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TS100ものがたり 04:足跡

作者: 私

私が目を覚ましたとき辺りは真っ暗だった。眠る前に微かに残っている記憶をたどると、確か夕日が強く差し込んでいた気がする。あぁ、眠ってしまったのか…と焦りと後悔がまじりあった気持ちで駅舎に掲げてある時計を見る。時刻は午後6時過ぎ。待っていた電車は確か5時34分発だったはず。立ちくらみしながら壁に掲げられている時刻表を見る。時刻表に乗っている時刻は数えるほどしかない。自分が乗る予定だった電車の発車時刻はとっくに過ぎ去っている。次の電車は午後8時過ぎ…。あと二時間以上も下りも上りも来ない。

電車好きが高じて日本の最果て、北海道まで遠征に来てしまった。この駅は白銀の原生林を走る列車が感動的だというので、わざわざ下車までして撮影したのだ。駅前には広い空間とその周りに家が点々と立ち並んでいる。その家も果たして人が住んでいるのかわからない。夜だというのに火は点らず屋根や壁が朽ちている家も多い。勿論駅前に商店も不動産屋もない。小さな郵便局の前の赤いポストが寂しげにたっている。

こんな過疎地の駅にしては駅舎は立派なものだった。それもそのはずで、この周囲が炭鉱まちとして活況を呈したころに建築された駅舎だからだ。今は無人駅だが、べニア板の打ち付けられた切符売り場の跡まである。外には木造の便所跡があるが、こちらも今は木材で打ち付けられている。

駅舎が立派なのはいいのだが、とにかく寒い。一応屋内なので外よりは寒くないのだろうが、もしかしたら戦前ぐらいまで遡る古い駅舎だ。気密性も全くないし、外の気温も本州では考えられないぐらい寒いに違いない。構内に温度計は見当たらないが、多分氷点下まで下がっているのではないかと思った。

このままここにいても寒いだけだ。スマホを取り出し周囲のマップを表示してみる。一キロぐらいあるが、駅から少し歩いた国道沿いにコンビニがあった。この殺風景な駅舎で寒さに凍えながら待つよりはコンビニで時間をつぶしていた方が良いように思えた。

ただ駅の外は真っ暗。唯一の明かりはこの駅舎から漏れる光だけだった。空もどんよりとしている。雪も一応道路上は除雪されているが、その雪は両脇にうず高く積まれていた。

とにかく行ってみよう。道自体は単純だ。駅からの通りを国道までまっすぐ歩き、その国道を左に曲がればいい。

私はリュックを担ぎ直し駅舎から外に出た。さすがに寒い。肌に突き刺さるような寒さが体を襲う。毛糸の帽子と防寒用のジャンバーに手袋という重装備だったが寒さになれない体にはさすがにつらい。

本当に疎らに立つ街燈とわずかな家々からの明かりを頼りに、凍結したアスファルトの路面を歩いていく。所々に雪が残り、防水も滑り止めもない靴はぐちゃぐちゃになる。そこにこの寒さだから、すぐに凍ってバリバリになった。

何とか国道に出る。国道ならまともな道かと思ったら、街燈は一切なく周囲は恐らく牧草地帯で今は雪原。かなりのスピードを出した車のヘッドライトだけが飛びぬけていく。遠くに星のように見えるのが恐らくコンビニの明かりだった。もうここまで来たら行くしかない。車に怯えながら車道か歩道か雪のためによく分からない道を歩く。私も怖いが、運転している人も怖いだろう。当然、歩いている人は他にはいない。

ひらひらと雪が舞い始めた頃、やっとコンビニに着いた。知らない道だと一キロもかなり遠く感じる。コンビニ自体は至って普通のコンビニだった。本当に無個性のインターナショナルな空間。しかしそれが安心に繋がることもある。暖かい暖房と見慣れた空間は本当に救いだった。

ホットコーヒーを買い、レジの脇の休憩スペースに座る。外を見ると大分雪が強くなっていた。え…、これは戻れるのか…と不安になったがまだ電車の時間まで1時間半ある。最悪タクシーでも呼んで駅まで行くこともできるだろう。ただスマホでこの地域の天気予報を見ると雪の表示はなく、単なる通り雨ならぬ通り雪に過ぎないのかもしれない。

どっちにしろすぐ戻るつもりはなかった。漫画雑誌と新聞、それにおでんを買い込み籠城体制に入った。店員は高校生ぐらいの髪を染めたにいちゃんで、アルバイトに違いなかった。

暫くするとこれは大丈夫なのかと思うほど激しい雪が降り始めた。雨と違い音がないので非常に不思議な気分になる。視界が悪くなるほどの雪が風に流され舞い飛んでいる。これが吹雪というものなのか…。ある種の感動を持ちながらしばらく見とれていた。

安心したことにそんな雪も長くは続かず、段々と弱まってきた。これなら歩いて行けるだろう…と発車時刻の30分前にコンビニを出た。あれだけの雪でもさっきまでは地面が見えていたのにすっかり白く覆われてしまっている。5センチぐらいは積もったのだろうか。真っ白な土地に足跡を付けながら駅に向かって歩き出した。

また降り出すのとなにより発車時刻に間に合わないのが恐ろしかったので、来たときよりも速足で駅に向かった。一度通った道だと距離感が分かるため、来る時より遠い感じはしなかった。

国道を曲がり、駅への直線道路に入る。遠くに駅の明かりが見え、二ブロックぐらい前の通りでは、さっそく雪かきをしている人影があった。暗くてよく分からなかったが、老婆のように見えた。

