終焉・そして始まり
「・・・このくそ忙しいのに・・・」
塔が見える。
あとちょっと、ひとっ走りすれば中に入れる距離だ。
なのに、やたら遠い。
すごい数の魔物が塔の前で待ち構えいる。
時間稼ぎだ。
復活の儀式が終わるまでの。
ずいぶんと奮発し召還してくれたものだ。
「邪魔だ! どけぇぇぇ!!」
左に付け替えた指輪に魔力を注ぐ。
その瞬間、目の前の敵が吹き飛んだ。
僕はまだ魔法を使っていないのに。
呆気にとられた僕の頭上に影が落ちる。
反射的に見上げた僕の目に黒い翼と金色の髪が映った。
「ライラ!」
思わず声を上げた僕の横を何かが追い越して行く。
赤い髪に白い鎧、見覚えのあるバスターソード。
シュナだ。
背中を見送る僕の目に、シュナに狙いを付け魔法を撃とうとしているメイジゴブリンの姿が映る。
シュナは気付いていないようだ。
危ない!
そう思う間もなく、そのメイジゴブリンは倒れた。胸に矢が刺さっている。
それも、見覚えがある。
まさかと思いつつ、後ろを振り返る。
枝ぶりのいい樹の上にあの草色の鎧に白い大きな矢筒、エルがいた。
「なんで・・・三人ともなんでここにいるんだ?!」
こんな都合よく偶然行き逢うわけはない。いったいどうして知ったのだろう。
「一昨日の夜の口振りから、一両日中に決着つけに来ると思って待ってたのよ」
と、ライラ。
「タークが起き出した後、その気配で僕も起きたのさ。後から下りていったら先客と話し込んでた。・・・聞く気はなかったんだが・・・悪く思わないでくれ。黒龍との直接対決は譲るから」
そう、ほんのちょっと後ろめたそうに言うのはシュナだ。
「エル、反対側のカウンターにいたんだよ。知ってる声だと自然に耳に入っちゃうの」
これだからエルフの耳は油断がならないんだ。
嬉しいし、助かる、が・・・。
揃いもそろって、なにも好き好んでこんな危険な場所に来ることないのに。
「ターク! 行け! 黒龍を倒せるのは伝説の剣を持ってるお前だけだ」
「雑魚は私たちが片づけといてあげるわ・・・あとでおごりなさいよ」
「タークはきっといつか大きなことをする。前にエル、言ったでしょ? がんばってね」
三者三様の励ましの言葉。
僕は駆け出した。
帰れと言いたいところだったが、彼女たちが言うことを聞くわけがなかったし、正直時間はダイヤより貴重だった。
何体かを斬り伏せながら魔法陣へ。
機能が停止しているのではないかと危惧したが、魔法陣は生きていた。
塔にある魔法機構、その一部だけを止め復活の儀式をする。そんな器用なまねはできなかったのかも知れない。
一つでも止めれば、復活のためのシステムも止まってしまう、とか。
復活のための機能に少しでも障害となりそうなもの、失敗の要素となりえそうなものは全て排除しているということだろう。
その証拠に、外にはあれほどいた魔物が中には一匹もいない。
何の障害もないまま、以前クレアと行った塔の中心を目指して走り続けた。
そして間もおかず、その場所へとたどり着いた。
なんとか間に合ったようだ。術はすでに始まっているようだが、終わってはいない。今は、それで十分だ。
「わざわざ死ににきたか」
野太い、野蛮な声がする。以前見たのと同じ、赤い髪に赤い鎧。だが、僕は今度こそはっきりと疑惑を肯定するものを見た。
マント、黒いマントは以前にも見ていた。だが、後から見るとそれはマントではなかった。ローブだったのだ。
ディックのローブだ。
「おめでとうと言うべきかな? ついにディックの身体を完全に支配することに成功したというわけだ」
軽口をたたきながら、目は必死に当たりの様子を確認していた。
