の来世には間に合わないかもしれないけれど。
その次の世には、間に合わせるから。
いつかまた、どこかで。
♢♢♢
「ねぇ、お母さん。」
微かな声が、その場の空気を動かした。
弾かれたように、母親が顔をあげる。
「なあに?」
筋肉が衰え、やつれた少女が横たわるベッドには死の気配が色濃く漂っている。
精一杯、笑顔を作りながら母親は少女を見つめた。
「大丈夫、わたしは幸せだよ。」
10にも満たない幼い少女が口にした言葉が、母親を焦らせた。
「突然、何を言ってるの。
あなたは治るから。
お医者さんが診てくれるからね。
絶対、治るから!」
少女は、母親へ手を伸ばす。
そして、重くなりつつある口を懸命に動かした。
「早死にでも、不幸じゃないよ。
最初は怖かったけど。
でも、最近はお母さんがずっと隣にいてくれるから怖くないよ。
今、幸せだよ。」
少女の手を握りしめながら、母親は涙が流れるのを止められなかった。
「ごめんね。
仕事とはいえ、寂しい思いをさせたのね。
でも、死ぬみたいなこと言わないで。
大丈夫よ、助かるから…。」
母親が必死に励ましたくれたが、治らないことを少女は知っていた。
だから、ふと気になった。
『人は、死んだらどうなるの?』
そう思ったのを最後に、少女の意識は薄れていく。
やがて、眠るように息を引き取った。
肉体を離れた魂が、自然と目指す場所。
死後の世界。
浄化を行い、来世へと旅立つための場所。
今日もまた、新たな魂が辿り着いた。




