始まりの始まり
長編です、かなり長いです。
あと、あちらこちらにファンタジー系ゲームや映画の好きな人には「ああ、あれだ」とニヤリとするようなキャラや表現を多分に盛り込みました。
私の作品にありがちな『性的表現』はうすいです。
残酷シーンの方が濃いかも。
スプラッタ系が苦手な方は気を付けてください。
その夜、聖地と呼ばれたスノーフレークは赤き炎によって血の色に照らし出されていた。
破滅の使者が、その紅い舌を一杯に広げ、清冽さと神秘に輝いていたスノーフレークの街を焼き尽くそうとしている。
使者の名はムアー・オマール。
ヴァレデラーヴ帝国の覇王とも魔王とも言われた男だった。
永きに亘って女神アルタミラの瞑る地とされ、この大陸に住むものたちには侵してはならない禁忌の地と崇められていた美しき地が、今まさに灰になろうとしている。
人々の間に不文律として定着していた禁忌が、自ら神と名乗る恐れを知らぬ男によって踏みにじられたのだった。
この夜、スノーフレークを攻めたヴァレデラーグ軍の総指揮官であるル・ブール主席公爵はヴァレデラーヴ軍が築いた峠の軍営の天幕より出て、スノーフレークの焼けて行く街並を見下ろしていた。
彼はムアー・オマール皇帝の妹婿にあたる、ヴァレデーヴ帝国の皇族の一人だった。
「リィ・エルタミタージュ」
だらしなく太った体に似合わぬ甲胄を纏い。
不健康な生活と荒淫のせいで若いにもかかわらず血色の悪い顔をさらに蒼白にして、彼は両手で護りの印を結び、震えながら密かにアルタミラ女神に許しを乞い願う祈りの言葉を呟いた。
千年前にあったとされる光魔戦争以来、数え切れないほどの人命を、文明を、町を、破壊と殺りくの生け贄としてきた戦いがいま、また始められたのだ。
神と魔の代理戦争。
いったい、いつから人間たちは二つの力の間で殺しあうことになってしまったのだろう。
始めからのはずはなかった。
人間は神に愛され、魔に祝福されて生を得たのだから。
なのに、今や人間は両派の間で血を流す、たんなる駒と成り果てている。
光と魔、どちらの神を信仰するかという一点のみを理由に殺し合いを続けてきたのだ。
だが、そうやって殺しあう人間たちにまったく躊躇いがなかったわけではない。
なぜ自分たちが殺しあわねばならぬのか疑問を感じるもののほうが多かったのだ。それが、両者の戦いが破滅へと向かうことをかろうじて防いでくれていた。
しかし、今や破滅を阻止するための不文律は覆された。
夫たる王の不在に魔神の魂を宿した獣と交わった王妃、その王妃が産み落とした男児、ムアー・オマールによって。
「・・・・・・義兄は世界の破滅を求めている」
ル・ブールが恐ろしげに独語するように、ムアー・オマールは歴代の王たちのように自身の野望や欲望のためではない。それ自体を目的とした破壊と殺りくを繰り返してきた。
そして今、その血に汚れた手が女神の加護のもと平和と秩序に包まれていたスノー・フレークを血と炎で深紅に染め上げたのである。
ル・ブールは眼前で繰り広げられる惨劇から目を逸らし、燦然と輝く星々を仰ぎ見た。
その輝きにも負けない数の人命が失われ涙が流されていることを知りつつも、彼にはどうすることもできなかった。
炎の中で絶命する男たちの断末魔の叫び、各所で陵辱される女たちの悲鳴、犯して、殺して、奪う、血に酔いしれた兵士たちの嬌声が果てることなく聞こえてくる。
兵士たちは女と見れば誰彼かまわず押し倒した。
何人もの男に弄ばれる女性たち、その中でも裕福な家の娘たちは犯される以上の仕打ちを受けねばならなかった。
犯されつつ、高価な装飾品が奪われていく。
サファイアのピアスが耳ごと奪われ、指輪が手首ごと奪い去られる。
中には奪われまいと呑み込んだ婚約指輪を、胃を切り裂かれて奪われた少女までいた。
もはや軍隊ではない、獲物に飛びかかり食い散らかす野獣の群れと化した兵士たちに指揮官などいらない、ル・ブールは一人自分の無力さを噛み締めていた。
羞恥心と自制心を失った軍隊ほど最悪を極める存在はない。かつて学院の教員だった彼は学生にそう教えていたのだ。なのに、今や自分がその一員に名を連ねている。