あの巨大な装置の正面に黒龍がいる。僕に背中を向けたままだ。
右側にオーブがあり左側にアルティナが横たわっている。意識はないようだ。
アルティナの寝かされている台の下に、エルシアナが無造作としか表現のしようがない態勢で転がされている。
目は開いているが、その目は何も見ていない。胸元が微かに動いているから死んでいるのではなく、再び意識を眠らされいるのだろう。
アルティナの全身が淡いブルーの光に包まれて輝き、その光は一旦装置に吸収された後、オーブの中心に突き刺さるような細い直線によって流れ込んでいる。
オーブが魔力を帯びて輝き、その輝きに呼応するかのように、黒龍の身体からも毒々しいほどに赤い何かがにじみ出すようにして浮き上がり、装置へと流れ込みつつあった。
黒龍の真の身体に、いま魔力と精神とが戻ろうとしている。
「我の復活には今しばらくの間がいる。お主らは遊んでおれ」
黒龍の言葉と同時に、黒龍、いや、ディックが振り返った。
髪の色が鮮やかな赤ではなく。赤みがかった黒になり、赤い光を放出しつつ剣を手に斬りかかってくる。
鞘から抜きざま、横撫ぎの太刀筋。僕も剣を引き抜き、剣を立てて防御態勢をとる。
遊んでろと言った割りには、初っぱなから一撃必殺の一撃だった。なんとか防いだものの派手に弾き飛ばされてしまう。
「くっ!」
かろうじて踏み止まり、すぐさま下から剣を斜めに振り上げる。いわゆる逆袈裟切りだ。
と、切先が予想通り間合いをつめてきていディックの鎧を切り裂いた。
鎧だけだ。皮膚すら傷つけていない。
知人だから、加減している。のでは決してない。殺す気で振った剣だったのに、見事に躱されてしまったのだ。
この国に来た当所から比べれば、僕は格段の実力を付けている。だがそれは、這っていた赤ん坊が走り回れるようになったぐらいのもの。正直な話し、まだまだ一流の域には達していない。
黒龍もディックも、間違いなく一流以上の実力を持っている。手加減していては一瞬にして斬り殺されてしまう。こちらも、殺す気で戦わなくは勝機を失ってしまう。
勝機、そんなものがあるのか? とも思うが、チャンスがあるのはわかっていた。問題なのは、その時が来るまで待っているわけにはいかない、ということだ。
なぜなら、勝機はただ一つ、ディックの意識が戻ること。そのためには黒龍の意志が完全に、もしくはそれに近いだけディックから離れる必要がある。それは取りも直さず、黒龍が復活することを意味するのだ。
ディックの相手さえ必死なのに、黒龍に対抗できるとはとうてい考えられない以上。それを待つわけにはいかない。
「ターク君。もう少しこらえてて、黒龍の意識を消せるかも知れないの。時間を頂戴」
考えがまとまらないまま、ディックと対峙していた僕の耳に再び女性の声が聞こえた。それも、今回は明らかに場違いな。
琥珀色の髪に眼鏡、そばかすの女の子。クレアだ。
その後ろには、すみれ色の髪も見える。
胸元のダイヤが白く輝いていた。白竜が黒龍復活に呼応してリスティンを導いているのだろう。
「話しはこうなる前のリスティンから聞いたわ」
こうなる前、リスティンは今や白い輝きに包まれ、表情などを確認することが出来ない。微かに何か呪文のようなものを呟く声だけが聞こえていた。
トランス状態にある、ということか。
「アラストールの書を全部調べてみたの。巧妙に隠された暗号を見つけたわ。剣も封印も使わずに黒龍を倒す手段が書いてあった。成功させてみせる。だから時間を!」
「まかせろ!」
クレアとリスティンが、僕の後ろを通って装置の正面に向かう。少し遅れてディックが二人の姿を目で追った。
反応が鈍り始めている。
