表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/21

賢者の答え

           旅の仲間


 迷宮の入り口にはサー・トリュフたちが船で送ってくれた。

ほんの半日ほどでうんざりするほどの幅を持つ石壁に直面する。

 異常に川床の低い川を通り、左右を高い土手で囲まれていたからよけいそう感じるのかも知れない。だが、それにしても途方もない長さの壁が左右に拡がっている。

 途中で土手が視界を遮っているが、その向こうにも続いているのだとするとその幅は・・・・・・。

 そんな石壁の中央に、両開きの扉があった。

 僕は荷車に積んでいた荷物をさらにコンパクトに詰め直したリュックを担ぎ上げ、船を下りた。

腰と背中には用心どころか、まともに使う羽目になりそうな小剣を一本ずつ下げ、冒険者と言うよりは探検家の姿で。

 送ってくれたことに礼を言いつつ、僕は扉を押し開き中へ入る。と、目の前に壁があり、左右に伸びる通路があった。

 その通路の先がかすむ程遠い。

 僕はとりあえず、右へと歩き始めた。

 枯れかけた蔓性の植物が所々に張り付いているだけの壁が左右に連なり、どこまでも真っ直ぐ続いている。

 水の溜まった地面や、朽ちかけた樹が転がる道を慎重に歩く。

 石壁は妙に細かな横縞のある黒っぽい茶色で時々幅が広くなったり狭くなったり、妙なところに窪みがあったり、と多彩な表情を見せてくれた。・・・・・・が。

 「迷宮のくせに、真っ直ぐな通路があるだけで横道も行き止まりもないじゃないか」

 『迷宮』という言葉に迷うものという固定観念を感じていたためだろう。

迷わせようとするものがなにもないことに、奇妙な焦燥感を感じで僕は我知らず走り出していた。

 相変わらずぬかるんだ地面や崩れた石。朽ちかけた木が転がる通路は走るのに向いてはいなかったが、次第に走る速度が上がっていくのに自分でも気がつく。

 十分ほども走っただろうか、最後には全力疾走になっていた僕は息を切らして壁にもたれるようにして座り込んだ。

 「・・・・・・ハァ、ハァ、ハァ・・・・・・・・・・・・」

 「アロー」

 自分の激しい呼吸音に混じって、妙に甲高い声が聞こえた。

 反射的に辺りを見渡すがなにもいない・・・・・・いや、一人じゃなく一匹いた。

青い体に赤いスカーフがオシャレな・・・・・・。

 「イモ虫・・・・・・君、今ハローって言った?」

 「アロー、だ。まぁ、大差はない・・・家によってかないか? 家族を紹介するよ」

 魅力的な誘いではある。

が、今はイモ虫の一家と親交を深めている余裕はない。

僕はその申し出を丁寧に断り、迷宮の道順を尋ねてみた。

 「知るか、俺はイモ虫だぜ。・・・・・・まぁ、抜け道なら一つ知っているが・・・・・・おまえさん食い物は持ってるか?」

 僕はリュックからチコの実を一掴み出してみせた。

 保存が利く上に栄養価が高く、七粒も食べれば僕でさえ満腹感を感じられる木ノ実の一種だ。

 「よし、それをくれるなら教えてやる」

 むろん、僕はすぐにその実を彼の前に置いた。

このぐらいの出費で真っ直ぐなだけの道から逃れられるなら安いものだ。

 彼は目の前にあると言った。

もたれている壁とは反対側の壁に抜け道がある、と。

だが、僕の目にはなにも見えない。

壁があるだけだ。

 「通れば判る。目を頼るな」

 立ち上がり、壁の方へと歩き始める僕の背後からイモ虫が言い。

直後、僕は彼の言葉を理解した。

 壁が、実際にはあると思っていた場所から一メートルも奥にあったのだ。

