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邂逅、女神様

ダニエルは公宮内でたいそう丁重に扱われているようであった。通り過ぎるトカゲ達は、彼が横を通ろうとすると、彼のほうを向き、瞬きを二回、口の中を大きく見せ、そのあと頭を下げる。ダニエルは軽く片手を上げてそれに応える。

「こっちの世界での堅苦しめの挨拶なんだ、今のは。俺たちは瞼も口も大きいから、ああやって武器を持っていないことをアピールするんだ。でも、頭が高いことが失礼にあたるってことは元の世界と同じなんだよな。不思議なもんだろ?」

公宮の長く広い廊下をダニエルは自らの家のようにさっさと歩いている。その後ろのカティはお化け屋敷にでもいるかのように、震えながらぼくの服をがっしりとつかんでいるというのに。先ほどからカティは酷くおびえている。

「俺は幸運にもここの公女様に気に入られて、こんな風に特別待遇させてもらってる。けど内心面白く思ってない連中もいるだろうな」

ダニエルは後ろについてきている僕たちを正面に見て、後ろ歩きしながら語りかけてくる。

「この世界の地位の決まり方、知ってるか? 元の世界なら血筋、土地、金、資産、実績……時代の移り変わりによっていろいろ変化してきたが、この世界では『見た目』が全てなんだ。今のところはな」

ダニエルは後ろ向きに歩きながら僕たちに向かって両手を広げる。

「顔、肉体両方を統合した外見だ。実に生物学的だと思わないか? 魚や虫のそれに近いものがある。良質な遺伝子を持つ個体は、他者からも外見として良い個体だと伝わる、という考え方だ。まあ、この世界の住人たちがそこまで意識ができているかどうかはわからないがね。なにぶん技術も学問も未発達だ。しかしそのおかげで俺たちはこの世界で何ヶ月と生きていられたわけだ。女神さんには感謝しねえとな」

僕の服をつかむカティの力が強くなった。たぶん、僕とカティの考えていることは同じだと思う。僕たち二人がその女神とやらに感謝する時があるとすれば、それは無事に元の世界に戻してもらえた時だろう。


「さて、着いたぜ。ここだ」

大きく厳重そうな扉を兵士が両脇で警護している。お疲れさん、とダニエルが一声かけると

兵士は例の所作を行い、扉を開けてくれる。床と扉がこすれる酷い音がする。

静かな場所だった。他者の手が入れられていない自然そのもの。背の低い植物と、細い幹の木々と湖と、そのほとりを囲む岩。手が入れられていないのがわかるのにも関わらず、そこにある植物の生え方は乱雑ではないように思える。湖の中心から外側に向かって、生える方向が揃っている。自然であるはずなのに、どこか不自然。後ろにいるカティの息遣いがどんどんと荒くなっていく。

「そんじゃ、ここでらで呼び出すとしますか」

ダニエルはおもむろに服の中からスマホを取り出す。

「はい? スマホ?」

素っ頓狂な声を上げてしまう。

「以前電話番号を教えてもらったんだよ。ここでかけると湖から出てきて話聞いてくれるってよ」

「なんですか……そのような主が存在するわけないでしょう……電話に応答する主など……」

カティの声は震えている。

「ま、百聞は一見に如かずってな。ちょっと連絡してみるぜ」

ダニエルが電話をかけ始めて数分後、「それ」は湖の水面上に、幾多の薄い映像が重なり濃くなっていくように、立ち現れ始めた。僕は初めて神性というものを目の当たりにした。「それ」は美しく光り輝いていた。光を発しているわけではない。周りをまばゆく照らし始めるわけではない。しかし確かに僕は認識していた。それは光を発さずに光り輝いていて、周囲のものに影響を与えていた。姿は僕たちがよく知っている人間のものである。白のキトンに身をまとい、均整のとれた体の形、そして顔立ち。絶世の美女というわけではない。が、左右に非対称な個所がどこにもない、バランスの極致のような顔に、ほほえみをたたえてその存在はそこに立っていた。

見ているだけで背筋に電撃が走る。同時に心はこれ以上なく落ち着いていた。理解した。彼女がこの世界の女神なのだと。

「ジーザス!」

カティがシスターにあるまじきとんでもない叫び声をあげる。彼女の眼は血走り、震えた声で女神に向かって唾を飛ばす勢いでまくしたてる。

「神を騙る不埒者めが! 貴様にはきっと天罰がくだるでしょう! 世界の……神などと……すべての人類への冒涜……ウっ!!!」

カティは泡を吹いて倒れた。ありゃ、とダニエルが呟く。倒れたカティは二人で運び、木陰で休ませることにした。

「大丈夫ですか、彼女は?」

女神が僕とダニエルに向けて語りかけてくる。耳に聞こえる、というよりも脳が何を言われたか理解しているような、不思議な感覚だ。ダニエルが答える。

「大丈夫ではありませんね。気絶から覚めた時に全て忘れているといいんですが」

「私の何が気に食わなかったのか知りませんが、失礼な方ですね。そちらのお方は?」

女神は僕に目を向ける。

「須磨耕作といいます。元の世界に戻していただきたく、ここまで訪ねてきました」

「ほう! 元の世界に! こちらに来られる際にもお伝えしたかもしれませんが、あなたにはこの世界で暮らしていくのに何一つ不自由のないものを与えました。それでもなお、元の世界に帰りたいというのですか?」