瞬間的にそう判断した僕は、姿勢を下げ、低い位置からディックの足を狙った。
手応えがあり、ディックが膝を付く。
間髪をおかず、剣を持つ右手に斬りかかった。
「図に乗るなぁぁぁぁ!!」
さすがにそう思い通りには行かない。軽く払いのけられてしまった。
だが少なくとも足を痛めたディックにクレアたちのところまで走り抜けることはできない。
僕はもう、クレアを信じて嫌がらせの攻撃を続ければいい。
ほんの少しだが、余裕の出来た僕はクレアたちがどうなったのかを確認するため、立ち位置を少し変えた。ディックも視界に入るよう調節し、二人の様子を見る。
そこでようやく、クレアの言う『方法』がなんなのかがわかった。
今や装置は銀色に輝いている。
アルティナの青い光と黒龍の赤い光は薄くなり、リスティンが纏う白い光が他を圧するように神々しい輝きを放っていた。
白竜の意識が、黒龍のそれを取り込もうとしているのだ。肉体を滅ぼすでも、精神体を封じるでもない。黒龍の意識自体を無に帰そうと言うわけだ。
「・・・・終わったな」
「ええ、終わりですよ。茶番はね」
全てがいいほうに向かっていた。
ディックはもう剣を振ろうとはしていないし、アルティナとエルシアナは互いに手を取り合って成り行きを見ている。リスティンを取り巻く白い光も徐々に薄れ初め、クレアは会心の笑みを浮かべ装置を仰ぎ見ている。
銀色の光に包まれた装置が、これからの未来を象徴しているかのように輝いている。
それなのに、僕の後ろから聞こえたしゃがれた声は、およそ想像も付かない最悪の事態をイメージさせるに足る空気を持っていた。
「あの装置の機能と、あれだけのエネルギーがあれば可能だと思いませんか? 『あの呪文』を完成させることが、ね」
ザワッ
総毛立つ、とはこのことを言うのだろう。
血の気が一気に引くのを感じた。
『あの呪文』、あまりに強力にして凶悪なるがゆえに、正確な名前すらも伝えられない魔術がある。
名前すら伝わっていない、その事実でもわかるように。どんな作用を引き起こすのかも知るものはいない。
いてはならない。
剣の柄を握り直し、僕は振り向きざま剣で声のした辺りを切り裂いた。
こいつだけはこの場で斬り殺さなくてはならない。身体中の細胞が、そう叫んでいる。
なのに、剣は空を切っただけだった。
振り向いた僕の目の前にいたのは大きな白鳥ぐらいの鳥だ。首がなく、腹に人間の顔が張り付いている。
「呪咀鳥!」
何日も食事をやらずにおき、限界近くで食い物を目の前におく。
言うことを聞くなら食わせてやると何度も言い聞かせて、食べようとした瞬間に首を切り落として殺す。
恨み憎しみを抱いたその身体に魔力をたっぷりと注ぎ込んで作る。使い魔だった。
主の命には絶対服従で能力も高いが一番の特徴は、その身になんらかの魔術を詰め込まれると、発動するまでのあいだ体内で成長させ強力な魔法として一度だけ放出できる、ということだろう。
今の話から考えて、中に詰め込まれた魔術は、完全版ではないだろうんが『あの呪文』に違いない。
それが装置のほうへと飛んでいく。
呪咀鳥が魔術の発動にかかる所要時間は一瞬だ。
もう、間に合わない。
絶望感が自分の全てを支配するのを感じた。今回ばかりは手のうちようが無い。いや、あるにはあるが自分のためには使えなかったのだ。
僕は自分の死を認知した。
そのかわりに僕は、自分のためでなく。全魔力を一つの呪文に集約する道を選んだ。
この呪文は、自分自身か、他人か、どちらかにしか使えないのだ。
「・・・賢者の門よ開け!」
前にも一度使った呪文だった。青い色の魔法陣が対象者の足下に描かれ、一瞬にして別の場所へと転移する。