全てが、ではなくて僕がいる場所二メートルほどの幅だけ壁がなくなっていて奥の壁と今通り抜けた壁との間に通路ができている。

 遠近法を利用した錯覚で、奥の壁と手前の壁が一つに見えていただけだったのだ。

実際に近くで見てみると、奥の側の壁はさっきまでの通路にあった壁と比較してほんの少し高くなっている。

 「ほらね!」

 得意気な声が追いかけてくる。

 僕は心から礼を言い、彼の言葉にしたがって右の通路を進むことにする。

 結局のところ来た方向へ戻ることになるわけだが、思い込みと決めつけが失敗のもとであることはよく判った。

ここからは固定観念を捨ててかかるべきだろう。


 ここが、『迷宮』だというわけがようやく判った。

通常、迷路に天井はないが、ここにはある。

どうやら外から見たとき土手だと思っていたものが本来の“ラビリンス“だったらしい。

 「近づくな」

 「・・・・・・・・・・・・」

 重々しい声が、極端に明度の下がった暗がりから響いてくる。

 「この先へ進むと、おまえは必ず後悔する」

 目が暗さになれるにつれて、壁に埋め込まれている彫像が見えてくる。

一様にいかつい表情の顔だ。顔と言っても高さが一メートル以上あるから威圧感はたいそうなものになる。

 「・・・・・・・・・・・・」

 さらに良く見ると、その彫像たちの間に何本かの道があり、彼らは口を揃えて真中の一本を除く全ての道へ行くことを拒んでいるようだ。

 「・・・・・・『警告する石』、だな」

 前に読んだ、なんとかいう探検家の本を思い出す。

彼が旅した遺跡の中で旅人に警告を発する石を発見したというものだ。

 こんなふうにわざわざ人の顔にはされていなかったらしいが、たぶん同じ意味を持つのに違いない。

だとすると・・・・・・。

 「真中にだけは絶対に行っちゃいけないってことだな。こいつらは正しい道なほどたくさんいるらしいから」

 僕は注意深く『警告する石』の数を確認し、最も多くいる右から二番目の道を進んだ。

 「この道を進むと、おまえは破滅するぞ」

 しつこい石が何度も叫ぶが気にせずに進む。

道は何度も分かれ、分かれては合流するのを繰り返している。

 数百年という時間のためだろうか、ところどころの天井から草や木の根が垂れ、足下には数種類のキノコが群生するカ所すらあった。

 それ以外はごく普通の石を積み重ねた壁が続き、同じ場所を何度も回っているような錯覚すら起こしそうだ。

 それでも、この石たちのおかげで迷う心配はない。

うるさいほうへうるさいほうへと進みさえすればいいのだから。

 この石を配置した者たちは気がつかなかったのだろうか、この石の警告が薮蛇になりかねないということに。

それとも、あえてこの石を置き目印としたのか。

 どちらでもいいことではあるが。

 「ウオォォォオォ」

 「! ・・・・・・」

 獣の唸り声が壁の向こう側から聞こえる。

 威嚇するように、ではなく、助けを求めるように悲しげだ。

 「・・・・・・・・・・・・」

 数秒悩んでから、僕は意を決して向こう側へ行く道を探す。

二、三度道を変えて歩き回ると、なんとか目的の場所に出た

 そこは迷宮の中にあって、かなり広めの広場になっていて武装したゴブリンどもがなにやら騒いでいる。

 木の槍を上に向かって突き上げては、笑っているのだ。

 「ウォオォオン、ウオォォオン」

 そのたびに、あの声がする。

僕は奴らに気付かれないよう慎重に近づいていった。と、それまで視角になっていた上のほうに縛り上げられ吊るされた赤っぽい毛に覆われた毛むくじゃらの大きな生き物がいるのが見えてくる。