自分の立場を考えると泣くに泣けない彼は、夜空を見つめ笑うしかなかった。
彼は知らなかった、統制が取れていない兵士たちの間隙を縫って、幾人かの人物が街を脱出していたことを。
かくて、流血の侵略が終わり、報復が始まる。
失われたものを埋め合わせるため、そして今あるものを守るために・・・・・・。
ヴァレデラーグ帝国が全世界に向け宣戦を布告し、列国がそれに対抗すべく連合を組むなか、唯一どちらにも加担せず独自の道を歩む国、いや村があった。
パンディオン、千年前には神の側の先兵として勇猛を誇った勇者たちが興し、その意志と技を受け継ぐ人々が住んでいる。
彼らはその強大なる力のために、常に期待と恐れの目で見られてきた。
ゆえに過去幾度となく大国に移り住むよう誘われてきた、が、彼らはどの誘いにものらず頑なに自治を続けてきたのだ。
『大勢に流されることなく、自らの目で見、自らの耳で聞き、自らの心によって判断せよ。善悪は後の代の人々が決めてくれる』偉大な先祖の言葉に従い、彼らは全体で動くことをしない。
常に一人で判断し、一人で行動する。
ならばこそ、この村に生まれた子供たちは幼い頃から勇者として育てられる。
村の長老たち、魔術師、剣士、武闘家、僧侶、それぞれ一流の使い手による英才教育が施されるのだ。
その教育は十歳で始められ、十六歳になると例外なく旅に出る決まりになっている。
各地を旅し、危険や苦悩に直面した人々に救いの手をさしのべる。
大勢の人々を一度に救える反面、小数を犠牲にしてしまう国家に代わり、少数派や弱い立場のものたちのために戦う。
それが彼らの使命であり、千年間変わらない姿勢であった。
むろん、旅に出たまま戻らないものも大勢いる。旅先で知り合った人と結婚し永住するという安穏としたことだけではなく。旅先で命を落とす者も多いのだ。
だから、親たちは子供が生まれたときから体力や精神力を高め、限られた教育期間の間に大きく成長できるよう下地を作らねばならないのだった。
が、親のそんな義務感や苦労を意に介する様子もなく、のんびりと本を読んで過ごす少年がいた。今年で十歳になるターク・クラプトである。
来年になれば、否応なく勇者としての教育を受けることになるだろう。
だが、そのことには関心がないようだった。
他の子供たちが必死に体を鍛えるのを冷ややかに見つめながら、彼は本だけを友としているかに見えた。実際、彼に友達と呼べる存在のものは本をおいてなく。彼の関心は剣や技ではなく、本や知識に向けられていた。
「・・・・・・さて、と。こんなもんでいいかな」
僕は一年掛かりで準備したものを荷造りし終えて、一息入れた。
一カ月分の食料と、その倍にもなるランプの油、そして一応の用心に小剣が二本、それらを小さな荷車に載せ終えたところだ。
別に家出するわけでも、旅に出るわけでもない。
村外れの洞窟を利用して、何百年も前に作られた書庫に入るだけだ。
噂によると万を超える数の本が納められているそうだが、その全容を知るものは今はいない。長老たちが直接教育係となる体制が確立されてから、長老の家に新しい書庫が作られたせいだ。
もとからあったその古い書庫には知識を求めるものがいなくなり、ここ三百年ほどは人が入った記録がない。
せっかくの膨大な知識が使うものも、管理するものもいなくなった洞窟の中で埃とカビに埋もれている。そんなこと、僕には我慢ならないことだった。
僕はまだ見ぬ友人たちを時の牙から救い出すべく、この洞窟への冒険を決意したのだ。元々が書庫なのだから危険があるとも思えないが、地下深くまで続いていたという洞窟の一部を仕切って作られた書庫が、三百年でどう変わったか分からない。
下手をすると自然の迷路に落ち込むことも考えられる。
安全とは言いがたい旅になる予感があった。
なにしろ、過去の記録をひもとくと一番奥の書棚まで三日間歩かねばならなかったという記述があるほどなのだから。
両親には近くの山を一回りしてくるとだけ言ってある。
普段から、僕に体を鍛えろとうるさかった両親は手放しで喜び、いろいろと準備を手伝ってくれたものだ。
事実を知ったら怒るかな?
