少年T 後編
今日、僕は死ぬ。
ついに、この日が来てしまった。
ぴこんぴこん、と連続してSNSの通知音が響く。
パソコンとゲームが没収されて数時間後、僕のSNSは炎上した。
はじまりは、ひとつの投稿。
『こいつ、実は女。
女子校に通ってる。
友達の彼氏にアプローチしまくって奪った。
親友のフリしてサイテー。』
みんなと遊びに行ったときの写真をSNSに投稿していた。
その時と同じシチュエーションで、別の角度から撮影された写真が投稿されていく。
炎上の仕掛人は、一緒に遊びに行った子の誰かだ。
『見ての通り、この場にいた。
だから、よく知ってる。
こいつが写真の右にいる女。
親友が隣にいる子。
その彼氏が左の男。
裏切られて、親友の子は泣いてる。』
女子だけの時は人物が写っていない写真を選んでいたけど、ヨウくんたちがいる時は、みんなで撮った写真を顔だけ隠して投稿していた。
男だってことに信憑性あるかなって浅い考えで。
まさか、そこから人物を特定されるとは思わなかった。
フォロワーさんたちは庇ってくれる人が多かったけど、男として存在できる場所が無くなったのがショックだった。
中学の頃から築いてきた世界が失われてしまったのだ。
気力が衰え、何もする気がおきなくなっていく。
そんな状態でも、学校に行かなければならない。
今日は休みたいと言ったが聞き入れてもらえなかった。
僕を女だと告発した人間は、十中八九、同じ学校の生徒だというのに。
やはり、両親には何を言っても無駄だ。
「一緒に食べない?」
重い体を引きずって登校し、ぼんやりと午前中を過ごした。
お昼になり、ハルちゃんが声をかけてくれる。
一瞬、何を言われているのか、わからなかった。
それほど、SNSの件が尾を引いていたのだ。
しかし。
ハルちゃんが、僕に声をかけた。
あの日以来だ。
今までも無視をされたことはない。
挨拶は返してくれるし、必要最低限の会話もある。
つまり、同じクラスだから無視はしないけど、友達付き合いはゴメンという態度。
周囲を巻き込んでイジメるような子ではないのだ。
そんな子だからこそ、ただのクラスメイトとしての扱いが、彼女をとんでもなく傷つけたのだと思い知らされた。
そんな状態だったのに、お昼に誘ってくれた。
いつぶりだろう?
実際には1週間くらいのはずだ。
しかし、僕にとっては永遠ともとれるような時間だった。
「…ぅ、うん!」
じわじわと実感がこみあげる。
涙が出そうなほど、嬉しい。
炎上したSNSのことが吹き飛んだほどだ。
「ここでいい?」
問われて見渡せば、そこはグラウンド脇にある藤棚だった。
ベンチに2人で腰かける。
さすがに暑くて、僕たち以外、外で食べようなんて人間はいない。
もともと、僕たちは4人グループだ。
だから、また今までのように4人で食べられるのかと思っていた。
なのに、2人きり。
ハルちゃんは、僕と2人で話をするために声をかけたようだった。
お互いに話したいことがあるのに、しばらく黙々と弁当を平らげていく。
どうしようと最後のひと口を箸で突いていると、彼女から口火を切った。
「…ごめんね。」
ハッとした。
何をやってるんだ、僕は!
「ち、ちがう。
ごめん、悪いのは僕だよ!
ほんとにごめん。」
情けない。
好きな女の子を泣かせたあげく、謝らせるなんて。
「ううん。
私…ヒカルがヨウくんのことを好きだって知らなかった。
だから、ヨウくんに告られて簡単に舞い上がっちゃった。
それでヒカルを苦しめたんだよね。
ごめん。」
え、という僕の声は彼女の次の言葉に消されていく。
「付き合ってから、ヨウくんとヒカルが連絡取り合ってるって知ったの。
そこで、はじめてヒカルもヨウくんのことが好きなのかなって思って…。
気づくの遅いよね。
ヒカルが送ったメッセージの内容聞いてると、ヨウくんにアピールしてるわけでもないのに、モヤモヤして…。
たぶん、ヒカルは告る気なかったんだよね?