以前は転移先を指定する能力がなかった。でも、今なら出来る。
ある程度の魔力を有するもの、または個人を目印にして魔法を発動することが出来る。
魔法力の高まりで鋭敏になった感覚を開放する。見たいものが全て見えた。
ライラも、シュナも、そしてエルも、まだ戦い続けていた。塔の中で何が起きているのか、知ることもなく。
ランスウェル城の城門を出て、こちらに向かって来る王国軍も見える。その先頭に王とウェンハイム、ラングリッサー伯、そしてルシオンがいる。
ルシオンの元へ送ろう。
「・・・ウィズダム・ゲート!!」
呪文が完成した。
アルティナとエルシアナが、クレアとリスティンが、シュナとエルが、最後にライラが、今いる場所から消え、直後、こちらに向かって急ぐ王国軍の目前に現れる。
当然、王国軍の進軍も止まった。
これでいい・・・もう、心残りはなかった。
いや、そう言ったら嘘になる。
「でも、後悔はしなくてすむ」
一仕事終えた気分で、僕は装置を見た。
そこではじめて、自分がもう呪文の中にいることに気がついた。
周囲が全て紫色になっている。
ある意味、すごいことかも知れない。この呪文をこんな間近で見た人間なんて、そうはいないだろう。
「『禁呪・ジェネシス』。無の世界に有を生み出す、神の力。本来なら創世の魔法・・・だけど、有あるところで使えば、既存の世界は全て崩壊してしまう。破滅の魔法」
もはや、そこには装置も塔もなかった。ただただ混沌があるだけ。
僕自身も、いつまで自分でいられるか・・・僕でなくなるだけじゃない、人でも、生き物ですらなくなり、ただのエネルギーと化すのも、そう先のことではないだろう。
それはもうしかたない。問題は、影響がどこまで広がるかだ。
確かに黒龍と白竜にアルティナの力、膨大な魔力ではある。だが、世界を全て変えてしまうほどではない。
塔の周辺だけで済めばいいが・・・。
「・・・・・? 待てよ。この呪文になんで装置が必要なんだ?」
魔力だけでいいはずだ。
桁外れの魔力を消耗する割りには、魔法陣とかの魔導システムは使わないのが特徴だったと思うけど。
「神器・・・神の力を込めた魔導器を作るつもりです。魔法を発動させるだけなら魔力があればいいですが、それをなんらかの器に宿らす、となるとなんらかの魔導システムが必要になる」
思わず口に出た疑問に、我ながらひどい話だが、すっかり忘れていたディックが応えた。
「伝説によれば、神の魔力を象徴する神器七つを集め、儀式を執り行なうと神を召還できると聞きます。召還に応じた神はいかなる願いでも、叶えるとか、そうなればジェネシスどころではなくなるでしょう」
「・・・『七つの鍵』?」
確か古代魔術で使われる魔導書の一説にそんなのがあった。異界への扉を開く、とか書かれていた記憶がある。
「ご存知でしたか。そうです、かつて栄えた魔導文明はそれを用いて高度な魔導システムを構築していたとか、それゆえに滅びたとか伝えられる禁断の魔法です」
途方もない話だ、神を召還だなんて。
あまりのことに現実感が沸いてこない。もっとも、今にも存在そのものが抹消されようとしている僕に、いまさら現実も何もありはしないが・・・。
「タークさん。魔法石を全てわたしに頂けませんか? 魔法石の力を使って、あなたの周囲に結界を張ってみます。うまく行けば消えずにすみますよ」
うまくいけば・・・か。
「願ってもないことだけど。ディックはどうするんだ?」
答えは予想が付いているが、聞いてみる。
「わたしは・・・とうの昔に死んでいるはずの人間ですから。仲間ももういない。疲れましたし、寂しくもある。この辺で終わらせてください」