多少胸が痛んだが、強いて気を取り直し、乳母車を少し大きくした程度の荷車を押して、夜の道を書庫へと歩き出す。
僕の本当の目的が書庫だと知られたら、絶対にやめさせられる。夜陰に紛れて入り込むしかないのだ。
大きな岩の扉の横に申し訳程度に作られた小さな木の扉を押し開き、中へと足を踏み入れる。
ランプに灯を点し、扉を閉めた。
漆黒の闇の世界に閉鎖された空間特有の臭気がたゆっている。
だが、その臭気は僕の大好きな、書物が発する独特の匂いに駆逐されていて僕に不快感をもたらすものではなくなっている。
ゆっくりと歩く、しばらくは埃がつもっているだけの空間が続いていたが、やがておもむろに本棚の壁が現れた。びっしりと並べられた本の背表紙が、僕に語りかけてくるかのようにランプの明かりを暖かく受けとめ、淡い光りを返してくる。
未知の書物に目を通す、その胸の高鳴りが無意識のうちに手を伸ばさせ、本を引き抜きページを繰る。
「・・・・・・!」
本を開き目を通した僕の期待が、瞬時にして失望に変わった。
三百年の年月とある種の生き物が、本を穴だらけの紙屑に変えていたのだ。紙を好んで食べることで有名な虫が数匹、読めないほどに穴の開いた紙面を這い回っている。
バンッ!
本を荒々しく閉じ、投げ捨てる。
一番手前にある棚がこれでは、奥のも言わずともながに違いない。この一年、僕はいったい何のために・・・・・・。
気落ちしかける僕だったが、深い溜め息ののち再び本棚に目を向けた。
紙は駄目でも皮なら無事なはずだ。
多少カビてはいるかも知れないが読むことはできるだろう。
紙製のものにしても、全てが読めなくなっているとは限らない。
僕は手当り次第に本を開き始めた。
「・・・・・・チッキショー」
思わず声が漏れる。
本棚を巡ること十八棟目、すでに三時間が経過しているというのに読める本は一冊も出てこないのだ。
もうあきらめようか、そう思い十九棟目の本棚を眺めやった僕の目に、それが映った。
ランプの明かりだけでない光りに白く輝く本が一冊、朽ちかけた本の中でひときわ目だっている。
何かに導かれるように、僕はその本めがけて走る。灰色の埃が立ち上るのもかまわずにページをめくった僕の目に、白い紙面と整然とならぶ文字が飛び込んできた。
この本はいっさい風化していない。
「・・・・・・精皮紙・・・・・・か?」
まぶしいほどに美しい光沢を持つ紙を見つめる僕の脳裏に、かつて本に載っていた特殊な紙の話が思い出される。精霊たちの皮を使って作る紙で、ある程度の魔力を持っているという。
よほど重要なことが書かれているのだろう。逸る気持ちを抑え、僕が本を開きかけたとき、予期せぬことが起こった。
本が光りを放ったのだ。
強烈な光りが網膜を焼く感覚に慌てて目を閉じる僕の目蓋に何かの映像が写し出される。 暗い空間と、いくつか並ぶ線の上で瞬く十数個の白い光り。
「・・・・・・ああ、そうか・・・・・・」
その映像が何であるかに気づき、僕が緊張を解くと光も薄らぎ映像が消えた。
と、僕は行動していた。迷いのない足取りで本棚から本棚へと渡り歩く。
あの光りの中に現れた映像は、この書庫の内部だった、白い点はあの本と同じく精皮紙によって綴られた本だったのだ。
精皮紙には、互いに引き合ったり反発しあったりの力が発生する。あの映像はその力によって生み出された一種の案内図だ。
その案内図を正確に記憶するのは無理だったが、おおよその位置は掴めた。
数も覚えている、僕は焦ることなく確実に精皮紙の本を手に入れ続けた。
そして、四日目になって僕は全ての精皮紙製の本を手中に納めることに成功した。
十四冊、いくら万を超える蔵書がある、あったといっても希少価値の高い精皮紙製の本にしては数が多すぎる気がする。
一番奥に十五冊目の精皮紙製の本があった。
その棚の本は、そのほとんどが原形もとどめないほどボロボロだった。だが、その一冊だけが刷り上がったばかりのように美しく本棚に鎮座していた。
震える手をゆっくりと伸ばし、その本を手にとろうと一歩踏み出した―――右足が宙に浮いた。