なのに、ヨウくんを奪われるかも、なんて勝手に思い込んでて…。」
ちがう。
でも、どう訂正すれば良いのかわからない。
実際はどうであれ、僕の行動は友達の彼氏にちょっかいかける女そのものだ。
「それに、ちゃんと言えばよかった。
ヨウくんに連絡とらないで、って。
何も言わずにグルグル悩んで、ヨウくんにも責めるようなことばっかり言っちゃった。
だんだんヨウくんの心が離れていくのがわかったけど、止められなくて。
ヒカルにも、突然キレちゃった。
驚いたよね。
ごめんなさい。」
ハルちゃん。
僕の全てを、君への想いを告げるわけにはいかない。
どうせ言っても理解されない。
でも、謝りたい。
君は何も悪くないのだから。
「ごめん。
本当は、僕が悪い。
ハルちゃんが悩んでいることにも気がつかなくて…。
本当にごめんなさい。」
「…ヨウくんにね、言われたの。
俺もフラれたって。
ヒカルとは付き合わないから、そろそろ許してやってくれって。
今までずっと、ヒカルは酷いって被害者ぶってたけど、そう言われて気がついたの。
ヒカルにやめて欲しいと思ってることも言わなくて、ヨウくんのことをどう思ってるのか本心も聞かないで、一方的に友達をやめる私も酷い人間だなって。」
ねぇ、と彼女が続ける。
「ヨウくんのこと、好き?
どうしてあんなに連絡してたの?
それとも、ヒカルとゲーム友達にとっては、あれが普通?
もし、もしもヨウくんのことが好きなら、もう私に遠慮しないで。
ヒカルがヨウくんと付き合っても、それでもやっぱり、私はヒカルと友達でいたい。
勝手に友達やめておいて、今さらかもしれないけど…。」
以前のように、他愛のない話をして笑いたい。
ただ、友達として隣に居たい。
他人のような距離は、もう嫌だ。
でも、本当のことは言えない。
どうせ言っても無駄だから。
うまく誤魔化さなければ。
すう、と息を吸い込む。
「ヨウくんのことは、好きじゃない。
何も考えずにメッセージを送ってたんだ。
軽率だった。
ごめん。」
じっと彼女が僕を見つめている。
がんばれ、僕。
「フレンドはリア友じゃない人ばかりだから、そのノリだった。
仲良いフレンドとは頻繁に連絡とってたから。
ごめんなさい。」
頭を下げた。
本当のことは言えなくても、気持ちが伝わるように。
しん、と静寂が訪れた。
彼女から、何の返答もない。
1秒、2秒と時が経つにつれ、どうしようと焦ってくる。
顔をあげても良いものだろうか。
不意に、ふふっと笑い声があがる。
思わず顔をあげると、ハルちゃんが唇を歪めていた。
その表情に、どきりと心臓が嫌な音をたてた。
「それ、嘘でしょ?
ううん、嘘ではないのかも。
嘘じゃなくても全部は話してない。
私は、全部話したのに。
なんで??」
絶句した。
なんでバレた?
「知らないの?
ヒカルはね、何か誤魔化すとき、唇がちょっと震えるんだよ。
今も、そうだった。」
もうハルちゃんは笑っていない。
逆に、瞳が潤んでいる。
「いっつも、そう。
今まで、色々はぐらかされてきた。
でも、言いたくないことなら、しかたないって。
いつか話してくれたらいいなって思ってたけど。
でも、でも…!
今日くらい正直に言ってくれてもいいのに!!
私が全部話しても、ヒカルは話してくれないんだね。」
あ、と僕は声にならない声をあげた。
今までのことが脳裏によみがえる。
--
『あれ?
ヒカル、どこ行ってたの??』
『え、と、トイレだよ。』
『トイレ?
ここにあるのに??