 ゴブリンどもは、その生き物を槍でチクチクいたぶって、楽しんでいるらしい。

 生理的な憎悪が沸き上がってくる。

 「・・・・・・・・・・・・」

 感情的には、その生き物を助けたいところだが、理性が警告を発している。

彼を助ければ僕は完全にゴブリンどもを敵に回すことになるのだ。

 「・・・・・・同じことか」

 いくばくかの沈思の末、僕はこの毛むくじゃらの生き物を助けることにした。

どちらにせよ、あの強欲で卑劣なゴブリンどもが僕に協力的に接してくれるはずはないのだ。

 いずれ目の前に立ちはだかってくるものなら、ここで見逃しても意味はない。

それより、そうなったときに助け合える味方を作ることのほうが重要だ。

 問題は助ける方法だが・・・・・・。

 今の僕にゴブリン五人と渡り合えるだけの剣技はない、なんとか戦わずに追い払う方法を考えなくてはならない。

 幸い、近くの壁や天井に植物の根がある。

これにランプの油を掛けて火を付ければ、かなりの煙が出るはずだ。

 その煙でゴブリンどもを燻し出す。

これしかない。

 僕は急いで木の根を小剣で切り落とし、ひとまとめにしてランプの油を降りかけ火を付けた。

 湿った植物は多量の煙を上げ、ブスブスと燻りながら燃え上がる。

喉と目に滲みる煙が、辺りに拡がっていく。

当然、それはゴブリンどものいるところへも流れていった。

 間を置かず、ゴブリンどもは咳き込みはじめ、目に涙を溜めながら僕のいるところとは反対の方向へ転がるようにして逃げていった。

 たぶん、奴らの逃げていった先に“ゴブリン・シティ“とやらがあって、その向こうに結界を張った人物がいるのだろう。

 僕は火を踏みつけて消し、煙の中を歩いていって赤毛の巨体を吊るしているロープを切った。

 ドスンッ! と巨体が落ちてくる。少し乱暴だったかも知れないが、僕一人の力では重さを支えきれるものではない。

 「ルド いたぁ~い」

 落ちた巨体が、言葉を発した。

まるで四つ、五つの子供のような稚拙な表現ではあるが人語を解するのは確かなようだ。

 「ルド? ルドって言うんだね、僕はターク・クラプト。タークでいいよ」

 僕はルドの大きな顔をのぞき込みながら声を掛けた。

 岩のようにごつい顔なのに、目がちっちゃいからだろうか。

何となく愛嬌があって親しみやすい。

 「ターク、ルド、山いく」

 「・・・・・・・・・・・・」

 単語を繋げただけの言い方に、僕は一瞬意味を理解できなかったが理解した途端、破顔した。

ルドと僕の目的地は同じなのだ。

 僕はルドと歩みを共にしながら彼が旅をする理由を尋ねたが、彼の村で疫病が流行りだして、その疫病を治す薬を貰いに博識で名高い山の賢者の元を訪れようとしていた、ということらしい。

 幸運な巡り合わせ、だが、考えてみるとそうでもない。

こんな閉鎖された空間にあって、万人に頼られる存在は限られているだろうし、そこへたどり着くためのルートだってそうだ。

 そこに同族のもの以外は全て敵という考え方、価値観のものがいれば、自ずとこうなる。

 最高にいいタイミングで出会ったことは感謝すべきだろうけど。

 “ラビリンス“から出るためのルートは足跡に汚れた通路が教えてくれている。

これを辿っていけば嫌でもゴブリンどもの街につく。

 それは当然、奴らに襲われる危険性が増大することをも意味する。

全身から冷たい汗が滲むのを、僕は意識した。


 どれだけ歩いただろう、僕達は奇妙な分れ道に立っていた。

無理矢理壁を壊して作られたものも道といっていいのなら、だが。

 きちんと石畳が敷かれ整備された道があるにも関わらず。あえて道を切り開かなくてはならない理由が思いつかない。

 「近道? ・・・・・・違うな」

 一つの可能性を口にし、すぐに否定する。

ただ近いからというだけで、小さくもやわでもない壁をたたき壊し、新たに道を作るような労力を少なくともゴブリンどもが使うとは思えない。

 「・・・・・・・・・・・・こっちに行ってみよう」

 今までどおりに足跡を追おうとしているルドを引き留め、僕はゴブリンどもが忌避しているらしい通路を指さす。

 勘、という奴だろうか。

なぜか引かれるものを感じるのだ。

敵が嫌っているものを探る、それは戦術的にも重要なことではないか。

 通路を進みだしてものの数分とたたないうちに、疑問は深刻の度合いを一段と深めた。

 そこには迷宮の出口があったのだ。

通路の途切れた先に幅広の川が流れ吊橋が掛かっていて、その向こうに街が見える。

やはり、近道など作る必要があったとは思えない。

 「・・・・・・あ・・・・・・」

 立ち止まり、何のためにゴブリンどもは道を作っていたのだろうかと、考えを巡らせる僕の目の前をルドが橋にむかって歩いていく。

 引き留めるべきだろうか。

危険な香りのする状況に気付きながら、その危険を見極めたい僕は一瞬迷った。

その一瞬の間に、事態は急激に動き始めた。

 犬が一匹、行く手を阻むようにして立ち塞がってきたのだ。

 「我こそは橋の番人、何人たりと我輩の許可なく通ることまかりならぬ」

 番人? 

