2:心が疲れる
「絶許絶許絶許絶許絶許絶許絶許絶許絶許絶許絶許絶許...。」
クレーターの中心で両手両膝を地面につき、俺はあのクソ野郎に呪いを飛ばしていた。届くはずが無いと頭で理解しながらも、やらずにはいられないこの気持ち。共感など要らないから、誰かあいつのナニをもいでくれ...。
(...気持ち、切り替えるか。)
ひたすら呪詛を撒き散らし続けた俺は、その行為が虚しいことに漸く思い至り、顔を上げ、二つの意味で前を向くことにした。周囲を見渡してみると、一面若草が生えており、背の高い木々などは遠くの方に薄らと見えるだけであった。どうやらここら一帯は草原のようだ。
上を見上げてみると、生きていた頃に見ていた空と同じものが見えた。適度に雲があり、青い空が広がっている。勿論太陽も見えており、雲と合わせて動き方次第ではとりあえずの指針として活用出来そうだ。
ひとまず、若草が吹き飛び更地と化したクレーターから出ることにした。やはり、俺はあのトンネルから落ちて、何処かのタイミングでこの草原の上空に出てきたのだろう。正直、死ぬものと思っていたから目を瞑って少しでも痛くないように願っていたが、杞憂だったようだ。しかし、それならば落ちている際に上空から周囲を見渡すことが出来たかもしれない...失敗だったな。
クレーターの大きさは目測で直径十メートルはあるか...よく生きていたな、俺。
ちょっと実験することにした。具体的には、俺身体の強度についてだ。あのクレーターは、目を閉じていたときに味わった衝撃から察するに、俺の落下によって出来たと考えていいはずだ。そこで、そんなクレーターを開けてしまうほどの衝撃を耐えた俺の強度は、果たしてどのくらいなのか...どう調べようか。
試しに、自分の腹にパンチをしてみる。
“ドスッ!”
「...痛い。」
いや、本当に痛い。マジで痛い。洒落にならないくらいに痛い。もうこれ、マジの涙が出そうなくらいに痛いんだが。おかしい。生きていた頃は、成人男性としてそれなりの腹筋を持っていたし、当時は触った感じそこそこ筋力はあったはず。やはり転生してしまったから、身体は元の身体とは違ってしまったのだろうか。だが、これだけで判断してしまうのは些か短絡的すぎるので、追加でもう一つの実験を行う。
次は、地面に向かってパンチをしてみる...と考えたが、赤く腫れる拳を自分でいたわる未来が見えたので、ここは大きく足踏みをしてみることにした。所謂、しこを踏むといったところか。流石に草を思い切り踏みつけることに抵抗があったので、仕方なくクレーター内で行うことにした。
さて、ここで思い切り足を地面に踏み込めば、足が地面に当たった衝撃が身体全体に伝わるはずだ。よし...せ~のっ!
“ドッスゥウウウウウン!!”
「え?」
簡潔に言う。クレーターが増えた。
正確に言うと、クレーター内で足を踏み込んだら、踏み込んだ足を中心とした小規模なクレーターが誕生したのだ。これは完全に想定外である。ちなみに、身体に痛みは殆ど無い。敢えて言うならば、マッサージチェアの振動と似ているなぁと感じたくらいである。
新しいクレーターの直径はおよそ二メートル弱ほどで、深さは古いものの半分にも満たなかった。やはり、古いクレーターは俺自身が落ちた衝撃で生まれたものと考えていいようだ。
先ほどの実験で、また新たな可能性が出てきた。簡潔に言う。メッチャ身体強くなってる。
てっきり、身体が凄く丈夫になったのかと思っていたが(いや、それすらも疑っているが)、もしかしたら生前の身体とは比べものにならないほど筋力が高くなっているのだろうか。
試しに、草原を思い切り走ってみた。
(風を感じるって、この事だったのか...。)
おそらく、体感で時速四十キロ以上は出ていたと思う。嘘だと思いたい。誰も嘘だと言ってくれないから、自分で思うしか方法が無い。本当に、信じられない。それこそ生前の俺では、全力で走っても精々時速三十キロ近くも出れば良い方だった。これでは、ワールドレコードを塗り替えてしまう。今からでも、あのポーズに対抗出来るオリジナルポーズの練習を始めるべきなのか...。
とまぁ現実逃避はこれくらいにして、おそらく俺自身の純粋な身体能力がかなり高くなっているのだろう。というか、そう考えなければクレーターの件もワールドレコードの件も信じることが出来ない。自分を信じることが出来なくなるなんて、とても新鮮な気持ちだ。つい、あの雲の流れを眺めてしまうほどだ(←現実逃避)。
一先ず、目先の疑問は解決し、さらには結構嬉しい誤算も見つかった。まさか、生前癌であんなにも苦しんでいた俺が、こんな健康優良兼ワールドクラスの超人になってしまうと夢にも思わなかった。落とされた当初はムカついていたが、これならあのクソ野郎のこと、もう一度神と呼んでやっても良いかもしれない。...ふっ、俺って大人だな。もしかして、転生して身体だけじゃなく心も逞しくなったのかもしれない......ん?
