可愛いウエイトレスにリベンジ‼
将棋喫茶 銀将に初めて行って、一週間が経過した
俺は退職手続きの為に、翌日に会社に呼ばれていたのだが
そこはブラック企業
電話では『退職の手続きの為に来い』と聞いていたのだが
あの手この手で引き留められたが俺は断固たる意志で突っぱねた
そして最終的に退職を申し出てから1ヶ月は引継ぎ業務として残るという社内規定に沿って1ヶ月だけ働く事となった
しかし、退職することは決まっているので今まで通り仕事は『おざなり』にこなし
退社すると流石に疲れているので銀将には顔を出せないが、パソコンで将棋の勉強をしていた
「矢倉は将棋の純文学…かぁ」
故 米長永世棋聖の発言である
「やはり矢倉をメインの囲いにして、色々な戦法を経験するのが将棋の経験値の稼ぎ方としては一番効率が良いような気がするなぁ…」
向井は将棋に出会って興味を惹かれ、かつての情熱を取り戻しはしたが
向き合い方としては恐らく他の人とは違っているのだろう
将棋というゲームは選択肢がゲーム進行中に膨大な量の分岐が存在し、その全てをさらう考え方は恐ろしく時間がかかる
いうなれば、ノベルゲームの分岐が多岐に渡り、さらに一つでも分岐を違えればエンディングが変わるという恐ろしいボリューム量のエピソードを兼ね備えているゲームである
その為、多くの対局では対局時計という物を使い、互いの『持ち時間』内に手を指さなければ負けというルールがある
すなわち、『全ての場面』で『全ての分岐』を『最後まで読む』という行為はルールとして禁止されている、といっても過言ではあるまい
それを補うのが、読みの『正確性』と『早さ』であるが
正直この読みの技術は将棋のプロの養成機関『奨励会』に属する人たちには敵わない
なにせ奨励会というのは、全国の将棋天才少年達の集まりだからである
天才と呼ばれる所以とは何か、それが読みの正確性と早さである
地元では負けなしの天才であろうと奨励会に来てしまえば、周りも皆似たような天才達ばかり
当然地元で対局するより勝率は格段に落ちる
そこで、切磋琢磨し己を昇華し勝ち続ければその道の先にある『プロ』となれる
さらにプロとなれば、読みの正確性と早さだけではない『なにか』が勝負を左右することがある
いわゆる、『直感』『勝負勘』『大局観』と呼ばれるものだ
完全に読み切っているわけではないが自分の『カン』を頼りにその局面を進める
という『技術』である
こう聞くと、下手な人間が適当に指しているだけ、という風にも思えるが
実際に、完全に読み切るという行為を、幾千回幾万回と繰り返して行く内にその精度は高まり、完全に読み切る必要が無くなっていくのだという
今、向井がプロを目指すのであるならば大きな壁がいくつかある
まず奨励会員達の天才的な頭脳を元に生み出される読みの正確性と早さ
次に、日夜将棋に打ち込み膨大な対局数を元にしたカンの精度の高さ
さらに、『自分は将棋で生きていく』という圧倒的に強烈な自負
これらを全て持ち得て、晴れてプロになれると言えるだろう
そんな中、向井は未だに将棋に本気で向き合えていない
自分なんかがプロになれるのか
それだけの能力が自分にはあるだろうか
他の職探しを並行して行わなければこの先食うに困るのではないか
等々、将来についての不安は尽きない
であるのに将棋にうつつをぬかして良いものか
そんな邪念が将棋に本気で向き合えない理由であった
もちろん、職は別に就いて
将棋は趣味として続けるという道も確かにある
だが、一社目でこの疲労具合を経験してしまった
次の会社でも似たような事になってしまい、再び死んだ様な人生を送る様になってしまうのではないかという不安もあったが
とりあえず、という具合に将棋を続けていた
あれから銀将には行けてないが、明日会社は休み
一週間ぶりに顔を出してみるか
カランコロンカラン…
以前来た時と同じような時間
朝08時30分頃にまた将棋喫茶 銀将の入り口扉を開けると