実際に浮いたわけではない。
足を付くはずだった床が無くなっていて足が突き抜けてしまったのだ。
一気に拡がるカビ臭さと、多量の湿気を含んだ空気を肌に感じて、風化した石床が崩れたのだと気がついたが、それを最後に僕は意識を失っていた。
「・・・・・・・・・ぅ・・・・・・・・・つっ! ・・・・・・」
どれぐらい気を失っていたのだろうか、僕は背中の冷たさとのしかかってくる重みで目を覚ました。
少し離れた場所で割れたランプの油が燃えている。燃えつきていないということは気を失っていたのはほんの数分ほどなのかも知れない。
明かりの所在を確認して自分の置かれた状況に目を向けると、一番先に見えたのは僕を押さえ込み押しつぶそうとしている本棚だった。
僕の後を追って落ちてきたらしい。
だが、問題なのは落ちてきたという事実ではなく、落ちてきた本棚の形と大きさだった。
丈夫なことで知られるマホガニー製の本棚が半分ぐらいになっている。
それも途中でおれたとか割れたというのではなく明らかに削り取られていた。
落ちてくる間に岩に擦られたのだろう、よく見ると僕が着ている厚手の外套も絹布のごとく薄くなっている。
「・・・・・・! ・・・・・・・・・・・・・・・」
これがもし、素肌だったら・・・・・・・・・。
考えただけで全身から血の気が引いた。
一歩間違えれば今頃手足をもぎ取られ血で真赤に染まった達磨になっていたところだ。
それに、これだけ薄くなるということは相当深いところまで滑り落ちたと考えていいだろう。もし真っ直ぐに落ちていたら首の骨を折って即死していたはずだ。
厚手の外套と、骨折しない程度の斜面に感謝するべきかも知れない。
もっとも、今は感謝より先にすることが余りにも多すぎるが・・・・・・。
ともかく、覆い被さってきている本棚をどけなくてはならない。
僕はまず本棚の上にまだのっていた紙屑の束を放り出し、軽くしたところで本棚を反対側に転がした。
ガタンッ!
外見通りの重々しい音を響かせ、本棚は僕の上から石の床へと移動した。
「・・・・・・ふう・・・・・・」
自由を取り戻し、息を付いたのも束の間、僕は今まさに消えそうな火が消えてしまう前に予備のランプに灯を点さなくてはならない。
が、ひっくり返っている荷車に節々が痛む身体を引き摺っていこうとした。
そのとき火は燃えつきてしまった。
一瞬にして辺りは暗黒に包まれ・・・・・・なかった。
「・・・・・・あれ?」
面食らって辺りを見渡すと、岩肌一面に付着した苔が青白い光りを発して洞窟内を神秘的な雰囲気にしていた。
光り苔、という奴だろう。
なんにせよランプを使わずにすむならそれに越したことはない。
僕は薄明りに目を凝らし、地下深くに存在するこの洞窟を観察する。
どことなく、人の手を感じさせる通路のように洞窟は奥へ向かって伸びている。
奥がどうなっているかは分からないが、後ろの空間が崩れた岩やらなにやらで埋まっている以上は進むより他にない。
僕は落ちていた十五冊目の精皮紙本を手に取るとひっくり返っていた荷車を引き起こし、洞窟内の探索へと向かった。
また崩れられては困る、僕は一歩一歩慎重に歩みを進めた。
踏み締めた岩はみな必要以上にシッカリしていて、崩れる気配は微塵もないが、気をつけるにしくはないだろう。
しばらく歩くと通路は不意に右へ折れ、やがて広い空間に出た。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
絶句、それが次の瞬間の僕の心情を表現するのに最も適した言葉だった。
目の前に川が流れている。
そしてその川は大きな、一周するのに二時間ほどはかかりそうな湖に流れ込み、その湖の真中に島、島の上には崩れかけた古城があったのだ。
吸い込まれるかのように、僕の足は自然と古ぼけ崩れかけた城へと歩み続ける。
初めて来た場所、はじめて見た光景なのに・・・・・・なぜかとても懐かしい。
ザザッ、ザザザザザッ・・・・・・ザバッ!
ズシャァァァァァァァアァ!!
