そして旅立ち
・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
・・・カッ・・・カッ・・カッ・・・。
薄暗い建物の中を、足音が近づいてくる。
それを承知していながら、相手がやってくるのを待つものがいる。
人の良さそうな笑みを浮かべる、頭の禿げ上がった老人だった。どこかの教団に属する司祭なのだろう。宗教的な紋章を刺繍したローブをまとっている。
彼の周りには、無数の人がいる。もしくはいた。今も喘ぎとも吐息ともつかない呼吸音がそこかしこから聞こえてはいた。
この村の娘たちである。
老人は、この村を襲った軍隊を指揮する、指揮官の一人だった。
彼らは村へ攻め入ると、問答無用で男たちと年寄りを虐殺し、女たちは獣と化した兵士のオモチャにされた。
服を引き裂かれ、何人もの男に組み敷かれ、弄ばれる女たち。
この部屋には、遊びに供され役に立たなくなった女たちが詰め込まれている。
激しく抵抗したのだろう、邪魔な両腕両足を切り捨てられた女性。体中を切り刻まれながら犯され、自分の血の中に沈む乙女、男を受け入れるには幼すぎる部分に槍を突き立てられ串刺しになった少女、考えられる限り残酷な性を、死を、強要された女たちの残骸が転がっている。
辺りには血と、男たちの精が放つ性臭が充満している。
それなのに、この老人は笑みを絶やすことがない。
「俺をよんでいると聞いたが?」
ついに足音の主が部屋の扉口までやってきた。
大柄な男だ。燃え上がるかのような赤い髪、そして赤い鎧。耳が尖っているのはエルフの血が流れている証だが、とてもそうは思えないがっしりとした体格の剣士だ。
中の様子を見ても眉一つ動かさない。慣れている、というのではなく。関心がないのだ。
「ほ、ほ、ほ。あなたに朗報を聞かせてあげたかったのです」
老人が朗らかに言う。
そして、楽しげに懐に手を入れ、水晶球を取り出した。
「朗報?」
眉をピクリと動かし、男は水晶球に目を向けた。
老人が遠見の魔法を使おうとしているのがわかったからだ。
「ええ、朗報です。『鍵』が再び現れる兆しがあるのですよ」
水晶球には一人の少女が映されている。
純白のドレスに銀のティアラ。どこかの王族かお嬢様というところだろう。
「・・・なるほど。今回はずいぶんと早かったのだな」
笑みを浮かべたものなのか、口元を歪ませ、男は背を向けた。そして、そのまま立ち去っていく。
「ほ、ほ、ほ・・・黒き竜は去り、日は陰る、後には闇だけが残るであろう。よきかな、よきかな」
老人の朗らかな笑い声が木精する。
と、何かが動いた。黒い塊、姿は闇に紛れよく見えないが、かなり巨大な生き物のようだ。
「ん? おお、お腹が空いたのですね。さぁ、たんと食べなさい。ほ、ほ、ほ」
老人の許しを得て、巨大な生き物はモソリ、と動いた。
そして、大きな口を開き。食事を始める。
恐怖に彩られ、狂喜に焼かれ、絶望と死によって味付けされた肉。女たちが生きながら呑み込まれていく。
彼女達にはもう、餌となる以外の価値を認められていなかった。
・・・・・・♪
なんとか音を外さずにすんでいる。その程度の曲が波間に漂い、消えていく。
あの地下での冒険から六日が経っている。
レプラコーンの言っていた通り湖の祠に出た僕はアンブローシャスをつれて四日かけて村へ戻ってきた。
ほぼ一カ月ぶり、予定通りの帰宅である。
両親は日焼けもせず、さして力をつけたとも見えない僕に若干の不満顔を見せたが、取り合えずも無事に帰ったことを喜んでくれた。
アンブローシャスの件も、散歩やなにやらで運動する機会が増えると踏んだのだろう、反対する気配も見せずに認めてくれた。
地下でのことは話していない。
別に話してもいいことではあるが、何となく秘密にしておきたかった。
で、僕は普段の生活に戻った。
本を読み、その合間に爺ちゃんに楽器の演奏を習う。ごく平凡で平和な毎日に。
「へたっぴ」
「・・・・・・・・・・・・」
爺ちゃんの容赦ない評価が後ろから聞こえてくる。
それだけなら反論のしようもないが、次のセリフと現行の行動には多少以上の引っかかりを感じてしまう。
「魚が逃げる」
「・・・・・・・・・・・・」