「わかった、頼む」
魔法石の入った袋を渡す、ディックはその袋から魔法石を取り出しては一個一個魔力を込め、僕の周囲を立体的に取り囲むように並べた。
聞き取れないほど高い波長の呪文がディックの口から漏れたかと思うと、僕は乳白色の狭い空間にいた。
「これで魔法の影響を受けずに済むはずです。タークさん、お達者で」
ディックの最後の言葉、語尾が少し掠れたのは魔法の影響を受け始めたからかも知れない。
あとは、ひたすら『その時』を待つだけだ。ジェネシスに飲み込まれるか、脱することが出来るのか。どうなるにしても。
「・・・意外にあっけないものだな。数千年もの因縁も、消えるとなると」
背の高い、壮年の男がえぐられたようにむきだしになった大地の窪みを歩いている。
大きな襟の付いた白いローブに金の縁取り、軽薄そうな笑いを顔に張り付かせている。町を歩けば女の子が十人中四人は振り返るだろう、と思われるぐらいの優男だった。
かつては塔が建っていたはずの場所が、今や干上がった池のような盆地と化している。その擦り鉢状になった中心に、手の平サイズの白い玉が転がっていて、男の目的はそれらしかった。
真っ直ぐに玉、オーブへと歩み寄る。
その足が、ふと止まった。
オーブの向こう側に、もやのような空間の歪みが見えたのだ。
「結界か・・・」
それがなんなのか見極めると、男は再び歩き出した。
結界の中にいる人間には、こちらが見えていないだろうし、今この瞬間結界が解けたなら、間髪をおかずに殺す自信はある。そして、無理に結界を解いてまで殺すのは面倒だった。
与えられた以上の仕事をするほど、勤勉な男ではない。
中央まで歩ききり、オーブを無造作に拾い上げしげしげと見る。
それは白くはなかった。すごく濃い紫という表現しか出来ない怪しげな色の玉が、全体から白い光を放出しているために白く見えるのだ。
「わかんないもんだなぁ・・・こんなものが世界を変えるってんだから」
世界を変える・・・かなり不穏当なことを言いながら、口元はニタニタ笑ったまま、あまり『マトモ』とは言えそうにない。
「さて、用事も済んだことだし、町に出て一夜の夢を語る相手でも探すとしよう」
何人もの人の血や汗、涙に彩られた過去を持つオーブ、その筈なのに男は石ころでも扱うかのようにオーブをローブのポケットに放り込むと、とりあえずエメラルド・リゾートへ向かう道へと歩き出した。
が、その足は急停止し、地表を踏むことなく掻き消えた。
「ちぇっ! 兄上の奴、魔法をかけてやがったな。強制転移だなんて、なんて無粋な・・・」
ブツブツ毒突く声もやがて空間に溶け込むようにして消え、辺りは再び静寂に包まれた。
『ターク。聞こえる? ターク・・・』
結界から出るタイミングも、結界の解き方も分からないまま。疲れていたのだろう、少しまどろみかけた僕の頭の中で、声が響いた。
独特の甘えた声、ライラだった。
どうしたんだい?
声によらない言葉、そう、ライラは今ここにはいない。あの指輪を通じて声をかけているのだと、僕はほとんど無意識に気がついていた。
『お別れを言いに来たの。もう会えないわ』
どこか、旅にでも出るのかい?
以前は、僕の意識のほうがライラの精神世界に入り込んだわけだが、今回はどうも逆らしい。ライラの意識のほうが僕の中に入り込んできているのを感じる。胸の奥が何かとても暖かい。
『そうね・・・ある意味そうかも知れないわ。私が塔にいた理由、話したでしょ? 私は塔を守るために存在していた。塔が無くなったら、用済みなの』
それって・・・まさか!?
消えしまうなんてことはないんだろう?
