帰りたいあったかマイホーム
帰りたい。そう決心してから三日ほどのことだろうか。僕は変わらない日々を過ごしている。ミリィと仲良くして、花屋の仕事を手伝い、夜には寝る。地図アプリを利用してかなり広範囲を調べてみた。遠くには多くの建物が集まった都らしき場所もあるが、いかんせん遠すぎる。なんの乗り物もないこの世界ではいったい何日歩き続けなければならないのか。野生動物ももちろんいるだろう。安全に何日も野宿できるとは限らない。近くにいくつか同じような村があるのも分かったが、そこに行く意味が見当たらない。道具はあるが、動き出すきっかけがない。悶々として過ごす日々が続いた。
「いや、兄ちゃん。ほんとにいい男だね!」
旅商人のガタイのいい男の陽気な声。気にしてみるようになったこともあり、爬虫類顔の男女の区別がある程度はつくようになった。もちろん体格も違う。人間と同じように男は背が高く筋肉がついており、大人の女性は胸のあたりが膨らんでいる。
この男は近くの村を回って物資を売買することを生業としているようで、ミリィの家族もこの村で取れない食材はこの男から買っている。
「そういえば、ひとつ前の村でもえらいべっぴんさんにあったぜ。あんたが横に並んだら二人とも輝いて見えるだろうなあ」
でも爬虫類なんだろう? という言葉は飲み込み、はぁ、とかありがとうございます、などの適当な相づちを挟んで粛々と買い物を済ませる。
「でもそのべっぴんさんだがよお。出自が怪しいんだよ。発音も難しい村の出身とかで、なんだか気性も難しくってね。初めふらっと村にやってきて、村人たちに話しかけられたら錯乱を起こして気絶しちまったらしい。今でも時々錯乱を起こして、飯もろくに食わねえからやせ細っていってみんな心配してる。せっかくの美人が台無しだってな」
どこかで聞いたことのある話だと思ったら、自分のことだった。もしや、の可能性に食いつきたくなるが、男の話は終わっていない。ぐっと我慢して続きを聞く。
「それに、変な小さくて四角い板を手放そうとしないって話だ。いったいどこから来た娘なんだろうねえ」
一旦の深呼吸。胸の高鳴りは落ち着かないが、しかたない。求めていたきっかけがこんなところから現れるとは。その娘に会いに行かないといけない。
「商人さん。その娘のいる村っていうのはどこにあるんだい?」
行くべき場所は決まった。地図アプリで場所も確認した。教わった方角には確かに村があった。名前はわからないが、ここと同じような小さな集落だ。
問題は距離である。旅商人は「ここから2日はかかる。途中で森も通るし一人では向かわない方がいい」と言っていた。が、僕は一人で行くつもりだ。
元の世界の事が話せない以上理由を話して誰かに同行してもらうことはできない。理由もなしに着いてきてくれるお人好しがいたとしても、お断りだ。これ以上ここの住民たちと関わりたくない、と言えば薄情だが、本音としてはこれ以上影響を受けたくないのだ。今はまだ人間としての、元の世界の感性を持っている。でもこの世界に慣れてしまえばどうなるだろう。エリマキトカゲの顔をした人類を恐ろしいと感じることもなくなり、今まで培ってきた感受性が塗りつぶされてしまったら? 元の人間としての矜持を失ってしまうこと、認識が書き換わってしまうこと。それが何よりも恐ろしいんだ。
旅をするなら他の連中と関わりあわずになるべく一人で。誰かがいると望む以上に仲を深めてしまうかもしれないから―――
どうにかして一人で安全に目的の村に行く方法を考えなければ。地図を見ながら考える。歩きで二日かかるなら、歩く以外の方法で行くことはできないか? 等高線とにらめっこを続けていると、ふと気が付いた。目的の村はここから標高がかなり低い。山間の谷を下っていけば着く。これは……もしかしたらいけるかもしんない。歩きでだめなら、滑ればいいのだ。