「もちろんです。不自由はないかもしれませんが支障は腐るほどあります。今は気絶していますが、カティも同じです。僕たちを元の世界に戻してもらえませんか?」

「そこの彼はこの世界にとどまるというのにですか」

僕はダニエルの顔を凝視する。

「そうなんですか?」

「そうだ」

「なぜ」

「その話をすると長くなる。女神さんの前だからなるべく手短にいくぜ」

ダニエルは地面に胡坐をかく。僕も地面に腰を下ろす。

「単刀直入にいうと、俺はもう元の世界に興味がないんだ。俺は大企業の御曹司だった。小さいころから英才教育を受けて、社交辞令と、経済と、人心掌握の術を叩き込まれて、父親の経営する企業の社長として就任する手はずだった。そんな折だ、飛行機の墜落事故に巻き込まれたのは」

ダニエルは両手で自らの顔を覆う。

「死ぬんだ、と思ったとき、不思議と未練は沸いてこなかった。俺の父親と母親は俺のことを……その、なんだ……後継ぎとしか考えていなかった。学校では素行の悪い生徒たちと仲良くなることは許されなかったし、勉強以外のことをするのは許されなかった。一番きつかったのはあれだな、校内合唱コンクール。うちのクラスが1位を取ったのに、おめでとうの一言もなかった。その日は金融について勉強して終わったよ」

ダニエルは意識してか無意識のうちか、地面を指でほじくり消し始めた。声が少し震えている。

「俺の家族は俺が御曹司として勉強すること以外に全く興味を示さなかった。好きな食べ物も、音楽も、スポーツも俺の家族は知らないんだ。それで思ったんだよあいつらは俺自身のことではなくて、御曹司としての俺のことしか見てないんだって」

ふう、とため息をついてダニエルは立ち上がる。

「でもこっちでは違うんだ。そりゃあ始めは容姿のおかげで王女様に取り入ることができたが、王様は俺の人柄とか、知識とかを認めてくれて、本当の家族のように接してくれてるんだ。今日何をしたとか、何を食べたとか、好きなものはなんだとか、そういうことを聞かれるだけで俺は救われるんだ。この世界はしっかりと俺自身をを見てくれている。だから、俺は元の世界に変えるつもりはない」

はっとした。僕はただの1大学生だ。僕なんかとは比較にならないほどの苦悩と、救いを受けて彼はこの世界を選んだんだ。彼は外見を重視してはいない。それどころか精神の在り方さえもこの世界に順応させようとしている。心すら殺す覚悟を彼から感じる。

「そうか……」

「耕作とカティはあっちに帰るんだろう? お前たちを待っている人がいるんだろう? なら帰るべきだ。でも、我儘なことをいうかもしれねえが、俺がここにいたってことだけは覚えていてほしい。耕作とカティ。2人に覚えられているだけで俺は十分だ」

僕は涙をこらえることができなかった。ぽとり、ぽとりと涙が僕とダニエルの間に落ちる。

「おいおい、何を泣いてるんだよ」

涙をぬぐって答える。

「いや、悲しいんだ。ただただ悲しいんだ。申し訳ない」

立ち尽くす僕の真正面からダニエルは近づき、背中に手を回す。ダニエルも泣いていた。僕らは二人しばらく涙を流し続けた。


「それじゃあ、行くよ、僕は」

「達者でな」

気絶したままのカティを引きずって僕は湖のほとりに立つ。

「この湖に飛び込めばあなたたちは元の世界に戻れます。二度と戻ってくることはできませんが、いいのですか?」

女神が名残惜しそうに聞いてくるが、僕は力強くうなずく。まずはカティを抱えて湖のほとりから中にすっと流す。溺死するのではと考えたが、湖の中央まで流れたところでふっと姿が消えた。どうやら女神の言っていることは本当のようだ。

僕も意を決して湖の中に勢いよく飛び込む。体が水の中に沈む。息ができないが、不思議と安らぎを感じる。視界が暗くなっていく。世界よ、さようなら。戻れたらこの世界のことはすっきりさっぱり忘れて人間としてまっとうに生きていくよ。もっとも、忘れられるほどやわな経験ではなかったわけだが。

そこで僕の意識は完全に途切れた。世界よ、さようなら。





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