一瞬にして目が冴えた。同時に背筋に悪寒が走る。そんなはずはない、そう思いつつも僕の中の何かが、それを肯定しいるのだ。
『うん。どうやらそうらしいわ。だんだん力が入らなくなってきてるし、意識も・・・だから、今のうちにお別れを言っておくわ。ありがとう、愛してる』
おい。待てよ! ライラ!
手料理をご馳走しくれるって約束したじゃないか!
必死に叫ぶ、が、もうライラの応えはなかった。
身勝手で我儘で、その癖お節介で、散々人にいたずらしておいて勝手に消えてしまうなんて!
だが、不思議と涙は出なかった。何となくだが、わかっていたのだろう。喪失感だけが激しい。
僕が、結界から出たのは、その二日後のことだった。
いつまで待っても姿を現さない僕を心配したルシオンがさがしに来て、結界を解いてくれたのだ。
「・・・シールは落ち込んでいて、城から出る気にならないようです。ケンカ相手を亡くしてしまいましたから」
結界から出て、ルシオンを見た瞬間の違和感の理由。そのうちの半分ががそれだった。
いつも肩の辺りにとまっていたり飛んでいるシールがいなかったのだ。そのかわり、違和感の残り半分が微笑んだ。
「無事で良かった・・・」
リスティンだ。なにか、とても満ち足りた表情をしている。
「・・・シールが落ち込んでいるのは、ライラのせいばかりでもなさそうだね」
何で今まで気がつかなかったのか、思えば僕がリスティンを追いかけていくとその先々でルシオンを見かけていた気がする。一度など、何かを真剣に話している場面に出くわしてもいる。
二人は恋仲だったのだ。
「あ、わかる? やっぱり?」
リスティンらしいというかなんというか、カマかけのつもりだったのにあっけなく認められてしまった。
「私もまだまだ未熟者と言うことです。黒龍のことやエルシアナ姫のこと、王家に影を落としていたこと全てが解決して浮かれ気分なのをいいことに、そのままの勢いで婚約を申し込んでしまったのです」
わざわざ言う必要もないことを口にしてしまうというのはリスティンばかりの癖ではないらしい、結構似合いのカップルかも知れない。・・・ちゃんとした家庭が築けるのかというそこはかとない不安は残るが・・・。
「エルシアナのことはまだまだ問題山積みじゃあないのか? 死んだことになっていたんだろう?」
王位継承権やら何やら、いろいろ解決しなきゃならないことが多い気がすると言うのに、王宮付魔導師ともあろうものが浮かれていていいのだろうか。
「その通りです。ですが、それは私が心配することではないのです。アルティナ姫にタークさんがいるように、エルシアナ姫にはラングリッサー伯がおられますから」
「・・・・・・」
さすがに驚いた。
ルシオンとリスティンはともかく、エルシアナとラングリッサー伯と言う組み合わせは想像だにしていなかった。
「伯の仮面は、エルシアナ姫をかばって切り裂かれた顔を隠すためのものなのです。・・・愛するものを救い切れなかった自分への戒めでもあったのでしょう」
なるほど・・・。
考えてみれば、王の周辺にいる人間にしてはラングリッサー伯は異質に過ぎた。
文官の長である王宮付魔導師ルシオン、武官の長である親衛隊長ウェンスハイム。この二人と肩を並べるのに、ラングリッサー『伯』というのはおかしい。
貴族の代表と言うことなら『公』でなくてはならないはずなのだから。
エルシアナがあんなことになりさえしなければ、次期国王。だからこその特権だったのだ。だが対外的にエルシアナが死んだことになっている以上。その権利は失われた。が、実質的にはエルシアナは生きていたわけで・・・微妙な立場だったのだろう。
「そういう話しは、王宮に付いてからにしましょう。みんなきっと待ちくたびれてるわ」
「そうだったね。・・・黒龍の驚異から王国を守った勇者をたたえて、現在王宮ではパーティーが開かれているのです。それなのに、主役がいつまでも来ないので私たちが迎えに出てきたわけなのですよ」
来た・・・!
