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少年と老人、そして熊。


ふわふわと漂っていると、にゅっと深い皺が刻まれた手が伸びてきた。

そのまま掴まれて、ポーンと上に投げられる。


昇っていくうちに、魂が人型を思い出して変化していく。

どさりと落ちるころには、生前の姿に戻っていた。


「おかえり。」


目の前には、あの老人がいた。

面談室に、戻ってきたのか。


「死の原因となった問題を解決する方法を模索せよ、というのが君に課せられた浄化作業だった。

君が出した答えを聞いてもいいかな?」


死の原因。

ハルちゃんと仲違いしたから。

SNSという、男でいられる場所を無くしたから。

世間、両親が求める『普通』になれなかったから。


ループしながら、どれだろうと考えていた。

結局、原因はひとつではない。

全てが積み重なった結果だった。


だからか、何度ループしても解決する方法なんてサッパリ。


あれこれ目星をつけても、どれも違うのか、また最初からやり直し。

そうして、何年も何十年も過ぎていった。


そんな中、ふと気がついたのだ。

聞き役にまわることのほうが多い、あの女子の言葉を。


『たとえ理解してもらえなくても、説明しておいた方がいいこともあると思うよ。』


思えば、僕は隠すことばかり、誤魔化すことばかり考えていなかったか。

心が、男であることを。

ハルちゃんが、好きなことを。


カミングアウトしてしまったら、この世の終わりのように思っていた。

どうせ言っても無駄だと思い込んでいた。


もしかして、ハルちゃんなら事情はわかったと言ってくれたのだろうか。


勇気が必要だったんだろうか。

彼女を信じる、という勇気が。


そう思えてきたころ、浄化作業が終わった。

ループが終わった。


つまり、そういうこと。

僕は周囲の人たちを信用できていなかった。

諦め癖がついていたのかもしれない。

どうせ、と心のどこかで諦めていた。


僕は臆病だ。

人を信じて、裏切られるのが怖かった。


「無理だと決めつけなければ、また違う未来があったかもしれないと思ったんだろう?

それは、魂に刻まれたはず。

記憶はなくても、それは来世に活きる。」


そして、今も。

来世は、また違う人生を歩むと知りながら、信じきれない自分がいる。

また失敗するのが怖いのだ。


だから、転生したくない。

絶対に安全だと確信できなければ、消えるほうがマシだと思ってしまう。


飛び降りた、あの日のように。


「自滅願望が強いな…。

慎重な姿勢がダメなわけではないよ。

でも、逃げてばかりじゃダメだと思ったんだろう?

それなのに、また挑戦しないのか?

転生する前から、また諦めてしまうのか?」


老人が言うとおりだった。

ここでも、僕は尻込みしている。


だが、それでも。

他人に何故ここまで厳しく言われるんだろう?


「私も思い込みが激しいタイプでね。

諭されても考え直さない頑固者だった。

君は、私と違って柔軟だと思う。

言えばわかるタイプだから。」


よくわからない…。


「失敗しない人間なんていない。

学んでも、反省しても、ついつい流されてしまうこともある。

自分でも良くないと思うのに、人に指摘されると意地になったりね。」


老人はどこか遠く眺めた。

何かを振り返るように。

この人にも後悔があるのだろうか?


「失敗しても改めることができる。

絶望的な状況でも、どこかに出口が必ずあるものだ。

現に、君は解決の糸口を見つけた。

いつまでも浄化作業が終わらない人もいる中で、凄いことだ。

前世でうまくいかなかったからといって、次もそうとは限らない。

私は大丈夫だと思う。」


その眼差しから、老人が本気でそう思っているのだと察した。

老人は、僕を信じているのか。

人を信用できないでいる、この僕を。


「君の言う『普通』は、生前の価値観だ。

来世では、また違う価値観の場所に生まれる。

それでも、まだ消えたい?」


…消えたかった。

こうあるべきだという理想はあるのに、程遠い自分が情けなくて辛かった。

そんな自分を受け入れてくれた彼女すら、傷つけてしまって、もう自分を消したくなった。


「希望を持つのは、嫌?

転生すれば、生前の君とは違う人間だ。

別の人間で、別の人格になる。」


別の、人格?


「そうだよ。

そうでなければ、困るだろう?