そう、人がせっかく練習しているのに、釣りをしながら「へたっぴ」などといわれてはムカつきもしようというものだ。
「釣れないのを僕のせいにして」
「へたっぴ」
「下手だから練習してるんだろ。爺ちゃんこそ釣れてない、へたっぴじゃないか」
我ながら、幼すぎる喧嘩をしているなと自覚してはいるが、まさか爺ちゃん相手に取っ組み合いもできないし、こうなる。
もっとも、取っ組み合いなんてことになれば僕なんてものの数秒で気絶させられてしまうだろうが。
爺ちゃんはこう見えて、白い髪に髭を生やした好々爺然とした物腰ながら、元は名の知れた冒険者だった。
普通、そういった経歴の人間はあちこちで重宝され講演やら指導やらで忙しいものだが、爺ちゃんは冒険者として世界を巡っている頃から演奏家としても活動していて、どちらかというと演奏家としての評価のほうが高いせいか、あまりそういった話しはない。
「また、喧嘩してる」
「・・・・・・ウーナ」
闊達な声が水を差し、低レベルの口喧嘩は未発に終わった。ただ、僕のほうは一瞬ドギマギしてしまった。蛟との精神世界での戦いのさなか、救いとなってくれた娘だから。
「そろそろ加工場の仕事が始まる時間だから、喧嘩するんなら、どこか別の場所でやってね」
僕の村は後ろを山に囲まれ、目の前に海が広がる自然豊かな土地柄にある。
もともと自給自足が基本だが、どうしても村では作れないものもあった。それを買うため、そして旅に出るときの旅費を作るための外貨を得るため貝殻を加工して染料を作っている。
ウーナはその手伝いをしているのだ。
「マックじいさーん。小包だ」
村と外界との境にいて見張りや検閲をしているカイルが小さな包みを持ってやってきた。ウーナはすでに加工場の準備に行ってしまっている。
「・・・・・・シャオからか、ひさしぶりだな」
爺ちゃんが小包を受け取り、カイルは再び見張りに戻っていった。
きっと、爺ちゃんが旅をしていた頃の知り合いから届いたのだろう、どうせ見せてといったところで見せてくれるはずなんてないから、僕は知らぬ振りを決め込み、練習を続けることにした。
喧嘩でなく。
曲の練習をするだけなら、ウーナやほかの人に遠慮することもない。
「貝殻を煮立てる準備はできたかい?」
タークの稚拙な曲の音が微かに聞こえるなか、シェラ婆さんが、浮かない顔で火を見ているウーナに声をかけている。
「うん、できてる。・・・ねぇ、シェラ婆さん」
応える声が急に高くなり、なにかを思い切るようにしてウーナは人生の大先輩を見た。
「なんだい?」
「わたしね、タークのこと好きみたいなんだ。今までの、どこか頼りない幼なじみっていうのとちょっと違って」
「恋人として、見てほしくなったんだね」
若者の悩みに、シェラ婆さんはまぶしげに目を細めながら熟達した微笑を浮かべている。
「思い切って告白するのが、いいのかな?」
「そりゃ、ウーナがどうしても気になって仕方ないんなら、そうすればいいんじゃないかい」
「でも、ダメね。わたし、こういうの苦手なの。いざって時になると、なんだか恥ずかしくって・・・・・・また今度でいいやって、思っちゃうの。それに、こういうことって二人きりの時じゃないと話せないでしょ」
「あらあら、ウーナがこんなに恥ずかしがりやだったなんてねぇ」
「シェラ婆さん、内緒よ・・・・・・」
「ああ、わかったよ」
笑いを含んだような声に、加工場に入ってくる職人たちの話し声が重なった。仕事の時間が近づいてきていた。
いい染料を作ろうというやる気にみなぎった声が加工場を行き交い。貝殻を煮る磯の香りが広がっていく。
加工場の仕事が始まったことが音と臭いで分かる。
練習はそろそろ切り上げて、本でも読もうかと考え始めたところへ爺ちゃんが戻ってきた。
「言うのを忘れとったが、おまえのピンゼルの独奏会参加申し込み、済ませてあるからな。そのつもりで練習しておけよ」
「へ?」
あまりのことに、間の抜けた声が口から出た。
そりゃ確かに剣の修業よりは音楽の練習のほうが好きだけど、別に演奏家になりたいわけじゃない。
ピンゼルの独奏会と言えば、芸術の都カヴァロの大会に出るメンバーを選出するための、言わば演奏家にとっての檜舞台、そんなところに僕なんかが出ていいものだろうか。
「じゃ、わしも灯台に行って練習するから」
練習? 爺ちゃんが?
