6:四十手前の回復魔法
目が覚めると、そこには見知らぬ天井があった。いや、完全に色んな作品の寝起きシーンで使い古されて逆にレアな文言だが、本当に見知らぬ天井なのだから仕方が無い。
それにしても、天井があると言うことはここは何処かの建物の中なのだろうか。身体に伝わる感触からしておそらくベッドに寝ているようだが、寝心地で言うと、病院のベッドと河原の砂利の上の中間くらいである。つまり、そこまで寝ていても気持ちよくは無いが、石の上で寝るよりマシであった。どうやらこの部屋には窓があるようで、そこから光が差し込み、部屋の全体を照らしてくれている。そのお陰で分かったことが三つある。まず、この建物は木製で出来ていること。次に、この部屋には扉と窓が付いており、今の時間はおそらく日中であること。最後に、部屋あの扉の近くに一人の男性がいること。
「(これ、完全に目ぇ合ってるよな...)あの、おはようございます。」
「おぉ、人の言葉は話せるみたいだな。ちなみに、俺の言葉が分かるか?分かるなら、そう言ってくれればいい。」
「ええ、分かります。」
俺の言葉を聞くと男性は、少し待っていてくれ、とだけ言うと、扉を開け部屋から出て行ってしまった。困った。“ここはどこ?”とか“あなたは誰?”とか、ありきたりな質問で頭の中が埋め尽くされているのだが...さて、どうしたものか。まぁ、待てと言われたのだからとりあえずは待つが、目が覚めてしまったせいで現在進行形で空腹を意識してしまっている。とりあえず、別のことを考えながら辛抱して待つことにしよう。
確か残っている一番新しい記憶だと、熊みたいなカンガルーみたいなアリクイに出会って、それからそのアリクイに攻撃されて...なぜか凄い卑屈になった気がする。そして...そうそう、喰われるのを覚悟して静にしていたんだったな。...う~ん、その辺りからもう意識が殆ど無かったから、よく思い出せないや。
そうやって記憶を遡っていると、部屋のノックする音が二回聞こえた。一先ず記憶を思い出すのは後回しにして、俺は扉の外にいるであろう相手に対し、中に入るよう促した。すると、
「失礼しま~s...って、あれ?グレイズさん?」
そんな間の抜けた声を出して、一人の青年(たぶん二十代前半くらい)がその声と同じような表情をしながら入ってきた。俺は物分かりが良い。どうやら、先ほど俺に話しかけてきた男性は“グレイズ”という名前らしい。よし、ここは俺の察しの良さを披露するときだ。
「あぁ、彼なら先ほど部屋から出ていきましたよ。」
「あ、そうなん?しまった、完全に入れ違いかよ...あ、そういえばアンタ、具合の方が大丈夫か?」
そう言って俺のことを心配してくれる彼は、実に誠実で善人オーラがにじみ出ていた。ただ、明らかにお前年下だろ。確かに俺よりも全然背高いけど、もう少し考えた方が良いぞお前。
少し愚痴っぽくなってしまったが、彼の厚意に俺はちゃんと答えると、彼もそんな俺を見て安心したのか、
「そうか、そいつは良かった!んじゃ、もう少し休んでいてくれ。たぶん、もうちょっと時間はかかると思うからさ。」
というと、静に扉を閉めていった。うん、敬う心以外は正にパーフェクトだな。敬う心以外は、な。
青年が出て行くと、何やら下の方で物音がした。なるほど、ここは一階では無いようだ。まぁ木造のようであるし、せいぜいここは二階の一室と言ったところだろう。それにしても、身体が上手く動かせない。正確には動くものの、無理矢理そうしようとすると身体が拒否するかのように軋む感覚に襲われるのだ。どうにかして右手だけでも動かし掛け布団から出してみると、そこには大部分が赤黒い色をした包帯が巻かれ、所々には黄ばんだ色も混じっていた。驚いた俺は純粋に
「うぇあっ!?」
と大きな声を出してしまった。その声が部屋に反響したり自身の身体に伝わったりして、結果少し頭がガンガンする。少しして徐々に動かせる場所が増えてくると、今の俺の状態がよく分かった。
どうやら俺は全身傷だらけの状態で、加えて(体験したことは無いが)肋骨がおそらく折れているようだ。声を上げた時、凄まじく脇腹の上辺りが痛くなったため、少なくともヒビは入っていそうである。足はどうにか動かせるものの、上半身の損傷が激しいらしく、一人でベッドから起き上がるのは困難なようだ。為す術無くベッドで大人しくしていると、階下の物音が一層大きくなってきた。まったく...生前住んでいたアパートでは、日付が変わる頃から二時間三時間くらい騒いでいる隣人がいたが、それはここでも一緒のようだ。俺がここにいることを知らない奴らなのかもしれないが、そう易々と俺も大人な考え方が出来るわけではない。少し、ストレスだ...暇だから、何の音が聞いてみることにしよう。
『いや~、まさか...とは...お疲れ様です!』
『...ですからね。ところで...は...でしょ?』
『あっ!そうですね。では...』
