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0:男は幸せだった

開いてくれてありがとう!突然だけれど、最初はちょっと悲しいお話かも...。

 俺はエロい。

 いや、正しく言うとエロ“かった”。

 いやいや、さらに正しく言うと『むっつりスケベ』だった。

 ...いや、本音を言うと『女性経験の無い、万年猿状態男』であった...自分で言っていて情けない。


 そんな俺だが、しゃべり方が過去形であることから、実は死んでしまったのだ。原因はがん。分かったときには、余命半年と言われた。まぁ、流石にそのまま放置していたわけでは無かった。抗がん剤は飲んだし、手術だって俺の身体が許す限りやって貰っていた。お陰で、半年どころかなんと二年経っても死ななかったのだ。

 だが、この世の中何処まで行っても金というものは付きまとう。

 一般企業に勤めていた俺は、癌で動けなくなるまでの間それなりに貯金はしていた。しかしそれも、入院費や手術代、さらには抗がん剤の薬と考えられないほどの出費がかさみ、気づけば俺は家族の金で生きながらえている状態だった。それを知ったのは、俺が癌で死ぬ三ヶ月前だった。

 俺は、自分の意思で死ぬことを選んだ。だが、ただ病院のベッドで死ぬのを待っていたわけじゃ無い。

 俺は家族と医者に、今すぐ入院も治療も止めるよう懇願すると、残りの人生を自由気ままに過ごしたいと伝えた。母は泣いていた。父は何かを堪えるように短く“わかった...”とだけ言うと、俺の頭に手を置いて優しく撫でてくれた(抗がん剤の影響で髪なんて無いけどな)。

 兄姉はというと、姉はもう数年近く声を聞いていなかったのに、その時俺に大きな声で“死ぬな!”って言ってくれた...泣き声なんて久しく聞いていなかったなぁ。兄は、父が俺から離れるのを確認すると、ベッドに座る俺を抱きしめながら何度も“ごめんな...ごめんな...”と呟いていた。...兄ちゃん、やっぱり力強いなぁ...。

 医者はというと、少し悲しげな表情をしていた。それが本物なのか偽物なのかは最後まで分からなかったが、ここまで俺が生きられたのは彼のお陰である。それには感謝してもしきれない。

 俺が病院から出て最初にやりたかったことは、風呂に入ることだ。病院じゃ身体をぬれタオルで拭くくらいしかして貰えなかったし、久しぶりに湯船にゆっくり浸かりたかった。しかし、俺一人ではまともに風呂に入ることなど出来ない。そこで、家族の内二人が俺の介護をしてくれることになった。そこで真っ先に名乗りを上げてくれたのが妹、続いて兄だった(たぶん、両親は兄姉の様子を見て引いてくれたのだろう)。兄姉弟きょうだい全員で風呂に入るだなんて...はて、何年ぶりだったか?

 兄と俺は勿論全裸で入るが、姉は流石に恥ずかしがるだろうと思い服を着てもいいと勧めた。しかし姉は、“兄姉弟で裸見せるのが恥ずかしいとか意味わかんない”と俺の気遣いを一蹴し、脱衣所で堂々と下着を取っ払ったのだ。勿論、俺は自力で服を脱ぐことが厳しいので兄に脱がせて貰った。...姉の視線が妙に熱かった気がした。

 風呂の次にやりたいことは、食事だった。それも、濃い味の、だ。

 流石に量は殆ど食えないが、母が俺の好きだった肉じゃがと豚汁を作ってくれて、それを噛みしめるように味わった。そんな俺の食事風景を母は優しく眺めており、気づけば家族全員に凝視されている中食べていた...少々、恥ずかしかった。

 旅行にも行った。父の運転するワゴンで、色んな寺社を見て回った。父と俺はお互い歴史と地理が好きであり、車内では俺の意識が続く限りこれから行く場所の歴史や地理的環境など、少々他の家族が引くぐらいに熱く語り合っていた。

 友人も、俺のことを尋ねてくれた。まぁ、来てくれたのは片手で数えられるほどしかいなかったが、それでも俺は嬉しかった。元々大学で知り合った連中だったが、まさかこの歳になるまで付き合いが続くなんて自分でも思わなかった。そう考えると、俺は実は運が良かったのかもしれない。...そのツケが回ってきたと考えるのは、ちょっと卑屈になりすぎだろうか。

 そんなこんなで、俺は病院を退院してから格段に人生を謳歌していた。やりたいことをいっぱいして、見たいものをいっぱい見て、思い残すことが何一つ無いくらいにやりきろうと、いつの間にか必死になっていた。楽しいことをやるのに必死になるのは、少し、おかしいかもしれない。

 だが、そんなことが俺には凄く...本当に凄く楽しかった。





 ある日、上手く声が出せなくなり、それから数日して視界がぼやけたり手足の筋肉が殆ど動かせなくなったりした。直感で、俺の命が底を尽きかけていることを理解した。だが、まだ家族に気づかれるわけにはいかない。なんせ、明日は家族全員で外食に行く約束をしているんだ。こんな状態でいたら、家族も俺も楽しめないじゃないか。俺は懸命に、俺自身を蝕む癌に懇願した。


 あと数日...いや、あと一日俺に譲ってくれ。


 当日、不思議なことに身体の不調が幾分かましになっていた。俺の思いが通じたのか、はたまたただの偶然か。...まぁ、考えたところで仕方が無いので、俺は家族との外食を心待ちにした。

 外食から帰ってきて、いつものように母に身体を拭いて貰った。流石にこの身体では毎日風呂に入るわけにもいかず、風呂は一週間に一度の贅沢となっていた。そのため、それ以外の日は家族の誰かに身体を拭いて貰い、そして床に就くようにしていた。とはいえ、寝ている間も身体を内側から壊されるような痛みのせいで、不眠と寝汗で結構参っているのだが...。

 母に身体を拭いて貰っている途中、ふと頭の言葉が浮かんだ。そして俺はそれを、何の疑いも無く自然と口に出していた。


 いままで、ありがとう。


 母の手が止まった。そして、震える自身の身体を制しながら俺の前まで来ると、ゆっくり...まるで赤子でも抱くような所作で、俺の身体を包み込んだ。その時の感触は、どこまでも安心し安らげる...上手く言葉に出来ない何かであった。


 翌日、俺は家のベッドで息を引き取ったらしい。苦しむことも無く安らかに逝けたのは、きっと俺に心残りが無かったからなのだろう。家族はというと...泣いていた。父の泣く姿なんて、祖母(父の母親)が亡くなったときぐらいしか見たことが無かったが...なんだか、心が痛くなった。

 未練があるかと聞かれたら、それは勿論ある。まず、家族の誰よりも早く死んでしまったこと。両親に親孝行出来なかったこと。兄や姉ともっと話せなかったこと。そして、母以外の人達に、まともな最後の言葉を伝えられなかったことだ。

 俺は死んだ。自分のことをここまで客観的に見られるのは、やはり本当に死んでしまったからこそ出来ることなのだろう。これから俺は何処に行くのか。一応なけなしの俺の信仰心は、神道と仏教の二刀流であったが、もしかしたらそのどちらにも当てはまらない死に方をするのかもしれないが、別にいいか。なぜなら...


「俺は、本当に良い人生を送れたんだから。
















...んなわけねぇええええええええええだろぉおおおおおおおおおがぁああああああああああああ!!!!」

次回から始まるよ。

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