この五年、演奏してるとこなんて見たことないのに・・・・・・三歳ぐらいのとき手琴を子守歌がわりに弾いてくれてたのは覚えてるけど。
シャオって人からの小包が原因かな。
まぁいいか。
家に帰って本を読もう。
僕は楽器、ラッパとキタラ、ギターより小振りで六本弦の楽器、をしまうと家路についた。
「ターク。おじいちゃん、見なかった?」
「灯台にいるはずだよ」
僕の顔を見るなり、母さんが血相を変えて問いかけてきた。思わず身を退きながら応えると、母さんの顔からさらに血の気が引いていく。
「灯台? まさか曲の練習してんじゃないでしょうね?」
「そうだとおもうけど、それが?」
思うと言うより、事実そうなのだが、母さんの勢いに腰の引けた僕は真実をそのまま言うのははばかられ、多少曖昧な答えかたをしてしまった。
「やっぱり、そうなんだわ。大変、お父さんに知らせなきゃ! あなたーっ」
僧侶の資格を持つ人とは思えない声を発して、母さんは家の中に消えた。僕も恐る恐る、後を追いかける。
一体、何があったというのか。
「灯台で曲の練習してるんですって」
「こりゃ、ひょっとして、ひょっとすると……」
父さんまでが血の気の引いた顔をしてなにやらヒソヒソと話し合っている。端から見ると怪しすぎる光景だ。
「何がひょっとするとなの?」
「じいさんの行動が怪しいんだ。もしかすると、じいさん。また旅に出るつもりかも知れないぞ」
爺ちゃんが旅をしていたのは若い頃だけじゃない。
僕が生まれたときにも旅に出ていたって聞いてる。
孫が生まれたって旅先で知って、慌てて駆けつけたとき、僕は三才だった。
「旅の荷物もまとめてたようなの」
「・・・・・・・・・・・・」
これはいよいよ、シャオって人からの小包が原因だなと確信を持ったが、むろん、そんなことここで言うわけにはいかない。
僕は知らぬ顔を決め込んだ。
「六十も過ぎて、今また旅芸人として世界を巡ろうなんて無茶もいいとこだ。それぐらいなら、魔獣退治に山に行ってくるって方がまだましだ」
そんなものなのか・・・・・・。
なんか少し違う気もするが、僕は黙っていた。
このあとの展開は読めているのだ。
「とは言え、その気もないのにこっちから訊いてその気になられてはヤブヘビだし・・・・・・ターク」
ほうらきた。
父さんがニヤけた顔で近づいてくる。
そして、片手を僕の肩に置いて言うんだ。
「お前、それとなく、じいさんの様子をうかがって、どういうつもりなのか調べてくれ」
やっぱり、ね。
「頼んだわよ、ターク」
こういう役はいつも僕に押しつけられる。
いい加減なれてるし、反論したところで聞いてもらえっこないのも分かってるから、僕は溜め息を一つ吐き出して家を出た。
家を出て灯台に向かう、要するに今通ったばかりの道を戻ることになる。すぐに貝殻から赤墨を取り出し、染料を作る作業に没頭している職人たちやシェラ婆さん、ウーナが見えてくる。
「えーっと。クランカに届ける染料は今日中に揃いそうだな。・・・・・・あ、今度届けるのって誰だっけ、俺だっけかな。面倒なんだよなぁ、あそこまで行くのは・・・・・・」
腕はいいのに、面倒くさがりのケルがブツブツ行ってるのが耳に入った。
クランカは隣村だが、行って帰るのにほぼ半日掛かる。
確かに、ちょっと遠すぎるかも知れない。
でも、僕は面倒だとは思わない。
普段滅多に出してもらえない村から大威張りで出れる上に、シェラ婆さんや届け先のお婆さんに小遣いを貰えることもあるのだ。
こんなに楽しい仕事はない。
でも、今は爺ちゃんの件を済ませるほうが先だ。
僕は灯台に急いだ。
途中、楽器を背負い、中剣を腰に吊るす。
最近、灯台の辺りには魔獣が出没するって話だ。