湖に近づくにつれ、静寂に包まれていた空間がにわかに騒々しくなった。
湖面が泡立ち、何本もの水柱が立ち上ぼる。
「・・・・・・蛟・・・・・・」
信じられない思いにかられながら呟く。
湖から立ち上った水柱は全て、あの蛟だった。
角と四つ足、蛇のような長い身体。
水性の精霊獣にして、毒気と浄化の力を併せ持つもの。
ここ三百年ほど人前に出たという話がないほど、希少な生き物だ。
一説には絶滅したとまで言われている。
それが・・・・・・。
「・・・・・・十七頭、も。文献にはつがいか子連れ、三頭以下の小数で生活するって書いてあったのに」
「地上では、な。だが、ここには地と水の精霊力が満ちている。我らが暮らすのに最適の場なのだ」
弦楽器のような声が低く響いた。
それが、目の前にいる蛟の発したものだと気づくのに、僕は数秒かかった。まさか、精霊獣が人語を解するとは。
「わたしたちが人語を操るのに驚いているのでしょう? 無理ありませんけど、この地にもかつては人間が自由に出入りできたのです。しかし、ある事件をきっかけにして、わたしたち精霊はこの地に結界を張り、人間が入り込まぬよう封じていたのです」
澄み切った鈴のように優しい声が親切にも解説してくれた。
しかし・・・・・・。
「だとしたら、なぜ僕はここにいるのでしょうか?」
彼らが張っていたという結界を、僕はなぜ通り抜けられたのだろう。
当然の疑問が出る。
それに事件とはいったいどんなものだったのか、興味も出る。
無用の詮索をするなと、怒りを買いそうではあるが。
「あなたの手にある、その本のためです。・・・・・・その本の材質である精皮はわたしたちの母のもの。そこに込められた母の思い、母の魔力があなたをここへ導いたのでしょう」
「・・・・・・お袋を裏切った人間の遺産が、な」
裏切った人間?
「四百年前のことです、若かった母は人間の魔導師によって死にかけていたのを救われ、彼の使い魔となりました。彼のために命がけで戦い、彼に尽くしたのです」
「なのに、その魔導師はお袋の皮を本にするためにはがしやがった」低音のきれいな声に、露骨な怒りと憎しみが宿った。
精霊獣がこれほど感情を表に出すとは、やはり本だけで実体は掴めないものらしい。百読は一見にしかず、とでも言おうか。
「通常、私たちは百年周期で脱皮します。その時ならいくら皮をとられても平気ですが、それ以外のときに取られては他の生き物同様体力も魔力も損ない、命すら危うくなります」
「それでもお袋は耐えた。だが、この地に住んでいた同族の親父には我慢ならなかったのさ。それで嫌がるお袋を無理矢理ここへ連れ込み、大地の精霊たちの力を借りて結界を張ったんだ」
「・・・・・・母は、その時怒り狂った魔導師によって深手を負わされ、ここへ来てすぐに亡くなりましたが、死の間際最後の力を振り絞り、わたしたちを産み落としたのです」
なるほど、僕がここへ来れた。
もしくは来させられた理由はよくわかった。
でも、それは別の疑問を僕に持たせた。彼らは、なぜこれほど詳しく過去の事件を教えてくれるのだろう?
母親を裏切ったのと同じ人間であるこの僕に。
「・・・・・・・・・・・・」
いろんな疑問や考えが頭の中で渦を巻き、言葉が出てこない僕は沈黙するしかなかった。
言いたいことがあるなら、彼らのほうから言ってくるだろう。
こっちから尋ねるべきことではない。
「・・・・・・母の皮を、その本をわたしたちに譲っては貰えませんか? 母の元へ返してあげたいのです」
「ただで、とは言わない。それなりの謝礼は出してもいい」
母親の皮を譲ってもらいたい。
返せ、ではない言葉の響きに僕は彼らの思いが多少理解できた気がした。
自分の都合だけで物事を決めてしまう強欲な人間とは違う。
そう無言のうちに語っていながら、それでもなお母親の皮は手に入れたい。
その強い思いが穏やかな言葉の裏に見え隠れしている。
「・・・・・・僕が欲しているのは知識です。本ではない、ここで読むことを許してもらえるなら読み終えた本はお返しします」
もちろん、精皮紙製書物の価値は内容ばかりではない。この貴重な本を持ち帰り魔導関連の店に売り飛ばせは莫大な金になることはわかっている。
だが、そんな思いは刹那の間ももたずに胡散霧消した、彼らの気持ちに応えたいという本心と、金は何時どうやってでも稼げるが精霊獣の信頼は今この時にしか得られないという打算が働いたのだ。
