正道を歩む 後編
大きな目を丸くして、口も開いている。
まじまじと見つめてくる、中年の女。
『やだわ、おかしい。
それ、どこの国の話?』
呆れたような女の感情が伝わってくる。
だが、私には女のほうが意味不明であった。
憮然としていると、女はおかしそうに話を続けていく。
女を転生『可』と判断した後の、ちょっとした雑談のときのこと。
彼女は来世でも妻に逢いたいと口にした。
妻、という言葉に引っかかりを覚えて聞いてみたのだ。
同性が好きなのか、と。
それに対する女の答えは、当たり前、というものだった。
にわかには信じがたいことだが、女が生きた世界は同性愛が一般的のようだ。
では、子どもはどうするのか。
尋ねると同性同士でも子を作ることができると言い出した。
彼女が言うには科学の進歩だそうだ。
そもそも人間は性交渉をしないものだ、とも。
性欲すらなくなるのか?
私にはサッパリ理解できぬ話であった。
ただ、ひとつ思い出したことがある。
以前、熊が私に言った言葉だ。
『君さ、ちょっと自分の常識を捨てた方がいいよ。』
その通りかもしれない。
『私の世界の常識』と『女の世界の常識』は、かけ離れ過ぎている。
世界が違えば、善悪すらも変わるのかもしれない。
浄化作業として転生可否の面談者となり、100年以上。
私は、自分の生きた世界の常識に囚われてはいけないということを知ったのである。
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今日も、浄化を終えた魂が面談室にやってきた。
いつものように、その魂の生前の世界へと飛び立つ。
だが、私はその世界に驚愕した。
理解が及ばぬ世界が広がっていたからではない。
知りすぎた世界であったから驚いたのだ。
眼下に広がっているのは、我が国であった。
では、あの魂は私の民か。
見下ろした先では、青年が暴れていた。
処刑場の柵にしがみつきながら。
届かぬと知りながらも、精一杯に腕を伸ばしている。
「兄さんっ!!!」
青年の悲痛な声も虚しく、処刑場には首がひとつ、転がった。
どさり、と力が抜けて倒れる胴体。
広がる血溜まり。
青年が慟哭した。
この人間は、彼の兄か。
青年のことも、処刑された人間のことも私は知らない。
しかし、ここで処刑される意味は知っている。
売国の罪。
他ならぬ私が、作らせたものである。
隣国の間諜は拷問の末、ここで首をはねる。
それは隣国に与した国民でも同じこと。
やがて、青年は兵士に邪魔だと追い払われてしまった。
ふらふらと、よろけながら立ち去っていく。
青年が裏道へ入ると、どこからか男たちの話し声が漏れ聞こえてきた。
「おい、聞いたか?
西通りの若旦那の話。」
「売国の罪に問われて捕まっちまったんだろ。」
「お、耳が早いな。
どうやら男色家だったらしいぜ。」
「らしいなぁ。
確かに男色の何がいいのかはわからんけどよお。
首をはねるほどのもんかね?」
「しぃーっ。
下手なことを言うな。
誰かにでも聞かれてみろ。
思想に問題あり、売国奴だって俺らが首をはねられちまう。」
西通りの若旦那とは、先ほど処刑された人間のことであろう。
青年の兄。
くいっと青年の魂を呼び寄せる。
裏道を歩く彼の体から、魂だけが私の元に浮かんできた。
「君の兄は、罪人か。」
私の言葉を聞いた青年は、烈火のごとく怒りだした。
いわく。
兄は売国の罪など犯してはいない。
根っからの善人で細々と生きていただけ。
ただ、性愛の対象が男であった。
男が女に対して愛を囁いても罪には問われない。
なのに、男同士の場合は売国奴と呼ばれて殺される。
兄も女を愛せぬことを悩んでいた。
だが、それは首をはねるほどの罪か。
この国は、狂っているのだ。
私は、青年の言い分に唖然とした。
同性愛を罪に問うなどしたことはない。
ただ、彼らの動向を注視せよ、と命じただけである。
隣国の魔の手から国を守るために。
あの侵略者どもが、彼らを利用しようとしたからこその措置だった。
弱き者を、隣国の魔の手から守るため。
『集落から孤立する者、障害をもつ者、思想に問題がある者を注視せよ。
それらの者に、素性怪しき者が接触していれば告発せよ。』
私はそう命じた。
彼らが罪人であるとは言っていない。
しかし、現実はどうだ?
彼の兄は、本当に男色家というだけで処刑されたと言うのか。
隣国の間諜が忍び寄っていたのではないか?
捕われたということは、彼の兄が隣国に与したという証拠があったのではないのか?
信じられない。
だが、青年の周囲では同じように処刑される者が増えていく。
青年は、町の役人へ訴えた。
だが、聞き入れられなかったのだ。
「今の言葉は、聞かなかったことにする。
思想に問題ありとして捕まりたくなければ、もう口にするんじゃない。
残念だが、そういう法なのだ。」
役人は青年に同情していた。
心ある人物だったのだろう。
しかし、青年はそれを境に、国を見限った。
青年のまわりに、1人、2人と家族や友人が処刑された者が集まっていく。
人数が増えていくと、情報も集まるようになった。
私は、声も出なかった。
何故、ここまで法が歪んでいるのか。
ただ、隣国の間諜を摘発するための法であるのに。
やがて、彼らは革命の道へ進む。
皇帝を、私を誅殺することに決めたのだ。
なんということだろう。
この青年は、あのとき私を殺した男だったのだ!