あれだけの風の中雪が降ったので、雪の積もっているところとそうでないところが一定ではなく、時々ずぼっと足を取られることがあった。頑張って駅に向かって歩き、その雪かきをしている老婆の前を通った時のことである。

「あんた、駅に行くのかい?」

私は足を止め声の方を振り向く。フードを被り全身防備の老婆がシャベルの手を止めこちらをみている。

「そうですけど…」

「この時間、あの駅にはいかんほうがいいぞ」

そう言ったかと思うと、何事もなかったかのように再び除雪を始めた。

「はぁ…」

どういうことだろう。あの駅にいくなと言ったように聞こえた。いやそもそも空耳だったのかもしれない。駅の方を見る。積もったばかりの真っ白な道がすっと少し高台にある駅舎まで伸びている。行くなと言われても、ここまで着ていかないわけにはいかない。

私は軽く会釈をすると再び駅の方に歩き出した。

一応警戒しつつ駅まで近づいていった。あと数百メートルというところで止まった。明るい駅舎の中に、ぼんやりと人影のようなものが見える。え…、女子高生?まさかと思い目を擦る。もう一度見るが誰も居なかった。一瞬、セーラー服を着た黒髪の女子高生のような影が見えたのだ。多分、駅のポスターか何かを見間違えたのか、それとも光の加減だろう。

少し怖くなり、雪かきをしていたお婆さんの方を向き直った。そこにはもう彼女の姿はなかった。ごくりと息を飲む。

実はこの駅にはある事件があったらしい。ネットで偶々目にした話だから本当かどうかはわからない。まだ閉山前の炭鉱があり、オイルショックでまた石炭が見直されようとしていた頃のことだそうだ。高校から帰宅途中の女子高生が、暴行され殺され遺体がトイレで見つかったらしい。犯人は未だ見つかっていないという。

さっきの影を思い出し息を飲む。いや、逆ではないか。さっきあの婆さんに変なことを言われ、怖い怖いと思っているところにふとこの話を思い出したから、あのような幻覚をみたのではないだろうか。

小学生ぐらいのときは怪談を聞くと怖くてトイレに行けなかったぐらいの怖がりだったが、もう大人になったらそういうことはなくなった。霊感も強くないのか心霊体験もしたことはない。

もう一度駅舎を見る。やはり人の気配はない。むしろそういう心霊現象より、この時間になると待合室に熊がいる…とか言う方が現実的で怖いかもしれない。とにかくこんな寒いところにいつまでもいるわけにはいかない。段々顔の神経がマヒしてきた。

真っ白な雪の上を一歩一歩進んでいく。一応周囲に警戒しながら慎重に…。精神的な原因か、段々足が重くなってくる。それだけではない。この寒さのせいか、股間がキュンと痛む。恐怖と寒さで大分縮こまっている気がした。その一方で胸は強く高鳴っている。それどころか両胸がとても暖かく感じる。

するどい腹痛が下腹部を襲う。あんまり寒い中歩きすぎたのだろうか。体の様子がおかしい。そしてふっと顔を上げもう50メートルぐらいの距離にある駅舎を見たとき、今度ははっきりと古風なセーラー服を着て髪を三つ編みにした女子高生の姿を見た。彼女の顔は凍り付くように冷たく、まるで憎悪しかないような強い視線でこちらを睨みつけている。そして片手を前に掲げ、何か見えない固いものを握りつぶすかのようにぎゅぅっと細い指で握りしめていく。それと連動するかのように、厳しい痛みが股間を再び襲う。あまりの痛みに怯み、目を閉じて手袋をした両手を股間にやる。二回ほど鋭い痛みが続いたかと思うと、その痛み自体は跡形もなく消え去った。しかし逆に麻痺したかのような、なにもない感じだけが残っている。

涙目になりながら駅舎を見る。やはり彼女の姿はない。一歩踏み出そうとすると、雪に足を取られて靴が脱げそうになった。しかし何とかバランスをとり、もう片方の足を踏み出す。胸のあたりが苦しく締め付けられている感じがする。一方股間の麻痺した感覚は残ったままだ。自然と息も荒くなる。

やっと駅舎までたどり着き入り口の引き戸を開けた。中は外よりは暖かく、がらんとしていた。勿論誰もいない。入り口の扉を閉めたとき、反射して一瞬女性の顔が見えた気がした。驚いて振り向くが勿論誰もいない。

私は端のベンチに座り俯きながら電車が来るのを待った。なにか見るから怖いものが見えるのだ。ぎゅっと目を閉じ、身を屈めて寒さで凍りつき全身麻痺したような感覚を耐えた。さすがに北の最果ての寒さは応える。早く電車が来てくれ…。

暫くして、強いライトを放ちながら、一両編成のディーゼル車がホームに入ってきた。ふらつきながら床に置いてあるリュックを背負う。なぜかさっきより重くなっている気がしたが、気のせいだろう。無事、空いたドアから明るい車内に入った時、生き残れた…と思った。とてもこれ以上写真を撮る元気は残っていなかった。閑散とした車内にリュックを下ろすとその横に座り眠ってしまった。



翌朝、快晴の素晴らしい青空が広がっていた。白銀の世界がとても眩しい。

北海道のある無人駅の前に、不思議な足跡が残されていた。駅の少し前までは大きな男物の靴の足跡なのに、その先は二回りぐらい小さな足跡に変わっており、それが駅舎の中へと続いていた。そんな不思議な足跡も、早朝の除雪で消え去ってしまった。


おしまい


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