彼らは快く承諾してくれた。
荷車から十五冊に及ぶ精皮紙の本を取り出し、一冊一冊を読み進めていく。本にはきちんと巻番号が付いていたから、順番に読み始めた。
『古来、魔導の技にはいくつもの系統が存在した。
光りの神に祈りを捧げて発動する神聖魔法、世界に満ちる魔力を貯えて放つ魔術、魔の力を制御する法則に基づき力となす魔法、精霊たちの協力と盟約による精霊魔法。
どれも会得し、自在に使いこなすには多大な努力と修錬、そして才能を必要とする。
私は、もっと楽に力を得る方法はないものかと考えていた。そして、あることに気がついた。
呪い、を利用すれば良いのだ。
自分に対してではなく、自分が口にする言葉に対して呪いを掛けさせ、その言葉を放つときになんらかの力が形となるように呪わせれば、声だけで魔法を使えるようになる』
ムスカ・クリンチ著
魔力のいらない魔導の手引き
『第一巻 呪いは力』
『神聖魔法とは光りの神々の祝福を得て力を得るものだが、これはなにも光りの神でなくてはならないわけではない。闇のものでも良いし、どちらにもなれずにいるはぐれ神でもよい。
強い神ほどメジャーだし、メジャーであるほど利用するものが多くなり力が分散する。
みんなが知ってる強い神より誰も知らない弱い神、というのも狙いとしてはいいだろう。マイナーな神ほど特殊技能を持つものが多いらしいし、狙い目だ。』
『第二巻 神とバカは使いよう』
『この世界は魔力に満ちている。極端な話をすれば石や草、あらゆる武器や道具にも魔力は宿っている。
それらの魔力をなんらかの形で凝縮することが叶えば、魔力を使えぬ者にも魔術が使えるようになるはずだ。
方法としてはある種の植物やある種の鉱石に他の物質の持つ魔力を吸着し、自身の魔力を増幅する作用のあることがわかっている。
これらのものを適した形に加工を施せば、魔術に新しい系統が加わることになるだろう。私は、これを真・附与魔術と名付けた。
先人たちも附与魔術という形態の魔術を用いたらしいが、これは魔術師が自分の魔力を“物“に封じる。という力を持つ者のみにしか作れず、簡単に使うわけにはいかない代物だった。
それに引き換え、私の真・附与魔術はそれ自体が魔力を取り込むから、魔力を失う心配もなく、便利だ。
これが実用されれば、魔導の世界における画期的な新発明となり世界のあり方を変えるきっかけになることだろう。』
『第三巻 先人を超える技術』
『魔法、これは論外と言っていいだろう。敵が、まさに斬りつけようとしているときに法円など、のんきに書いていられるわけがない。
防御に徹するならともかく、旅先や冒険には役立たないものだ。
やくにたたない知識を覚えたところで意味はない。
もっといい使い方があるはずだが・・・・・・』
『第四巻 阿呆の魔法』
『精霊魔法、これは契約さえ済ませてしまえば、かなり楽に強い力が使えるようになる。
が、ここ数百年の間、各精霊界は人間との関わりを拒み、物質界に留まり自然界の法を守り続ける精霊たちは人間に対して懐疑的だ。
彼らから力を得ることは難しい、そこで私は考えた。精霊界の精霊も、自然界の精霊も味方にできないというのなら、自分の中から精霊力を導き出すほかない。
そう、人間は生きていくためにいくつもの精霊力を使っている。
呼吸ができるのは風の精霊のおかげだし、血や体液が淀みなく流れるのは水の精霊、体温が常に一定なのは炎の精霊のおかげなのだ。
これらの精霊は自然界に属しながら、その人間に隷従している特異な存在と言える。これらの精霊力を最大に引き上げ、利用することが叶えば、契約など結ぶ必要はなくなるのだ』
『第五巻 精霊は内にいる』
「・・・・・・チッ! ・・・・・・」
我知らず、舌打ちが出た。
読めば読むほど、論旨のはっきりしない期待や憶測、根拠のない話ばかりが書いてある。
確かに、内容というより視点の置き所に新しい発見を見ることもできるが、それだって実行力という点で何の意味もないことばかりなのだ。
あまつさえ、せっかく作った精皮紙なのに、残り十冊は全て白紙だった。
作ったはいいが書くことが見つからなかったのだろう。
つくづくつまらない男だ。この魔導師は。
「・・・・・・君たちの母上の無念が思われるよ。こんなもののために皮を、命までも失ったなんてね」
十五冊分の精皮紙を彼らの前に積み重ね、僕は心からお悔みを言った。