確かに犬のわりに二足歩行だし鎧を着け、槍を持ってはいるが、姿といい毛並みといい大きさといい紛れもない犬だ。

 「・・・・・・ワンワン」

 ルドもそう思ったのだろう、大きな掌でその番人とやらの頭を撫でようとしている。

 「無礼者! 騎士の頭に触れようなどと、なんと不埒なまねを」

 橋の番人を自認しているだけに騎士としての誇りを持ち合わせているのだろう。

彼は烈火のごとく吠え・・・・・・怒りだし槍を縦横に振るってルドを殴り始めた。

 突こうにも先端が錆ついて槍としての機能を果たしえるものではなくなっていたのだ。単なる棒と化している。

 当然ながらルドも殴るに任せていたわけではない。

ただ図体がでかいぶん動きが鈍く。

小柄でチョコチョコと飛ぶように走り回る番人の動きについていけずにいる。

 「・・・・・・・・・・・・」

 その様子を僕ははじめハラハラしながら見ていたが、あることに気付いて過度の緊張を解いた。

 この番人、言うことや動作はいちいち仰々しいほどなのに、実際の行動自体は大したことない。声は遠くまで届くが、手はその限りにあらず、といったところだろうか。

 ルドの足下をからかうように走り抜け、背中に乗り、頭をこづき、足を殴りつけては逃げる。戦っているというよりもじゃれている、という感じがする。

 この様子なら、放っておいても大過ないだろう。

それに、長く続くとも思えない。

 やがて、ルドが傍に転がっていた枯木を持ち上げ振り回し始めた。と、ほぼ同時に番人は一方的なじゃれあい・・・・・・攻撃をやめて橋の前に戻り武器を納めた。

 「我が名はサー・ディディモス。かの冥府の門を守るケロベロスの血に連なるものにして知勇を兼備する騎士。貴公らの戦いぶりまっこと見事、願わくば御名をお聞かせあられたい」

 「ルド」

 「ターク・クラプト」

 ケルべロス・・・・・・確かにあれも犬には違いない。

外見が犬だからといって過少に評価するのはやめたほうがいいかもしれないな。

 自分自身の他者に対する評価の決め方を心の中で是正しつつ、僕は名乗っていた。

 もっとも、今のところこのディディモスという騎士はルドのほうに魅かれているらしいし、僕のことなど眼中にないような感じだが。

 その証拠に、彼は僕を無視してルドと兄弟の契りを交わしている。

 「正義のため、共に戦おう」

 いちいち芝居がかっていて、いまいちしっくりこないが何にせよ無駄な戦いはしないですむにこしたことはない。

僕は改めて橋へと歩き始めた。

 「待たれい!」

 たった今ルドと兄弟の契りを交わしたはずなのに、ディディモスが再び立ち塞がる。

 「ルドは兄弟だろう?」

 「兄弟といえど、一度した誓いを破ってまで通すわけには行かぬ」

 ディディモスは頑強だった。

とにかく我輩の許可なくば通さん、の一点張りで融通は利きそうにない。

 許可、か。

 「・・・・・・!? じゃあ・・・・・・・・・・・・許可して」

 「ン・・・・・・フム・・・・・・。許そう」

 サー・ディディモスが寛大にも許可してくれたので、僕とルドは橋を渡り・・・・・・始めることはできなかった。

橋の向こうからゴブリンたちが現れて吊橋に斧を振るい始めたのだ。

 明らかに橋を落とそうとしている。

そうと気付きながらも僕もルドも動けない。サー・ディディモスも橋を渡って来ようとはしていないからか動こうとしない。

 瞬く間に吊橋を吊っていた綱が切られ、橋は落ちた。

 「・・・・・・仕方ない。戻って奴らの通っている道から行くとしよう」

 せっかく通れるようになったのに。

恨めしく思いながらも僕は先へ進もうと試みたが、それは甘い考えだった。

 戻ろうと踵を返した僕の目の前に白い煙があり一瞬後、僕は激しい咳に襲われた。目からは涙が溢れまともに開けていられない。

 先刻ゴブリンどもに僕がしたことをそのまま返されたのだ。

これでは進むことも戻ることもできない。

 前後から沸きおこるゴブリンどもの笑い声を苦々しく聞き、いらだつ自分を必死に押さえつけて僕は選ばねばならなかった。

 煙に巻かれるか、水に呑まれるか。

 あらためて見下ろすと川の流れは異常に速く、深さも十分すぎるほどありそうだ。

対岸まで泳ぎ切るのは不可能と思っていいだろう。

 「ヴォオオォン、ウォオオオォ」

 「ルド殿、なんとかしたらどうだ」

 ルドの遠吠えとサー・ディディモスの甲高い叫びが煙の間から聞こえてくる。

 ここまでなのか・・・・・・?

