第一九話
「凛音は何処にいるんだ?」
温かな日差しが差す公園で駆は凛音の姿を探す。
日曜日だからだろう。公園にはいつも以上に小さな子供を連れた家族連れが多い。
広い公園内の歩道を、凛音を探して歩きまわる。
「駆ーっ! こっち、こっち!」
「ん、凛音? ……って、アレは?」
そんな時、凛音の呼ぶ声を聞き、駆は振り向く。振り向いた先の光景に駆は呆然とした。
凛音がベンチに腰掛け、炭酸ジュースの缶を片手に手を大きく振っている。問題はその凛音の腰かけているベンチだ。
凛音が腰掛けているそのベンチは、昨夜自分が壊したはずのベンチと同じ場所にあった。しかしそのベンチはどこも壊れている様子はない。むしろ丁寧に塗装され、新品同様の姿になっていた。
「ほら、座りなよ」
駆がベンチに近づくと、凛音はそう言って席を詰める。だが、駆は腰掛ける気にもならずただベンチを見つめていた。
「大丈夫。ペンキが乾いていないとか無いから」
凛音はそんな駆を見て、自分がペンキが付くことを心配してベンチに座らない、と考えたらしい。ベンチを手で触り、手のひらを駆に向ける。
駆は首を横に振ると、ジュースの缶を傾ける凛音を見た。
「いや、違う。ペンキの事はどうだっていいんだ。それより、お前が座っているそのベンチって――」
「あ、気付いた? そう、これは昨夜、駆が潰したベンチ……いや――」
凛音は缶から唇を放す。そして駆に微笑みかけた。
「研究所がこの公園であった戦闘を隠蔽するために設置した、真新しいベンチだよ」
「隠蔽……だと?」
「うん、隠蔽。あの後すぐに研究所が新しいベンチを持ってきて、駆が壊したベンチと交換したのよ。……ご丁寧に、一つだけ新品になった違和感がないように、公園内の全てのベンチも新品にしてね」
駆はパンパン、と、頻りにベンチを叩いて座るよう促す凛音に従い隣に腰を下ろす。
腰を下ろした後、駆は凛音の言葉に周囲のベンチを見た。駆の位置から見える公園のベンチは、全て凛音の言った通りに新品のように変わっていた。
「どういう……ことだ?」
「つまり研究所は世間に隠したいのよ。この公園で戦闘があったことも、駆のことも、エレナのことも、そして自分たちが秘密裏に行っている研究のことも……ね」
そこまで言って凛音は缶ジュースを飲み干す。そして凛音は缶を握り締め、真剣なまなざしで話を続けた。
「よっぽど知られてはいけない研究なんだろうね。前に実験施設から、捕獲していた妖魔が脱走したことがあったんだけど、その時は深夜の森で銃撃戦になったんだよね。無事にその妖魔を処分した後、研究所はその戦いの跡を隠蔽するために、その森の所有権を持っている人物の娘を誘拐して、土地を売らせたそうよ」
「……その森の所有者は、どうしたんだ?」
「聞かない方がいいよ。……気分が悪くなるから」
「……ならいい」
凛音の言葉に首を縦に振りながら、駆は背中に冷たいものが走るのを感じた。
自分たちの研究を隠蔽するためなら、平気で犯罪行為に走る組織……夜坂研究所。場合によっては、自分たちはそんな組織と敵対せざるを得ないのだ。
夜坂市に積極的に地域貢献している研究所。住民からの信頼も厚い研究所がこんな危ない組織だと、一体誰が思うだろう。
「それで……何の用だ?」
駆は悪い考えを振り払うかのように首を振り、口を開いた。その声は不安からか、少し掠れている。凛音は駆の問いかけに、首を傾げた。
「……何の用?」
「俺を呼んだ理由だよ。理由もなしに呼んだわけじゃないだろ?」
昨夜のこともあり、駆には凛音に対して疑心に近い不信感が芽生えていた。凛音は研究所側の人間だ。自分を見守るために近づいていたと言ってはいたが、本当は自分を監視するために近づいていたのかもしれない。
そんな感情を持っていたためか、駆の声には意図せず刺々しい雰囲気があった。そんな雰囲気を感じ取ったのか、凛音は敵意がないことを示すかのように手のひらを駆に向けながら、不満げに頬を膨らませた。
「ちょっと……そんなに構えないでよ。話がしにくいでしょ。深夜、駆とエレナが戦っている時のあの騒々しい騒音を消してあげたのは私なんだから、感謝してほしいぐらいだよ」
「……なに?」
凛音の言葉に駆は毒気を抜かれる。
確かに今朝、未来と会話した時に真夜中のエレナとの争いについて話を聞かれなかったのはおかしいと思っていた。
あの時はお互いに周囲の事を気にする余裕もなく、激しく感情を表に出して叫んでいたため、とてつもない近所迷惑だったはず。しかしその事に未来は一切触れなかった。