前世で荒々しい人間が、来世では内気で繊細な人間になることもある。

それは同じ魂でも。

転生とは、そういうものだ。」


それなら。

今の僕は…。


「生前の世界において、君は少し浮いてしまったかもしれない。

しかし、それは生前の世界においての話。

君の性格も、それは転生するまで。

魂は巡っても、今の君は来世にはいない。

いるのは、新しい君だ。」


理想のような言葉だった。

いっそ消えたいと思う僕にとって、それは自分が消えるようなものではないか。

同時に、転生して人生をやり直す選択肢でもある。


心の半分、もう消えたいという願い。

もう半分、新しい人生に期待したいという願い。

そのどちらも満たすかのような、なんて都合の良い展開だろう。


その言葉が、僕の心を動かした。

老人を信じてみてもいいかもしれない。

それに、裏切られても来世の僕には記憶がないんだ。


ここまで来ても、そんな考え方しかできない自分に苦笑する。

それでも、胸のつかえが下りた気がした。


本当は、人を信じたかったのかもしれない。


僕は転生を受け入れた。

来世に、少し期待をしたのだ。


一歩、踏み出してみよう。

転生する前から来世もダメだと決めつけていたら、自分を変えられない。


どうか。

来世では、良い人生だったと言えますように。




♢♢♢




ふぅ、とため息をつく。

あの少年は、すでに転生への道をすすんでいる。

少年を見送ったのものの、後から大丈夫だろうかと不安に思う自分がいた。


「そんなの、転生してみなければわからないよー。

今から悩んだって無駄!!」


目の前で陽気に笑う熊を見て、ますます気分が下がる。

他人事だと思って、と恨み言のようなセリフが胸中に渦巻いた。


「いやー、他人事だからねぇ。

そもそも、ボク、人間ですらないからさぁー。」


まぁ、確かに。

どこからどう見ても熊だが。

しかし、ひどく人間臭い熊である。

二足歩行でピンと伸ばした背筋など、私の知っている熊とは全く違う。


「それで?

この200年の浄化作業(・・・・)から解放された気分はどう?」


ニヤリ、と熊の唇が弧を描く。

まるで悪人のようだ。


「転生可否の面談者なんて悪人みたいなもんだよ。

ある程度、非情になって割り切らないと。

現に、君なんか世紀の極悪人らしいじゃん。」


それは、そうだが。

やはり今でも、そう呼ばれるのは抵抗がある。


「君にとっては、正義の道だったんだっけー?

最初のころ、私は正しいって熱弁してたもんねぇ。」


……。

それで、私はどうなるのだろうか。

転生するのか?


「転生するに決まってるでしょー。

だからこそ、少年の資料に手を加えたんだから。

資料の備考、ちゃんと読んだ??」


読んだとも。

あの資料に書いてあったことは全て。


「今回は転生『否』にするほうがいいと思うって教えてあげたのに。

それでも、転生させる方を選んだのは君だからね?」


そうだな。

そのとおり。


『備考。

少年の転生可否は、しっかり考えよう!

今回の判断が、君の来世に影響します。

彼はまだ不安定なところがあるので、今回は転生『否』にするのが無難でオススメ!

後10年ほど浄化するのが望ましいかな。』


わかっていた。

それでも、他の魂と公平でなければならない。

いつもは転生『可』を前提に、魂と面談しているのだ。

この面談室に来るまでに、皆、多かれ少なかれ苦汁をなめている。

だからこそ、できる限り転生して新しい人生をはじめてもらいたかった。

彼にだけ、転生『否』を前提に面談するわけにはいかないだろう。


そして、私は面談者として転生『可』と判断した。

多少不安があっても、挑戦させる。

実際に話を聞いてみて、少年の魂にとってはその方が良いと思ったのだ。


しかし。

迷いがなかったかと言えば、嘘になる。


「なんというか難儀な性格してるよねー。

君の来世に影響があるから慎重にしなよってアドバイスしたつもりだったのに。」


ひらひら、と熊が資料を弄ぶ。

おそらく、私のことが記された資料だろう。


ふぅ、と熊がため息をついた。


「どうして転生『否』にしなかったのー?

次の人生、かなり辛いことになりそうだよ?

すぐ死んじゃうかも。

少年を転生させたこと、後悔しない?」


…すぐに死ぬかもしれないのか。

なかなか厳しい来世である。


しかし、これが私の浄化に課せられた内容だったのだ。

面談者として、誠実な対応をしたいではないか。


『本当に生前の行いが正しいことだったのか、見極めよ。

面談者となり、あらゆる魂を観て確認すべし。』


死後、浄化作業の内容を告げられたときには、反発を覚えた。

私の何が間違っていたと言うのか、と。

しかし、今となっては自分が常に正しかったとは思っていない。

他人から見れば、熊が言うように極悪人であったに違いない。


罪悪感があるからだろうか。

来世の厳しさも、受け入れる気持ちがある。

少年を転生『可』にしたから、来世が辛い人生になるのだとは言いたくない。


大罪人の私には、良い罰となることだろう。


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