正道を歩む 前編
我が国は、侵略されたことがある。
父の御代のことだ。
父帝は、愛人を侍らせて遊んでばかり。
国を憂う忠臣を左遷し、口だけの佞臣を優遇する。
いつの間にか、素性の怪しい者たちが宮廷を牛耳っていた。
そして、そんな格好の餌食を隣国は見逃してくれなかったのである。
国境が敗れ、辺境の地から踏みにじられていく。
どんどん中央に迫る隣国の軍。
あっという間に底をつく財源。
市場から消えゆく食糧。
なんとかせねば。
父は耄碌した。
私がやらねば。
若輩者で経験がないなど、言ってはいられない。
父帝を弑逆した。
密かに用意した毒を酒に混ぜるときは、さすがに手が震えた。
それでも、こうするしかあるまい。
国を傾けた罪は重く、また改心する気配もない。
中央までは来るわけもなかろうと高を括り、軍に丸投げだ。
私とて戦のことは門外漢である。
生まれてこの方、護身術くらいしか経験がない。
太子としての教育しか受けていないのだ。
だから、将軍に任せておけというのも多少は理解できる。
だが、侵略されていることを深刻だと思わないのか。
門外漢であっても、戦況や必要な支援について聞いたらどうなのか。
人員や物資など、いくらあっても足りないはず。
軍だけで賄えるものではないのに、国として放置はいかがなものか。
父が毒杯を呷るのを、これは正義だと唱えながら見つめていた。
親殺しの罪を背負う覚悟はできている。
国のために、民のために。
私は、正しい。
「殿下…。」
呼び出した将軍が、唾を飲み込む。
目の前には、皇帝であった父が転がっていた。
「陛下が崩御された。
持病が…悪化したようだ。
戦の最中、お前には苦労をかける。
私にできることなら、何でもする。
その場にいるぐらいしかできないが、出陣してもよい。
私がいれば、士気が回復するだろうか。」
震える指を握りしめて、顔をあげる。
腹は括った。
見上げた将軍もまた、決然と顔をあげる。
彼もまた、覚悟を決めたのだ。
「殿下、いいえ、陛下。
必ずや、蛮族より国を守ってみせます。
この臣が、必ず。」
その言葉のとおり、彼は奮闘した。
破竹の勢いだった敵軍を食い止めてみせた。
やがて冬が来て、敵は撤退せざるを得なくなった。
我が国は、生き延びた。
しかし、被害は甚大である。
兵士も、民も、たくさん死んだ。
辺境の民は命を奪われ、田畑を焼かれ、家も壊された。
もう二度と侵略する隙を与えてはいけない。
国を守らねばならない。
宮廷に蔓延る佞臣を、少しずつ少しずつ取りのぞく。
体制も、変えていこう。
権力が集中せぬように。
無能な皇帝や佞臣の胸三寸ですすむ政治では危ない。
細かく法を定めて、意のままにできぬように。
厳しくあらねばなるまい。
「陛下、隣国の間諜を捕らえました。
あやつら、貧しい者や村八分の者などに施しを与えておりました。
弱い者から狙って味方にし、長年かけて広く情報を集めておったようです。」
「なんとも卑劣な。
しかし、そこらの民草から得られる情報など役に立つのか?」
「仰る通りでございますが、人海戦術も馬鹿にはできぬということでしょう。
1人引き入れて、そこから人脈を伸ばす。
まさに鼠ですな。
立場の弱い者に、我らはお前の味方だ、と手を差し出す。
人とは思えぬ鬼畜どもです。」
「具体的に、どのような者たちを狙ったのか?」
「報告によりますと…。
駆け落ちして逃げてきた男女。
盲目の老女。
誤って村長を死なせた青年。
騙されて田畑を奪われた農民。
あとは…男色の者などですな。」
「ほう…。
では、そのような者たちを探る必要があるな。
また国を売られては困る。」
私は、国を、民を守る。
父のような人間にはならない。
『集落から孤立する者、障害をもつ者、思想に問題がある者を注視せよ。
それらの者に、素性怪しき者が接触していれば告発せよ。』
隣国が、それらの者を狙うのであれば、こちらも対策が必要である。
私は、正しい。
おかげで、間諜の取締りが強化された。
私は、国を守る皇帝である。
「どこだ?!
見つけ次第、殺せ!!
首をはねてしまえ!!」
息が切れる。
はぁはぁという自分の呼吸が、やたらと辺りに響く。
年老いた体には、走るのも限界だった。
すでに、護衛はいない。
壁に付いた手が、震える。
隙間から見える宮殿に、火の手があがった。
「い、いたぞ!