 思いがけないほどあっけない最期に僕は自分自身に向けて冷笑する以外、なす術がなかった。

 ・・・・・・ゥン、グゥン・・・・・・。

 どこか遠くから聞こえるような地鳴りがした。

耳を澄ましていると、だんだん近づいてくるようだ。

 「ウォオオォォッ! ウォオオオオンッ!」

 ルドの声がひときわ高く、大きく空気を震わせたとき地鳴りの理由と、ルドの声の意味が判った。

 川の底から岩が迫り上がり、橋を造り出している。

その向こうでは丸みを帯びた岩がいくつも転がり、ゴフブリンどもを蹴散らしている。

 「すごい」

 「岩を呼ぶとは、ルド殿、恐れ入った」

 そう、この岩たちは明らかにルドの声に反応している。

ルドの遠吠えは岩を呼び寄せるためのものだったのだ。

 「岩、友達」

 ルドが先に立って、今できたばかりの石橋を渡る。

僕もその後を追った。

 サー・ディディモスはしきりに誰かを呼んでいる。

 橋の途中で振り返るとサー・ディディモスの呼びかけに応じて白い毛玉が走り出てきていた。長く白い毛に覆われ、鼻先以外はなにも見えない・・・・・・犬だ。

 背中には鞍がおかれ、手綱が付いている。

 馬の代わり、であるらしい。

まぁ確かに彼が乗れる馬などあるはずはないし、騎馬がなくて騎士は勤まらないから、必然的にこうなるしかないのだろうが・・・・・・。

 「よくきた、アンブローシャス。我が忠実なる愛馬よ」

 サー・ディディモスが愛馬アンブローシャスに跨がり、後から駆けてくるのを見た上で、僕は叫んだ。

 「このまま一気に“ゴブリン・シティ“を突破する。突撃ぃっ!」

 すでに、ルドに呼び寄せられた岩の幾つかが先行して“ゴブリン・シティ“の城壁を崩して穴を空け、街中で縦横無尽に転がりまくっている。

 街中では何匹かのゴブリンが跳ね飛ばされ押し潰されていて、ゴブリンどもは戦闘どころではないほどの混乱を呈している。

 今なら、突破するのもそう難しくはないかも知れない。

 目の前に見えている大きな通りを、僕は一心に駆け出した。

少し遅れてルドが地を揺らしながら走り、サー・ディディモスは相変わらず何事か喚きながら軽快に先へ行く。

 右往左往するゴブリンどもを尻目に、僕達は街を駆け抜ける。思った通り、団結や友情なんて言葉とは無縁な連中は個々に走り回るだけで、僕達を追いかけようとすらしていない。

 楽勝。

 そう思った僕に油断があったのは事実だ。

街の反対側の城壁が見え、次いで門が空いてるのが見えたとき、僕はそのまま通過できることを疑いもしなかった。

 が、むろんゴブリンどもに僕の考えに賛同し、脱出を祝福する義務はなかった。

 石造りの建物の中にいて岩と命がけの鬼ごっこに興ずる必要のなかったゴブリンの一匹が、僕に気付いた。

 彼は手に持っていた短弓に矢をつがえると、門の外に出るかでないかの人間の背中に狙いを定め、射た。

 衝撃につづく激痛が僕の背中で炸裂した。

矢は背負っていたリュックを貫通し、皮膚と肉を破って肩こう骨の手前で止まった。

 と、思ったのだが、振り向いたとき矢は誰の力も借りず自身の重みで地面に落ちた。そんなに深く刺さったわけではなかったのだろう。

 だが、傷の深さよりも深刻なものが、その簇にはあった。

緑色のドロリとした液体・・・・・・毒だ。

 種類は判らないが、おそらくゴブリンどもが好んで使う植物性の神経毒に違いない。

 空気がふと重くなったように感じると、僕は目の前が真っ暗になっていくのを意識した。

 そして、闇が訪れた。


 肉体的な視力が奪われ、体から力が抜け去ったとき僕の意識は別の何かに吸い寄せられていた。

吸い寄せられるまま僕の意識が物理世界のものである肉体から離れ、精神世界へと入り込んでいくのが判る。ゆっくりとではあったが知性や認識力といった精神的作用の力が回復してきていた。

 一体、なにが?