青年は担当の面談者が、まさか殺した皇帝本人であるとは思っていない。
私の中で、憎しみがむくむくと育っていく。
どうしてくれよう。
問答無用で転生『否』としてやろうか。
そのように考えていたときだった。
ある商家へ、青年が慌てたように駆けていく。
そこには、すでに何人もの兵士が取り囲んでいた。
おそるおそる、遠巻きに様子を窺う近隣の者たち。
やがて若い女と赤子が連れ出され、縄をかけられた。
女の頰は涙に濡れている。
その女の目が、青年を捉えた。
女の唇が震える。
喧騒に紛れて、彼女の声は聞こえなかった。
しかし、唇の動きは簡単に読み取れた。
『にいさま』
女は、そう言ったのだ。
青年が奥歯を噛む。
握った拳が、彼の激情を物語っていた。
「お大尽様から契約切られちまったんだと。
なんでも納期までに注文の品が間に合わなかったとか…。
それで怒りを買っちまって。
大口の契約なくして、商品の莫大な借金だけ残っちまってさぁ。
にっちもさっちもいかなくなったんだろうね。
今朝、旦那の遺体が見つかったらしいよ。」
「あぁ、それで。
昨日、あそこの旦那の顔が真っ青だったんだよ。
子ども、生まれたばっかりだろ?
可哀想に…。」
「しかたないさ。
あの家はお大尽様に睨まれた。
そんな家、みんな避けるだろ?
つまり、孤立だよ。
そうなると、告発せざるを得ない。
そういう法だもの。」
「何かあれば告発されて処刑場行き。
恐ろしい時代になったもんだね…。」
野次馬の話を聞くともなしに聞いていた青年が、やがてポツリと吐き捨てた。
「家が潰れたのも、旦那に死なれたのも、ついさっきのことだ。
この短時間で、いつ国を売りに行けるというのか。
首も据わらぬ赤子が、一体、どうやって国を売るというのだ。」
青年の静かな声が、私の心に突き刺さる。
翌日、青年は妹と甥を喪った。
生まれて間もない赤子が、何の罪を犯せようか。
処刑されたのが、青年の兄や妹だけであったなら、目を逸らしていられたのに。
処刑された赤子の姿が、かつて面談を担当した幼子の姿と重なった。
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「あれ、何やってんの君?」
面談室の外で顔を覆っていた私に、熊が近寄ってくる。
のしのし、と巨体が揺れた。
「…放っておいてくれ。」
とても熊の相手をできる気分ではなかった。
信じてきた道が、目の前で崩れ去ったのだ。
「…信念が崩壊しちゃった?」
やめてくれ。
しかし、熊は容赦なかった。
「ねえ、今どんな気持ち??」
煽るような言葉に、カッと頭に血がのぼる。
「やめろっ!!!
私は、間違ってなどいない!!」
認められない。
私は正しい。
そうだ、そうでなければ。
そうでなければ…何のために父を殺したのだ。
親を殺してまで、国に尽くした日々は一体なんだったというのか。
「青年の視点では、君はおそろしい暴君だったでしょ。」
あ、と思った。
私の生前については、話をしたことがある。
しかし、どうして熊は私が担当した魂のことまで知っているのだろう?
私は、熊が担当した魂の情報など持っていない。
一体、どうやって知ったのだ?
「君は正義の名のもとに、いくつもの法を作った。
それは国民を苦しめることもあったみたいだねぇ。
自分が正しければ、何をしてもいい?
たぶん、違うよね?」
熊が巨体をかがめて、ひたと私に視線を合わせてくる。
その瞳は、どこまでも見透かすような深いものだ。
「正義なんてものは世界によって違う。
同じ世界にいても、人によって違う。
親兄弟ですら、信じる正義が異なることも多い。
君は、隣国の侵略から国を守ったつもりだった。
君を殺した青年は、暴君から無辜の民を救ったつもりだった。」
熊のことを、ただの同僚だと思っていた。
確かに、人と熊、生物の種類は異なる。
それでも、私と同じく浄化作業として魂たちを送りだす面談者だと信じて疑わなかったのに。
「立場が変われば、正義も変わる。
これが正しい、なんて一概には言えない。
2人とも、正義の名のもとに行動した。
2人とも、たくさんの人を殺した。」
熊は、私とは違うのだろう。
きっと浄化作業中などではない。
それだけは、わかった。
もしかしたら、死後の世界に生きる存在なのかもしれない。
「これからも、君はたくさんの魂に出会う。
色々と話を聞いてごらん。
その世界を観に行ってごらん。
その経験が、君の魂の浄化をすすめるはずだよー。」
熊は言いたいことだけ言うと、のしのしと巨体を揺らしながら立ち去った。
死後、150年。
私は、ようやく本当の意味で気がついた。
私が正しいと思うことが、他人にとっても正しいとは限らないということを。
生前は、気づこうともしなかった。
面談者となって幼子の死の経緯を知り、心のどこかで悟っても、誤魔化して見て見ぬふりをした。
自分が間違っているかもしれないなんて、思いたくなかったのだ。
そうやって目を逸らしてきたが、とうとう現実を目の当たりにしてしまった。
私は民を守ると言いながら、民を殺し続けた大罪人。
父のようにはなるまいと思いながら、父よりも酷い皇帝になっていたのだ。
残虐皇帝。
血も涙もない独裁者。
私の名は、後の歴史書にそう記されている。