(そういえば、転生って“新しく生まれ落ちる”ことだよな?)
俺は自分の手を見つめる。...うん、適度に成長した男の手だ。
次に足を見てみる。靴とパンツ(←下着とズボン両方)を穿いているが、地面からの距離からするに百七十センチちょっとはありそうだ。まぁ、生前も百七十センチぐらいだったから、おそらく間違いは無いと思うが。
さらに、自分の身体や顔を隅々まで触ってみる。どうやら綿製の衣服を着ており、その上からでも分かるくらいに筋肉が浮き出ている。さらに顔は、触ってみた感じそこまで生前と違いが無いように感じられたが、視界の端に映るのは俺が抗がん剤の副作用で失った髪の毛であった。しかも、まさかの栗色。...黒髪が良かった。
とまぁ、一通り見たり触ったりした結果
「これって、転生か?」
という、素朴な疑問が口をついて出た。
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雲が後方から前方へと流れていく。もしこれが地球の定義ならば、後ろは西、前は東である...はず。いや、もう何年も雲の動きなんか見ていなかったから、記憶の隅っこにあった“偏西風”という単語を頼りに歩いているだけである。
とりあえず、転生がどういうものなのかについては深く考えないことにした。考えたところで結果が出ている現在、全く以て意味の無いことだと数秒で悟ったからだ。そしてその現在はというと、一先ず背の高い木々が見えるところへ向かって歩いている。その方向が、たぶん東だと考えられる。まぁ、東とか西とかは俺自身の知識と照らし合わせて決めているだけで、本当はそんなこと関係ないのかもしれない。しかし、状況と情報を整理するのに既存の知識というものは非常に有り難いものなのだ。
かれこれ二時間ほど歩き続けていると思うが、遠くに見える木々との距離が狭まった実感が湧かない。もしここが砂漠や荒野だったら、俺は今すぐにでも四肢を投げ出して無様に泣け叫んでいただろう。俺がそうしなくて済んだ理由としては、この草原一帯の気温が比較的涼しく風が適度に吹き付けて、現状快適な環境であったからだ。まぁ、乾燥地帯っぽいから、水源を見つけるのは困難だろうが。
だからこそ、水源を求め植物が生い茂る場所に向けて歩みを進めているのだ。
道中、あの神に与えられた(らしい)能力について色々と試していた。確か...
(催眠、透明化、ラッキースケベ、女体化、時間停止の五つだったよな。)
と、俺は心の中で一つずつ確かめるように数えていく。
この五つは......もう、隠すことでも無いが。そう、エ○同人のシチュエーションでよく目にする特殊能力である(三番目と四番目はちょっと微妙だが)。これは、とても恥ずかしいことに俺が望んだ能力だった。だが理解して欲しい。これは所謂俺の“欲望”が顕在化した能力であり、俺は頭に浮かべただけであり、その後はちゃんと訂正し、もう少しまともな能力を願うつもりだったのだ。それをあの神が、勝手に俺の思考を読んで秒で決めやがった...あぁ、今思い出してもむかっ腹が立つ。
まぁ経緯はどうであれ、俺が願った能力である事に変わりは無いため、俺は今後死ぬまでこの能力達を持ち続けることになるのだろう。...嬉しくないと言えば嘘になる。
とはいえ、忘れてはいけないのが、あの神が言っていた“一つの制約”である。まぁ、制約と言うよりも、俺の感覚的に罰みたいなものだと思っている...思っているのだが......もげるとか、死ぬとかは幾らなんでも厳しすぎないか?
エロい能力なのに、エロ目的に使うと制約違反レベル1で男の象徴が腐り落ちる...のか。
そんな夢と恐怖のカフェオレだが、やはり飲んでみないことには何も始まらない。そんなわけで、一先ずエロいことに繋がる心配の無い“草原+独りぼっち”という状況で、この能力のどれかを使ってみようと思ったのだ。しかし、
「問題。(テレン!)エロい能力を貰いましたが、能力の発動方法も条件も聞いていません。はたして、この能力はどうやって発動させるのでしょ~か?制限時間三十秒...よ~い、スタート!チクタクチクタクチクタク......わっかんねぇよ!!」
といった具合に、お先真っ暗、雲を掴むよう、こんな能力絵に描いた餅である。二時間ただ歩いていたわけでは無い。どうやったら能力が発動するのか、俺なりに考えて色々と実行していたのだ。
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『パターンその一:とりあえず念じる』
「ふぬぬぬぬぬぬぬっ!!」
結果:便意が迫ってきたので、あえなく中断。
『パターンその二:声に出してみる』
「催眠!発動!」
結果:対象がいないので、よく分からない。
『パターンその三:とりあえず何かやる』
“ズン...ドンドン!クルッ...タッタッタッ”(←本人なりに踊っているらしい)
結果:ココロガ サミシイ
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(あれもだめ、これもだめ...何か、つまんないな。)
いくらやっても何の変化もないことに飽きて、俺はいつしか雲の流れだけ目で追うようになっていた。この草原に落ちてからまだ数時間。だが、早くも俺の心は摩耗していることを感じていた。
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「グルルルッ...。」