第一幕 レイラとクレア
「何を、どこで間違えたのか?」
粉々に砕けた硝子の置物。
包まれた布を黒く汚すのは彼女から流された血。
遺体のない棺桶の脇で呆然と膝をつく彼の耳に修道女の声が響く。
「大変残念ですが…これが神のご意志ですわ。」
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「また彼女が問題を起こしたのか?」
「今度は子爵家ご令嬢に貴方へ近付かぬよう苦言を呈したとか。」
「ふん、苦言を呈するなど取り繕った言い方をしなくても良い。どうせ醜い嫉妬をした挙げ句、汚い言葉で罵ったとかだろう。いつものことだ。」
公爵令嬢であり、自身の婚約者でもあるレイラ。
何故あんなに出来の悪い女が私の婚約者であるのか。
恐らく年齢の釣り合いだけで選ばれたからだろう。
特にここ二三年の彼女の行状には目を覆いたくなるものが多い。
「間もなくレイラ様のお誕生日ですが、今年は何を贈られますか?」
近年は当たり障りなく花だけを贈っていた。顔を見るのも不愉快であったし、贈られた当人も特に不満そうな様子も見せないことからこの程度で良いと思っていたのだ。
だが今年は。
「贈らなくても良いだろう。」
「ヨシュア様…しかしそれでは。」
「誕生日の前に婚約を破棄すれば良いだけだ。王にもレイラの現状を伝えて何度も願い出ている。婚約破棄については公爵家からも承諾を得ているし問題はないだろう。」
何故こんなにも手続きが遅々として進まないのか。
婚約破棄を願い出た時に驚いた表情を見せた父が『詳細を調べる』として以降の関与を禁じてからすでに半年以上は経っている。
この半年の間、不本意にもレイラは婚約者のままであった。
「しかも私が贈った物は殆どが不注意で壊れたり、紛失したりしていると聞いた。そんな者に高価な物を贈って何になる?」
「ですが…。」
言葉を紡ぐより早く部屋にノックの音が響く。
相手を確認しようと側近が扉に近づいたところで外から勢いよく開かれた。
すんでのところで扉との接触を免れた彼の様子に気付くこともなく、一人の女性が軽やかに入室してくる。
「ヨシュア様、お会いしたかったですわ。」
お世辞にも優雅とは言えない礼の姿勢であるが、それだけ自分に会いたかったということだろう。
無垢な笑顔を向けられれば自然に許せてしまう。
レイラの姉であるクレア嬢。
同じ色彩を持ちながら何故雰囲気がこうも違うのか、ヨシュアには不思議でならない。
レイラの髪はくすんだブロンズに近い金。
以前聞いたとき、本人は淑やかに表情を変えぬまま『母方の血が濃いと、この色が出るのですわ』と答えていたような気がする。
髪の緩やかなウエーブが輪郭を隠し、写る影が全体的に陰鬱な印象を与える。
対するクレアの髪は光を纏っているかのような金。
癖のないまっすぐな髪質は一切の手入れを不要とするほど。髪の輝きが辺りを照らし周囲の雰囲気が一層明るく感じられる。
『クレア嬢は公爵家の至宝』。
デビューの場でシャンデリアの輝きにも負けぬ彼女の美しさ、そして愛らしさは周囲を魅了する。
それはヨシュアも例外ではなかった。
今はもう他の女性を伴侶として迎えるなど想像もできない。
特にレイラなどもっての外である。
「クレア様、本日面会のご予定はございませんが。」
側近の放つ冷たい言葉にクレアは悲しげな表情を浮かべる。
そしてそのまま祈るような仕草でヨシュアを振り返った。その無垢な視線に囚われた時、ヨシュアは彼に対して思わず声を荒げ退出を命ずる。
「出ていけ。」
「しかし、この後には面談の予定が。」
「それを調整するのがお前の仕事だろう?!暫く誰もこの部屋に近付けるな。」
そう言ってクレアの肩を抱き背中を向ける。
やがて諦めた様子で人の気配が動き、静かに扉の閉まる音がする。
「待たせたな。」
不安そうな表情の彼女に微笑むと彼女の表情が明るく輝く。
感情表現豊かな彼女の存在は社交界の中にあって新鮮だ。
その愛らしさに独身である貴族階級の若者が皆夢中であると聞く。
だが彼女は私のものだ。
独占欲が満たされる感覚に口の端が歪む。
唇を寄せ、彼女の口から溢れる甘い吐息を味わう。
彼女は誰にも渡さない。
レイラの存在など一欠片も思い出す余地はなかった。