すこし、残酷な言い方かとも思ったが、他に言うべき言葉が思いつかなかった。
彼らはなにも言い返しはしなかった。
彼らには肯定を示す必要もないことなのかも知れない。
「ところで、僕が地上に帰る方法ってあるの? あるんなら教えてほしいんだけど」
ない、なんて言われたらどうしようかと、内心ドキドキしながら、平静を装って聞いてみる。
彼らの答えは知らない、だった。
ここに結界を張ったのは地の精霊たちで、解き方や出入りのしかたは地の精霊にしか解からないのだそうだ。
「地の精霊たちは、あの川の上流にいます。訪ねてみるといいでしょう」
そう言って彼らは、地の精霊への紹介状と一個の指輪を渡してくれた。
リングの上に魚を型どった彫金が付けられ、その魚に抱きかかえられるような形で青い石がはめ込まれた指輪。
これが、彼らの言っていた謝礼らしい。
「これはドルフィンリングと言って、水の力が込められています。持っているだけで疲労回復や、魔力の増強、そしてなにより毒の魔法を完全に無効化する能力を与えてくれます。これからの旅に、きっと役立つことでしょう」
ドルフィンリング、名前は聞いたことがある。錬金術の粋を集めて磨き上げられた最上級の指輪。
かつて、大陸に栄えていたドワーフの職人たちが生み出した魔法と装飾の完全なる融合、その製法は今に伝わることなく失われ、今や伝説とすらなっている。
手に持っただけで、全身の魔力が高まるのが感じられる。
魔法を習っていない僕が魔力を得てもたいして役には立たないが、魔力が高ければ外からの魔力に対する耐性を付けることができるし、僕にとっては毒を受けずにすむことがなによりもありがたい。
「ありがとう。たぶん、もう逢うこともないだろうけど・・・・・・君たちのことは忘れない」
指輪を右手の人差指にはめ、僕は彼らに背を向けた。
いつか、太陽のもとで逢いたいな、と心の中で呟きながら・・・・・・。
川は、曲がりくねりながら奥へと続いている。
時折、なにかが川面にはぜる音が聞こえるところを見ると、こんな地下にある川でも魚かなにかがいるらしい。
もっとも、そうでなければいかに半精霊とはいえ、物質世界の住人である精霊獣が生きていられるはずはないが。
ガラガラ・・・・・・。
ガラガラガラ・・・・・・・・・。
荷車を引く音が、うるさいぐらいに洞窟内に谺する。
こんな事態まで予想していたわけではないが、一月分の保存食を持ってきておいて幸いだ。自分で獲物を探して狩りをする自信は僕にはない。
地上に戻るのにどれだけかかるかは判らないが、少なくとも一月は食べ物に困らずにすむ。
もっとも、その前に自分が何者かの食料にされる可能性もあるわけだが、今のところそんな凶悪な生き物はいないようだ。
もともと戦いを好まない地と水の精霊力が強く働いている場所ということだし、結界も張られているのだから、変な怪物がウロついてなどいられるはずがない。
油断は禁物だが・・・・・・。
蛟たちの言っていた地の精霊たちの住む村は、川を遡り続けて三日目に見つかった。
村というよりは野営地といった趣の、テントがいくつか集まっているだけのものだ。
「随分とお早いお着きで、少し驚いております。やはり足の長さが違うからでしょうかね?」
村に入ると、待ち兼ねたように僕の腰にも届かないような小さな生き物が近づき、声をかけてきた。
キノコだ。
それは紛れもないキノコだった。申し訳程度に手と足があるが、大きな傘と太い胴、どこから見ても完璧なキノコ。
サー・トリュフ。
大地の精を吸収しながら、気の遠くなるほどの年月を経たキノコだけが精霊として世に出るだけに数は少なく、技も多彩で精霊使いが手元におくことを夢見るほどの種族である。
さまざまな色や形のキノコが世界の秘地に隠れ住んでいると言われているが、実際に精霊使いとともに旅をして戦うのは今、目の前にいるような茶色のキノコだけと本には載っていた。
「・・・・・・僕が来るのを知っていたってことですか?」
彼の言葉から、そう感じて聞いてみる。
答えはイエスだった。
「ここの結界を張ったのは我々ではない。が、同じ地の精霊だ、結界に綻びができれば感じ取れる。その原因もな」
そう言った後、そのキノコは興味深そうな目で僕を見た。
「それにしても、人間嫌いで有名なあの蛟兄弟に逢って生き延びたとは、珍しいこともあるものだ」