皇帝だ!!
おい、皇帝発見!!!」
見つかった。
慌てて駆け出すも、ぶすりと何かが突き刺さる。
足の感覚をなくし、盛大に転んだ。
「…痛いか。
でもな、国民の痛みはこんなもんじゃねぇ。」
低い青年の声が、耳に届く。
血だらけで見すぼらしい格好だが、彼がリーダーであることは一目でわかった。
カッと頭に血がのぼる。
「蛮族めが…!!
簡単、に、隣国に操られ、おって!!
国、を滅ぼして、楽しい、か?!
お前、のせい、で、民が、死ぬ…。」
血を吐きながら、叱責する。
同時に、後悔の念に駆られた。
もっと厳しく取締まらねばならなかった。
間諜に、隣国に操られる人間がこうも多いとは…。
しかし、青年には私の言葉が理解できなかったらしい。
憎しみに満ちた、燃えるような瞳を向けられた。
「ふざけるな、クソジジイ!!
お前のせいで、罪のない人間がどれだけ死んだか!
どいつもこいつも怪しい怪しいって処刑しやがって!!
あの世で勝手に隣国の亡霊とでも戦ってろ!!」
政治もわからぬ小僧に、不敬も甚だしい罵声を浴びせられ、私の人生は幕を閉じた。
国のために、民のために生きてきたというのに。
私は、父のような国を滅ぼす皇帝ではない。
私は、正道を歩んでいたはずだった。
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ぽかん、と熊が口を開けている。
間抜けな顔だな、とぼんやりと思った。
「いやいや、正義って何さ?
そんなもの、世界によって全然違うよ?
君にとっての正義を熱く語られても、困るなー。」
やはり熊には難しいらしい。
「君さ、ちょっと自分の常識を捨てた方がいいよ。
でないと君が担当する魂が可哀そう…。」
なんと失礼な。
私は真面目に話しているのに。
まあ、いいだろう。
熊に理解されなくても構わない。
とにかく己に課せられた浄化作業をすすめれば良いのだ。
『本当に生前の行いが正しいことだったのか、見極めよ。
面談者となり、あらゆる人を見て確認すべし。』
私が、いかに正しい選択をしてきたか証明して見せようではないか。
そして、来世こそ。
次の世は、正義の何たるかを理解する者が多ければ良いのだが。
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ゆらゆらと不安げに揺れる瞳。
おずおずと見上げる小さな体。
私は、頭を抱えた。
どうせよと言うのか。
このような幼子を。
「君の浄化作業は…。」
とりあえず口を開いたものの、こてんと首を傾げられて諦めた。
3歳児には難しかろう。
わざわざ相手の口から聞かずとも、資料に書いてある。
『夜空の星を数えること。』
一生懸命、たくさん数えたに違いない。
こいこい、と手招きする。
とてとて、と幼子が近寄る。
この浄化作業に携わるにあたり、必要な力を与えられている。
対象者の死を観る能力だ。
今回のように対話が難しい場合、非常に役に立つ。
世界が、歪む。
私は、幼子の世界へと飛びこんだ。
貧しい農村。
石造りの家屋が多い。
幼子の両親らしき夫婦がいる。
彼らが老女に幼子を預けて出かけていく。
だが、翌日になっても両親は戻らない。
視界には、右往左往する老女。
幼子の不安で怖ろしい気持ちが伝わってくる。
そのまま両親は戻らず、幼子は老女と暮らすことになった。
何があったのか本人には知る由もない。
ただ、もう両親には会えないということ。
不幸にも、それだけは理解できたようだった。
泣き叫び、母を、父を呼ぶ幼子。
だが、そこには老女しかいない。
幼子をあやす老女の目にも涙が浮かんでいた。
時が経ち、老女が倒れた。
だが、幼子にはどうすれば良いのか、わからない。
すぐに老女は動かなくなった。
泣きながら老女の背を揺すっている。
しかし、返事はない。
泣いて泣いて、いつの間にか眠る。
朝が来て、また泣いて、そして眠る。
腹が減ったら、家にあるパンと水を口にする。
そして、また老女の背を揺する。
しかし、とうとう食べるものが底をついた。
幼子は、ヨロヨロと外へ歩き出す。
腹が減って、そのあたりの草を口に入れている。
すぐにペッと吐き出したが、また違う草を口にする。
幼子は、老女と一緒に行ったパン屋をめざしていた。
大人の足では、すぐ近く。
だが、幼子の足では遠い。
村の娘が、幼子に気がついた。
いつもは老女が必ず側にいるのに、今日は1人で出歩いている。