 疑問を感じ始めたとき、突然目の前にそれが現れた。

 「・・・・・・蛟?」

 間違いようもない特徴のある長い体がうねり、氷のように冷めた視線が僕の全身を睨め回している。

 「・・・・・・・・・・・・!」

 なにか言おうと口を開きかけた刹那、蛟の心が僕の意識下に侵入してきた。

 ここが精神世界であり、双方とも精神体で対面しているから意志が言葉によらず、そのまま心から心へと伝わってしまうのだ。

 それは紛れもない憎悪であり、怒りの感情だった。

 蛟の自我はすでに失われ、かろうじて残る意識にはただ一つの言葉だけがある。復讐、だ。彼は人間を大量に食い殺すことを望み、そのために地上に出たがっている。

 その方法として人間、つまりは僕の肉体を支配しようと考えていたのだ。

 「そうか・・・・・・。僕を殺さず、アイテムまでくれたのは僕の体に魔力として入り込み乗っ取るためだったんだな」

 あの指輪は、持ち主が毒に冒されたとき強力な魔力を送り込んで毒を中和させる能力がある。その指輪に精神体となって自らを封印し、機会を待っていたというわけだ。

 サー・トリュフの危惧は正鵠を射ていたわけだ。

まさか、あの蛟兄弟がこんな仕掛けを考えていたとは・・・・・・。

 「母親のことは話すのに、父親の話が出ず姿も見えなかったことに疑問を感じなかった、僕が間抜けだったってことか?」

 不安と恐怖が重圧をかけてくるのを紛らわせるように、軽口を叩いた僕だったが蛟は容赦なく。僕の心の中に入り込んでくる。

 それは力というより“音“だった。

小さな川のせせらぎに、濁流が押し寄せ掻き消そうとしている。そんな感じだ。

 この小さなせせらぎが自分であることを僕は強く意識し、なんとか濁流に呑み込まれまいと歯を食いしばった。

 精霊界に物質界のような力や大きさの差はない。

あるのは意志の強さだけ、ある意味、僕と蛟は対等の存在であるはずだった。僕が、僕の存在を“音“を見失わない限り、負けることはない。

 だが、数百年に及ぶ憎悪と怒りは圧倒的な圧力となって、押し寄せてくる。

 僕の存在をそれは打ち消そうと働き、僕はそれに押し流されないように、自らの存在を示す音を精一杯の力でかき鳴らした。

 しかし、蛟の加える力は圧倒的だった。

 ともすれば僕の意識は攪拌され希薄になっていく。

 僕は苦痛に呻きながらも、干渉しようとする力に対抗し続けた。

それでも、自らの存在を認識するというのは口で言うほどにはやさしいものではない。

 物質界で生きるものは、自らの存在を感覚によって間接的に認識しているのだ。

自らの体を目で見、または手で触れることで自分を認識する。

 しかし、精霊界では感覚は認識の手段として重要ではない。

自らの波長、自らのエネルギー、そういったものを直接知覚することが、自らの存在を確かめる手段なのだ。

 それは蛟にとっても同様であるはずだったが幾歳月を精神体として封印の中で過ごしてきたものと、今初めて精神世界に入り込んだものとでは違いがありすぎた。

 僕の存在を示す音は、より巨大な音に引き裂かれ今まさに消滅しようとしていた。

 僕は助けを叫んでいた。

 今までで逢ったいろんな人や物が心の中を過ぎ去っていく。

その中で、一枚の風景画が僕の意識の中で拡大され、ある感情が思い出される。

それは僕自身、一度も自覚したことのない肯定し切れずにいた感情だった。

僕は今その感情を強く認識し、その感情で自らの存在を知覚する。

 気がついたとき、蛟の恐ろしいほどの憎悪や怒りの濁流は僕の中にあった。

 抵抗する必要などなかったのだ。

ただ、自らの存在を忘れることなく、ひたすら自分の音をかき鳴らしていればいい。そうすれば、二つの音は新しい調和を生み出すだろう。

 そして、新しい調和が生まれれば、いまだ肉体を支配下においている僕に勝利がもたらされるのは自明のことだった。


 目を開けたとき、見えたのは赤い毛だった。

ゆっくりと、だが確実な律動が僕の体を心地よく揺らしている。

 ルドの背中に背負われているのだ。

視線を転じると僕の荷物を槍先に掲げたサー・ディディモスとアンブローシャスの姿がある。

 そして・・・・・・。

 さらに目を転じると眼下にすでにかなり小さくなった街・・・ゴブリン・シティ“が見えた。

 僕が気を失っているあいだ、彼らは山を登り続けていたのだろう。

自分だったら間違いなく一歩進むごとに息が切れ、汗が噴き出すであろう厳しい山路が後ろと、前とに長く続いている。

 にもかかわらず、ルドは巨体に不釣合いなほど軽がると崩れやすい足場を歩いている。

 ああ・・・・・・そうだったのか。

 ルドに逢ってからずっと引っかかっていた謎の答えを見つけ、僕は我知らず笑みを浮かべていた。

 確か古い神話の一説だった・・・『炎の毛皮をまとい、山のごとき巨体。岩のごとく頑強にして、優しき山の守護者』、フレア・ジャイアント『炎の巨人』とうたわれる一族。

 かつては創造の神の手足となって大地を作り上げた神族の末裔、火と土、山の精霊獣。

 「ひどいところに住んでおるものだ」

 サー・ディディモスのさすがに疲れを感じさせる声が、溜め息とともに聞こえた。

 アンブローシャスに乗っているとはいえ、この起伏だ。

捕まっているだけでも体力を消耗することだろう。

 「ルドの村、似てる」

 ルドにとっては故郷と同じような環境なのだろう。

心なしか声に懐かしさが感じられる。

 辺りは岩山で、野草がまばらに生えているだけだった。

峰を伝って進んでいる。

 「あれ、塔?」

 サー・ディディモスの五倍近い身長のルドが上体を起こし、額に手を当てながら遠くを見つめる姿勢になる。

 背中に背負われた僕の目にも微かに塔の先端のようなものが映った。

だが岩山の頂のようにも見える。

 もし塔だとしても、まだまだ数時間は掛かりそうだ。

 「少しここで休んでいこう」

 僕が声をかけるとルドとサー・ディディモスは飛び上がらんばかりに驚き、アンブローシャスが危うく斜面を滑り落ちそうになってしまったが、一様に僕が意識を取り戻したことを喜んでくれた。