そういってから、彼はふと真顔になり、キノコの真顔がどんなかは知らないが何となくそう見えたのだ、以前にも数回あった結界の綻びによって人間が侵入してきたときの話をしてくれた。
結界は地の精霊力によるもので水の精霊力の強い場所、つまりは蛟たちのいる湖が一番綻びが出やすい。そのため、人間が迷い込むときは必ずといっていいほどそこに出る。
過去に一度だけ別のところに出た例もあるが、たいていは蛟の目前に姿を晒すことになると言うのだ。
そして、何が起こったかと思慮している間に、蛟に襲われわけも判らぬうちに食い殺される。今までずっとそうだった。
それが、今回に限り命を奪われなかったばかりか、アイテムをすら渡した。
「・・・・・・彼らの母親の皮を持っていたから・・・・・・じゃないんですか?」
「果たして、それだけかな・・・・・・? まぁいい、久しぶりの客だ。歓迎するぞ、無駄になるかとも思ったが晩餐の支度もしてある」
シリアスな顔から一転、破顔したキノコが僕の手を取り村の中央部の広場へと案内してくれた。そこには二十人ほどのキノコ、サー・トリュフがいて晩餐の支度をしてくれていた。
どう見ても食い切れないほどの量の食べ物が足の踏み場もなくなるほど並べられている。
「結界の外に出たいんなら食えるときに食っておかないと、あっというまに行き倒れることになるぞ」
広場の中心に陣取り、手当り次第に料理を口に運んでいたサー・トリュフが忠告というには軽すぎる口調で話しかけてくる。
「結界を張った精霊は、この村からさらに上流にあるゴブリンたちの街“ゴブリン・シティ“を抜けた先の山奥に住んでいる」
ゴブリン、その名を聞いた途端に彼のいわんとしていることが、おぼろげにだが理解できた。
地底に巣くう小型の鬼、闇属性の生き物。強欲にして邪悪、好戦的な生き物として知られている。彼らと出会えば冗談ではなく毛の一本も残さずに奪われる、とまで言われている種族たちが住んでいる街を通らねばならないのだ。
手持ちの食料を奪われる可能性は、ほとんど事実になるだろう。手に入れられるとき、食べられるときに食べておかなければ餓死することもありえるのだ。
もちろん、その前に虐殺される可能性も計り知れないほど強いのだが。
「まして、“ゴブリン・シテイ“の入り口には“ラビリンス“があるという話だ。迷ったりすれば、食料を奪われずに済んだとしても結果は同じになりかねん」
隅のほうで日向ぼっこをしているような風情で石に腰掛けていた小柄なのが独言のように呟く。
「ラビリンス?」
迷宮があるということか? こんな地下に、一体何のためにそんなものが……。
「もともと、“ゴブリン・シティ“のある土地はエルフの隠れ里だったのです、それを数百年前にゴブリンが占領して住み着いてしまった。“ラビリンス“はエルフの街があった頃の名残りなのです」
そういえば、古来エルフは自分たちの住処を守るために結界を用いるが、ほとんどの場合迷い系の結界が使われる。何冊かのエルフ関連の本を読んでいて、つくづく迷わせるのが好きな種族だな、と感心した覚えがある。
やっかいな話だが、考えてみるとやっかいではすまないかも知れなかった。この話が本当なら数百年もの間だ“ラビリンス“はほったらかしになっていたはずで、自然に生え出した樹や草が自然の迷路を作っている可能性もある。
何の目的も法則もなしに偶然できた迷路ほど嫌なものはない。
ただでさえ迷わせるための仕掛けいっぱいの迷宮に自然の迷路、さらにそこにゴブリン得意の毒の罠がある。
地上に戻る、という目的がなければ絶対に足を踏み入れようなどと考えない。
考えたくない場所ということだ。
「そこを通る以外の方法ってのはないんでしょうね?」
むろん、答えは否だった。
予想できていたので失望はしなかったが、正直僕一人でなしえる冒険とは思えない。
「ま、一気に抜けようなんて考えずに、少し進んで安全を確認したら戻り、また進んで戻る。これを繰り返すことだな。時間はかかるだろうが死ぬよりはいいだろう」
最初に声を掛けてくれたサー・トリュフが言ってくれたが、その言葉を鵜呑みにするには僕は悲観的すぎた。
・・・・・・戻る道すらも見失うのが迷宮の最も恐い点ではないか。
だが、僕は表面上は素直に頷き返し、宴を楽しむことにした。何にしても、行ってみなくてはどうにもならないし、行くのなら腹ごしらえをしておくべきなのだ。