今回のことで唯一不安だったことが現実となってしまった。大した働きをしたわけでもないのに、英雄扱いされるのは勘弁してほしかったのだが・・・。
「あまり気が進まないのでしょうが・・・エルシアナ姫のことなどで国内が不安定なときです。どうしても英雄の存在が不可欠となっているのです。不本意なのはわかりますが・・・ここはご協力ください」
わかっている。
いつの時代でも、世情が不安定なときには英雄が求められるものだ。
そして、その求めに常に応じてきたのがパンディオンの出身者たち。だからこそ、実質以上の名声を得ているのだ。
僕だけが例外になるわけにはいかなかった。これは、義務なのだ。
「アルティナの顔を立てておかないとな」
あえて、個人的な理由を口にしてルシオンたちとともに王宮へと向かった僕だったが、心中複雑なものがあった。
ディックにライラ、白竜、もちろん黒龍もだが。失ったものばかり多い事件のあと、華やかな場に身を置くのはつらすぎる。
が、王宮に付いたところで多少気分が落ち着いた。パーティーと言っても舞踏会などの華やかなものではなく、どちらかというと宴席、といった類のものだったのだ。
市民、貴族が各々思い思いに三列ある長テーブルに付いて酒を酌み交わしている。
『平和』そのものの情景が、そこにあった。
「タークさま!」
広間に入った僕をいの一番に見つけ、歓声を上げくれたのはやはりアルティナだった。涙に潤んだ瞳を目一杯開いて僕を見つめている。
心情的には、このまま駆けていって抱きしめたいところだったが、いろんな意味でそういうわけには行かなかった。
アルティナはいわば身内だ。ほかにも命がけで協力しくれた者たちがいるというのに、その者たちをないがしろにして駆けつけるわけには行かない。
ましてや、アルティナ自身が広間の一番奥にいて、僕との間に百人近い列席者、その列席者の仲に協力しくれた人たちがいるとあっては、無視して突っ切ることなどできるわけがない。
目だけで合図をして、僕は列席者たちのほうに向かった。王族であるアルティナのことだ、説明しなくも事情は理解してくれるだろう。
実際、僕が視線を外してもアルティナは表情を変えなかった。ただ、食事にも飲みものにも手を付けようとせず、僕をじっと目で追うだけだ。
ざっと広間の中を見渡してみる。
広間の一番奥に横に長く置かれた長テーブル、それが王族用なのだろう、左端にアルティナが座っている。アルティナの右隣に国王、その隣にエルシアナとラングリッサー伯が寄り添うように座っている。
ラングリッサー伯は仮面を外していた。
仮面をしていたときから目立っていたアイスブルーの瞳に仮面をしていた割りには浅黒い肌、そこに左目の上辺りから唇の右端まで斜めに走る白い傷が残っていた。
傷はもう、ずいぶんと薄くなっているようだ。消えることはないだろうが。
王族の席を中心に広間には縦に三列、長テーブルが設置されていたがその右側の列に、いつのまに移動したのかさっきまで一緒にいたルシオンとリスティンがいる。
ならば、と広間の左側に目をやると、案の定親衛隊長のウェンスハイムが警備のためだろう席に着かず、広間全体に目を走らせながら立っている。
その目前、左の長テーブルにシュナの姿があった。父親同様広間全体に目を走らせながら、テーブルの負担を減らす努力を怠っていないようで、周囲の皿がどんどん軽くなっているのが見える。
その少し下方、こちら側に釣り目の聖騎士の姿もあったが、視界の隅を過った瞬間に僕の目は逸れていた。中央のテーブルにメルがいたのだ、以前図書室で見かけたことのある若い貴族と楽しげに話している。
父親である村長が、複雑な顔で座っているところから見て、かなり親密な関係になりつつあると見ていいだろう。誰とでもすぐに仲良くなれるのはメルのいいところであると同じに、少し困ったところでもあるから。