どこのトイレまで行ってたの…?』
『あー、えっと…。
旧校舎まで行ってて、その帰りにそこでトイレも済ませてきた。』
『…ふーん。
それなら旧校舎行ってきた、って言えばいいのにー。』
『あ、そか。
そうだよね…。』
(女子に混じって女子トイレは使えない。
体が女だから、みんなは気にしない?
違う、僕が気にするんだ。
でも、この体で男子トイレに入るわけにもいかないから。
利用者が少ないトイレに行くしかなかった…。)
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『すごい、ママの下着みたい。』
『え?』
『ヒカルが着けてるやつ。
ブラ??
ママの補正下着みたい。
もしかして高いやつ?』
『えっ…。
あ、いや高くないよ。
僕のお小遣いで買える。』
『そうなんだー。
しんどくない?
締めつけられるって言うよね?』
『これは…そういうのじゃないから…。』
『あ、そうなんだ。
ごめん、てっきり…。』
『ううん。』
『……。』
(胸を潰すための下着だなんて言えない…。)
--
『ねぇ、ヒカルって呼んでもいい?
私のことは、ハルって呼んでね。』
『は、ハルちゃん。』
『うん。
あのね、ヒカルと話してみたいなって思ってたの。
声かけられてよかったー。』
『え、僕と?』
『……僕??』
『あっ…。
え、えっと、私と…。』
『…無理しなくていいよ。
僕っ子、かわいい!』
『……そ、そう、かな?』
『うん。
あ、嫌だった?
ごめん、そんなに震えないで。』
『…え、震えてる、かな?』
『いや、唇が…、あ、ううん。
やっぱりなんでもない。
それでね、せっかく隣だし、話しかけたいなって思ってたんだけど、キッカケがなくて…。』
--
僕には違和感がたくさんあったはず。
きっと、ひとつひとつは大したことじゃない。
でも、積み重なるとダメなのだ。
中学時代は、見事なほど嫌われた。
でも、ハルちゃんはスルーしてくれた。
まあいいや、みたいな感じで友達になってくれて、ヨウくんのことがあるまでは仲良くしてくれていた。
ハルちゃんは、僕がおかしくても気にしないタイプなのかと思っていた。
でも、気にはしていたのか。
あえて追求しなかっただけ。
事情があるのかもしれないからと気をつかっていたのか。
いつか、話してくれるといいなと思いながら。
「友達だと思ってたのに…。
誤魔化すってことは、やっぱり悪意があったの?
ヨウくんのことが好きだったんじゃないの?
それとも、私に彼氏ができたことが気にくわなかった?
どっちにしても、親友のフリしてサイテーだよ!?」
…『親友のフリしてサイテー』??
その、フレーズは。
もしかして。
疑念がむくむくと湧き上がる。
SNS。
僕が、僕として存在できる大切な場所。
今はもう、ぶち壊された場所。
そんなことはない、ハルちゃんに限って、と思いながらも止まらなかった。
「…やっぱり、ハルちゃんなのか?
あの投稿、同じ学校の誰かだと思ってた。
同じ学校どころか、クラスメイトだ。
あの日一緒にいた、クラスの女子7人の誰か。
でもまさか、ハルちゃんとは思いたくなかった!!」
叫び出した僕に、彼女の目が丸くなる。
僕を責めていたのに、その僕から反撃をくらって驚いている。
「…なに?
突然、なんの話?
今、大事な話してるのに…。」
「大事な話だよ。
僕にとって、SNSは大切な場所だった。
それなのに、炎上させて壊すなんて。
知らず知らずのうちにハルちゃんを傷つけて申し訳なかったと思ってる。
ヨウくんも。
でも、それでも…ひどいよ。」
「よくわからないけど、ヒカルのSNS、炎上したんだ?