いつもは襤褸でも清潔にしているのに、汚れた衣服と体。
明らかに様子がおかしい。
娘が、声をかけようか迷っている。
しかし、運が悪かった。
娘の隣には、身なりの良い男がいたのだ。
見る限り、村の男ではない。
その後ろには、帯剣した大男が控えている。
当然、幼子は男達のことを知らない様子であった。
だが、男の手にはパン屋の袋がある。
パンを買ったのか、村からの献上品か。
幼子は、ふらふらと男に近寄っていく。
村娘の隣にいたから、知らない大人でも安心したのかもしれない。
もしくは、空腹に耐えかねていたか。
大男が、ゆらりと男の前に進みでた。
幼子が男に手を伸ばす。
パンをねだる。
娘が幼子を止めようとしたが、遅かった。
小さな手が、男の服を掴もうとした瞬間。
眉を顰めた大男が、すらりと剣を抜いた。
娘が、声にならない悲鳴をあげる。
幼子は強く地面に叩きつけられた。
おそらく、幼子には何が起こったのか最後までわからなかった。
横たわったまま、ぼんやりと男と娘を見上げる。
そのまま、すうっと瞳から光が消え失せた。
死後の世界に戻ると、生前のように泣き叫ぶ幼子がいる。
思い出してしまったのだろう。
必要なこととはいえ、可哀そうなことをした。
おそらく、男は高貴な者であった。
大男は、その護衛か。
娘は、高貴な者に村の案内をしていたというところか。
保護者を失い、腹をすかして村へ出た幼子は悪くない。
現に幼子が死んだ後、村人たちは死んだ老女とともに丁寧に葬った。
『いくらなんでも、切ることはなかったのではないか。』
『あの子が近づいたところで、何の危険があるというの?』
『確かに不敬ではあったが、幼子に身分なんてわかるはずがなかろうに。』
身分の差から堂々と口にはできなかったが、村人たちは憤っていた。
では、あの高貴な男と護衛が悪いのか?
それは違う。
元皇帝の身である私からすれば、男と護衛を責める気にはなれない。
身分とは、そういうものだ。
護衛として、主君の体に触れさせるわけにはいかない。
たとえ、非力で無害な子どもであっても。
そう見えても、何があるかわからないのだから。
誰かが幼子を利用して暗殺計画を立てたかもしれない。
パッとしない村の薄汚れた子どもだとしても、危険がないと何故言えようか。
護衛の大男は、幼子が男に触れようとするギリギリまで剣を抜かなかった。
彼は、仕事をしただけである。
法に照らせば悪いのは幼子であろう。
しかし、どうにもスッキリしない。
何かが心に重くのしかかっていた。
再度、幼子を見下ろす。
曇りのない瞳は、涙でいっぱいだった。
よしよし、と頭を撫でてやりながら。
私は、ぽんと印をひとつ押した。
転生『可』。
ふわりと小さな魂が、旅立った。
魂を見送りながら、モヤモヤとした己の心について考えた。
幼子の死を観た私個人としては、村人たちと同じような蟠りを抱えているのだ。
殺すのではなく、せめて突き飛ばすくらいでも良かったのではないか。
情状酌量の余地はあったであろうに、と。
そこで、ふと気がついた。
生前の私は、犯罪に対して罪状を固定していなかったか。
裁く者の気分で、罪状に変動があってはならない。
父帝と佞臣のもとに権力があった時代、賄賂さえあれば犯罪者も罪には問われなかった。
人を殺しても、無罪放免である。
反対に賄賂がない、もしくは足りなければ、重罪に科せられた。
冤罪もまかり通る。
国としてありえない。
ならば、犯罪に対して科す量刑を固定すれば良いと考えた。
もしも、この件が我が国で起こったとしても。
物事の分別がつかぬとはいっても、罪は罪。
量刑固定を徹底させたのだから、減刑されるはずがない。
情状酌量などありえないと撤廃したのは、他ならぬ私である。
今さら、ではある。
だが、本当に私が生前に行ったことは、良いことだったのだろうか。
幼子の件のようなことが、我が国では全く起こらなかったなんてことがあるか?
いや、ないはずがない。
そして、それで我が子が罰せられでもしたら?
両親はもとより、近くで見守ってきた者たちもやりきれないだろう。
幼子を見送った私のように。
そんな、まさか。
私が間違っていたとでも?
国のために民のために。
腐敗した宮廷を正すために…。
私は、私は…。
そんなわけがないと自分自身に言い聞かせながら。
それでも、カタカタと震えるこの指先はなんなのか。
次の魂が面談室にやってきても。
震えは止まらなかった。