「いらっしゃい」
またもや店主が一番に声をかけてきた
「あっ、向井さんじゃないですか」
あの可愛いウエイトレス、本田美緒が出迎えてくれた
「棋力札出来てますよ」
本田はいそいそと
向井隼人 20級
と書かれた札に紐を通し、俺の首にかけてくれた
「ありがとう」
俺は首からかけられた札を手で持って見てみる
そこにかかれた字はタイプされた物ではなく、太文字のマジックペンで書かれた
女子らしい丸っこく可愛らしい字体だった
「これ、本田さんが作ったの?」
なんの気なく聞いてみた
「そうですよ、私こういう図工みたいなの好きなので。あと私のことは美緒でいいですよ」
ニコニコ笑顔で答えてくれた
「では、お席にご案内しますね」
案内された席はこの間と同じ席だった
「注文は何になさいますか?」
席に着くなり注文を聞いてくる
普通のお店の客なら急かしているのかと怒るかもしれない
だが、この喫茶店は食事を取ることや、休憩することを目的とした喫茶店ではない
将棋を指す為の喫茶店だからそんな客も多くはこないのであろう
「じゃあ、サンドイッチとアイスコーヒーを下さい」
常連のようにメニューも見ずに注文する
ついでに聞いてみる
「この席って前の時と同じ席だけど、席の場所も棋力によって変えてるの?」
「あ、分かります?入り口から近い席程低級者の方、奥に行くほど上級者の方を案内するように言われてます。」
やはりそうか、この間の時も気が付いたら入店していた客達は俺よりも奥の方へ案内されていた
俺は入り口横の席だ
「今日も美緒ちゃんが相手してくれるの?」
俺は周りを見渡し、周囲に客が居ない事を確かめ聞いてみた
「ん~、そうですね。級が近い方がいらっしゃらないみたいですから私がお相手しますね」
ニッコリ笑顔で答えて美緒は奥へ消えてしまった
銀将に顔を出すのは二度目の一週間ぶりではあるが、その間将棋の対局を全くしていなかった訳ではなかった
インターネットサイトでネット将棋が指せるサイトを3つ程登録し、それぞれ少しづつ指していた
サイトにより特色が違い
持ち時間が切れ負けしか無いもの
持ち時間が有り、使い切ったら一手10秒以内に指さなければならないもの
サイト内課金により対局を有利にできたり、検討を細かく出来るもの
3つのサイトを代わる代わる対局し自分の対局の
戦法の好みやそれぞれの勝率、またサイトの特色による勝率、サイト内の別ユーザー数の平均的な棋力
等を総合的に判断し、最適なサイトを選び対局していた
「じゃあ対局しましょうか」
物思いに耽っている間に美緒は片手にサンドイッチとアイスコーヒーを乗せた盆、片手に将棋盤と駒箱を持って席の向かい側へ腰かけた
「対局時計は使った事がありますか?」
テーブルの端にあった蓋を外すとそこには見慣れない時計が二つテーブルに埋め込まれていた
その時計を引き上げると、目覚まし時計の様なボタンが時計の上に付いていた
「いや、ないかな」
「この時計は二つが連動してまして、片方のボタンを押すともう片方の時計の時間が進みます。よって、自分が手を指したら自分側の時計の上のボタンを押すことで持ち時間の管理をします。持ち時間は20分にしましょうか」
手慣れた手付きで時計を操作し、デジタルの画面は互いに20:00と表示されていた
「先後は振り駒という方法で決めます。歩を5枚持って、サイコロみたいに振ります」
テーブル上に振られた歩達は表が1枚、裏が4枚という結果になった
「私が振って、歩が1枚、とが4枚なので、向井さんの先番になります。」
「なるほど。」
ネット将棋しか指していなかった俺は終始新鮮な気持ちになっていた
一応知識としては知っていても、実際に行っている所を見ると感心してしまう
「じゃあ、始めましょうか。よろしくお願いします」
美緒は席に着きながらもしっかりと、軽くお辞儀をした
「よろしくお願います」
俺もしっかりと返す
さぁ、対局だ!