 わずかな空間を見つけ、三人と一頭は身体を休めることにした。

毒による発汗のためだろう。僕の喉は砂漠のように渇き切っていて水を欲していたし、アンブローシャスとサー・ディディモスには息を付く時間とガチガチになった筋肉をほぐす時間とが必要だった。

 ルドだけは平時となんら変わるぬ様子だったが、彼には今後も僕を背負ってもらわなくてはならない。

正直、今の僕にはチコの実を噛み砕く力すらない。

山登りなんてとうてい不可能なことだった。

 それに、右手の人差指につけていた指輪がなくなり、代わりにできた腕全体に巻き付く白蛇のようなあざが焼けるような痛みがあって腕が思うように動かないのだ。

 時間とともに感覚は戻ってきつつあるが、とても無理のきく体調とはいえない。


 「着きましたぞ」

 アンブローシャスの背から飛び降り、ディディモスは膝に手を着き、大きく息を吐いた。

結局、休憩してからたっぷり四時間は歩いたのだ。

無理もない。

 賢者殿の館は館といってもただの石の塔であり外から見る限り何の飾りもなく、海岸にでもあれば灯台と思いそうな感じがした。

 ようやく立って歩くぐらいには回復した僕もルドの背を下りて息を整えてから、塔の正面壁に見える両開きの扉に慎重に向かった。

 山の頂に建っていることもあり周囲に目だった景色はまるでなく、よくこんな場所で暮らせるものだと驚嘆を禁じえなかった。

もっとも、賢者と呼ばれる者が、いかなる種族のものなのかによっては当然の場所なのかも知れないが。

 扉には龍を型どったノッカーがついており、僕はそれを叩こうと手を伸ばした。

 ギギーッと無気味な音を立てて僕の手がノッカーに届かぬうちに扉は、錆びた音を立ててひとりでに開いた。

 「うわっ!」

 僕は叫んで出していた手を引っ込めた。

 中は薄暗くどんな様子かよく分からない。

だが、僕が覗き込むとこれまた勝手にパッと明かりが灯る。

 「・・・・・・面白いじゃないか」

 僕は半ば腹を立て、半ば呆れて拳を握り締めた。

さすがは賢者と呼ばれるだけのことはある、その力は多彩なようだ。

 中には地下へ向かう階段と、塔の内壁に沿って螺旋状に上っていく階段がついているだけだ。その螺旋階段は二重に塔の内壁を巻いた後、一つの扉にたどり着き途絶えている。

 これは、ここから声をかけても無駄だと判断し、僕は階段を上ることに決めた。

 螺旋階段のそばまでゆっくりと近寄ると、試すように一段目に足をかける。途端に階段が青白い光を放ったかと思うと、低い唸りをあげて上に向かって動き始めた。

 「これは便利。フラつく足でも立っているだけで塔の上に行けるんだからな」

 僕は上に運ばれながら、声高く笑ってみんなを振り返った。

 「動く、蛇」

 ルドの目には動く階段が大きな蛇に見えるらしい。

それでも、興味はあるのか階段に飛び乗った。

 「・・・・・・フン・・・・・・」

 サー・ディディモスも、タイミングを計って、階段に足をかける。

嫌がるアンブローシャスの手綱を引きながらだから、大変そうだ。

 一足先に階段を上り切った僕だが踊り場はあまり大きくなく、ルドが立っていられるだけの余地もない。

 扉の取っ手をつかみ、それを押し開けた。

今度の扉は僕の意のままに開き、螺旋状の通路に出た。

その通路はゆっくりとした昇りのスロープだった。滑らないための配慮からか、床石は荒くざらついた感じがした。

 僕はそのまままっすぐ進んだ。

壁をまた一周ばかり、グルッと回った感じがする。

そして、再び扉にぶつかった。

今度は両側に扉がある。耳を澄ますと右側から物音が漏れてくるようだ。

 「失礼します。勝手に上がらせてもらいました。僕・・・・・・私は旅の者でターク・クラプトといいます」

 「早く入れ!」

 いらだったような返事が返ってきた。

しゃがれた老人の声のようだ。僕は扉をゆっくりと押し開いた。

 僕は部屋に入るととりあえず頭を下げた。

そして顔を上げたとき、思いがけない状況に息を呑んだ。

 部屋中に糸を張り、真中にうずくまった巨大な蜘蛛。

その上に赤い帽子をかぶり、片足の老人の姿をした小人が乗っている。

 土蜘蛛とレプラホーンだ。

 遙か昔にはその土地土地を守る神として祭られていたものと、金運をもたらすということで商人たちには神同様に崇められているもの。どちらとも、そう滅多に接することのできない相手。