戦うことになるかも知れない。
魔獣といっても、この辺に出るのはせいぜい瘴気を吸って凶暴化した猿なんかの野生動物ぐらいだけど、それだけに数は結構多い。
一度に何匹も出てきたら逃げるしかなくなる。
できれば出てきてほしくはないものだけど。
って、いってるそばから・・・・・・。
その猿、モンキが三匹現れた。
三匹ぐらいなら・・・・・・。
僕は剣を抜き構える。
「ばうっ」
うしろで犬の吠える声がして、アンブローシャスが横に並ぶ。
一緒に戦うつもりらしい。
さすが、サー・ディディモスの意志が入り込んでいるだけある。
戦いのあるところには出てこずにいられないのだろう。
ありがたいことだ。
戦いは割とあっけなく終わった。
もともと、大して強い敵じゃない。
二三度剣を振り、アンブローシャスが体当たりしたり前足で殴りつけると、さっさと逃げていった。
食い物を持っているわけでもない僕らを襲うのに、そんなに危険を冒す理由はないということだろう。
古い井戸で喉を湿らせ、これまた古い石造りの灯台のなかへと入る。
灯台といっても、中は意外に広く、薄暗いし地下室や開かない扉なんかもあって、ちょっとドキドキする。
「・・・・・・恐くてドキドキするわけじゃないぞ」
誰に言うともなくつぶやいて、たぶん一番上にいるだろう爺ちゃんを探す。といっても、灯台だから階を上がるだけでいいことだ。
一階、二階、と上がっていき、三階目に昇ると上の階から手琴の旋律が聞こえてきた。
じいちゃんだ。
屋上に出ると爺ちゃんは見たこともないほど熱心に、無心に手琴を奏でていた。
「じいちゃん・・・・・・」
三才の時のおぼろげな記憶しかなかった僕に、初めて聞く真面目な爺ちゃんの演奏は新鮮で、強烈な感動を感じさせてくれる。話としてしか知らなかった『演奏家』マクベインのすごさが実感させられるようだ。
「なんだ、ターク?」
「・・・・・・爺ちゃん・・・・・・旅に出るつもりなの?」
父さんはそれとなく訊けって言っていたけど、半世紀の経験差は侮れない。たとえどんなにうまく話したとしても絶対見破られる。
僕は無駄な努力はしない主義なのだ、単刀直入に聞いてみた。
「親父に様子を見てこいと頼まれたんだな」
「母さんにもね。二人とも、とても心配してたよ」
「無駄な心配じゃな」
ってことは、思い過ごしだったのかな?
「わしは旅に出るときは、誰が止めようとも旅に出る。心配するだけ無駄と言うものじゃ」
つまり、旅に出るってことだ。
「いつ?」
「さぁな、そんなことより自分の心配をしろ。独奏会の練習だけじゃなく、することはいくらでもあるだろう。シェラ婆さんがおまえに手伝ってほしいことがあるといっとったぞ。人の練習を邪魔する時間があるなら、シェラ婆さんやウーナの手伝いでもしてろ」
けんもほろろに追い返され、僕は引き下がった。無理に詰め寄ったりすればかえって意固地にさせるだけだ。
少し様子を見たほうがいいだろう。
とりあえず、爺ちゃんに言われた通りシェラ婆さんのとこへいってみよう。
「おや? ターク、ちょうどいいところに来たね。配達を頼みたいんだよ。クランカまでウーナと一緒に染料を届けてきてくれないかね」
シェラ婆さんの言葉に、ウーナが全身を固くして硬直したことに、本人以外は気づかなかった。シェラ婆さんにだけは、視覚によらぬ経験が見せていたかも知れないが。
「・・・・・・うん、いいよ」
「はい、これが届けてもらう染料の袋だよ」
シェラ婆さんから渡された袋を担ぎ、僕は歩き出す。
アンブローシャスが当然のように僕の前を歩き、ウーナは少し遅れて付いてくる。
・・・・・・何となく、いつもの闊達さがないような気がする。
具合でも悪いのかな?