まるで、そんなことなどなかったかのように。
駆が考えている様子に、凛音はニッ、と口元を持ち上げた。
「これを使ったの」
「これは……なんだ?」
凛音は隣に置いてあったかばんから、五センチ四方のブロックを取り出す。
凛音が持つ青い半透明のブロックを駆は見たことがなかった。そのブロックの中には、うっすらと基板の回路のようなものが描かれている。
「これは忌諱空間製造機。研究所が開発した、一定範囲内に人間が無意識に嫌う音波を流すのよ。どういう原理か分からないけど、その範囲内で発生した音は、範囲外には漏れないの」
その言葉を聞いた瞬間、あの時の誰かに見られていたような感覚を思い出す。
「もしかして……見ていたのか?」
「うん、駆の道場の屋根から全部見てたよ」
そう言うと凛音は意地悪気な笑みを浮かべる。
「――駆がエレナを押し倒したところも」
「お前なぁ……全部見ていたのなら、そんな状況じゃなかったことぐらい分かるだろ」
「まぁね」
凛音はペロッ、と舌を出して、手に持っているブロックを振った。
「エレナが敵討ちに行くのを止めるには実力行使しかないって思っていたから、駆の家をずっと張ってたんだよ。……で案の定、思っていた通りの展開になったから、近所迷惑にならないようにコレを使ったの」
「そうか。それは気を使わせたな」
「そうでもないよ。駆がエレナを止めてくれたからね」
その言葉に、駆は怪訝な顔で凛音を見る。
凛音はブロックを鞄に戻し、ウインクした。
「もし駆がエレナを止められなかったら、私が止めなくちゃいけなくなっていたからね。駆がエレナだけを研究所に行かせるはずがない。どうせエレナと一緒に研究所に向かうでしょ? それだけは止めないといけないからね」
「……確かにそうかもな」
もしあの時にエレナを止める事ができなかったのなら、きっと自分もエレナと一緒に研究所に向かっていただろう。
恐らく、ヴォルフラムとエレナが戦う前に不意に感じた、身体が薄い膜を破るような感覚も凛音の持つブロックと同じものをヴォルフラムが使っていたからかもしれない。
しかし、そこである疑問が頭をもたげる。
「待て……そのブロックを使ったら、人間がその範囲に入れなくなるんだろ?」
「普通の人は無意識に入ることを拒むだろうし、本来その範囲内にいた人は気を失うわ」
「それは違うだろ。だって俺は普通にその範囲内で動いていたぞ」
凛音はその忌諱空間製造機を使って、周囲に音が漏れるのを防いだと言った。しかし凛音の話がすべて本当であるのなら、その範囲内にいた自分は気を失っているはずだ。
だが、凛音はそんな駆の疑問を一言で一蹴した。
「つまり、駆は普通の人間じゃないってことよ。なにせ研究所のトップシークレットなんだよ? もしかしたら……私と同じ人工妖魔かも!」
「……冗談じゃねぇ」
駆は頭を掻きながらため息をつく。そしてふと、昨夜自分がベンチを壊した時に、手のひらを痛めたことを思い出してハッ、と手のひらを見て――
(そんな……マジかよ)
息を呑む。剣道をしていることによってできた剣ダコだらけの手のひら。そこには一切の傷も傷跡もなかった。
(前から怪我の回復が速いとは思っていたけど……よく考えると流石におかしい)
「どうしたの、駆?」
「い、いや、何でもない」
手のひらを見ていた駆に、凛音が声を掛ける。駆はすぐに手を下ろした。
不思議そうに微かに首を傾げていた凛音だったが、やがて人差し指でポリポリ、と頬を掻きながら苦笑する。
「えーと……話が逸れちゃったね。駆を呼んだ理由だったっけ?」
「ああ」
「一つはさっきも言った通り、研究所が隠蔽工作を行ったのを実際に目で見て確認させるため。これで少しでも研究所と言う組織がどんな組織か理解してくれたら……と思ったの」
「嫌というほど痛感したよ。研究所がどれほど恐ろしい組織なのか。一つは……ってことはまだあるのか?」
「ええ、一応あると言えばあるのだけど……」
駆の言葉に言いにくそうに凛音は腕につけた時計を見る。そして「よし」、と小さく頷くと、ベンチから立ち上がって駆に微笑みかけた。
「もう大丈夫! 一緒に家に戻るよ」
「は? えーと……どういう事?」
「いいから、いいから!」
「お、おい! 引っ張るな!」
突然の言葉に戸惑う駆を、凛音が急かす。
凛音は駆の手を掴んで立ち上がらせると、バックを掴んで歩き出した。
駆は凛音に引っ張られるまま、明るく強い日差しの中を歩く。
その道は駆が公園に来るときに歩いた道だった。
個人の都合で、投稿期間が2、3週間隔となります。