それで、その犯人が私だって思ってるんだね。」
ハルちゃんの顔から、感情が抜け落ちた。
「なんでそう思ったのか知らないけど。
やっぱりって、言ったよね。
これって、その前からも心のどこかで疑ってたから出た言葉だよね?」
最初から疑ってたわけじゃない。
言葉の綾だ。
けれど、そう言われるとそうかもしれないと思う自分がいる。
だって、『親友のフリしてサイテー』という言葉は、被害者の気持ちだ。
第三者を装って投稿されていたけど、あれはハルちゃんの心ではないのか。
現に、ハルちゃんは同じことを言った。
「…もう、顔も見たくない。」
無表情にそう言って、ハルちゃんは教室に戻って行った。
彼女は能面みたに表情を失っていたのに、頰だけが冷たく濡れていて、ひどく僕の胸を締めつけた。
しばらくして、僕も教室に戻った。
そこには、ハルちゃんはいなくて、ホッとする。
弁当を片付けていると、目の前に影が差した。
「ハルに何したの?」
怒りに満ちた声だった。
僕たちのグループの1人だ。
「ハル、泣いてたんだけど。」
言葉に詰まる。
「…やっぱり親友のフリしてサイテーじゃん。」
ハッとした。
いま、なんて言った?
「ヨウくんのこと応援してるって言っておいて、裏でコソコソ連絡してアピールするなんてサイテー!
同じ子を好きになるのはしかたないよ?
でも、やり方が卑怯すぎでしょ!?
たとえハルが許しても、私はイヤ。
ヒカルがそんな子とは思ってなかった。
だから、SNSも炎上するんだよっ。
フォロワーも男ばっかで気持ち悪い!!」
その瞬間、悟った。
炎上させたの、この子かって。
同時に、胃からせり上がるものを感じる。
食べたものを、今すぐ吐き出しそうだった。
ハルちゃん。
ごめん、ハルちゃん。
さっきの、表情が抜け落ちた顔。
早とちりで、ありもしない罪を擦り付けた。
彼女のことが好きなくせに、そんな子じゃないって知ってるくせに。
心の底では、彼女のことを信じていなかったんだ…。
サイテーなの、僕じゃないか…。
『もう、顔も見たくない。』
ハルちゃんの言葉が、グルグルと頭の中で木霊する。
『普通でいいんだがなぁ。』
両親の会話が、響きわたる。
学校でも、家庭でも。
僕が異常でさえなければ…。
頭が、ひどく痛かった。
気がつけば、僕の足は教室を抜け出していた。
1人、とぼとぼと廊下を歩く。
ふと窓から差し込む光が目についた。
よく晴れた青い空。
燦燦と輝く太陽。
その輝きが、彼女の笑顔と重なる。
窓を開けると、より輝きが増した気がした。
思わず、手を伸ばす。
「おーい、もうすぐ授業はじまるぞー?」
4階建の校舎の、4階。
このあたりは、生徒会室とか各委員会室があるだけ。
もうすぐ昼休みも終わる。
そろそろ教室に戻らないと間に合わない。
通りがかりの教師の言葉は、正しい。
だが、戻る意味はあるのか。
『もう、顔も見たくない。』
僕の大好きな人が、そう言った。
逃げ場所のネットの世界も、もうない。
パソコンとゲームは没収された。
スマホはあるけど、SNSは炎上している。
収まったとしても、もはや男として活動できない。
両親が期待する『普通』にもなれない。
普通に、なりたかった。
普通の女の子、あるいは男の子として生まれていれば。
そうすれば、こんなことにはならなかったのかな。
「おい、どうした?」
戸惑う教師の声。
近づいてくる。
だが、その前に僕の手は窓枠をつかみ、体を持ち上げていた。
慌てたように、駆け寄る教師。
その手が僕を掴む直前、僕の体は外に飛び出していた。
頭上には、きらきら輝く太陽。
『ヒカルって呼んでもいい?』
あの日の、はにかむ彼女がよみがえる。
僕にとって、ハルちゃんは太陽のようなものだった。
伸ばした手は、太陽に届かない。
遠ざかる、日の光。
ハルちゃん。
もう君を煩わせたりしないから。
やがて、地面に叩きつけられても。
だんだんと視界がぼやけてきても。
目が見えている限り、僕は太陽を見上げていた。