もしそうなら、はじめから言うだろう。
無理して付いてくる必要もないことだ。
僕達は村の出口へと歩き出す。
村の出口は村を囲む岩山と岩山の間に開いたわずかな隙間だ。
ここに木戸を設けて常に何人かが見張りに立っている。
この村の人間を戦力として欲した大国が軍隊を派遣してきて以来続く習慣だ。
数万の軍勢に半年余りも攻め立てられ、それでも開くことはなかったという、伝説もある。
「シェラ婆さんのおつかいか? 偉いな」
いつもなら絶対に通してはくれないカイルが微笑みながら道を開けてくれる。
そういえば、ウーナと一緒にクランカに行くなんていつ以来だったろう?
「さあ、行きましょう。クランカまで、レッツ。ゴー!」
妙に元気と言うか、浮ついた感じでウーナが先に行く。
(せっかくのシェラ婆さんのお膳立だもの・・・・・・がんばろぅ。)
なんて、ウーナの心の声が届くなら、乙女の悩みのほとんどは解決するのだろうが。むろん、心の声が他人に聞こえるわけはない。
村を出て歩き出す、すぐに道は西におれて東側には気持ちのいい海風と水平線が遠望できる丘が見えてくる。
「ね、ねぇ、ターク」
いきなり立ち止まり、声をかけるウーナ。海風のせいでどちらかというと寒いはずなのに、上気した顔は汗ばんですら見える。
「えっ、あっ・・・・・・えっと・・・・・・。そ、そこに見えるルース街道沿いの海岸ってあんまり塩辛くないんだよね」
「うん、ここの水は海の水と川の水が混ざるとこで、汽水って言うんだよ」
前にも話したはずのことだ。
確か、その時は『そんなこと知ってて、何に役立つの』、と切り替えされ、二の句が継げなかった。
「キスい・・・・・・ターク、あのね」
キィーッ!
せっかく雰囲気が盛り上がってきたところに、場違いな叫びが響き猿とアルマジロの魔獣化したもの、モンキとアルマジロンが襲いかかってきた。
モンキはタークの剣が、アルマジロンはアンブローシャスと水を差され怒り心頭のウーナが放つ弓矢が撃退する。
「さっき、なにか言いかけてたけど。何だったの?」
「えっ・・・・・・んっと、たいしたことじゃないの。ま、また、そのうちね。」
そのうち、こういった場合のそのうちが実行されることはほとんどない。
御多分に漏れず。クランカまでの道中、幾度となくウーナはタークに話しかけたが、結局得たものはタークが特別に好きなのは爺ちゃんだというズレた答えと、その直前ドキドキする自分の気持ち。
それぐらいのものだった。
「ウーナ、弓の使い方、うまくなったね」
「そう? タークだって、キタラやラッパだけじゃなくて、ちゃんと剣も上達してるね」
毎日毎日一応の日課として剣の型を一通り練習していれば、いやでも身に付く程度の上達ぶりなのだが、ウーナの目にはそれ以上に映っているようだ。
「・・・・・・剣の腕が上がったって言われても、あまりうれしくないってのが一番の問題かも知れないなぁ」
僕だって両親の心配や、周囲の目を完全に無視できているわけじゃない。知識だけで、ちっとも体を鍛えない僕を異端者でも見るような目で見ていることも知っている。
知ってはいるが、だからといって今の生き方を変える気にはなれないだけだ。
その最大の原因は、この向上心の無さなのかも知れない。
「あっ、そういえばウーナ。爺ちゃんからピッコロを習ってるんだって?」
なんと言っていいのか分からず困惑の表情のウーナに気付、僕は話題をさりげなく強引に変えた。
「うん。マックじいさん、筋がいいって誉めてくれたわ」
うれしそうに話しながら、懐から出したピッコロを吹いてみせるウーナ。
僕達はそれぞれに楽器を奏でながら歩き続けた。
そのせいか、それ以後魔獣も姿を現さず、クランカまでの道程がとても短く感じられた。