 見ればテーブルにグラスが人数分と、ワインのびんが何本か。

それに湯気を立てている鹿かなにかの股肉が大皿に盛ってあった。

新鮮そうな果物や野菜も用意されている。

明らかに僕らがやってくるのを知っていた様子だ。

 「二百年ぶりの客だ。歓迎するぞ」

 レプラコーンが喉の奥で笑い声を立てながら、椅子を指し示して食事を勧めてくれた。

 僕達は、その好意に素直に従い椅子に腰掛け、このところすっかりご無沙汰だった温かな食事を楽しんだ。

 「おまえさんたちがここへ来た理由は知っとる。・・・・・・まず、そっちの赤毛だが、おまえさんの村の病気は回復にむかっとる。薬はいらんじゃろう」

 レプラコーンの話によれば、ルドの村で流行った病気というのは、この限られた空間内で水の精霊力を大量に必要とする術が行なわれ、反動で火の精霊力の影響が強まったのが原因だったと言うのだ。

 火の精霊力が異様に高まったために火の属性を持つルドの一族の体内で精霊力のバランスが崩れ、それが高熱をもたらしていたのだ。

 時間の経過とともに精霊力のバランスが戻ってきているから、今頃は回復しているはずだという。

 「して、次は人間の少年だが、結論を言うと結界を解くわけにはいかん。理由は分かっておろう、外に出たがっているのはおまえさんばかりではないからの」

 蛟のことだな。

僕にはレプラコーンの言いたいことが理解できた。

今結界を解けば地底湖にいる蛟兄弟が地上に出て、復讐の名のもと人間を殺戮するだろう。そんなことを許すわけにはいかない。

 たぶん、ルドの一族の病気の原因を作ったのも蛟なのだろう。

 「かといって、おまえさんをここに留めるのも可哀想じゃでな。わしの知っとる魔法を一つ教えてやる。その魔法を使えば、・・・・・・そうじゃな、地上の湖にある島、そこの祠に出られるはずじゃ」

 湖の祠。

僕らの村の山を越えて反対側、確か奉られていたのは水神と道祖神で、幸運をもたらすと言われていたはずだ。

 伝説によれば、精霊界に通じる扉があったとも言われている。

 「転移の魔法、ですか?」

 「そうじゃ、ウィズダム・ゲートという。魔力の属性が水じゃから、今のおまえさんにも使えるじゃろうて」

 蛟の魔力を吸収できた今の僕になら、ということのようだ。確かに、自分の中にこれまでなかった力の脈動を感じるが、自在に操れるものとは思えない。

 それでも、全ての力を使うほどの魔法でもないからと自分を納得させる。

 「我輩も行くぞ。ターク殿の勇気と知恵には感服つかまつった。従者として仕えさせてもらいたい」

 サー・ディディモスの突然の申し出。

だが、その言葉にレプラコーンは黙って首を振った。

 「無理じゃ、おまえさんは冥府の番人の血族、日のあたる地上には出れん。出れば、一瞬にして灰と化すじゃろう。・・・・・・ん?」

 レプラコーンの言葉に反応して、それまで微動だにしなかった土蜘蛛が脚を蠢かした。レプラコーンはしばらくそれを見ていたが、やおら真剣な表情でサー・ディディモスに向き直る。

 「もしどうしてもというのであれば、おまえさんをそこの犬の中に封じ込めてやろう。そうすれば、地上に出ても安全じゃ。日の出てるうちは犬として、夜の闇の中では本来の姿で、活躍できるじゃろう」

 サー・ディディモスは、この危険きわまりない提案を受け入れた。

そこまでしても地上に出たかったというよりも、出れる方法を提示されながら尻込みして、臆病者と呼ばれるのが嫌だったのに違いない。

 もし断ったとしても、そこまで考える者などいるとも思えないが本人の気持ちの問題なのだ。

 かくして、サー・ディディモスはその意志をそのままにアンブローシャスと一つになった。外見はアンブローシャスそのままだが、目の輝きや動きにサー・ディディモスのそれが重なっているように思われる。

 「ルド、村、帰る。ここ、お別れ」

 そう言って、赤い大きな影は去っていった。

 僕も、長居をするわけにはいかない。老人と巨大な蜘蛛に別れを告げ、精神を集中させると覚えたての呪文を唱えた。

 「賢者の門よ開け。ウィズダム・ゲート!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