...うん、よく分からん。ただ一つ分かるのは、今会話をしていたであろう人物達が、階段を上ってくる音が聞こえているということだ。どうしよう。扉を開けてきた瞬間に、“べらべらうるせぇんだよ、このボケがぁ!”とか言ってみようか。...いや、止めよう。誰も得しないし、俺にそんな度胸ねぇわ。そんな一人問答をしていると、先ほどの青年の時のように扉を二階ノックする音が聞こえた。俺は青年の時と同様に部屋に入るよう促すと、先ほど寝起で対面した男性(確かグレイズという名前)と、もう1人はお初にお目にかかる人物だった。見たところ四十手前くらいの男性のようで、その外見は年相応に皺と風格が現れている。2人は部屋に入るとベッドの近くにあった椅子に腰掛け、そのままグレイスの方から俺に話しかけてきた。
「どうだ、気分の方は。」
「...正直に言いますと、かなり辛いです。今にも泣きそうです。エーン、エーン。」
「は?...アッハッハッハ!そうか、泣きそうか...いや~面白いな、お前。」
「おい、グレイズ。」
「おっと、これは失敬。」
ちょっとした和ませのつもりが、どうやら少しはウケたようだ。良かった、これでもし本気で受け取られていたらかなり空気を悪化させていただろう。そういう意味では、グレイズという男性には感謝しなければいけない。しかし、対するもう一人の男性は俺の冗談が通じていないの、はたまた通じているものの壺には入らなかったのか若干冷めた表情をしている。少々悔しい。別に芸人根性というものは持ち合わせていないが、ウケを狙った言葉が不発なのは、如何せん納得がいかない。こうなったら、機会を見計らって、もう一つ軽い和み文句でもぶち込んでやろうじゃないか。
俺がそんなことを決意すると、目的の男性が俺に近寄り口を開いた。よし、来い!
「失礼、私の名前はメンヒリットという。差し支えなければ、君の名前も教えてくれないか?」
「なるほど、俺の名前ですか...名前...なまえ...ナマエ......何でしょう?」
そんな俺の返しに、質問してきたメンヒリットという男性は固まっていた。その横ではグレイズが、やっぱお前最っ高だわ!、と俺を指さしながら腹を抱えて笑っている。いや、笑ってくれているところ申し訳ないが、正直これは全く意図していない笑いだ。
「あー...その、済まないが私はあまり冗談というものに鈍くてね。もしさっきの件で、私の愛想が悪いことを気にして言ってくれているのであれば、全然大丈夫だ。」
「そ、そうですか...ア、アハハハ!いやぁ、慣れないことはするものじゃ無いですね。これは失礼しました。」
そう言って俺は、とりあえずその場を取り繕うため仕方なく“山田太郎”という仮の名前を二人に伝えた。一先ず、自分の名前が思い出せない今、これから会う人にはこの名前で通すしかないだろう。少し違和感があるが、名前を聞かれたときに押し黙るよりは印象が良いはずだ。それにしても、自分の名前が思い出せないなんて、どうにも怪しい...というか、確実に一人だけそんなことをしでかす輩に心当たりがある。だが、そんなことを考えても既にどうしようもないか...。
「太郎君だね。身体の方は先ほど“かなり辛い”と言っていたが...どうする?一応回復魔法は、私もこちらのグレイズもかけられるが...。」
「回復魔法...ですか?」
「ああ。いやな、初対面の相手から回復魔法をかけられるのを嫌う者もいるし、事実君と私達は初対面だからね。薬や包帯で応急処置はしたものの、本音を言うと回復魔法を使った方が治りが早いのだが...どうだろう、このまま自然治癒の方が良いかい?」
そう言うメンヒリットさんは、俺の身体を心配するように見つめている。回復魔法とやらは全く知らないが、彼の言葉からするに即効性のある治療か、あるいは薬の類いなのだろう。先ほどまでは戯けて見せていたが、徐々に意識がはっきりしてくるに従い身体の節々の痛みが鮮明に伝わるようになってきていた。おそらく、このまま外服薬や内服薬に頼って回復することも可能なのだろうが、その回復魔法を使用すればその期間が早まるのだろう。それならば俺は、一切迷うことは無い。
俺はメンヒリットさんに、回復魔法をかけて欲しいと頼むと、彼は快く了承すると横になっている俺にかけられている毛布を剥がした。一瞬何のことか分からなかったが、よくよく考えてみればこれから治療をするのだから邪魔な毛布は取っ払うのが当然だ。そんなことを考えていたのが、メンヒリットさんは特に治療道具や薬品をするでもなく、なぜか俺の上に両手を翳し、静かに目を閉じた。いよいよ訳が分からなくなってきた俺を余所に、彼はそのままジッとして動こうとしない。流石に事情を聞こうかと思い至った瞬間、俺は信じられない光景を目にする。
彼の手の先から光の泡のようなものが溢れ出し、それが俺の身体に落ちた瞬間、弾けてそのまま身体を纏うような形で包み込んでいた。
呪文とか詠唱とか、そういうものはよく分からないです...考えられる人って、凄い尊敬します!