気がつけば、汽水を産みだすもう一つの主役大きな川を渡る橋が目の前に迫っている。あの橋を渡ればクランカはすぐそこだ。
「あの橋を渡れば、クランカだね」
「え!! もう?」
こっちがびっくりするほどの驚声を上げて立ち尽くすウーナ。その驚きとなにか他の感情に凍らされた横顔を見やる僕の耳に、子供たちの泣き声が届いた。
とりあえず、呆然として声なんて聞こえていないらしいウーナを見守るよりも、泣き声の主と、その理由を確かめるべきだろう。僕は声のほうへと目を向けた。
四つぐらいの男の子と、その姉だろう七つぐらいの女の子が歩いてくる。男の子が泣きじゃくり、女の子がなだめている。そんな感じだ。
「どうしたの?」
声をかけると、女の子のほうが事情を話してくれた。犬を散歩させにここまで来たら、犬が急に川の上流に向かって走り出して戻ってこないというのだ。
しかも、その上流というのは近頃狼の群れが現れて大人たちも入らない危険区域になっていて、捜しにもいけないと言うのだ。
「・・・・・・ベス、・・・・・・ベスゥ・・・・・・・・・・・・」
男の子が相変わらず泣きじゃくりながら犬の名前だろう、を呼んでいる。危険だから行ってはいけない、大人の言い分はもっともだが、そんなこと言われて割り切れない子供の気持ちもよく分かる。僕自身も子供だから。
「・・・・・・わかった。ベスはお兄ちゃんが必ずつれてくるから、お家で待ってて。向こうにウーナっていうお姉ちゃんがいるから一緒に行くといい。・・・・・・いいね?」
「でも! ・・・・・・わかった」
危ないって言われてたとこに行くといった僕の身を案じてくれたのだろう、一瞬反論しそうになった女の子だったが、すぐ横で瞬時に泣きやみ笑顔になった弟の手前、言えなくなったのだろう。
素直にうなずき、弟と歩きだした。
「ウーナを頼む」
傍らにひかえていたアンブローシャスに一声かけ、僕は一人川原を上流へと向かう。
何の変哲もない川原だ。こんなところになぜ狼たちは集まってきたのだろう?
確かに狼たちにとっても、その獲物である草食動物たちにとっても川の水は生きる上で不可欠のものだ。
しかし、それだけの理由でこの川に集まるとは思えない。この辺りは水資源も豊富で川は三本あるし、湖や池の類も多い、なぜ、この川なのか。
第一水よりも貴重な獲物である草食獣のワラビーはより多くの草を求めて南下している時期で今頃は遙か南の草原にいるはず、狼たちもそこにいるのが普通だ。
少なくとも動物の生態に関する研究では第一人者であるシーロンの著書『シーロン動物記』にはそう書かれていた。
「ん? あれかな・・・・・・ベス!」
アンブローシアのように毛が長かったりすれば見分けもつくが、この辺りにいる犬は狼と区別をつけるのが難しい種類ばかりだ。
名前を呼んで反応を見るしかない。
ガルルルル・・・・・・・・・。
狼だ!
咄嗟に剣を抜き放ち、そのまま刀身を前に出す。
斬る、というよりも飛びかかってくるのを牽制するための一撃だ。
が、予想をはるかに超える手応えがあり、ドサッという音とともに狼は地に落ちた。見れば首の辺りがザックリ斬れている。
剣を出すのと狼の飛びかかるのとのタイミングが見事に合っていたらしい。
狼にとっては間が悪すぎた、ということか。
僕はしばらく血に染まった刀身を呆然と見ていたが、強いて気を取り直し再びベスを探し始める。
激しい動揺がある。
今まで魔獣と出会っても追い払うだけで殺したことはなかったのだ。
そんな僕の心の動揺など知るはずもない狼たちが、その後も何度か襲ってきて、僕は彼らを切り捨てねばならなかった。
おかげで、血を見ることに慣れるのと同時に、相手の動きに合わせて剣を振る間の取りかたには習熟した。
剣士としては立派な成長というところだろうが、人間的には堕ちていくような気がするのは僕が甘いせいだろうか?