そして、そのメルとまったく同じ特技を持つ者が、さらに下方、王宮に所縁の深い市民たち、その輪の中にいた。
エルだ。いつもの大きな矢筒がなかったから一瞬素通りしかけてしまったが褐色の肌に金髪、何よりあの明るい笑顔は見逃しようがない。
そして、一番手前には宴席に背を向け、城の内装をしげしげと見つめるクレアがいた。
そっと近づきクレアの背中越しに彼女が見ているものを観察する。それは壁に刻まれた文様だった、何となく見覚えがある気もするが・・・。
「・・・! ライラの塔?」
かなり簡素化してサイズも小さいから分からなかったが、それはライラの塔の壁全体を覆っていた文様そのままだった。
「そう見える? やっぱり?」
振り返ったクレアの目が輝いている。彼女の中に流れる学者の血が熱く燃えているのだ。
「アラストールの書が見つかった頃のこと、覚えてる? 父の持ってる本に何か書いてあるかもって言ったの」
もちろん覚えている、連絡のしようもないとクレア自身が言ったのであきらめざるおえなかったが・・・。
「一応、無駄かもと思ったけど手紙を出していたの。その返事が四日前に届いたわ。例の本に書いてある事象から遺跡を見つけたそうよ。詳しくは書いてなかったけど、帝国の影響は私たちが思うよりも大きく今の時代にも残ってるみたい。多くは忘れ去られ、ねじ曲げられながら、ね」
そこまで言ってクレアは一呼吸置いた。僕の表情を一瞬窺うように見つめる。そして、何かを読み取ったように微笑み、直後真顔で言葉を続けた。
「そうよ。今回の黒龍騒ぎ、終わったわけじゃない。ことによったら始まってさえいないのかも・・・だから、私は父のところに行くことにしたわ。父が言うには調べ切るのに何世代かかるか分からないほどの代物らしいし、やりがいあると思う。・・・メルには泣かれてしまったけどね」
そりゃそうだろう、リスティンはルシオンの元に行き、クレアまで離れていく。姉が二人ともいなくなるようなものだ。メルとしてはつらいだろう。まぁ、メルはそんなに弱い子ではないから大丈夫とは思うが・・・。
僕には、それよりも重要なことがある。
『だから』、という発言の意図に気がつかないほど、僕は愚かではない。自然に頭が下がっていた。
無言のまま、客観的には何の脈絡もなく下げた頭を上げると、クレアは用は済んだっていうようなサバサバした感じで軽く手を振り、広間を出ていった。
その後ろ姿をそっと見送る僕の目がかすんだ。無意識に目を擦ったが目の霞は取れるどころか更に悪化した。
どうして、と考え出した途端に僕は気がついた。かすんでいるのは目ではなく、周囲のもの全て、世界自体だということに。
かすみは徐々に濃くなり、やがて紫色の霧となった。そう、あの時のように、僕の周りが全て紫色に染まっていく。
「ジェネシス・・・」
呟く声が震えた。今、ここにいる人間全てを逃がせるほどの強力な魔力なんて持ってない。
それでも、なんとか王家の人たちだけでも逃がさなくては、この国の存亡に関わる。僕は急いで魔力を放出しようとした。が、魔力の目で周囲を見たとき、僕は自分の間違いを知った。
霧は僕の周囲に広がっているのではなく、僕個人だけにまとわり付いているのだ。
そうと知った刹那、僕は意識を失った。
いや、その表現は正しくないかも知れない。僕は夢を見ていた。紫色の暖かな河に流されながら。
いくつもの国、幾多の生物、たくさんの風景が一枚の絵のように、僕の前に現れては消えていく。
やがて、そのうちの一枚がやたら鮮やかに、大きく見えたかと思うと、今度こそ本当に気を失った。
世界が、暗転した瞬間だった。
続編があるかのような引きですが、これで終わりです。