ガサッ・・・・・・ガサガサッ・・・・・・
ん? 今なにかが向こうのほうで動いたぞ。
ガサ・・・・・・ガサガサガサ・・・・・・
大きな岩を取り巻くように密生している葦の茎が盛んに揺れている。どうやらおびえて逃げようとしているらしい。
「ベス! こわくないよ、さぁ、おいで」
声をかけると、ベスは逃げるのをやめ、こちらを見る。
ずっと人間に飼われていたのだ、人間の声に安心感を持ったのかも知れない。ベスはまだ警戒しているようだったがゆっくりと近づいてきた。
ブーン、ブーン・・・・・・
「何の音だ?」
意識下にはちゃんとその答えがあったが、否定したい気持ちがそんな問いかけをさせた。
直後、それは現れた。
体長が三十センチにも及ぶ蜂、キラー・ビーだ。
やっぱり、なんて納得している場合ではない。この蜂は一匹見かけたら近くに十匹は確実にいるし、万が一巣が近かったりしたら数千匹の蜂が襲いかかってくる。
この蜂は身体が大きい分、毒性は強くないがあごの力は絶大で本気の彼らに襲われようものなら牛でさえ骨になるのに二十分と掛からない、といわれるほどなのだ。
背筋を恐怖が走った。
ベスに気をとられて気がつかなかったが。今になってみると周囲からカチッ、カチッという蜂の威嚇音が聞こえている。この音を蜂が発すると言うことは、この先に巣がある、ということだ。
そういえば岩の向こう側にある木は彼らが巣を作るのに最適な枝ぶりをしている。
落ち着け、落ち着け、焦ったら死ぬぞ。
自分に言い聞かせながら耳と目の機能をフルに使い蜂の動きを追う。警戒音はすでに攻撃音に変わりつつある。いまさら逃げることはできそうにない。
ベスをかばいながらゆっくりと移動する。彼らが攻撃に移るときには一斉に飛んでくる。そうなる前にこちらから動いて一匹ずつ倒す以外に勝ち目はない。
ブーン・・・・・・ブッ・・・ウーン・・・・・・
羽音が変わった、来る。
瞬間的に身をひねり、音を頼りに剣を振るう。
ビシッ!
弾けるような音とともに蜂は緑色の体液をまき散らして、真っ二つになった。
二匹、三匹、四匹目・・・・・・は来なかった。
「・・・・・・?」
おかしい、本当なら数百から数千の蜂が群れて僕を包み込むはずなのに・・・・・・。
その疑問は恐る恐る覗いた木の上の巣を見て明らかになった。
彼らの巣はほとんど壊れかけて朽ちはじめていた。
横のほうに新しく作られようとしている巣はあるが、それも放置され蜂が生活している様子はない。
嵐かなにかで巣が壊れ、女王が死んだのだろう。
普通は女王が死ぬと働き蜂の一匹が新しい女王になるものだが、僕が倒した三匹しか生き残りはいなかったのかも知れない。
ピューッ・・・・・・ヒューッ・・・・・・・・・・・・
強い川風が吹き抜け、蜂の巣が微かに鳴った。
ワン! ウーーッ!!
おびえ、震えていたベスが巣に向かって吠え始める。何事かと巣を見やってもなにかが動く様子はない。
「犬笛・・・・・・か?」
犬には人間には聞こえないような高い音をも聞き取る聴覚がある。それを利用して犬にだけ合図を送るのが犬笛だが、この朽ちかけの巣が偶然、犬科の動物を呼び寄せるような音を立てていたのかも知れない。
だとすれば、こんな変哲もない川原に狼が集まっていたり、人馴れした飼犬が迷い込んだりした理由も説明がつく。
「壊しておこう」
剣を握り治し、巣を木に固定している支柱を幾つか叩ききり、巣を地面に落として踏み潰した。
新しい、小さな巣は背負って歩けるほどに軽かったので持ち帰ることにする。
蜂の巣は商売繁盛のお守りだとかいって重宝がる人もいる。誰か欲しい人にあげてもいいし・・・・・・できれば売りたい。
「あっ! ベスだっ!!」
クランカで僕を出迎えてくれたのは元気のいい男の子の声と、武器を手に集まった大人たちの安堵の溜め息だった。
飼い主の声に弾かれたように反応してベスは走り去り、男の子がはしゃぎながら家へ帰るのだろう背を向けた。その姉も僕に軽くお辞儀をして去っていく。
代わりに大人たちの一団が僕を取り囲んだ。
「危ないだろう。もしものことがあったら・・・・・・」
聞かなくても分かる、パターン通りのお説教が始まった。
もっとも、僕がどこの村の出身かは知っているのだから、説教も形ばかりで三々五々、大人たちは仕事に戻っていった。
あとには、ウーナと染料を届けるはずだったケイト婆さんだけが残った。
「ターク、今日はあんた泊まっていきな。ウーナは先に帰してある。・・・・・・チノン婆さんがな、嵐が来るといっとるんでな」
チノン婆さんのことは僕も知ってる。若い頃には天才占い師とまで呼ばれ、現役を退いてからも天気に関する占い、というより予知を外したことは一度もない。すごい人だ。
その人が嵐が来ると言うなら必ず来る、僕は素直にこの村唯一の宿屋『湖畔の葡萄酒』亭に泊まることにした。
一応、いつ何があってもいいだけの金は持っている。村の掟でもあるし、そのほうが安心するから・・・・・・今はちょうど二百Gある。これだけあれば二、三日宿をとってもお釣りが来るというものだ。
・・・それに、さっきの蜂の巣を宿の小父さんがすごく興味のある顔で見ていた。
宿賃の代わりにあげたら喜ぶかも知れない。
その夜、嵐は確かに来た。
しかし、予想をはるかに超える大きさと強さだった。夜はその音とただならぬ気配に眠れず、晴れたのを見計らって被害を確認しに外へ出ると、寝不足も吹っ飛ぶような状態の光景が広がっていた。
「おかしいのう・・・これほど強いはずはないんじゃが・・・・わしも歳かのう」
チノン婆さんが、後ろのほうでつぶやいているのを聞きながら僕はしばらく立ち尽くしていた。
パンディオンに続く道が消えている。
山が崩れ、その土砂がかつて道だった場所に流れ込んできているのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
「こりゃ、道を通すの二三カ月は掛かるな」
呆然として声も出ずにいる僕の横で、坑夫らしい中年男が呟いている。多分街の依頼で道を通す工事に来たのだろう。この村にとってパンデイオンの染料は不可欠のものだから。
パンデイオンにとってはなんらの痛痒も感じることはないのだが。
隣国のランスウェル領内では各種の鉱山がある。おそらくそこから人を雇ったのに違いない。
むろん、パンディオンには最高位の魔導師もいる、彼らの力を使えば土砂を片づけるのなんてわけもない。ただ、魔法の力は命に関わる大事でない限り使ってはならないと制約されている、たぶん使うことはないだろう。
「チャンス・・・・・・かな?」
自失の数秒を過ぎると、僕はあることに気づきほくそ笑んだ。
村に帰る方法がない以上、僕は自由なのだ。外の世界を旅することができる、時間と金という制約はあるけど、村と山々に閉じ込められた生活に比べれば井の中の蛙が蝶に成るようなものだ。
だが、それにはなんらかの名目がいる。このクランカの人たちは僕の村の戒律を知り過ぎている。知らん顔して旅立ったりしたら、後が恐い。ここは何としても他の村へ行く理由を探さなくては・・・・・・。
ワン!
沈思黙考モードに入った僕の足下をなにかが掠めすぎ、声を上げた。
「・・・・・・! アンブローシャス!!」
それは泥だらけになったアンブローシャスだった。この土砂の上を走ってきたらしい。確かに、人間に比べれば身も軽いし走れなくはないのだろうが・・・・・・。
無茶をするものだ。
「ん?」
そのアンブローシャスの首に布が巻き付けられている。
ウーナのスカーフだ、前に意見を聞かれて派手すぎると言った覚えがある。
開いてみると油紙に包まれた手紙が三通入っていた。
僕が嵐に巻き込まれたのではと心配してケイト婆さんに安否を問う内容のものと、ウーナの爺ちゃん、村の長老がランスウェルの王様に当てた親書、そして親書を届けろと僕に命じる手紙だ。
僕にとって、それは魔法使いがくれたガラスの靴、魔女の空飛ぶほうきだった。他国へ行くお許しが出たのだ。誰はばかることなく旅立てる。
僕は早速ウーナと長老宛に手紙を書き、アンブローシャスの首にしっかりと結びつけた。
「頼むぞ。おまえだけがクランカを救える」
これは誇張ではない。実際、クランカ村の経済はパンディオンの染料があって初めて成り立つ。道が塞がれ三カ月は人間が通れないとなれば、このアンブローシャスだけが両方の村を行き来できる・・・・・・しようとする唯一のものとなる。
転移術や飛行術を会得したものたちも僕の村には多いが、彼らもまた魔導師同様、力を村の中や近郊で使うことを禁じられているのだ。
ワン!!
力強く吠え、アンブローシャスは再び土砂の上を駆けていった。
「・・・・・・さて、僕も行くか」




